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月の手毬(月星雪✻②✻)下巻  作者: YUQARI
第四章 藤見の宴
23/92

支度

 ぴすぴす……。

 ぴすぴすぴす……。


「ん……?」

 耳の近くで何やら変な音と、少し湿ったモソモソとするすぐったい感触に、澄真(すみざね)は目を覚ました。


「あ……。もしかして、寝過ごした……?」


 朝日が眩しい。

 いや、朝日と言うより、太陽は高く昇っていて、澄真(すみざね)は少し驚く。

 こんなにも寝過ごした事などなかった。いつもなら、朝日が登る前には起きている澄真すみざねである。青くなって、身を起こそうとした。




 ──トンッ。




「ぐふ……っ」


 起きようとしたが、何かが体の上に乗っかってくる。

(重っ……い、痛い……っ)


 起きたばかりの目を細め、乗っかってきた()()を見ようとしたが、逆光でよく見えない。

 その()()(けもの)ようで、澄真(すみざね)の体の上で立ち上がって見下ろしている。


 とりわけ大きな獣……と言うわけではないが、細い前足が胸に乗っかっていて重い……と言うよりひどく痛かった。

 なにごとかと唸りながら、澄真(すみざね)はその()を見上げた。


「……」


 その獣は嬉しそうに、白くフサフサのしっぽをフリフリと動かし、澄真(すみざね)の顔を舐め始める。


『起きた起きた! おはよう、澄真(すみざね)! もう、お昼だよ? なかなか起きないから、心配し……ふぐっ……』

「……」

 狐丸だったか……。と、薄目を開けながら澄真(すみざね)は、狐丸の鼻面をガシッと掴んだ。

「……やめろ。狐丸。舐めるな」

 澄真(すみざね)は唸る。


 鼻面を掴んで、口を閉じさせたが、真っ赤な細い舌が少し飛び出していて、未だぺろぺろと動いている。

 どうにか澄真(すみざね)を舐めようと、首を傾げ『角度を変えたら舐められるかな……?』とばかりに試している。狐丸は小柄なのに、思っていたよりも力が強い。さすがは妖怪とでも言うべきか……。


 しかし寝起きにベロベロと舐められては、かなわない。

 澄真(すみざね)もつい力を込めて、狐丸の口を閉じにかかった。相手は妖怪だ。生身の人間では、歯が立つわけがない。澄真(すみざね)はそう思い、狐丸の口を掴む手に、少し《力》を流し込んだ。


『ふぐ……すみ、澄真(すみざね)……! なに? 何するの……!? なんか鼻が、ピリピリするんだけど……!』

 フガフガと狐丸が澄真(すみざね)の胸の上でもがく。

「『何するの?』じゃない。それはこっちのセリフだ。《力》を込めてるから、そりゃピリピリもするだろうな……!」


 前足で必死になって、自分の口を掴む澄真(すみざね)の腕を払いのけようとするが、上手くいかない。当然、《力》を流しているから、そう簡単には外れない。

 狐丸は一生懸命剥がそうとはしているが、自分の爪で澄真(すみざね)を傷つけまいとしているようで、肉球を丸めパタパタと前足を動かした。


「……」

 そんな狐丸が澄真(すみざね)には、可愛くて仕方がない。

 けれどこの起こし方は、ない。昨夜眠っている狐丸の唇を奪いはしたが、堂々と舐めるよりかはマシだと澄真(すみざね)は自分を正当化する。


 バタバタと暴れる狐丸を見つつ、澄真(すみざね)は少しずつ廻り始めた頭で、昨日あったことを思い返した。




 昨日傷口に毒を盛られ、不覚にも倒れた澄真(すみざね)は、《介抱する》という名目の上、吉昌よしまさの屋敷に連れさらわれた。そしてそれをどこかで見ていたのだろう狐丸が、吉昌(よしまさ)の屋敷に乗り込んで来た。

