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002-1


 馬車をく栗毛の馬の尻が、太陽に照らされ脂光りしていた。

 御者台から見える風景と言えば、周囲の緑か、父さんの横顔か、尻尾を揺らす馬の尻くらいなものだった。南の太陽に脂光りする馬の尻から、馬車が北にある街へ向かっていることがわかった。


 がたがた、ごとん。道に転がった大小の小石に車輪が乗り上げるたび、馬車は揺れ、馬車は跳ねた。馬車の御者台に座ったボクと父さんの二人も、一緒に揺れて、一緒に跳ねる。がたがた、ごとん。

 跳ねた馬車に、ボクは昔のことを思い出して、少し笑った。


「お喋りな奴は、舌が短いものなんだ。わかるか?」、父さんが言った。

 幼かったその頃のボクは深く考えもせずに、「なんで?」とすぐに聞き返そうとして、その理由を知った。馬車はちょうど石で跳ね、ボクはちょうど舌を噛んだ。「なんで? なんで?」の止まらない盛りの時期の子供だった。馬車の上での楽しみと言えばお喋りくらいなものになるのだけども、止まることを知らない子供の、「なんで?」は、ときに大人を疲れさせるものだった。


 それからのボクは、馬車の上では極端に口数の少ない子供になった。短い舌を、さらに短くはしたくなかったからだ。短い舌を守るように、ぎゅっと堅く口を閉じた幼いボクのすがたを想像してボクは笑った。


「なにか、おかしなことでもあったのか?」、父さんがボクの横顔を見ていた。

「少し、思い出しただけ。あの時は痛かったよ」、どの時とも言わずにボクは答えた。

 あの時を、父さんがしばらく考えているうちに馬車の車輪が大きめの石に乗り上げ、ごとん、と跳ねた。なるほど、そんな表情を父さんは浮かべ、それからボクと同じように唇をゆがめて笑みをつくる。父さんが思い出したものが何だったのかはわからないけれど、馬車の上の会話とはこういうものだった。

 互いに納得したような顔をして、あとで確認してみるとまったく違った、なんてことはよくある話だった。


 馬は賢い生き物だ。

 車を牽きはじめて半年もすれば、道に沿って歩きだす。御者台で手綱を握ってはいても、馬の気まぐれに任せた方が馬車も素直に進むくらいだ。道で分岐路に出逢ったとき、右に向かうか左に向かうか、それを伝えるくらいにしか手綱も役に立たなくなる。

 いま馬車を牽いている栗毛とは、もう4年の付き合いになる。毎日を飽きもせず、馬車を牽いて歩いてくれている。賢い子だった。賢すぎて、御者台のふたりが退屈に欠伸を漏らしてしまうくらいに賢い子だった。欠伸で口を大きく開いたときに限って、ごとり、馬車は跳ねるものだった。

 もしかして、わざと、なのかもしれない。


 毎日毎日、馬車を牽いて飽きないのか、本音のところを聞きたくなった。

 毎日毎日、御者台に座って飽きないのか、本音のところを聞き返される気がした。


 馬の一生といえば、歩き、走り、草を食べ、あとは子供を作るか作らないか、それくらいなものだ。考えてみればそこに、馬車を牽く、という一つの仕事が加わっただけで、栗毛の毎日の生活は、野生の馬とそう変わりないことに気が付いた。


 あとは、「仲間が居なくて寂しくないか?」の問いかけになるのだけれど、それはボクらもお互い様になる話だった。ボクと父さんは二人旅の賑やかな方になる。けれど、多くのハンターは一人旅で長い時間を過ごす。人よりも馬との付き合いのほうが長い、そんなハンターばかりだ。そんなハンターの馬は、馬よりも人との付き合いのほうが長い、そんな馬ばかりだ。これはもう、お互い様のことで、訊ねるまでもない問いかけだった。

 訊ねて、自覚して、自分で自分が寂しくなるだけの愚かな問いかけだった。

 ハンターは孤独と馬を友にする、そういう生き物だった。


 この道は街道と呼ばれていた。誰かが手入れをしたわけではない。ただ、人の足、馬の蹄鉄、馬車の車輪が踏み慣らすうちに、木も草も生えない堅い土色の道が勝手に出来上がった。一度出来上がった細い道を、幾百人や幾千人もが行き交ううちに、それは自然と広くなり、いまでは、この道は街道と呼ばれていた。

