醜鬼の思惑
「あ、やって来た。やって来た」
相変わらず、イチョウの大木から下の様子を見ていた醜鬼はほくそ笑む。
辺りをキョロキョロと警戒しつつ侵入するウサギとガマ。それと、隠れたところからその二匹をうかがう人間たち。
「ふふ。アイツら、本当におマヌケとだけん」
くすくす……と笑う。
実のところ醜鬼は、手毬を自分の手に戻すことを諦めた。
「世の中、諦めが肝心とにね……」
ぼんやりと呟きつつ、木の上に寝そべりながら足を揺らす。
「もう、あの手毬……力をなくしとる……」
言いながら、冷めた目で池を見た。
池の中には、あの大災害を起こした原因とも言えるべき手毬が、沈んでいる。
手毬は池の水に護られ、誰も手出しが出来ない。
手を出そうものなら、その者の命を奪うほどの結界が張られている。ひとたびその池の中に手を入れようものなら、生きてこの屋敷を出ることは、叶わないかも知れない。
水のように見えるそれは、妖怪だけではなく、吉昌が護ろうとしている《人間》ですら、害しかねないものだった。
(……だけん、もう手遅れ……)
はぁ……と醜鬼は溜め息をつく。
手毬自体は醜鬼が作ったものだから、頑丈に出来ている。たとえそれが、陰陽師の作った結界であっても、敵わないわけがない。
けれど結界は思いの他、強かった。
おそらく、吉昌だけの力じゃない。
何かの力が相乗効果となって、吉昌の結界を強めているようだ。
溜め込んでいた《怨念》は、結構集まっていたはずだが、今や薄く蠢いている程度。このままだと、本体すら危うい。醜鬼は溜め息をついた。
気まぐれで、大昔に作った手毬だったから、作り方なんて忘れてしまった。
あれから何回か、同じような手毬を作ってみたけれど、どこか違う気がして、結局本物の奪還に力を注いだ。
それなのに──。
人すら害する水の結界。
(あんな物に脅かされるとは、ね……)
元は怨霊の塊である手毬……。
その手毬が人の手によって作られた結界の中にあるとなると、侵食されることなど当然ではないか。
「……バカばっか」
醜鬼は呟く。
もう、手毬は本来の力を失いつつある。
あの月のように美しく輝いていた手毬は、時間が経つごとに、くすみのある白色に姿を変えていた。
醜鬼はムッとしつつ毬を見る。
この屋敷には、長年染み込んだ独自の結界があった。
その力は、吉昌の作りあげた結界に力を与え、思わぬ状況を生み出した。
おそらくそれは、結界……と言うよりも《呪術》と言った方早いだろう。そしてそれは、敷地内で行使される《護りの呪》に反応する。
だから手毬を包み込む、本来なら《護り》となる結界が、術者の思惑をはるかに超えて、強化されてしまった。
本来なら人質として護るべき毬なのだが、力が増強され、敵対する人外の者が作り上げた毬を攻撃し始めたのだった。
そして《毬》には、抗う力などない……。
「……」
醜鬼は顔を歪める。
「何なん? 中身攻撃とか、実はこいつらアホやろ!?」
悪態つきつつ、醜鬼はもんどり打った。
「あぁーっ!! イラつく! あれ、うちのなのに!」
バタバタと木の上でのたうち廻る。
最初は回収しようと試みたけれど、手毬の衰弱は激しく、結界を解いて毬を出す頃には、おそらくもう意味をなさない。
醜鬼が手毬を手に入れたかったのは、幼なじみの熾砢房と、海を溢れさせて遊ぼうと思っていたからだ。
──熾砢房は、どこかで生きている……。
あの時確実に、熾砢房は妖狐たちに殺された。
だから《どこかで生きている熾砢房》は、本当の熾砢房じゃないかも知れない。
しかし生みの親である月詠からそう告げられて、醜鬼は、いても立ってもいられなかった。
また、あの可愛い熾砢房に会える……! そう考えると、じっとしてなどいられない。醜鬼は行動に出た。
けれど──。
「あぁ〜ん。熾砢房。熾砢房あぁぁあぁぁ……」
(毬を見せようと、思ったのにぃぃいぃぃ……!)