 しかし、狐丸の無謀なその振る舞いに、澄真(すみざね)の肝は冷える。


 下手をすれば狐丸は、もうこの世にいない。


 妖怪嫌いの吉昌(よしまさ)の屋敷へ、直談判をしに上がり込むなど、言語道断。何故タダで済むと思ったのか……。

 無事に帰れたことは、ほとんど奇跡に近かった。


 考えなしに突っ込む狐丸は見ていて危なっかしく、澄真(すみざね)は生きた心地がしない。

 それなのに、呑気に自分の上に飛び乗って、まるで《昨日は何もありませんでした》とでも言うように、しっぽを振る狐丸が憎らしい。


 ムッとして鼻に皺を寄せると、狐丸の口を掴んでいるその手に力を込める。


『いだだだだだだ……!! なに? なんなの? 澄真(すみざね)! 痛いんだけど!?』

「狐丸……お前、なかなか無謀な事をしてくれたな……」

 言いながら、更に力を込める。

『いだだだだだだ……!』

「あそこは吉昌(よしまさ)さまの屋敷だ! 妖怪が行くところじゃない……!」

 澄真(すみざね)のその低い威圧的な声色に、狐丸はヒッと小さく悲鳴をあげて、大人しくなる。


『う……。ご、ごめんなさい……』




 ──吉昌(よしまさ)さまの屋敷には来てはならない……。



 それは、澄真(すみざね)だけでなく、蒼人(あおと)も言っていた。それだけでなく、妖怪の姮娥(こうが)ですら警戒していた事だった。

 けれど、狐丸は聞かなかった。




 ──澄真(すみざね)を助けなくちゃ……。





 そればかりが狐丸の思考を支配していた。どうしようもなかった。譲るわけにもいかなかった。

 《だけど……危ないってことも、ちゃんと分かってた……》

 狐丸は耳を伏せる。


 自分が悪かったとも思うから、狐丸は素直に澄真(すみざね)に謝った。謝りながら、澄真(すみざね)の胸の上でシュンとなって、体を伏せる。


 《分かってたんだ。無謀な事だったって……》

 自分のしでかした事に、狐丸は反省する。反省はするが、あの時はああするより他なかった……と思う気持ちは消せないでいる。


 澄真(すみざね)の胸の上で長くなりながら、狐丸はクゥンと鳴いた。

 立ち上がっていた狐丸が伏せると、胸の痛みは幾分収まる。

 反対にフワフワとしたあたたかさが、直に伝わってきた。


 今まで一緒にはいたが、こうして間近で、キツネの姿になった狐丸を見るのは初めてで、澄真(すみざね)は妙な新鮮さを感じる。

(……本当に、キツネなんだな)

 純白のその毛並みは意外にも毛足が長く、柔らかそうで、思わず撫で廻したくなる。

 それをぐっと堪えながら、少し触れるだけに抑え、澄真(すみざね)は話を続ける。


「あの屋敷は、陰陽頭(おんみょうのかみ)である吉昌(よしまさ)さまの屋敷なのだぞ……」

 言いながら、狐丸を撫でる。

 フワフワとしたその純白の体毛は、まるで絹糸のように細く柔らかい。

 今はあたたかいその体だが、下手をすれば今頃は硬く冷たくなっていてもおかしくなかった。いや、祓われれば、死体すら残らない場合もある。


 言葉にすると、その恐ろしさが、腹の底から湧き上がって来た。有無を言わさず妖怪と見れば祓っていく陰陽頭、吉昌(よしまさ)

 吉昌(よしまさ)の前に現れた妖怪が無事だったことは、未だかつてない。

 その時取り逃したとしても、必ずおびき出し、調伏(ちょうぶく)する。

 吉昌(よしまさ)は、人に降臨した《不動明王》とさで言われている。その信念の固さには、ほかの陰陽師でさえも、辟易するほどだ。

 何を言っても《妖怪は人に仇なす者》と、絶対に譲らない。基本的には、式鬼しきの存在すら認めてはいない。


 そんな吉昌(よしまさ)と対峙したのにも関わらず、今まさに、狐丸がここにいることは奇跡に近いのだが、それもまだ油断は出来ない。今頃、狐丸を祓う算段でもしているかも知れなかった。



