6篇:人間牧場・肆
――総督府本庁
牧場が燃えている。
火竜の咆吼の如き呪われた焰の渦が星無き夜空を熱く焦がし、汚染された煙霧を琥珀色に染めている。
黒煙が渦巻き、恨めしさを内包した暗霧の天蓋が総督府の本庁を覆う。
――ドンドンドン!
総督の寝室を激しくノックする音。
――バズソー様!大変です、起きて下さい!
執政の慌てた声。
ガチャガチャ、とドアノブを捻る音。
鍵が掛けられている、当然。
深夜に自室の鍵を閉めない支配者等、居はしない。
キングサイズのベッドから飛び上がるように起き上がったバズソーは気怠そうに、明らかに不快な声で応答する。
「ンあ~、何事だッ!こンな時間にッッ!!」
「叛乱です!牧場の家畜人共の叛乱に御座います、閣下!」
「ン!?は、叛乱だとォ!!?何を馬鹿なッ!!」
その重そうな体をベッドから滑らすように降りる。
でっぷりとした腹をぼりぼりと掻きながら、扉に向かい解錠。
執政を招き入れ、険しい表情で問う。
「何事だッ!家畜人共が叛乱しただと!?」
「然様に御座います!バルコニーから牧場をご覧になって見て下さい!!」
促される儘にバルコニーに向かうバズソー。
遙か南の階下、牧場施設の彼方此方から揺らめく火の手が上がっている。
破壊音や怒号も相俟って、現実と受け入れる迄、僅かのタイムラグ。
尋常ではない光景。
従順なペット以下の家畜人が叛乱を起こした事等、過去、一度も無い。
信じられない、と云った表情で牧場を見入るバズソーに、執政が急かす。
「閣下!一刻も早く、ご退去下さい。暴徒と化した家畜人共が何時、本庁に押し寄せて来るとも限りません」
「ンん~…有り得ン」
「!?……はい?」
「ンン、有り得ンなァ~!」
「な、何がで御座いましょうか?」
「脆弱で愚昧な家畜人共が、自らの意思で叛乱等、有り得ンのだッ!」
「…た、確かに……併し、現実として其の様な事態が起こっておりますれば…」
「何奴かが裏で扇動している可能性があるわッ」
「成る程。では、どの如何様に?」
「強者を集め、謁見の間に呼ンで参れ!」
「御意!」
「そうだッ!“實驗體”クレンアーキオータver.2.0.1.も連れて参れ!」
「!!な、なんですとっ!?實驗體を此処にですと!?危険過ぎますぞ!」
「馬鹿者ォ!今使わンでいつ使うんだ!」
「は、はい!!」
――許さンぞッ、蟲螻どもォォォ!!!
※ ※ ※
ユウジと家畜人達は、畜産廃棄場と呼ばれる管区に辿り着いていた。
途中、更に解放した収容者達と合流を果たし、収監所を巡り、父を探していた。
此処には、前頭葉切除を受けた者達が収容されている。
前頭葉切除手術を受けた者は一様に、感情や意識、思考、人格、自我等に鈍化が見られ、時に癲癇発作や人格変化も見られ、衝動性の高まり、抑制力の欠如、無気力、虚脱感、想像力の欠落等も併発する。
勿論、是は成功した者達に見られる術後の副作用に限られ、死亡に至るケースも多い。
前頭葉切除対象者は、危険思想の持ち主、特に総督府に対して反抗的な意見や態度を取った者を政治犯や思想犯として、亦、法的、或いは、倫理的な上での重篤な犯罪を犯した者、過度の薬物中毒患者、重度の精神傷害者等がその対象。
要は、総督府にとって都合の悪い存在、及び、害となると判断された者達が前頭葉切除対象となる。
畜産廃棄場、と云う管区名の由来。
一般畜産場の収監所とは、大分作りが異なる。
所内の部屋は、鉄格子ではなく、鉄扉で仕切られ、全て独房になっている。
詰所は配備されておらず、看守どころか夜警も来ない。
明らかに、毛色が違う。
鉄格子よりも丈夫な錠前が取り付けられており、多少、壊すのに手間が掛かる。
――うわぁぁぁぁ!!!
