5篇:人間牧場・參
――人間牧場
ユウジは、人間牧場の中に居た。
牧場への潜入は、実に簡単だった。
牧場の公的な名称は、牧場の公的な名称は、再生社会共生保護育成プログラム。
牧場で飼育されるのは、不具、中毒、感染、畸形、精神疾患、そして、犯罪等に該当する者。
総督府が、健全な社会活動が出来ないと判断した者は、皆一様に収容される。
その中で、犯罪者以外は、裁判を待たずして、牧場に収容される。
総督府保安本部付衛生処理課に所属する再生保護官の巡回で“再生適合者”と見なされた者は、特別な手続きを取らずに、即日、“保護”と云う名目で牧場送りとなる。
この再生適合者の中には、乞食や漂泊者の一部も含まれ、保護対象となる。
保護対象者の中で前頭葉切除の対象となるのは、危険思想の持ち主や重犯罪者、過度の中毒患者、重度の精神傷害を持つ者に限定される。
全ての牧場収容者に前頭葉切除が適用されないのは、共生社会福祉実習と云う名の強制労働に於いて、生産効率の低下や扱い辛さが著しく見られる為であり、何等かの恩赦や特別な救済措置、経過観察が用意されているからではない。
尚、人間牧場に収容されている者達の身分は一律、家畜人である。
ユウジは、極貧の放浪者としてシンクアに訪れた物乞いの振りをした。
巡回中の再生保護官を見付け、敢えて、物乞いした。
結果、食事を与えてくれると云う条件で着いて行くと、案の定、牧場に収監されたのだった。
囚われの父を救い出す為、彼は自ら死地に飛び込んだ。
※ ※ ※
牧場内では、凄惨な光景が広がっていた。
刑務所丸出しの作りで、外界とは高い壁と鉄条網で遮断され、物々しい有様。
施設は、管理棟、宿舎、収監場、独房、火葬場、研究病棟、工房、石油精製工場、発電所、農場、畜産試験場他、小規模乍ら揃っている。
各施設からは、悲鳴や奇声、罵声が引っ切り無しに聞こえ、あらゆる場所に糞尿が垂れ流され蟲が涌き、乾いた血痕と元の姿を想像し得ない肉塊が散乱する、正に阿鼻叫喚の巷。
看守の大半は、一見して殃餓のそれと分かる。
バズソー子飼いの殃餓達であり、寧ろ、看守達の方が収容者に似付かわしい。
牛追鞭、契木、連接棍、金砕棒、槌鉾等、思い思いの凶器を手にし、働きの悪い家畜人達を虐げている。
牧場に入れられた収容者達は、それぞれ区分され、各管区に分別されて収監されている。
不具者は此処、中毒患者は其処、感染者は彼処、と云った感じで振り分けられている。
不具者が多いのには訳がある。
懲罰の肉刑を受けた者や看守の気まぐれの暴力によって身体を欠損した者達が次から次へと送られて来る為。
ユウジが収容された管区“一般畜産場”は、比較的落ち着いている。
軽犯罪者や乞食、放浪者等が入れられている施設。
金網越しに隣接管区が見え、その凄惨な様を目の当たりにしている為、逆らう者が少ないのである。
僅かな観察で、南西に隣接する管区が、前頭葉切除手術を受けた者が入れられている、と分かる。
ユウジは、強制労働の合間、その短い休憩時間を利用して隣接するグラウンドから父親を探すが、そんなに簡単に見付けられるものではなかった。
外から見付けるのは容易ではない。
どうにかして、前頭葉切除を受けず、隣接管区“畜産廃棄場”に入る手立てを講じる必要があった。
――深夜の総督府
少女は、夜毎、総督府への侵入を繰り返していた。
7万坪にも及ぶ総督府の敷地を探るのには、多少手間が掛かる。
理路整然とした巨大施設であれば、もっと手早く済む。
併し、シンクア総督府は、旧教育施設址を刑務所施設へと増改築し、更にその後、行政機能を追加、関連施設を継ぎ足し、それぞれ建築工法もその基準も全く異なる上、道標が乏しく、殃餓ならではの奇っ怪な趣向も相俟って、巨大迷路の態を成す。
旧来の通信インフラさえも未整備の為、アプローチは必然、足での調査に限定される。
標的は、総督のバズソー一人だが、それだけではない。
彼が持つ総督杖の回収も契約に含まれている。
総督杖は、まほろばから与えられた、このシンクアの支配者の証。
バズソー自身への接触法は幾つもある。
