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月の手毬(月星雪✻②✻)下巻  作者: YUQARI
第四章 藤見の宴
27/92

敦康親王

 現れた狐丸を見て、僕は血の気が引いた。


 父上がおっしゃっていたことは、間違いなかったのだと確信を持つ。

 だって狐丸は顔に()()()()()()()()から。


 話を聞くと、額ひたいに護符が貼ってあっても、前は見えるのだと言う。けれどコチラからは護符で表情は全く見えなくて、誰なのか分からない。

 ただ見えないのは顔だけで、その絹糸の様に銀に輝く髪の毛と、おしりからユラユラと伸びた三本の狐のしっぽが見えている。その事が、目の前の人物が人ではなく妖怪だということと、あの時助けてくれた白狐なのだと言うことを、知らしめていた。


 父上も母上も、妖怪にとって藤の花が毒なのだと言うことを知っているから、狐丸のその護符が不敬だと言う者は、誰一人としていなかった。理由を聞かなくても、見ればそれが《毒よけ》なのだということが分かったから……。



 けれど僕は、少し残念だ。

 僕を救ってくれたのは、美しい妖怪なのだと、本当は自慢したかったから。これでは自慢もへったくれもない。


 まぁでも、そうは言っても、狐丸が僕の住む場所へと来てくれたことは、とても嬉しくて、心が弾む。

 一通りの挨拶が済むと、僕は真っ先に狐丸の傍へと走った。



「狐丸? その護符……やっぱり藤の花は、妖怪には毒なのか?」


 触れていいものか分からずに、僕はその護符に手をかざすだけにしておいた。もしも万が一、効力が消えてしまったら、元も子もないもの。


「ん? あ、敦康(あつやす)。久しぶり! ……うーん。この護符でしょ……僕は要らないって言ったんだけどね、澄真(すみざね)が取っちゃダメって言うの」

「そう……か。彼は陰陽師だから、言うことは聞いた方がいい。毒になると言うのなら、そうなのかも知れない」

「んー。僕も花のことは、そう詳しいわけでもないけどさ、()()()は大丈夫だと思うんだ……」


 狐丸はそう言って、中庭に咲く藤の花を見た。



 もうすぐ日が陰る。午後の藤の花は、朝早くに見るそれとは違って、どことなく不気味で、妖艶な雰囲気を醸し出す。


 その様子に少しゾクッと寒気がして、僕は身震いする。僕は狐丸の方へと向き直った。少し嫌な予感がしたんだ。


 陰陽師が危険だと判断して貼った護符。

 邪魔だからと言って《大丈夫だよ》の言葉一つで、軽くとってはダメだと思った。何事も慎重に進めていかなくっちゃ。


 僕はそう思って、狐丸に言葉を掛ける。

「大丈夫って君は思うかも知れないけど、でも本当にそれ、取っちゃダメだよ……?」

 僕の言葉に、狐丸は目を丸くする。

 そしてすぐにふふふと笑うと、口を開いた。


「うん。分かってる。僕ね、いつも澄真(すみざね)に迷惑を掛けているから、これからは気をつけようと思うんだ。僕ももう、大人になるの!」

「大人……? 」


 鼻息荒く《大人になる!》と言う狐丸の表情は見えないけれど、その言い方が可愛くて、僕は思わずくすりと笑う。

「あ。バカにしてるだろ! 本当なんだぞ! 僕は大人になるんだ!」

 ムキになって言う姿が本当に可愛い。僕はハイハイと頷く。

「分かってるさ。大人になりたいのは、私だってそうだからな。……そうだ、妖怪も《元服》するの……?」

 僕の言葉に、狐丸は首を傾げる。

「《元服》……?」

「……」


 どうやら《元服》を知らないようだ。

「そう。元服……《人》は大人になる時に元服するんだよ。まぁ、その時期は人によって違うけどね。……確かに妖怪にはないのかもなぁ。だって妖怪になったその時すでに、大人ってヤツもいるんだろ? あの時の妖怪みたいにさ」

 僕は狐丸に助けられた時のことを思い出す。


 あれは確か、宗源火(そうげんび)と言ったかな? あの妖怪の姿は、正に大人の坊主だった。あとから聞いたら、生前寺の坊主だった宗源火は、賽銭や火にともす油を盗んでいた。その報いで、燃える妖怪となったらしい。

 元々大人の人間だったモノが妖怪になれば、妖怪としては幼くとも、体は大人なのだから、元服なんてするわけがない。


「あぁ……アレか……」

 狐丸は呟く。


「うん、確かにアレは大人だった。妖怪って、元々人間だったのが、ものすごく嫌なことがあって他人を呪ったり、生前の悪行の報いを受けたり、人間たちの恨む心が寄り集まって出来たり、あとは……そう! 人の想いが物に宿ったりして、できるものだから、妖怪が元服する……なんて、ないんじゃないかな? 聞いたこともないし……」