 ただ、がたがた、ごとん、土の上に転がった石を拾ってくれるような親切な人は居なかったからか、がたがた、ごとん、街道と呼ばれていてもこんなものだった。


 石畳が敷かれているわけでもない。柵がされているわけでもない。どころか、大小の石が転がったままにされた土色の街道だ。だから、「あ、」とボクが声を出して、「あぁ」と父さんが声を出すこともある。

 やつらだった。ゾンビだった。1匹だった。


 街道に立ち塞がるわけでもなく、脇に広がる草原に人のかたちが立っていた。何年も洗っていない髪は、あんなふうになるのだろうという頭をしていた。皮膚は乾いて、身体は痩せていた。人体の骨の仕組みを調べるには、ちょうど良さそうな、あばらの浮き出た身体をしていた。


 白濁した目がボクらのほうを向いた。黒い水晶のような鹿の瞳とはまた違う、どこを見ているのかわからない白い瞳をしていた。そこに水晶の美しい輝きはない。ゆでた卵の、どうにも取りにくい白い薄皮に似た、そんな白濁の瞳がボクらの馬車に向けられていた。


 手が伸びた。オモチャやお菓子を欲しがる子供のように手が伸びた。手が届くずっと遠くから伸ばされた。その手で掴みたいものはボクの肉なのだろう。その口で噛みつきたいものはボクの肉なのだろう。その足で追いつきたいものはボクの肉なのだろう。けれど、栗毛の脚はそんな彼の切ない想いも知らず、蹄鉄で街道の土を固めながら勝手に進んでいってしまう。


 馬車を牽いていても馬の脚は人よりも早い。人の足は歩くことが苦手なゾンビよりも早い。よたよたと揺れるゾンビの足取りよりも、栗毛の足はずっと速い。手を伸ばしても、口を開いても、足を動かしても、求めるものは近づくどころか遠ざかり、やがては見えなくなってしまう。

 ゾンビの彼は途方に暮れて、また、草原にひとり立ち尽くし、次の餌食を待つのだろう。


「居たね」と言った。

「居たな」と言われた。

 馬車の上の、この状況では、それだけの話だった。

 反応の薄い父さんだったけれど、「ゾンビは強い。もの凄く強い」と幼いボクには言って聞かせた。あんな、のろのろとした動きの遅い彼らを、強い、と父さんは言い切った。


「ゾンビは疲れない、休まない、眠らない。水も要らない、食べ物も要らない。雨が降っても、風が吹いても、雪が降ろうと、太陽で地面がひび割れても、ゾンビはずっと元気なままだ。動き続ける。止まりはしない。だからゾンビはとても強い。わかるか?」

 まだ幼かったボクは、父さんの言葉の意味を理解できてはいなかった。

 いまなら、少しだけわかるようになった。


 人間は疲れる。休む。眠る。水が必要だ。食事が必要だ。雨が降れば冷えて震える。風が吹けば目を開けられない。雪が降れば寒さに凍え死ぬ。太陽で地面がひび割れるような熱波のなかでは生きられない。つまり、人間はとても弱い。


 生き物として人間がゾンビに勝る点といえば、速い、その一つかぎりになる。その速さすら、本気を出せるのは5分か10分、続けば良いほうだ。そして、その5分か10分だけのわずかな有利を過信しすぎて、驕った奴から消えていく。

 ゾンビは強い、人間は弱い、それを忘れた奴から消えていく。


 いつのまにか見なくなったハンターの顔をゾンビのなかに見つけたときには、どういう挨拶をすれば良いのか、本当に困ってしまう。素知らぬ顔で通り過ぎればいいのか、せめてこの手で葬ってやればいいのか、悩み、本当に困ってしまう。


 街道は北に続いていた。栗毛の脚は勝手に進む。父さんは手綱を握りながら欠伸を漏らしていた。欠伸がうつってボクまで大きく口を開いた。ごとん。ちょうど馬車が跳ねた。ボクの歯が、がちりと鳴った。


 やっぱり、わざと、じゃないだろうか。前歯で舌を短くしそうになったボクは、栗毛の黒い瞳を恨みがましい目で見つめた。そういえば、馬も草を食む生き物で、尻の穴の向こう側さえ見えていそうな生き物だった。


 真面目に歩く自分の背中で欠伸なんかされたなら、きっとボクでも閉じさせる。文句を言いたいところだけれど、文句を言えない立場にボクはあった。

 仕方なく、ばつの悪い顔で、ボクは頭を掻いて誤魔化した。


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