悪霊の珠
しかし吉昌には、少し疑問に思うことがある。
姮娥の様子だ。
確かに吉昌に向けて、ひどい悪意を感じはするが、それ以上でも以下でもない。狐丸が《ダメだ!》と制止すれば、素直にそれに従っている。
(いや、むしろ、白狐の言いなりだ……)
時に、狐丸を諭す姿も見られるのだが、狐丸が強い口調で姮娥をたしなめれば、姮娥は歯噛みしつつも従うのである。
(悪霊の珠を欲しいままにする妖怪が、そのような事をするのか……?)
吉昌には、それが理解できない。
悪霊の珠は、その名の通り、巨大な怨霊を呼び起こし、世界に混沌を生む。
それを掌握せんとする妖怪が、こんなにもゆるいはずがない。
(……この妖怪だけじゃない)
吉昌は考える。
最初に報告を受けた、ミサキの話に出てきた妖怪三匹は、けして利口な妖怪ではなかった。ただただ、毬を転がして遊ぶ子どものようで、その報告を受けた吉昌も、少々面食らってしまったほどだ。
(もしかして、《珠》違いか……?)
あの時……ミサキの報告を得た時、吉昌は、ふとそうも思った。
けれど実際目のあたりにしたその手毬は、禍々しくも怨念をまとわりつかせ、どす黒い瘴気を放っていた。
(……いや、間違いない)
一瞬は自分の勘違いだと思い、また悪霊の珠に手が届かなかったと、落胆したのだったが、珠を見てその想いは吹き飛んだ。
(間違いなく、コレだ……!)
妖怪ならいざ知らず、人の子が触れることは到底出来そうにないその瘴気に、吉昌はあてられそうになった。間違いなく、この珠だ。
もし、この珠ではない……としても、これはこれで浄化せねばならない物だと、見れば瞬時に判断できた。
(しかし、……人の世を潰そうとする妖怪が、こんなにも他を尊重するものなのか……?)
吉昌は、眉をしかめる。
(もしや、そもそもの根源が、この白狐なのだとしたら……?)
思いながら、吉昌は狐丸を見る。
「……」
狐丸は目を伏せ、一点を見つめ、何を考えているのか分からない。
(……虫すら殺せぬような顔をしているのに)
しかし相手は所詮妖怪なのだ……と、吉昌は自分に言い聞かせる。
どんなに幼い容姿だろうと、儚げであろうと、妖怪は妖怪。腹に一物も二物も持っていそうな輩たちだ。油断は出来ない。
(しかしそうなると、面倒な事になる……)
吉昌は手を口に当て、小さく唸る。
(この妖狐は、保護せよとのお達しだ……)
敦康の命が、重くのしかかる。
吉昌としては、そんな命令など無視して突き進むつもりではあるのだが、事はそう簡単ではない。
敦康を傷つけないように、事を運ばなければ、相手は帝の嫡男。ややこしい事になるのが、目に見えていた。
しかしそれが事実なら、早めに手を打たなければ、澄真が危うくなる。
(……いや、冷静になれ)
吉昌は目をつぶる。
(澄真は、異様なほど妖狐の肩を持った……)
それは吉昌の目には、奇異にもうつる。
(もしや、澄真も一枚噛んでいて……)
そんな思いが頭をもたげた。
「……」
それは有り得ない事ではなかった。
吉昌の生まれた家は、父も兄も視る者であったから、それ程の苦労はなかったが、本来視る者は迫害を受けるものだ。
澄真にとっては、それが他よりも顕著だった。
視える事のみならず、その色素の薄さ……ただ薄いだけではなく、燃え尽きた灰のような、深く冷たい青を帯びた鉛色……。
人付き合いなど、ほとんどない。
鬼の視える者の多い陰陽寮の中でも一際目立ち、誰とも話そうとしない。
確かに、話しかけられれば言葉も発するが、それだけだ。誰が話しかけなければ、一日中黙って過ごすのである。
例の澄晴の子……と言うのも、澄真に近寄ってはならぬ! と言う暗黙の了解に拍車をかけた。
(あれ程となると、人を憎んでも不思議ではない……)
吉昌は、澄真を哀れにこそ思い、非難しようとは到底思えなかったのである。
澄真に関わりがあるのかないのか、現時点では判断がつかない。けれど、万が一、澄真が関わっていたとしても、それは人との関わりが少なかったが為の過ち……そう吉昌は思っている。
(妖怪とは、やっかいな……っ)
目を開け吉昌は、歯を食いしばる。
(そうであるならば、何としてでも澄真を救う……!)
そう、心に決めた。