呪印と矢よけのまじない。
玉兎と姮娥は呪印を調べた。
『これは重複呪印……』
玉兎は呟く。
……が、姮娥には聞こえない。
『……』
これでは、話し合いもへったくれもない。
玉兎は溜め息をつくと、姮娥の知識はあてにしないことにして、呪印を調べた。
──《重複呪印》
要は、いくつかの呪印で構成される術式である。
術は大きく分けると二つに分類される。
直ぐに実行可能な術と、継続的に執行される術。
前者は、澄真や他の陰陽師が使う、護符を元にした呪術で、即時遂行の為の術式。
後者は継続的に執行するための媒体として、御札として護符を定着させたり、岩肌に文字を刻んだりする。今回の呪印は、明らかにこの後者で、とても古いものに思えた。
そしてその呪印は、ひとつの術式だけではなく、別の術式も巧みに混ざり合わされており、パッと見はひとつの呪術にしか見えなかった。
《……なんでこんな事を》
玉兎は唸る。
普通術式は複合することはない。合わせる術式の種類によっては、副産物を生み出すことがある、リスクの高い代物だ。玉兎は岩肌の文字をなぞる。
『……』
先程と同じように光り輝くのかと期待したが、呪印は光らなかった。けれどその効力が、失われたようには見えない。呪印はほのかに妖力を発していて、ほんのりとあたたかい。
──昔の呪術が存在する。
鉄鼠の言っていたのは、これのことだろうか? 玉兎は首を捻る。
鉄鼠は、地形を変える術式が組み込まれてると言っていた。それは古くて、媒体となるものを見つけ出せなかった……とも言っていたように思う。
『これ……ですよね……?』
目の前の呪印は相当古く、鉄鼠の言っていたことに当てはまる。
『呪印の種類は、《幻影》と……《護り》……?』
玉兎は首を捻る。
屋敷に護りの呪印を刻むのは珍しくはない。
けれどコレは、普通の《護り》とは種類が違う。
『家……を護ってはいない……』
姮娥が呟く。
二人の言葉は互いに、姮娥が詰め込んだ泥玉のお陰で聞こえないのだが、二人の思うところは一緒だ。
二人は顔を見合わせる。
呪印の護るべき対象は、明らかに《屋敷》ではない。では何なのか……? それは二人には読み解けなかった。
『何なんですの? この呪印……』
姮娥が顔をしかめる。
その様子を見て、玉兎も渋い表情を浮かべた。
分かったのは一つだけ。
目の前にいる仲間は、この呪印が何なのか《分からない》と言う事。
──はあぁぁあぁぁぁ……。
どっと疲れが溢れる。
結局何の解決にも繋がらない。
ズドーンと二人は落ち込みつつ、この窮地をまずは脱しなければならないという事に、重きを置いた。
『ゲコ……!』
姮娥が喉を膨らませ、低く唸る。
『……』
もちろん玉兎には、その声は聞こえない。
聞こえないが、喉が膨れたのは見て取れた。玉兎は姮娥を見る。
姮娥は玉兎が自分を見てくれたことに気づくと、玉兎に自分の背中を見せた。ついでに両腕を後ろに廻して、手を拡げる。
要は《背負ってやる!》と言っているのだ。
『……』
玉兎は少し躊躇った。
言っていることは分かる。
でも、普通のガマよりも大きいと言えども、ガマはガマ。玉兎よりひと廻り小さな姮娥におぶさるのは、流石に気が引けた。
グッと息を呑む。
けれど迷っている暇はない。
先程から雨のように降っていた矢が、急に止まったのだ。一本も飛んでこない。
それは明らかに、人間たちが二人を捕獲しに切り替えたとしか思えなかった。姮娥が地団駄を踏む。
《早く! 早く!!》そう言っている。
『……』
玉兎は少し悩んだが、そうするより他、手はない。
自分は不覚にも傷ついてしまった……。
血が流れ出る、足の傷を、忌々しげに見ながら、玉兎は姮娥におぶさる。
『ふぐ……っ、』
動くと傷がひどく痛んだが、それも自分の眷属に会うまでの我慢。眷属に会えば、速攻で傷が癒える薬を出してもらえる。
他の者ならばそれほどでもないが、作った本人が使用するとなると、その効力は普段の治癒力に輪をかけ作用する。もう少しの辛抱だ。
玉兎は自分に言い聞かせた。
『行きますわよ……!』
玉兎が背に掴まると同時に、姮娥は地面を蹴る……!