ユウジより先に入り、その頑丈な錠前を砕き、最初に鉄扉を開けた者が、叫び声を上げる。
「ど、どうしたんだ!?」
「あ、あれを…」
粗雑な金属製の椅子に鎖と鈍し鉄線で繋縛された半裸の収容者。
其処に座した者は、拘束マスクを取り付けられ、全身に痣、内出血が見られ、手足の爪は全て剥がされ、指先は釘で肘掛けと敷板に打ち付けられている。
胸の生皮を剥ぎ裂かれ、ピアノ線で左右に大きく開かれ、両サイドの壁にピン止めされている。
肋骨と胸骨、前面の筋肉組織の一部が取り除かれ、心臓や肺が剥き出しになり、透明フィルムで胸部を覆っている。まるで、小窓のように。
膝頭は剔られ、キルトが縫い付けられている。
人工肛門のパウチは取り替えられず放置され、破け漏れ、部屋中汚物塗れで異臭を放つ。
見るも無慙。
「な、何故、こんな惨い事を…」
「く、狂ってる…」
「こんな酷い仕打ち、人間のやる事じゃない」
「…それにしても、こ、これは……とても助けられん…」
「ハッ!!」
「どうしたんだい、あんた?」
「まさか、父さん!!」
ユウジは、収監所内を走り回る。
開け放たれた鉄扉を覗いて中を確認しては次の部屋に、次々と。
覗く度に広がる凄惨な有様を目の当たりにし、益々、不安が募る。
狭い独房の暗がりでも目が利く程に、何度も何度も父の名前を呼びながら、駆けずり回る。
何度目の確認か、既に覚えていない。
錠の打ち壊された鉄扉を蹴飛ばして独房の中に踊り入ると、其処には、懐かしい顔が。
――父さんッ!
天井からピアノ線が伸び、無数の釣り針で体中の皮膚を貫き留められ吊される年配の男性。
両腕には両足が、両足には両腕が、外科手術によって挿げ替えられている。
両腕肘辺り、両足膝辺りには、荒い縫い傷が痛々しく残り、化膿し、蜡が涌く。
同じように腹部にも雑な縫合痕があり、錆びた針金や金属片が飛び出している。
「父さん!!俺だよ、父さん!」
「――ユ、ユウジなのか…?」
「ああ、そうだよ、父さん!」
「まさか、こんな処で再会なんてな…」
「…ああ」
「…みっともない姿になっちまって、すまん…」
「……」
寂しそうな、残念そうな、そんな表情を浮かべ、うっすらと涙が光る。
「ユウジ…」
「…父さん」
「――ユウジ、頼みたい事がある…」
「…なんだい、父さん?」
「――俺を、俺をっ……殺してくれ!」
「なっ!?」
「殺してくれ、頼む、ユウジ!」
「な、何を云ってんだ、父さん!そんな事、出来る筈がないだろ!」
「俺は…俺は、長く保たん…」
「…そんな事ないよ、父さん…」
「……それに、母さんにこんな姿、見せられない…」
「……父さん…」
「頼む、ユウジ!俺を殺してくれーッ!!」
「そ、そんな…」
「頼むっ!ユウジ、助けてくれ、ユウジ!俺を、俺を死なせてくれ!!」
「………父さァァァーーーーん!!!」
手にしたハンマードリルを父の胸に突き立てる。
鮮血がユウジの顔を染める。
父は、口許から血を流し、振り絞るように話す。
「――ユウジ……か、母さんを…」
「……」
「…母さんを――頼む……」
「父さぁーん!!」
――バズソォォォーッ!!絶対に、許さないッ!!!
※ ※ ※
ノンナは、総督府本庁の敷地内にいる。
何度か忍び込む事で、本庁については、予め下調べ済み。
送電線を切断し、本庁敷地内を停電状態にする。
水道管とガス配管を砕き、町と総督府を仕切る城門の閂を破壊。
砕いたガス管近くには、篝火を横倒し、可燃物を散乱させる。
停電後、慌て荒げる職員共の怒号が響く。
程なくして、爆音を伴い、施設建物各処から火の手が上がる。
複雑に入り組んだ配管を伝い、引火の連鎖が大蛇のように絡み付く。
本庁施設内に、正面から踊り入る。
周章く職員を次々に襲う。
打ち倒した職員を、正面玄関からエントランス内に並べる。
――こうしておけば、解放された家畜人達も此処に入り易くなろう。
昇降機脇に併設された大階段を上がる。
2階迄は、外部の人間でも入る事が許されているスペース。
その為、昇降機や階段側のフロアは広い間取りとなり、その前方を長テーブルで仕切っている。
その長テーブルの上には、家畜人達の遺体がワイヤーで吊されている。
――脅し。
暴動を察知し、此処に迄押し寄せて来る収容者達を見越し、見せしめがてらの処刑。
――陳腐。
普段、何でもない時であれば、この様な理不尽な行為に住民や収容者は、鼻白むであろう。
併し、今は違う。
軛を解かれ、叛徒と化した家畜人、暴徒と化した奴隷、自由を得ようとした囚人の其れに、こんな虚仮威し、通用しない。
其れ処か、怒りの焰に油を注ぎ、其の火の勢いを増す為の原動力に過ぎない。
所詮、殃餓上がりの支配者。
圧倒的に優位な立場にいなければ、その支配力、統括力、掌握力は見る影も無い。
狩人故に、狩られる側に立った時の無力さ、児戯の如し。
――バズソー…卑小い男…