思わぬ展開
『ちょ、何するんですかあぁぁあああ……!』
玉兎は半ば発狂しながら、ジタバタと暴れた。
「ぎょ、玉兎……っ! 暴れないでくださいましっ!」
姮娥が唸る。
自分の背中から落ちようとする玉兎の耳を慌ててつかもうとした。
『……っ! だから、私に触らないでください……っ!』
ギリッと歯ぎしりしつつパッと耳を伏せ、玉兎は姮娥の《手》を避けた。
『あ、暴れないでなのー……!』
子だぬきたちは、そんな二人のやり取りを見て、叫んだ。うにょん……と例の布がたわむ。
『ひぃぃい……!』
玉兎が悲鳴をあげる。
絶対に触らないぞ! と言う意志と共に、姮娥の背中から滑り降りると、地面に這いつくばった。
ぶわん──。
びしっ、
『ふぐ……っ、』
布は大きくたわみ、姮娥の顔面を直撃する。
《……うわぁ。もう、姮娥には近づきません……》
青くなりながら、玉兎は腹這いになって、先を進んだ。
ごご……ごごごごご……。
『!』
地面に平伏したからだろう。地の底から湧き上がるような地響きに、玉兎は身を強ばらせる。
なにかが、地の底をうごめいている──?
ごごごごご……。
地響きは大きくなり、姮娥や子だぬきたちも異変を察知した……!
『な!』
『じ、地震!?』
『違うの! 変な妖力がうごめいてるのおぉぉ』
子だぬきたちが悲鳴をあげる。
ワタワタと子だぬきたちが騒ぎ出したと同時に、布はシュルっと収納される。幸いにも、破魔矢による攻撃はやんだ。
地に突き刺さる無数の矢が、先程の攻撃の凄まじさを物語っていた。
子だぬきは四つん這いになって、警戒する。
グルルルル……と唸る子だぬきたちの地面が、ぐらり……と蠢いた……!
見れば地面が、蛇のようにうねっている。
『……!?』
玉兎と姮娥は、目を見張る。頭を叩いて、耳の中に詰まった泥玉を取り出した。
『姮娥何が来ているか、分かりますか?』
玉兎は姮娥を見ずに尋ねる。
姮娥も耳の泥を掻き出しながら、頭を振る。
『わ、分かりませんわ……。でも──』
嫌な予感がする。
姮娥は後ずさる。
ただの地震ではない。
地面の下……いや、地面が何かの生物かのように、のたうち廻っている……!
『な、何なんですの!?』
姮娥が唸る。
思わず玉兎に触りそうになり、再び叩かれる。
『……』
バシッと小気味良い音が立ったかと思うと、姮娥の手が赤くなる。
痛む手を抱き寄せながら、姮娥は非難じみた目を玉兎に向けた。
『そんなに、毛嫌いしなくてもよいでしょう!? 私だって、好きで触ったわけではないし、ましたや顔面に激突したのも、事故ですわ! ましろ私は、被害者ですのに……!』
涙目になって抗議する姮娥を見て、玉兎はすまなく思った。
《姮娥……すみません。けれど無理ですからっ!》
玉兎の気持ちはブレない。
姮娥の手を避けると同時に、玉兎は姮娥の背中を蹴った。
『……え?』
姮娥の目が点になる。
ぐらり……と姮娥の体が揺れ、ゆっくり倒れる。
倒れた先の地面……先程からうねっていた、その地面が割れた……!
バリっ。
バリバリバリ、……ガシャ……ガシャン……!
──ぉぉぉおおおあぁ……。
『!?』
土が割れる音と、不気味な金属の擦れる音と共に、大量の死霊兵が地中から溢れ出た……。
──うおぉぉぉおおお……、
ガシャン──ッ。
ギラリ……ッ! と赤い双眸の目を光らせ、不気味な唸り声をあげながら、死霊兵たちは這い出て来る……!
錆びてくすんだ鎧を身につけた死霊兵は、ちょうど玉兎が姮娥を蹴り倒したその先に現れた。
恐らくは、剣で斬られたのだろう。
首の骨の途中まで裂け、妙な角度を保った生気のない首が、ぐるん! と姮娥を見下ろした。
『ひ、……ひ……ひぎゃああぁぁあああ!!!!!』
姮娥の悲痛な悲鳴が、響き渡った。
✻✻✻
そもそも玉兎は、その見た目に反して非情である。
白くふわふわの体毛に包まれて、ふんわりと柔らかく、人好きのするその目はまるで、上質な紅玉のよう。
時に血のように、妖しく美しく輝くその瞳に見つめられれば、誰もが玉兎の虜になるに違いない。
長い年月を、冷たく青白く光る月で過ごしていたからか、玉兎は意外にも冷たい。
相手の心配をしてくれる、臆病なウサギ……などと思っていると、途端に牙を剥き出したりする。
《情》というものを持ち合わせていないのでは……? と、姮娥は思う。
《そもそも、玉兎が誰かを好きになるという事すら信じられなかったのですから……!》
だから、玉兎が《狐丸さまが好き》などと告白した時には、目の玉が飛び出るかと思うほどに驚いた。
相手が男だとか、そういうのを抜きにして、玉兎が誰かを愛する日が来ようとは、夢にも思っていなかったのである。
《玉兎なら、平気で友を踏み倒して先へ進む……そんなヤツですわ》
そしてそれが正に、今の状況なのである。
✻✻✻
『ひぎゃああぁぁあああ……』
ガチャリ……。
死霊兵がザラリ……と錆びた剣を抜く……。
『ひぐっ』
目の前で剣を抜かれ、姮娥は喉を鳴らす。キラともしない、その剣で斬られれば、きっと物凄く痛い上に、傷口はすぐに化膿して、苦しむのに違いない。
サーっと血の気が引く。
『あ、あ……。玉兎。……よくも蹴ってくれましたわね……!』
言って恨みがましく姮娥は振り向く。
死霊兵はそれをものともせず、剣を振り上げた。
『……玉兎』
しかし、振り向いたそこには、玉兎は影も形もなかった。
『あ、いつぅ……!』
ザン──!
死霊兵が剣を振り下ろす音が、辺りに響いた。