併し、総督杖を殆ど所持していない。
ノンナ自身、バズソー本人の始末は何時でも出来る、と考えている。
但し、総督杖単体を探し出すのは困難。
故に、総督杖を所持している時を狙うのが最も良いのだが、催事でも無い限り、中々難しいだろう。
抑々、催事の時でさえ、所持しているとも限らない。
そこで一計を案じる。
――暴動。
暴動が起こり、危機感を募らせれば、大事な物を身に着け、退避する。
独立した支配者であれば、私財を纏めるだけだが、任官者ともなれば私財だけではなく、係る権利証や権威表章物の類も持ち出すのが通説。
ある一定の猶予を与えれば、確実に総督杖を所持し、逃げるなり隠れるなりする筈。
その時こそ、千載一遇の機会。
町で暴動を扇動するのは難しいし、総督府そのものは、周囲をぐるりと防壁に囲まれているので立て籠もっておけば遣り過ごせる。
そこで考えられるのは、総督府同敷地内に“人間牧場”と呼ばれる収監施設。
併設されたこの施設には、政治犯や思想犯も収監されている。
亦、危険な感染者も隔離されている。
政治犯や思想犯を嗾け、一定規模の騒動が起これば、無関係の犯罪者や中毒者、精神病質者らも脱走を図る可能性があり、混乱が予想される。
混乱さえ起これば、後は、狙うのみ。
※ ※ ※
総督府の南、人間牧場施設群。
此処に忍び込むのは初めて。
只の家畜人の収容施設に過ぎない此の人間牧場に用はない。
併し、今は此処こそ、火薬庫。
施設内、疎らに置かれた篝火。
その火影から密かに姿を現す少女。
牧場内が静まり返る事は、決して無い。
何処からとも無く、噎び泣く嗚咽や鳥獣宛らの奇声、耳を劈くような悲鳴が聞こえる。
環境音が日中より少ない為、一層不気味。
深夜、基本的に日中の過酷な強制労働に疲れ果てた収容者は深い眠りについている。
併し、深夜帯に労働させられている者達もいる。
発電所と水源掘削の地下施設。
前者は、人力で発電機を回す予備発電、後者は、人力による鑿井掘削。
共に非効率な人力作業の理由は、騒音。
住人からのクレーム等に対するものではない。抑々、クレーム等ありはしないし、受け付けない。
単に、バズソーが騒音を嫌う、只それだけの理由。
ノンナは地下水源掘削施設に向かう。
水源掘削の地下現場。
掘削には、鶴嘴や鑿、鏨、玄翁、杭、スレッジハンマーの様な手動工具は勿論、エアハンマーやエアブレーカー、エアカッター、ハンマードリル等の電動工具も少数ながら宛がわれている。
これら䂨り工具は、そのまま凶器にも成り得る。
家畜人を鞭打ち、重労働を強いる看守の1人の背後に忍び寄る。
不意に、軽く跳ね飛び、看守の首筋に鷹爪の手形で薙ぐように振るう。
奇妙な交錯。
鷹爪に握られた手が一瞬、看守の首に溶け込む様。
――ぬるり。
黒い影のような塊がノンナの親指、人差し指、中指の、その三本の指の中に、確かに握られている。
軈て、その黒い塊は、形を、色を、鮮明にする。
其れは、紛れもなく頸椎と付随する神経と血管の一部。
まるで、外科手術でも施したかの様に、其れは取り除かれ、ノンナの手に握られている。
併し、看守の首元は無傷。
僅かな、痣のみ。
刹那、看守の首は、ぐにゃりと曲がり、苦悶の表情と僅かな呼気を吐き出し、前のめりに倒れる。
絶命。
其の異様な光景を目の当たりにした家畜人達が声を上げようとした瞬間。
――しーっ!
ノンナは、口許に人差し指を添え、制止させる。
「静かに、声を出さないで」
「!?だ、誰なんだ?」
「此処にいる看守全て排除してくる。それ迄、出来る限り大きな音を立てて䂨ってて」
「どう云う事だ!?」
「此処から出るの。武器は今、皆が持っている工具。わたしが看守を黙らせてくるから暫く待ってて」
「…そ、そんな事が!?」
「待ってて。直ぐに分かるから」
少女はそれだけ云うと、其処から立ち退き、直ぐに闇に隠れた。
呆気にとられていた家畜人達だが、云われるが儘、作業を続けた。
程なくして、僅かだが歓喜の声が上がる。
何処からとも無く、現れ出でた白い少女が看守共を一網打尽にしたのだ。
「みんなッ!此処から脱出するの!
