到来
澄真の眠る室内に、優しい風が吹き込んだ。吉昌は、その風につられて、庭を見る。
(おかしい……)
待てど暮らせど、誰も来ない。
すぐ後ろを追いかけて来ていた蒼人が来ても良いはずだったのだが、その蒼人すら来ない。吉昌は眉をしかめる。
そもそも、蒼人に見つかる予定ではなかった。
陰陽生である彼が、あの場にいることなど、常識的に考えてもおかしかった。
(……そう言えば、何のためにあそこにいた?)
咄嗟のことで、動揺してしまったが、冷静に考えてみると、おかしな事に気づく。
確かに以前、陰陽師たちが噂していた。《蒼人は澄真に懸想している》……と。
(しかし姿見たさに、わざわざあそこまで来るだろうか……)
あの時は、てっきりそうなのだと思い込んだが、噂好きの女房どもでもあるまいし、蒼人が仕事を投げ出して、澄真に逢いに来るなど、考えられない。蒼人はいたって真面目で、仕事をそつなくこなし、他の陰陽師たちのウケも良かった。
仮に怠けて来ているのだったら、ほかの者に受け入れられるはずがない。
年季の入った陰陽師であるならば話は変わるかも知れないが、蒼人はまだ若輩者。小さなアラでも叩かれるはず。
「……」
吉昌は、口元に手を当てる。
(なにか、見誤っている……?)
──スパッ……!
「!」
妙な衝撃を感じて、吉昌は目を見張る。
(な……っ)
紙人形が切れた……!
ハッとして立ち上がる。
(返された……!?)
咄嗟に護符を展開する!
──急急如律令! 粋風陣!
自分を護るための陣を展開した途端、物凄い衝撃が返ってくる!
──バリバリバリ……ッ!!
雷撃が、吉昌を襲う!
「くっ……!」
雷撃自体は、そう強いものではない。侵入した妖怪たちは痺れさせて、捕まえようと思っていたからだ。
妖怪一匹捕まえてしまえば、それを囮に他の妖怪をおびき寄せられる。もう澄真を餌にする必要がなくなる。
けれどまさか、返されるとは思っていなかった。
高位の妖怪ならば可能かもしれないが、吉昌の作った紙人形は、そう簡単に壊せるものではない。思わず眉をしかめた。
紙人形には更に雷撃を含ませ、侵入して来た妖怪に対してのみ発動するようにしていた。侵入するだろう妖怪には、白狐がいる可能性が高かったから、弱め……と言ってもそれなりの威力はある。
返されれば、人間の吉昌では致命傷になりかねない。
「……!」
展開した粋風陣で雷撃を包み返し、外へと衝撃を逃した……!
──バリバリバリィ……!!
「……っ、」
地を揺るがすほどの雷鳴が轟き、雷撃が霧散した。
バタバタバタ……ッと近くにいた鳥たちが、騒ぎながら飛び立って行く。
「あ……、吉昌さまっ! 今のは……っ」
いつの間に入ってきたのか、侍従のひとりが尻もちをついて、怯えたように呟いた。
「……」
人はいないと思っていただけに、一瞬目を見張った吉昌だったが、今はそれどころではない。
紙人形が反応し、術を返されたとしたならば、妖怪どもが屋敷に侵入している事になる。吉昌は手短に、言葉を返した。
「心配ない。それよりも、何かが、侵入した! 侵入した者を取り抑えろ……!」
「あ、いや……。それが……」
従者の歯切れが悪い。
吉昌はムッとして、従者を睨んだ。言いたいことがあるなら早く言え! そう目が物語っている。従者は慌てて口を開いた。
「し、侵入した……いえ。妖怪は……侵入ではなく……」
従者はそこまで言って、口篭る。
吉昌のイライラが募った。思わず怒鳴る。
「何なのだ! ハッキリ申せっ!」
「は、はっ! その妖怪でありますが、澄真さまの縁者として……。客として訪ねて来ております……っ!」
「……何!?」
目を見張る吉昌に、従者は怯える。
「も、申し訳ございません。あ、……あまりに普通に、その……門から来られ……いえ、来たので、……その……」
「屋敷に上げたのか……!?」
吉昌の剣幕に、従者はそれ以上言えなくなる。
「は……はい。」
「……っ、」
吉昌は震えながら、拳を握りしめる。
(招き入れた……? 易々と? この屋敷に……!?)
怒りが込み上げる。目の前の従者を殴り飛ばしたい衝動に駆られ、吉昌はグッと堪える。
「あ、……あの。も、申し訳ございません。し、……しかし……」
従者は続ける。
「私どもでは、対応出来ないのです。その……力が」
──力が違いすぎます……っ!
思い切ったように、従者が叫んだ。
(力が違う……)
その言葉に吉昌は、冷静さを取り戻した。
(それもそうだ……)
来たのは、あの白狐だと思われる。縁者と言うからには、そうなのだろう。
(白狐……)
吉昌は唸る。
最近なにかと言うと、この白狐が必ず絡んでいる。澄真が関わりを持ったという事で、そこにあぐらをかいて、好き放題しているのだろう。
思えば、その白狐と最初に対峙したのは陰陽生だった。
「……」
ヒヨっ子の陰陽生が手こずるのは頷けるが、あの澄真すら、一時は取り逃したほどの妖怪だった事を、吉昌は思い出す。
(……それならば、妖力は強いはずだ)
ましてや先程などは、吉昌の紙人形を切っている。
それなりの力があるのは確実だった。多少物の怪を祓えると言っても、目の前の者は所詮一介の従者に過ぎない。陰陽師ではないのだ。手など出せるわけがない、
「……すまない。つい、カッとなってしまった」
吉昌は、素直に頭を下げた。
「い、いいえ。……未熟者で、こちらこそ申し訳ございません……」
従者は唸る。
「しかし、あの者。妖怪にしては礼儀をわきまえているのです……」
「礼儀をわきまえている……?」
妖怪が、礼儀など知るはずはない! 吉昌はムッとして言葉を返す。
(そもそも礼儀を知っていたら何なのだ。相手は妖怪なのだぞ? 祓うべき悪なのだぞ? だから、屋敷に上げたと言うのか……?)
考えるだけで、胸焼けがした。
吉昌の顔がふたたび曇ったのを感じ、従者は慌てる。
「ひ、人の子かと、見間違えるほどで……」
下を向きつつ、言葉を変えた。
「……」
(妖怪の力に怯える従者相手に、いくら話しても無駄だ……)
吉昌はそう考えて、口を開く。
「とにかく、その者に会う。どうするかは、それからだ」
頭を下げる従者の前を横切り、吉昌は、いつも客を通す部屋へと急いだ。
(しかし、妖怪だと侮った。どうせコソコソ忍び込むのだとばかり、思っていたのに……)
どうしてくれよう……。そればかりが、吉昌の頭をぐるぐる廻っていた。