護符
──絶対に外すな!
そう澄真に言われて、狐丸はおでこに紙を貼りつけられた。
「……」
おでこにだけ、紙がついているのなら、狐丸も何も言わない。気にしなければつけている事すら忘れるところだ。
だが、つけられた紙はけして、小さくはない。
顔を覆うほどのその大きさに、狐丸は呻いた。
「ねぇ……、澄真? これ、なんなの? 前が見えにくいんだけど……」
狐丸は焦って澄真に意見する。
おでこにつけられた和紙は、薄くはない。
薄くはないが、どういう仕組みになっているのか、前が見える。和紙には様々な《呪》が書かれているから、そのお陰で見えるのかも知れないが、ハッキリ言って邪魔である。
狐丸の言葉に、澄真は呆れた声を出す。
「前が見えないわけではないだろう? 前が見えるのなら、なんの問題もない。それは、お前を護るためのものだから、絶対に外してはダメだ」
「……」
キッパリと言われれば、どうする事も出来ない。
「……えっと。……《護る》?」
狐丸は首を傾げる。
狐丸自身、自分は弱くないと思っている。
九尾の瑠璃姫には負けるかも知れないが、少なくともタマの力はとっくに超えたと思うし、姮娥も鉄鼠も玉兎も、狐丸には一目置いている。
澄真には叱られもしたが、あの吉昌とも対峙し、無事だったのも自分が強い証拠なのだと、密かに思っていた狐丸だ。誰かを護りこそすれ、護られる謂れなどないはずだ。
確かに見えはするけれど、邪魔な事には変わりはない。
狐丸はムスッとして、護符に息を吹きかける。ぴろ……ぴろ……と護符が吹く息と共に蠢いた。
それを見て澄真が怒る。
「こら! 狐丸、遊ぶんじゃない! 取れたらどうするんだ!!」
言って、紙と額を更にくっつけるように手で抑えた。ピリピリとした感覚が、狐丸の額を襲う。
「澄真、澄真! おでこ、ピリピリする!」
「当たり前だ! 取れないように《力》を追加してるからな」
澄真に触れられるのは嫌じゃない。嫌じゃないけれど、この紙はない。
「嫌だよ! ねぇ、この紙取って? ピロピロして邪魔なんだもん……」
「……お前が息を吹きかけるからだろ? 何もしなければ、気にならない。前だって見えるんだから、慣れればいい……」
そう言って澄真は狐丸のおでこを撫でた。
「……本当は、連れて行きたくはないんだ」
撫でながら、ポツリと言った。
「澄真?」
狐丸は首を傾げる。
澄真としては、連れていきたくはない。
けれど、皇族のお墨付き……ともなれば、狐丸が祓われる心配が少なくなる。
この藤見の宴で、問題なく狐丸が過ごすことが出来さえすれば、さすがの吉昌も簡単には、狐丸に手が出せなくなる。
いくら無害だと言葉で言い募っても、妖怪嫌いの吉昌には通用しない。妖怪なぞ、祓ってしまってから言い訳を考えればいい……そんな風に思っている上司なのだ。味方は多い方が心強かった。
(けれど、まずった……)
そうも思う。
ほかの花であったなら、問題はなかった。けれど今回は《藤の花》。妖怪や悪鬼を妨げるという藤の花なのである。
妖怪である狐丸に、どのような害を及ぼすのか、分からなかった。
澄真は顔をしかめる。
今更嫌だと言うわけにもいかない。確かに不安な面もありはするが、護符を付けていれば安全なはずだし、今後狐丸が安心して過ごせる生活を手に入れる好機でもある。
「……っ、」
澄真は自分に言い聞かせる。
(今日……今日さえ無事に済めば……)
問題は、その枠に狐丸が収まってくれるか……である。
「と、とにかく、その護符は私が丹精込めて書いたのだ。絶対に外すな……それだけの《呪》を書き入れるのは、骨が折れるんだぞ……!」
「……これ、澄真が……?」