 うーんと唸る。


 狐丸も、僕と同じことを考えていたようだ。

 ……だけど、そうなると、気になることがある。僕は恐る恐る口を開く。

「じゃあ狐丸も、なにかを()()()()……?」



 狐丸は出会った時から、こんなだったから、恨みとか呪いとかには程遠い感じがした。だけど《妖怪》って、そのほとんどが何かを恨んで化けて出たものが多い。となると狐丸もそうなのかなって心配になった。

 狐丸が妖怪になるほど恨むもの……、それって、どんな事なんだろう? 僕はとても気になった。


 尋ねると、狐丸は目を丸くする。

「え? ……あ、そう……だよね? そういうことになるんだよね……? ……えっと、僕……僕はね……」

 少し考えながら、狐丸は答える。


「僕は……多分違う。僕は、()()()が創ってくれたの……」

「《ある人》……?」

 僕は尋ねる。


 妖怪を創る人などいるのだろうか? それは陰陽師のことだろうか? 狐丸を創ったのはあの澄真(すみざね)なのだろうか?

 僕は不思議に思って、再び聞いてみる。


「じゃあ、狐丸を創ったのは、澄真(すみざね)……なの?」

「……」

 その言葉に、狐丸は更に驚いた様子で頭を振る。

「ち、違うよ! 澄真(すみざね)じゃない。……澄真(すみざね)よりもっと……」

 言いかけて、狐丸は首を振る。


「……ダメだ。僕、思い出せないの。創ってもらったのは確かだけど、その人の事も、ちゃんと知っているはずなのに、何故か思い出せない」

 狐丸はそう言って、少し悲しそうな顔をした。

 僕はそんな顔をさせてしまったのが申し訳なくなって、慌てて首を振った。

「い、いいんだよ。私だって産んでくださった母上の顔を、もう上手くは思い出せないんだ」

 言って笑う。


 それもそうだ。母上がお亡くなりになったのは、私が二歳の頃。覚えていなくて当たり前だったけれど、不思議とこの藤の花を見た日のことを覚えている。

 母上は藤の花が、たいそうお好きだった。


敦康(あつやす)も覚えてはいないの……?」

 狐丸は申し訳なさそうな声で、僕に尋ねる。

 その顔が可笑しくて、僕はふふふと笑う。

「普通は覚えてはいないよ。……妖怪は羨ましい。産まれたての赤子であっても、その時のことを覚えている者もいるのだろう……?」

 狐丸はふふふと笑う。

「ふふ。そこのところは僕、覚えてるよ? 辺り一面真っ白の雪で覆われててね……」


「まぁ、お二人とも……。楽しそうに、何をお話していらっしゃるの?」


 不意に声が掛かった。姉上だ。

 長い黒髪は艶やかで、藤の花に見立てた若紫色の着物の上にサラリと拡がっていた。優しいその微笑みは、今は亡き母上の顔と重なる。


(あぁ、そうか)

 ……と僕は思う。


 二歳の頃の記憶なんてあるわけない。きっと幼心にも、母上と姉上がとてもよく似ていると思って、無意識に記憶をすり替えたのかもしれない。姉上も、藤の花が好きだから……。

 僕は姉上を通して、ずっと母上を見ていた。だから幼い日の思い出なのに、覚えていられたのだと思う。


「あ。姉上……。この者が、私を助けてくれた白狐の狐丸です」

 僕は姉上に狐丸を紹介する。


 すると姉上は、にこりと笑って、狐丸を見た。

「あぁ。狐丸さま。その節は敦康(あつやす)をお助け下さり、心よりお礼申し上げます……」

 言って軽く頭を下げる。


「姉上……!」

 僕は驚く。

 普通、僕たちは頭を下げない。そう教えられてきたし、禁じられてきた。けれど姉上は、なんの躊躇もなく、妖怪である狐丸に頭を下げた。


 人である前に、狐丸は妖怪だ。


 僕は当事者だから、気さくに話しかけてもいるけれど、本来なら話すことも許されない。そんな状況で、姉上は頭を下げたので、僕は焦った。

 周りがどう思うのかと、思わず見廻す。


「……!」

 すると父上と目が合った。

 目が合うと父上は嫌な顔ひとつせず、こくりと小さく頷いて優しく微笑まれた。

 ……僕の心は少しあたたかくなる。

 父上も、僕を助けてくれた狐丸を認めて下さっている……そう思えたから!



