姮娥の運
死霊兵が刀を振り落とす……!
ザン────!
不吉な音が、辺りに響いた。
『姮娥あ──!』
玉兎は、姮娥の身を案じ、叫んだ……!
……もちろん、完全な安全圏で。
遠目に、死霊兵の剣が完全に振り下ろされたのを見て、玉兎は涙ぐむ。
『姮娥。……長い年月を、君と一緒にいれて、楽しかったよ……。姮娥の弔いは鉄鼠と丁重にするから、だから、心安らかに眠って──』
『こら! 勝手に殺さないでくださいまし……っ!』
姮娥が、玉兎の背後に廻り、げしっとその背中を蹴る。それから恨めしげな声を上げた。
背中を蹴られて玉兎は、前のめりになりながら、軽く舌打ちをする。
『……ちっ。生きてたんですか』
言って玉兎は、顔をしかめた。
『ちょ今、舌打ちしましたわね! それに、私が生きてちゃだめなの!? てか、玉兎! よくもこの可愛い私を、蹴たくってくれたわね! おかげでえらい目に合いましたわ……』
姮娥はまくし立てる。
玉兎に蹴られたその先に、突如目の前に現れた、おどろおどろしい死霊兵たちを思い出し、姮娥は身を震わせる。
だらりと垂れた腕。
それからワカメのような髪の毛に、べっとりとまとわりつく、赤黒い血液の塊……!
あの取れかかった眼球の虚ろな瞳は、じっと自分を見てニタリと笑った! 姮娥は震える。
取れかかり、白濁したその眼球では、絶対に物など見えないはずなのに、死霊兵は、ギョロ……ッと姮娥を睨んだ……ような気がした。
思わず姮娥は、ゴクリと息を呑んだ。
玉兎に蹴られた後、まさかの死霊兵にでくわし、なんの脈絡もないまま、姮娥は襲われた。
振り上げられた、錆だらけの日本刀。
ギラリ……とも光らない、今にも折れそうな剣を振り上げ、死霊兵はニタリ……と笑う。
実際は、笑ってなどいなかったが……。
『……。私本気で、死ぬのを覚悟しましたわ……』
姮娥は呟く。
『死霊からは、絶対に逃げることは叶わなかったハズでしたもの……』
普通なら、そんな不覚など姮娥は絶対に取らない。
そうしてきたからこそ、姮娥は今の今まで生き抜いてくることが出来た。
それなのに、なぜ逃げきれなかったのか……。
それは一重に、死霊兵が怖かったからに過ぎない。
……不覚にも一瞬、腰が抜けた。
《何なんですの? あの、無気力さは……》
姮娥は唸る。
死霊兵たちは、驚くほどに無気力だった。
やるせない瞳。色を映してない虚ろな瞳。感情のないその顔に、崩れ落ちそうな体。何を取ってみても、意志というものが感じ取れない。
けれど無気力なくせに、死霊兵は当たり前のように姮娥を殺そうとした。
まるでそれが、この世に存在する唯一の理由……とでも言うかのように……。
太刀筋なんて分からない。
何を考えているか……いや、何も考えていない存在の振り落とす太刀筋など、誰も読めるわけがない。
だからこそ、姮娥は、ただ震えることしか出来なかったのである。
確かに死霊兵は、召喚されたモノであるのに違いなかった。呪術の香りがしたから、それは間違いない。
……しかしあの無気力さは、命令された事を遂行できるような、そんな目でもなかった。
なんの意思もなく、意味もなく、命令されたわけでも強要されたわけでもない。
ただ、殺す事こそが存在意義であるかのような、唐突な有り得ない身のこなし……。
姮娥は自分を抱きしめ、身震いする。
姮娥とて妖怪である。
しかも、ただの妖怪ではない。
もともとは仙女で、それなりの力があり、妖怪になった今でも、古参の妖怪として名を馳せている。
それなりに力もあるし、知恵もあると姮娥は自負していた。
妖怪だからこそ、多くの命を奪ってきた。
そしてそれは全て、己の力へと変換していく……。
だから姮娥が弱いという事は、ありえない。
好き好んで、争いごとに首を突っ込もうとも思わないが、ひとたび戦闘……となれば、それなりに自信もあり、負ける気はしなかった。
だけどそれは単に、《襲われたから仕方なしに対応する》……という事に、他ならない。
面白半分に命を殺めたことなど、姮娥には、一度もなかった。
だけど、死霊兵のそれは、その《面白半分》でもない。
ただ、この世にいる為の、必要最低限の所作……そう言っているかのようだった。
《あんな生き方だけは、したくない……》
何も思わず、感じず、ただ殺戮を繰り返すだけの死霊兵。
彼らは何を想うのだろう?
いや、もう考えるのもやめてしまった、そんな存在なのかも知れない。
《……。妖怪を否定するのに、あんなのは作りますのね? 吉昌……!》
姮娥は吉昌のやり方に、吐き気をもよおす。
《いったい、何なんですの……!》
人を害することを嫌悪しながら、人を死霊兵としてこき使う。
それは《妖怪》という存在よりも、忌み嫌うべき存在のような気がした。
『で、何故助かったんですか……?』
姮娥が自分の肩を抱いて震えていると、玉兎がつまらなそうに尋ねた。
『……』
姮娥はムッとする。
《……あぁ、ここにもいましたわ。死霊兵のような妖怪が……!》
はぁ……! と大きく溜め息をついて、姮娥はボリボリと頭を搔く。
玉兎も案外、何も考えずに生き物を殺せるかもしれない……そう思った。
『凹んだんですわ』
姮娥は、忌々しげに答える。
『……。はい?』
玉兎は、聞き返した。さっぱり意味が分からなかった。
姮娥は、バツが悪そうに眉を寄せると、ムッとして同じ言葉を繰り返す。
『だーかーら、凹んだのです! 地面が! 殺られそうになったその時ちょうど、地面が凹んでくれて、助かったのです!!』
姮娥は、必死になって説明をした。
状況はこうだ。
地面から死霊兵は、現れた──。
そしてそれは、相当な数で、今や屋敷内をガッチャンガッチャンと錆びた鎧の音を響かせながら、辺りを見廻っている。
それだけの数が地面から現れれば、当然地盤も緩んでいる。
ちょうど姮娥が立っていたその場所も、死霊兵が眠っていた正にその真上で、支えを失った地面が、絶妙なタイミングで崩れたのに他なかった。
……ただ単に、姮娥の悪運が強かった……。それだけであった。
『……今頃あの死霊兵、地面に突き刺さった自分の剣を、必死こいて引っこ抜いてるはずですわ……』
姮娥はカラカラと笑った。
『……』
聞けばあまりにも単純で、玉兎は言葉を失う。
《よくそれで、笑えますね》……そう言おうとして、口を噤んだ。
姮娥は生きている。
余計なことを言うと、逆に三途の川を拝むことになるかも知れない。
『……っ、』
玉兎は軽く身震いすると、姮娥に微笑みかけた。
『何はともあれ、無事で何より。先を急ぎましょう……!』
『……』
姮娥は、何やら腑に落ちない所もあったが、今は一刻を争う。
仲間である玉兎と、これ以上の諍いは得策でないと判断し、姮娥は、大きく頷く。
『ひとまずは、月の手毬……!』
『ええ……!』
二人は見合わせると、大きく頷いたのだった。