「……」

 澄真(すみざね)は思わず、狐丸を抱きしめる。不安でしょうがなかった。

『うわっ! ……と、え? あ……澄真(すみざね)……?』


「……何かあったら、どうするつもりだったんだ」

 消え入るように呟きつつ、その毛並みに顔をうずめた。


 しなかやなその体は、意外にも柔らかい。

 フワフワの毛でおおわれているからかも知れないが、抱くと信じられないほどに心地いい。

 柔らかさとフワフワ加減。そして、ほんのりあたたかい狐丸の体は、ほのかに蓬萊柿(ほうらいし)の甘くいい匂いがする。

 ずっと嗅いでいたいその香りに、顔を寄せていると、狐丸が急にうふふふふと笑い出した。


『ふふ、ふふふふふ。……澄真(すみざね)、くすぐったい。僕、首、弱いの。くすぐったい』

 くすくすと笑いつつ、プルプルと身を捩った。


「……」

 くすぐったい……と言われると、悪戯をしたくなる。

 澄真(すみざね)はやめるどころか、ワザと知らんぷりをして、狐丸をくすぐり出した。


『ちょ。澄真(すみざね)! ……くすぐったい……くすぐったいってば……!』

 狐丸はくすぐられる感覚に堪らなくなって怒り出し、ガブッと澄真(すみざね)の肩に噛み付いた。


「痛い……っ」

 驚いて思わず唸ったが、痛くはない。ちゃんと加減して、甘噛みしてくれたらしい。

「……」

 その事実が、澄真(すみざね)は少し嬉しい。

 ついこの前までは、澄真(すみざね)の事を嫌がって逃げていた狐丸が、今は懐いた子犬のように、じゃれてくれる。けれど、そういつまでも、遊んでいるわけにもいかない。そろそろ藤見の宴へ行く用意をしなければ、迎えが来てしまう。


 ……そう思って、澄真(すみざね)が口を開いた時だ。

「ぎいぃゃあぁぁぁあ! 狐丸っ! 澄真(すみざね)さまに、何してるんですかっ!」

 突如、悲鳴が上がった。


 ……なんの事はない。絢子(あやこ)だ。

 出掛ける用意の手伝いをしに、こちらへ来たのだろう。


『え!? 絢子(あやこ)!? ……ちょ、誤解だから! 僕ちゃんと甘噛みしたし! ねぇ? 澄真(すみざね)、痛くなかったでしょ……? ねぇ? ねぇ?』

「……」

 澄真(すみざね)は不安げに尋ねる狐丸をしばらく見て、目を細める。

 昨日の仕返しでもしてやろう……、そんな顔だった。


 澄真(すみざね)は口を開く。

「い」

『「い」……?』

 狐丸は首を傾げる。


「い……痛たたたた……」

 言いつつ澄真(すみざね)は、自分の肩を押さえる。

 ……かなり、ワザとらしい。絢子(あやこ)はそっと横を向き、苦笑する。


「う……、私の肩はもう動かせないかも知れない。絢子(あやこ)、後は頼んでおく……」

 と言いつつ、パタリと倒れた。


『え? ちょ、澄真(すみざね)!? 澄真(すみざね)? 本当に……!? 人間って、そんなに弱いの!? ぼ、僕……知らなかったんだ。ねぇ、治すから! 傷見せて! ……ねぇ? 澄真(すみざね)澄真(すみざね)聞こえてる? ねぇってば……っ!』

 一生懸命、澄真(すみざね)の顔色を見ようと、狐丸は覗き込む。けれど苦笑を堪える澄真(すみざね)は、その顔を見られるわけにはいかない。上手い具合に狐丸から、顔を背けた。


澄真(すみざね)ってばぁ……!!』

 半泣きで叫ぶ狐丸の首根っこを、絢子(あやこ)は苦笑を堪えながら、むずっと掴む。

『ふぎゃ!』

 狐丸は変な叫び声をあげた。


「はいはい。分かりましたから、狐丸はこっちですよ。今日は支度があるんですからね、いつまでもキツネの姿で遊んでないで、人になって下さいましっ!」

『あ、絢子(あやこ)! だって澄真(すみざね)が、澄真(すみざね)がぁ……!』

「はいはい。澄真(すみざね)さまは、自分でお支度をしてくださいましね」

「あぁ。分かってる」

 口元を袖で隠し、笑い顔を見られないようにしつつ、澄真(すみざね)は答える。


「ささ……、狐丸は髪を結いますからね。こちらですわよ」

 ジタバタと叫び暴れる狐丸を引き摺り、絢子(あやこ)は隣の部屋へと消えて行った。


 それを見て澄真(すみざね)は、ふふふと笑う。





 日はもう高い。

 そろそろ吉昌(よしまさ)が手配した牛車(ぎっしゃ)が到着する頃だ。


「さて、私も用意をするかな……」

 呟きながら、澄真(すみざね)は立ち上がった。





 今日は藤見の宴。


 本当なら狐丸を内裏などへ、連れて行きたくなかったが、こればかりはどうしようもない。


 澄真(すみざね)は小さく溜め息をついて、重い腰をあげたのだった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 23/26 ・なにこれ可愛い。 [気になる点] ショタとイケメンがキャッキャウフフするだけで楽しいとは流石です
[良い点] 完全回復、ペロペロ、誰かさんが喜びそう。 [気になる点] 後日、毒の後遺症があって……。とか、YUQARIさんの作風じゃないかぁ〜。
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