流石に玉兎ほどの跳躍力はなかったが、捕獲しようと忍び寄る人間たちの間をくぐり抜けることは、難なくできた。
「なっ、妖怪が逃げた! 撃て! 撃てぇ!」
捕獲しようと忍び寄っていた者たちが、崖上から待機する仲間に状況を伝える!
「矢を番え! ……撃て!」
シュン──。
シュシュン……!!
指揮官と思しき者の合図と共に、再び二人に矢が襲いかかる……!
あっという間に、空は矢の黒い点で覆い尽くされた。
《……!? 数が、多い……っ》
玉兎は空を見上げ、ギョッとする。
射掛けられた矢は、今までの比ではない。所狭しと密集する矢に、肝が冷える。
《だ、ダメです。……これは、もう……》
不意に脳裏を狐丸が過ぎる。
《……っ。死にたくない……!》
けれどどう足掻いても、逃げきれない状況に、玉兎は落胆の色が隠せない。
《せめて、あと一目……あの人の顔を……》
そう思って目をつぶった。
『きゃー。間に合ったのぉー!!』
『お前が悪いの! あんなところでコケるとか!』
『ひどいの! 痛かったの。うぇーんて泣きたかったのおぉぉ』
『泣いてる暇なんてないの! 失敗したら、醜鬼さまが鬼みたいに怒るんだから! それでいいの?』
『……うぐ。それは、怖い』
『だったら、気合いいれるの!』
おー!
『……』
妙な気合と共に、妙な者たちが現れた。
数匹の小さな子だぬきである。
子だぬきたちは、何やら言い合いをしつつ、二人の傍へ寄ってきた。頭には何やら皮で出来た布を押し広げ、雨あられと降る矢を防いでいる。
《あ……、助かった……?》
姮娥と玉兎は目を見張る。
破魔弓の音を気にして!玉兎と姮娥は強力な耳栓をしているが、子だぬきたちの耳栓は、そう強力でもないのだろう。見ていると会話が成り立っているように見えた。
『もう、大丈夫なの! 助けに来たのー!』
一匹の子だぬきが、姮娥と玉兎に話しかける。
けれど二人は、何を言われているか分からない。
困った様な複雑な表情を浮かべたが、子だぬきは平気なようで、そのまま話を進めていく。
『ボクたちの主がね、助けに行きなさいって言ったの。だから、助けに来たの!』
ふんふん♪︎ と飛び跳ねつつ、子だぬきたちは嬉しそうだ。
『あ! 君、怪我してるよ!?』
別の一匹が玉兎の傷を見つける。
何を言われているのか分からないが、傷口を覗き込まれた玉兎はバツが悪い。苦笑いしつつ、傷を隠そうとした。
と、その時──。
『そんな傷はね、ペッペッペッ……!』
子だぬきは事もあろうか、自分の手に唾を大量に吹き出し、その手を玉兎の傷口へと刷り込む。
『!?!?!?!?!?』
……何度も言うが、玉兎は綺麗好きだ。
子だぬきから大量の唾を傷口に刷り込まれ、玉兎の毛が総毛立った。
『ひ、ひぃ……』
ワナワナと体が震える。
『ふふ。ほーら、もう治ったよ?』
真っ青な玉兎とは裏腹に、子だぬきはご機嫌だ。ふんふーん♪︎ と再び跳ねながら、玉兎から離れた。
『!?』
玉兎は目を見張る。
不思議なことに、アレだけ酷かった矢傷は、綺麗さっぱりなくなっていた。
《……掠ったと言えども破魔矢。タダでは済まないと思ったのですが……》
瞬時に傷を直した、この子だぬき。タダの妖怪であるはずがなかった。
《そう言えば、鉄鼠もそのような事を言っていた》
──おかしなタヌキがいる。
おかしなタヌキとは、おそらく、この子だぬきたちのことだと玉兎は瞬時に理解する。
《確かに、おかしい……》
自分たちを何故助けるのかもそうだが、唾で傷を治すなど、聞いたことがない。
こう見えても玉兎は薬を司る。
治癒に関したことならば、知らないハズがなかった。
けれど、この子だぬきたちの事は知らなかった。
『……』
不審に思いつつも、消える寸前の自分たちの命を救ってくれた、この子だぬきたちには、感謝の念もある。
《ひとまず、様子を見ましょう……》
玉兎がそう思うのも、当然のことだった。