手にした工具で先ず、より多くの収容者を監獄から解き放つの!一人でも多くの協力者が居れば、この地獄から逃げ出せる、必ず!」
事態が呑み込めない者もいるが、勢いだつ家畜人達が先導して動き出す。
強烈な抑圧環境下にあった家畜人達は、譬え年端もいかない少女の言が切っ掛けであろうと、一度勢い付けば、自由を手にする為、自発的に動く。
思い思いの䂨り工具を手にして、地下施設の扉を破壊、地上を目指す。
「何人か、わたしに着いて来て!一般畜産場に向かう。彼処なら、動ける者も多い筈だから」
彼女もハンマードリルを手にし、幾人かの家畜人達を引き連れ、別の階段から地上に向かった。
※ ※ ※
一般畜産場に辿り着く間、数人の夜警を倒し、各処施錠された扉を䂨り工具で次々と砕く。
管区を仕切る金網を打ち破り、篝火を打ち倒す。
ノンナの後を追う家畜人の一人が篝火の薪を手にし、手近の可燃物に付け回る。
――未だ、早い…
放火するには早過ぎる、と少女は思うものの、今や家畜人達の能動的な破壊活動を優先した方が得策と踏む。
途中、幾人かの夜警を打ち倒し、一般畜産場の収監所に辿り着く。
鉄扉を䂨り工具で打ち壊し、中に入る。
幾つもの鉄格子で覆われた部屋が暗い通路に沿って並ぶ。
次々と鉄格子の鍵を壊し、声を掛ける。
「さあ、もう自由です!わたし達と一緒に逃げましょう!」
通路奥の詰所から看守達が慌てた様子で迫り来る。
ノンナの敵ではないのは無論、今は付き従う家畜人達も手した得物で看守に応戦する。
嘗て、反抗した事の無い家畜人達の反撃に看守達は面食らい、打ちのめされる。
混乱していた収監者達も、漸く事態を把握し、ぞろぞろと檻から這い出る。
鎖に繋がれてた者は、鶴嘴で打ち砕き解き放たれ、一斉に看守に襲い掛かる。
看守の凶器を奪い、更に他の鉄格子を砕く。
軛から解き放たれた家畜人達の勢いは止まらない。
解放の連鎖が続き、自由となった家畜人達が吠える。
ノンナも手近の鉄格子の鍵をハンマードリルで砕く。
砕き開かれた鉄格子の中から、突如、少女に声を掛ける者が。
「き、君は!!」
「!?」
「ノ、ノンナなのか!!?」
「…Да」
「俺だよ、ユウジだよ!」
「…久し振り」
「何故、君がこんな処に?旅立ったんじゃないのか!?」
「事情が変わったの――あなた、父親を助けたいのでしょ?」
「!?ああ、そうとも」
「ならば、わたしに協力なさい」
「え?ど、どうすれば?」
「わたしは総督を襲う。あなたは、解放された収容者何人かを連れて、畜産廃棄場に行きなさい。そこで此処と同じように収容者を解放し、施設内で暴れて欲しい。あなたの父親は、畜産廃棄場に居るのでしょ?」
「!?バズソーを襲う!!?そんな事が出来るのか?」
「あなた達が施設で上手く暴動を起こせさえすれば、可能」
「し、しかし…」
ノンナは、手にしていたハンマードリルをユウジに手渡す。
「のんびり話をしている暇はないの。あなたがやるにしてもやらないにしても、わたしは総督を襲うから」
「…わ、分かったよ。親父を救い出し、施設内で暴れてやるさ」
「Хорошо!」
「でも、無理するなよ!君が凄い事は知ってる。併し、相手はバズソー、部下も沢山いる。気をつけるんだぞ!」
「Конечно」
「それじゃ、また後で!」
「До встречи!」
収監所を出たノンナは、北にある総督府本庁に向かって走り出し、軈て、影に消えた。
遅れて出たユウジは、南西の隣接管区、畜産廃棄場に向け、数人の家畜人達と共に向かった。