ミサキと醜鬼
──『いた……』
ミサキは、大イチョウの木の上で、丸まって眠っている子どもを見つけた。
見ようによっては、遊ぶのに夢中になって、つい木の上で眠ってしまった……。そんな感じにも見える。
けれど全ての状況を知っているミサキにとって、目の前の光景は、とてもそんな風には見えなかった。
遊び疲れた子どもが木の上で眠っているなど、他の家だったら有り得るのかも知れないが、今の吉昌邸では考えられない。この屋敷では、子ども一人ですら、侵入する事は出来ない。
いるとすれば、それは妖怪の類である事は、間違いなかった。
ミサキは配下の者を呼ぶ。
──『血跏溜……』
シュン、シュン、と音を立て、先程の病魔が姿を表す。
返事はしないが、膝をつき、じっとミサキの命令を待つ。
ミサキはそんな血跏溜を一瞥した後、大イチョウの上にいる子どもを見た。
──『あれを襲え……』
静かに命じると、ミサキはふわりと舞い上がった。
状況がひと目で分かるような、そんな場所へと移動する。
相手は子ども。
しかも妖力の欠片すら見えない、不思議な子ども。
《けれど、アレが人の子であるはずはない》
ミサキは思う。
人の子であるならば、例え眠っていたとしても、あの巨大な餓者髑髏が現れた時の衝撃波で起きるはずだ。……けれど子どもは、眠っている。
衝撃波で起き、見上げればあの化け物。あんな化け物をひと目でも見れば、人の子などあっという間に卒倒するに違いない。
しかし目の前の子どもは、卒倒するどころか、餓者髑髏の衝撃波ですらものともせず、未だ気持ちよさそうに、スヤスヤと眠っている。
どう考えても、人の子ではあり得なかった。
『……』
けれど、妖気も感じられない。
妖怪なら、どんなモノでも、多少なりとも妖力を発しているはずだ。けれど目の前の子どもは、まるで人間であるかのように、妖力の欠片すら見当たらない。
本当にコレは、妖怪なのだろうか……?
ミサキは少し心配になるが、吉昌には子どもがいない。
住み込みで働く者も、この日の為に雇われた者も、ここが決戦の場になると知っているから、子どもなど連れてくるわけもないし、入れるわけがない。
そうなれば、コレは、子だぬきたちの《親玉》で間違いないはずだった。
《……》
子だぬきたちは、屋敷に施された太古の呪印の存在を知っていた。であれば、この親玉も護りの呪印の存在を知っているはずだ。ミサキは眉をひそめる。
相手がどれほど力を持っているかは知らないが、《護り》に入られては、仕留めることが出来ない。……それがこの地に刻みつけられた呪印の効力。
だったら仕留めるためには、無防備に眠っている《今》が好機……!
ミサキは血跏溜へ、合図を送った。
ミサキの合図を確認するが否や、その場の空気がピンッと張り詰めた。ミサキの手が振り下ろされると共に、血跏溜たちは行動に出る。
音もなく醜鬼の傍へ近づくと、一斉に襲いかかった……!
──ガッ……!!
木の皮を引き裂くような音が立ち、大イチョウの木が、真っ黒な血跏溜たちに覆い尽くされる。
見る間に、しゅうしゅう……と音を立てつつ、大イチョウの木が枯れていった。
《……》
それを黙って見ていたミサキは、突如眉をしかめた。
✻✻✻
ん……。
ウチは、自分の周りに、妙な気配が漂っているのに気がついた。
気づいた時には、もう遅い。目をつぶって気配を探ったけれど、結構な数の何かが、ウチの寝ている大イチョウの木を取り囲んでいる。
……んー。でも、しょうがないか。だってウチ、寝とったもん。
疲れとったつもりは、なかとよ?
だって、眠る前にもウチ、眠ってたもん。ただ、ちょっと暇だけん、つらつら〜ってしようかなって思うとっただけだけん。
だけん、また眠るとか、有り得んよね? ウチもそう思うとった。
…………でも、眠っちゃった。
しかも、爆睡。
本当ならさ、妖怪の気配とか、ウチ、見られただけで気づくちか、なんでこんなに近づかれるまで気づかんかったとだろか……。
ウチは密かに、反省する。
……え? 反省してる暇なんてないって? あぁ、ウチ、襲われとるけんね。逃げんといかん。
ウチはひとまず、自分に襲い掛かってきたヤツを見てやろうと、顔を上げた。
「!?」
瞬間、全身の毛が逆だった。
何あれ!? 見え……見えないわけじゃないけど、ほとんど見えない。モヤが掛かったような……多分白っぽくって大きいのが親玉で、親玉よりもまだ形が分かる、黒くて小っこいのが子分?
そして──。
「な! 速っ……」
ウチは唸って、咄嗟に木から飛び降りた。
──バリバリバリ……っ!
身を翻した瞬間、木が裂けるような音が響いた!
「ちっ……」
歯がゆくて、思わず舌打ちする。
ウチの存在を隠してくれた、イチョウの木……それが見る間に朽ち果てていく……!