醜鬼は悔しさで、どうしようもない。
少しずつ力を失っていく手毬を、指を咥えて見ているしか出来ない自分に、腹が立った。
けれど元はと言えば、原因は結界を張った人間。陰陽頭吉昌だ。
「どうしてくれよう……」
指をガジガジと噛みながら、醜鬼は唸る。
吉昌に、醜鬼の邪魔をしようとする心づもりは、なかったのかも知れないが、結果そうなってしまった。
醜鬼は、どうにか一矢報いてやろう……と恨みがましく人間たちを見る。
(吉昌は、あの人間たちの棟梁……)
という事は、自分の《敵》は、あのウサギでもガマでもなく、その二人の動向を忍び見ている人間共だ……! 醜鬼は目を細めた。
だから、結界を齧るネズミの手伝いをした。
けれど本気ではない。
深入りしないように、本体の自分は、この大イチョウに身を寄せている。
イチョウは、その存在自体が《護りの木》だ。
天界では《神木》として位置づけているが、人間たちがそれを理解しているかは醜鬼にも分からない。
けれど、必要以上に《護り》に対して相乗効果を与える術式が、この屋敷には張り巡らされている。もともと護りの木であるイチョウの木の上ならば、その力は増幅され、見つかることはまずない。
(もしかしたらコイツら、古術に関して、何も知らんのかも……?)
と、醜鬼は思う。
何かしらの術式が、この土地に組み込まれているのは、流石に気づくかも知れないが、本来の意味合いは知らないのに違いない。
(多分、ここの最初の主は、妖怪好き……)
ふふ……と笑いつつ、醜鬼は、今まさに繰り広げられようとしている妖怪と人間たちの決戦に、視線を向けた。
(ムダだって……)
見下ろしながら、バカにしたように笑う。
そもそも、ここの本当の主──おそらくは初代当主──は、妖怪が好きだ。
妖怪が好きだからこそ、人と妖怪との争いを嘆いたに違いない。
けれどそれを表沙汰には出来ない。
おそらくはその当主もまた、陰陽師であったはずだから。だから地形を変える複雑な術式に紛れ込ませ、護りを増幅させる術式を織り込んだ。
──戦意を喪失した者を、助けるために。
「……」
人と妖怪で争ったとして、いつかはどちらかが倒れる。
倒れるその時に、自分を護ろうとするならば、太古の術式がそれを助ける。
(要は、トドメが刺せん……。だけん、こん争いは、意味ばなさん)
醜鬼は嘲笑う。
(けど、圧倒的な力で叩きつければ、……ふふ。《護り》なんて、展開出来んやろ……?)
醜鬼はそれを狙っている。
手毬を池に沈めた吉昌を、醜鬼は恨んでいる。隙をついて、徹底的に叩くつもりだった。
(そん為には、見つかるわけにはいかんしね……)
だから木の上で、身を潜めているのだ。
それだけではない。醜鬼は他にも手立ては打っている。眷属たちの魔力量だ。
たくさん出したタヌキの眷属の数匹に、大きめの力を注ぎ込み、あたかも操っている者が共にいるように見せかけた。
(アホな人間なら、分からん分からん……)
最終的には、この手毬のある場所……。醜鬼がいる大イチョウの木の下に、全ての者が集まる。
(そこを突いてやる……っ!)
醜鬼の、紫の目が光る。
(息の根、止めてやる……)
思いのほか怒っている自分に、醜鬼は少し驚く。
けれど、大好きな熾砢房が喜ぶだろうと用意していた物が、ダメになったと分かると、ひどく落胆したのは事実だ。
その原因となった者は、生かしておけない……!
「吉昌ぁ……!」
醜鬼は唸った。
日は傾き始める。
ザザザザザ──ッ。
さざ波のような風に吹かれ、イチョウの若葉が揺れた。
醜鬼はその上で目を細め、静かに時を待った。