吉昌の企み
「吉昌さま。お帰りなさいませ……」
侍従たちが御所から戻って来た吉昌を、出迎えた。
藤見の宴からは、車を二台用意し、一台目には自分、二台目には澄真と狐丸を乗せていた。
途中吉昌は、用意していた馬に乗り換え、一足先に屋敷へと帰って来たが、じきに澄真と狐丸の乗った牛車も、この屋敷へとやって来る手筈になっている。
狐丸は澄真の式鬼的な存在ではあるが、どういうわけか、澄真の命令を無視できる。自由過ぎる式鬼は、ただの妖怪と変わりはない。危険な存在として、処分するつもりだった。
(しかし、あの藤の花……)
本当なら、あの宴で弱らせようと思っていた。
ちょうどよい具合に、皇子たちがやって来てくれたお陰で、狐丸の護符を剥がす手伝いをしてもらう事にした。皇子に狐丸を藤棚の方へ誘うように囁き、その手に自分の力で練った《墨》を少量、皇子の手に付けたのだ。
護符の威力は、術式を書いた者以外の《墨》が紛れれば、効力を失う。
幸いにも、吉昌の色は青朽葉色。渋みがかった黄緑色は、手に付いてもそう目立たない。
しかし子どもを介して護符を剥ぐのだから、吉昌本人もここまでうまくいくとは思わなかった。澄真が念入りに術を施していたのだろう。
その反動で、少しの異物──吉昌の魔力の墨で、護符は簡単に崩壊した。
(だが、藤の花では倒れなかった……)
藤の花如きでとどめが刺せるとは、さすがの吉昌も思ってはいない。しかし毒は毒。狐丸が倒れれば、そのまま自分の屋敷に連れ込んで、封じるつもりだった。
牛車の帰りの行き先が吉昌の屋敷だったのは、そのせいだ。
他の妖怪と共に、白狐とその他の妖怪もろとも処分するつもりで屋敷におびき寄せ、護符を張り巡らせたのだが、藤の花が効かなかった今では、何とも心もとない。
他の手を考えた方がいいのか……? と吉昌は悩んだ。
しかし、余りにも露骨すぎる罠は、かえって不審感を招きやすい。取り込んだ他の妖怪たちまでも、逃げる可能性があった。
(そのまま、やるしかないか……)
吉昌は顔をしかめる。
藤の花が効かないとなると、狐丸は妖怪ではないことになる。妖怪でないのなら、祓えないのではないかと、少し不安になった。
(妖怪でないなら、何なのだ? 明らかにあれは白狐だろう……?)
眉根を寄せて唸ったが、今はそれどころではない。
おびき寄せる罠に引っかかって、既に妖怪たちは手の内にある。妙な感情の揺れは、全てを台無しにする事を、長年の経験上吉昌は知っていた。
気持ちを切り替えて、吉昌は口を開く。
「妖怪共の動向はどうだ?」
吉昌はドタドタと廊下を渡りながら、侍従たちに尋ねる。
本来なら、自分の部屋で着替えるところだが、今は時間が惜しい。着物の帯を解きながら足早に進んだ。正直なところ、御所へ上がるために正装しているが、いかんせん動きにくい。
これから妖怪数匹と対峙するには、いつもの仕事着の方が都合がよかった。出かける前に言いつけておいたから、用意は出来ているはずだ。
「は。今のところ、池の結界をネズミ共が、表の結界をタヌキの妖怪が喰いちぎっているところでございます」
「タヌキ……?」
侍従の報告に、吉昌は眉をしかめる。
タヌキの妖怪の存在は把握していなかった。
澄真が報告してきた妖怪の種類は、ネズミ、ウサギ、ガマ……それから先ほど出会った白狐狐丸の四匹だ。タヌキがいる……などと言う報告は受けていない。
(増えたのか……? 全部で五匹。……少しキツイな……)
吉昌は唸る。が、これはまたとない機会だ。地の利はこちらにある。負ける気はしなかった。
「……。まぁ、いい。要所に設置してある護符はどうだ?」
「いえ。気づかれた様子はございません」
「妖怪は全部で五匹。一匹は後で来るが、残りの四匹は屋敷内に入っているか?」
「は。ネズミとタヌキ……それとガマとウサギ。四種全て入ってはおりますが、前のネズミとタヌキに関しましては、本体がいるのかは分かりかねます……」
「分からない……?」
吉昌は侍従の言葉に歯ぎしりをする。
それに気づき、侍従は青くなる。
「も、申し訳ございません……。力の配分が絶妙過ぎるのです。どれが棟梁か、見分けがつきませぬ……」
侍従は唸った。
本来、同じモノが何体も出現すれば、それは《眷属》と見てとるのが普通だ。
その場合、より妖力の強いものが棟梁──眷属を従える者となる。
吉昌の侍従の中には、陰陽師になっても差し支えのないものが数名いる。何故陰陽師にならないのかというと、理由は簡単だ。なれないのだ。
その者たちは身分が低すぎて、御所内には立ち入ることの出来ない。その者たちを独自に雇い入れ、妖怪討伐用に編成している吉昌だった。
要は力があっても、貴族社会では認められない者たちなのである。
けれどその中に、妖力の強さを見て取れる者がいた。この区別がつくだけでも、妖怪退治はずいぶん楽になるハズだった。
「配分が絶妙……」
吉昌は呟く。
それは、妖力を高配分された者が数匹含まれている……という事に他ならない。
それは棟梁である妖怪の妖力が、それなりに強く、知能も高いと言う事を示していた。
「……」
吉昌は、爪を噛む。
(これは、一筋縄ではいかないかも知れないな……)
しかし、今更引くわけにもいかない。吉昌は侍従に命じる。
「……戦力は落ちるが、破魔隊を二手に分ける。屋敷と池の結界を齧る妖怪の駆除に当たらせろ。高配分の者を重点的に始末。警護隊には、護符を設置してある要所付近を護らせよ。じき、白狐も来る。私はミサキを呼び戻し、白狐に相対する。それまでに、屋敷の結界を強化せよ。あまり派手にはやるなよ? 澄真と白狐に悟らせるな……!」
「は」
言って侍従は姿を消す。
「……」
吉昌は部屋へと入り、待ち構えていた女房たちに、着替えを手伝わせた。
予想外の事が既に起こり始め、吉昌は機嫌が悪い。
(もっと時間を掛けるべきだったろうか……)
歯ぎしりをしつつ、吉昌は護符を握ると、都の外に追い出していたミサキを呼び寄せたのだった。