「くそっ! なんなん!? 誰と? ウチの計画を台無しにするとか……!!」
ぐるる……と喉から唸り声を出して、ウチは威嚇する。
だって、大イチョウばい?
あれほど大きくて、鎮守の木として立派に育った大木を、いとも簡単に腐り倒すとか、有り得んやろ?
ウチは敵を睨む。
くそっ! 本当に見えない!
ウチは目を細め、出来る限りそいつを見ようと頑張った。
どうやらそいつは、優雅な《傍観者》を決め込んで、悠々と空に漂っとるごたる。
キー! ムカつく!!
ウチは地団駄を踏む。確かにさっきまでは、ウチも傍観者気取りで見下ろしとったよ? だけど、実際自分が見下ろされっと、気分が悪い。思わず、ギリギリと歯ぎしりした。
大イチョウの木を破壊されたら、もう隠れる場所なんてないじゃんか!
なんなん!? ウチに喧嘩売っとっと!?
「ぐるるるる……』
人間に変化なんか、しとられっか! とばかりに、ウチは本性のタヌキの姿になる。ついでに、体の周りに、炎を纏った。
ごおぉぉおお……!
出来るだけ高温の狸火を、その身に纏った。
どの道、あれは、なんかの病原菌やろ?
ウチは目星を付ける。
たいていそれが何なのかは、匂いを嗅げば直ぐに分かる。あれからは強い血の匂いがする。鼻がもげるような、腐った血の匂い……。
他の奴らは、なんで気が付かんとかなって思うくらい、病原菌の匂いって凄まじいんだけど、多分ウチの鼻が鋭いだけかも知れん。とにかく、ウチは近くでこの匂いがしたら、炎を身に纏うようにしとる。
大抵の病原菌は、炎を操れるウチには、通用せん。炎の息でも吹き掛ければ、病魔などチリと焦げる。
ウチはニヤリと笑った。
案の定、空を飛んでいるボヤけたヤツが、動揺するのが見えた。
雑魚どもは、キーキーと唸り声を上げて、怯えている。
ウチは口を開く。
『なんなん? あんたら。ウチの計画ば、邪魔すっと? 妖怪のくせに……?』
言って、ウチは鼻にシワを寄せた。
コイツら……本っ当にムカつく。
妖怪の癖に、ここの主である陰陽頭の吉昌の匂いをプンプンさせとった。……多分あれだ、こいつはアイツの式鬼なんだろな。
ウチは呆れる。
何が悲しくて、人間なんかに媚びを売らなくちゃいけない?
人間は、ウチらの玩具だろ? 玩具の下につくとか、意味分かんないんだけど。
ウチは目を細める。
空のモヤがブルブルと震えている。
……震えるモヤ。ちょっと、見ものやけど。
──『あ、貴方は、誰なのですか……』
《モヤ》が言った。
ウチは、フン! と鼻を鳴らす。
『ウチ? ウチは醜鬼と……』
って言っても、分からんだろうけど。偽名だし。
──『しゅ、醜鬼……さま……?』
『……』
《さま》付けで呼ばれ、ウチは少し機嫌が良くなる。
なんだ。分かっとるやん。そうそう。そうやって、最初から大人しくしとれば良かったと。
だけど、ちーっと遅かったよね。
ウチ、怒っとるとだけんね!
ムスッとして、ウチはモヤを見る。
『ねぇ、なんでウチの邪魔ばすっと? あいつの式鬼だけん?』
話す度に、ウチの口から炎が漏れ出でた。
『ウチ、怒っとっと。アレ、ウチの手毬とに、あげなこつすっとか、有り得んやろ?』
ぐるると唸る。
けど、相手も相手。
ウチが手毬の持ち主と知るや、殺気を放ち出した。
眷属の雑魚共も、震えながら主に従う。
ふん。無理しやがって。
──『あの手毬は、人に仇なすモノ……』
モヤがそう言った。
ウチはムッとして言い返す。
『仇なす……? 元々ウチらって、そんな存在やろ? お前こそ、なんで人に肩入れする?』
──『……』
『……』
モヤは、答えない。
『はあ……』
ウチは呆れて、大きな溜め息を吐いた。
『どうせアレやろ? 恋とか好いたとか、くっさいこと言うとやろ?』
あのキツネもそうだった。
熾砢房を噛み殺した妖狐たち。
人に恋して、傍にいたいが為に、仲間であるはずの妖怪に仇なす。恋に溺れた妖怪たち。
……無理やり式鬼に降された妖怪ならまだしも、自分からしっぽ振って式鬼なるヤツらは信用出来ん。
ウチは鼻で笑った。
『残念やけど、ウチ、吉昌を殺る為に来たとだけん、雑魚は下がっとってよ』
──『……っ、吉昌さまに、手出しはさせませぬ……!』
モヤは怒った。
いや、ウチも怒っとるから!
ウチは大きく息を吸い込むと、全てを押し流すように炎を吹き出した。




