待ちぼうけ
鈴村紀子とは金曜日の午前九時に落ちあうことになった。十三日の金曜日、六曜は大安だ。仏滅であれば完璧だった。
八時半には公園に着いた。晩春といえど日差しは厳しい。木陰のベンチに腰を下ろし、缶コーヒーを飲んだ。蝉が鳴き始めた。公園の西側には桜の木が二本ばかり植えられている。そのどちらかの木にとまっているのだろう。
蝉はメスを求めて鳴く。私は依頼の電話を待つ。私はこの一週間でクライアントをひとり手に入れた。彼はどうなのだろうか。
クライアントは約束の時間を十分過ぎても来なかった。私は延滞料金を請求することに決めた。レンタルDVD屋ですら請求するのだ。私立探偵が同じことをしてはいけない法はない。
レンタルDVD屋は、返却が一日遅れるごとに客に三百円を支払わせていた。先達にならい、十分の遅れに三百円払ってもらうことにしよう。
九時二十分になった。鈴村紀子とはどのような女なのだろうか。年齢は二十四歳、十月二日の生まれ。進学を機に上京していたが、大学卒業後に帰郷し、今は両親と三人で暮らしているという。生沼大学の図書館で司書として働いているとも言っていた。
時間にルーズであることは間違いない。恋人や友人を平然と二十分待たせるくせに、五分でも待たされようものなら絶縁状をたたきつけてくるタイプの女であるとみた。本の返却期限にもうるさいはずだ。学生に同情する。彼女の婚約者にも。
もっとも、時間にルーズな人間は世の中に掃いて捨てるほどいる。連中を掃き捨てるためのほうきは未だに発明されていない。
予鈴が鳴ってきっかり十分後に教室に姿を現わす、高校の生物教師がいる。十分遅刻した理由の説明に五分を費やし、一部の生徒から拍手と喝采を浴びる名誉を受ける。
旅行の出発予定時刻になって着替えを始める三児の父親がいる。細君を怒らせることに関して、彼はほとんど天才的な振舞いをする。休日の稼働率の低さは、第二次世界大戦中の重戦車に匹敵する程だ。そのような男を叩き起こすのは容易なことではない。
二泊三日の小旅行から帰ってこない私立探偵の助手がいる。九日には帰ると言い残し、街を出ていって、今日で一週間になる。コンビニの骨なしチキンを彼ほど美味しそうに食べる者を私はほかに知らない。彼ほど時間にルーズな者がほかにいることを知らないのと同じように。
ひょっとすると鈴村紀子もコンビニの骨なしチキンが好きかもしれない。
九時半頃、麦わら帽子を被った若い女が公園の前を通りかかった。その女がクライアントの鈴村紀子だった。