超歴史解釈
根拠はない。
「また病気が始まった」くらいに思っていてくれれば良い。
『歴女』と言われる女性がいる。
なぜ戦国時代、安土桃山時代限定なのだろう。
その中でも『真田幸村』が別格の人気だそうだ。
一言言いたい。
「死ね」
いや目の前で死なれたら迷惑だ。
「私の知らないところで私の知らない間に死んでくれ」
幸村って名前自体、彼はほとんど名乗っていない。
兄貴の信幸も「弟の名前は武田信玄の弟と同じ名前だ」と言っているし、彼自身も死ぬ前日まで『真田信繁』と名乗っている。
「じゃあ『幸村』ってどこからきたの?」と言われるかも知れないが、私は徳川方の資料に『幸村』と記されていたか、後の徳川に仇なす呪いの剣が『幸村』からとられた『村正』と呼ばれたという逸話からきていると考察する。
幸村の逸話自体が徳川方に都合の良い物だと私は考察する。
真田が豊臣に忠誠を誓う訳がない。
武田に忠誠を誓うならわかる。
真田は徳川にヘイトが貯まっていたのだろう。
「沼田を北条にやれ。お前らには上田をやる」徳川にそう言われた真田は「ふざけんじゃねえ!上田は元々俺らの土地で人に『やる』なんて言われる筋合いはねーんだよ!沼田だって俺らが功績を認められてもらった土地でただでやる訳にはいかねーんだよ!」と反発した。
それで『サマーウォーズ』でも語られてる徳川と真田の上田城での戦いに発展する。
この後「調子乗ってんじゃねー」と真田方に豊臣がついて、それで真田は一応豊臣に恩を感じている。
しかしそれ以上に「誰が徳川の味方なんかするか!」って気持ちの方が強かったと私は考察する。
『三國志』のように蜀側の人間が懐古しながら書いたのであれば徳川は悪として伝わっているはずだ。
現に蜀は善、魏は悪として伝わっている。
官軍側の立場で伝わっているなら徳川は善、真田は悪として伝わっているはずだ。
しかしそのどちらでもない。
答えは単純だ。
徳川は真田幸村の忠誠心を利用したのだ。
「武士は主君に命をかけてつかえる」そういうメッセージをこめたのだ。
全国統一している徳川にとって、大名が『主君に命をかけてつかえる』という事は『徳川に命をかけてつかえる』と言う事だ。
『幸村』という名前を広めたのも、本当の話を調べられないようにほとんど名乗っていない名前を広めた・・・と私は考察している。