言ってよく見ると、護符はほんのり澄真の匂いがした。
(……あ。白群色)
書かれている《墨》も澄真の《力》の色だった。気づいて狐丸は大人しくなる。
「……。分かった」
パタパタとしっぽを振った。
今日は完全に人間化していない。
《妖怪》として藤見の宴へと参加するのだから、多少なりとも《妖怪》の部分を残しておかなければならない。
それは未だかつてないことで、澄真も狐丸も少し落ち着かない。
銀髪の髪とフワフワの三本のしっぽを見せつつ、狐丸は少し気恥しい。しっぽはやけに素直で、嬉しいと勝手にパタパタと蠢いた。狐丸は慌てて自分の動くしっぽを押さえる。ギュッと両手にしっぽを抱きしめて、再び澄真すみざねに頷いて見せる。
「分かった! 僕、我慢する……!」
言うと澄真はふわりと微笑んで、狐丸の頭を撫でた。
「少しの間だからな。頑張ったら、ご褒美に遊んでやるから……」
「本当!?」
狐丸は嬉しくなって、掴んでいたしっぽの先が、クネクネと蠢いた。
《遊んでくれる》というだけで、なんで嬉しいのか、狐丸にもよく分からない。
けれど、誰かが自分を護るために力を尽くしてくれて、頑張ったらご褒美をくれる……そんな事など今までになかったものだから、嬉しくて仕方がないのだろうと狐丸は思った。
しかもそれをしてくれている相手が、あの澄真なのだ。その事実に、狐丸は転がり廻りたいほど、ウキウキと心が弾む。
(転がっちゃダメ。転がっちゃダメ……)
狐丸は自分に言い聞かせた。
先程、絢子が鬼の形相で言った。
──けして、澄真さまの迷惑になってはいけません!
鼻息荒く、そう諭す絢子に、狐丸は耳を伏せた。
『それってどうするの?』
あまりにも曖昧なその言葉に、狐丸は尋ねた。
狐丸も、なにも好き好んで澄真すみざねに迷惑を掛けているわけではない。気づけば困らせている……そんな具合なのだ。だから、何を注意しなければいけないのか、狐丸にはさっぱり分からない。
これ以上迷惑を掛けたくないと狐丸だって思っている。しかしやり方が分からない。確実に迷惑にならない方法を知りたかった。
妖怪として生きていた狐丸には、人間の作法など、コレっぽっちも分からないのだから……。
けれど聞きはしたが、難しいことを言われたらどうしよう……? 狐丸はそう思って身構えた。が、絢子の要望は至って簡単だった。
──この衣装が乱れなければ、それでよろしゅうございます。
身構えていた狐丸は、キョトンとする。
『……それだけ?』
それだけ。と絢子は言った。
『衣装が乱れなければ、変な動きをしなかったと言うことですからね』
絢子はニッコリと微笑む。
狐丸も絢子のその言葉に、そうか……と納得した。
(……だから、転がるのはダメだ)
狐丸は絢子の言葉を反芻する。
(そして、出来る限り《喋らない》!)
けれどこれは無理でしょうね……と絢子は付け足した。確かに狐丸相手に、《黙っておけ》とは無理なことかも知れない。でも、頑張れば出来るかも知れない……と狐丸は鼻息が荒い。それも、頑張ってみようと思っている。
(だけどまずは《衣装を乱さない》だ!)
それが、唯一狐丸が守るべき約束となった。
「……」
ふんすふんす! と意気込む狐丸を見て、澄真は不安になる。
軽く頭を抱え、いざとなったら引っ掴んで逃げよう……と、腹を括った。
そんなこんなで、狐丸と澄真は様々な想いを抱えつつも吉昌の用意した牛車が屋敷へやって来ると、それに乗り込み、御所へと赴いたのであった。
太陽は緩やかに傾き始め、朝晩は冷え込むこの季節ではあるものの、今日は少し汗ばむほどの爽やかな春の午後。
藤の花のみならず、木々の新緑の眩しい、気持ちのいい日差しが降り注いだ。