 そしてもう一人……。

 こちらを見ていた者がいた。


 澄真(すみざね)だ。

「…………」



 ……澄真(すみざね)とは、……目は合わなかったけれど、彼はひどい顔色をして狐丸を見ていた。


 そう……だよね。

 保護者としてこの状況は、気が気じゃない状況なのだと思う。

 うん……。



敦康(あつやす)……?」

 姉上が不思議そうな声で僕を呼び、顔を覗く。

 僕はハッとする。

「あっ、すみません。考え事をしていました」

 僕は慌てて、狐丸の方を向く。

「狐丸。こちらは私の姉宮……修子(ながこ)内親王だ」


 紹介すると狐丸は、姉上に向かって三つ指をつき、深々と頭を下げた。

修子(ながこ)内親王様におかれましては、つつがなくお過ごしのご様子。心よりお喜び申し上げます。この度はこのような会にお呼び頂き、ありがとうございます……」

「……」


 僕は一瞬、呆気にとられる。所々ごにょごにょ……と誤魔化しつつ、狐丸は決められた口上をどうにか口にした。

「ぷっ……」

 僕は可笑しくて、思わず吹き出す。


「あ。……もう、敦康(あつやす)っ! 笑わないで……!」

 狐丸はプーっと膨れた。


 多分、付け焼き刃で澄真(すみざね)に仕込まれたのに違いない。

 妖怪が頭を下げる姿も珍しいけれど、どことなくぎこちない狐丸の所作が、可愛らしかった。

 ふふふと、姉上も笑う。


「ふふ。そう、かしこまらないで下さいね。わたくしも、狐丸さまとお近づきになりたいのですから……」

 そう姉上がおっしゃると、狐丸はモジモジと指を動かす。

「あ、……あの。その……内親王さま……」

「はい?」

「ぼ、僕……まだ、その……言葉を、言葉をよく知らなくて……」

「?」

「……」

 狐丸はモゴモゴと言いつのり、僕は《ははぁん》と思う。ニヤリと笑って、姉上を見た。

「姉上。狐丸は《決められた所作》は出来ても、所詮付け焼き刃。かしこまった言葉は使えないのですよ」

「うぐ……」

 図星をさされ、狐丸は項垂れる。

 姉上は、そんな狐丸を見てふふふと笑う。


 そうなのだ。姉上は優しい。そんな事で怒りはしない。

「まぁ、そのようなこと、構いませんのに。……ほら、顔をお上げになって? わたくしの事も《修子(ながこ)》と呼んで下さいませ? 敦康(あつやす)だけ名前で呼ぶなど狡い。わたくしも《狐丸》と呼びますから……ね?」

 手を取られて、狐丸は明らかに動揺の色を見せる。

 けれどおずおずと、姉上の名を口にする。


「え……えっと、……な《修子(ながこ)》……?」

「ふふ。そうですわ。……なぁに? 狐丸?」

 首を傾げ笑う姉上は、まるで芍薬の花のように華やかだった。


 普通《名前で読んでくれ》と言われて、はいそうですか……と鵜呑みにする者はいない。大抵は当たり障りのないように、やんわりと断るが普通だ。もしくは名前で呼んだとしても、必ず《さま》をつける。

 ……けれどそれは、()()()()()()()()()()()()だと僕は思う。


 僕もだけど多分姉上も、何も知らずにそのまま名前を呼び捨ててくれた狐丸が、むしろ好ましく思える。


 帝の亡き皇后の子として、僕たちの地位はとても危うい。


 中宮に入った義母上ははうえは、とても優しい方だけれど、発言力があるわけではない。義母上の父は政治を牛耳ろうと、正妻のいなくなった父上に中宮として義母上を差し出した。


 ……だから僕たちは、余計なお荷物なのだ。

 姉上はともかくとしても、僕……帝の嫡男である僕は、目の上のコブ……では収まらないくらい、邪魔なはずだ。


「……」

 僕を次期帝へ……と推せば、おそらく僕の命はない。

 父はその事をよく理解されているのだと思う。だから逆らうことなく、僕の廃嫡を認めた。義母上は……義母上はひどくお怒りになったけれど……。

 そのせいで、実父の道長とは疎遠になっていると聞く。


 そうやって幼い頃から僕たちは、知らなくてもいい政治の裏側を見てきた。だから、おべっかを使う信用ならない者たちよりも、政治のことなど何も知らない狐丸のように、ただの敦康(あつやす)、ただの修子(ながこ)として見られることの方が心地いい。



 目の端で、離れたところに座る澄真(すみざね)が、動揺しているのが見て取れた。


 それに気づいて、僕は笑う。

 それはそうだろう。内親王に対して呼び捨てたのだから。

「ふふふふふ……」


「ん? 敦康(あつやす)? どうしたの? いきなり笑って。……あ、また僕のことバカにしたんでしょ!」

 狐丸がプンプンと怒り出す。

「違う違う。単なる、思い出し笑いだよ……ふふっ」

「えぇ? 絶対僕のことだと思うんだけど……」

 狐丸は納得いかないようで、声が訝しんでいる。その声が可愛い。


 僕は声を立てて笑った。こんなにも笑ったのは久しぶりだ。

 姉上も扇で顔を隠し、笑っていた。口元は見えなかったけれど、肩が小刻みに震えている。とても嬉しそうだ。


 これはちょっと、藤の花どころではないかもしれない。

 藤の花のよりも狐丸の方が、見ていて何倍も面白かった。


 御所にいる最後の藤見の宴。

 本当は期待していなかった宴だけれど、十分楽しめそうだと考えを改めたのだった。


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[良い点] 27/28 ・あ、なんか楽しそう。男の子がキャッキャしてるの [気になる点] 名前がまた特徴的、えーと、んん? [一言] NAGAKOさま!
[良い点] おっとぉ。そうか人名タイトルは一人称かっ! [気になる点] 子供と子供! 大混乱?
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