4篇:人間牧場・貳
──大学址地
シンクアの西に位置する広大な大学址地。
今は、物々しいシンクア総督府が聳え立つ。
発電施設に警護兵舎、食糧製造工場、浄水場、武器庫、駐車場、そして、人間牧場が併設されている。
一見すると、刑務所の様。
それもその筈、この巨大施設は元々、“まほろばの都”ジョージの刑務所。
功徳天の旅團がやって来て、先ず、制圧したのが公園址地。此処に大規模な浄水場と送水施設を築く。
後に築いたのが、ジョージの犯罪者、主に政治犯や思想犯を収容する為の刑務所。現、総督府。
中でも特別なのが、刑務所としての意図を引き継いだ、人間牧場。
大戦後に於いて優生学は、為政者のバイブル。
放っておけば死滅しかけない人類を、どうにかして存続させる為に縋る悪魔の教典、それが優生学。
人間牧場は、此の優生学が生んだ負の施設。
シンクアの人間牧場には、不具癈疾者や中毒患者、感染者、精神病質者等をメインに収容する一方、重犯罪者や政治犯、思想犯に前頭葉切除手術を施し、共に収容する。
収容施設であると共に強制労働施設でもあり、亦、研究施設でもあり、墓場でもある。
牧場からは、昼夜問わず、実に不快な叫び声や唸り声、金切り声が響く。
更に混じる奇声、舌打ち、咳払い、威嚇、遠吠え、悲鳴、泣き声、罵声、怒声の類。加えて、生活音。
トゥレット障害、拷問、禁断症状、心からの叫び、環境音からなる渾沌の聖譚曲大合唱。
縁もゆかりもない者にとって牧場は、実に不愉快なジュークボックス。
──閑話休題
電気が通っているにも関わらず、銀製の壁掛け燭台が灯され、部屋を柔らかに照らし出す。
罅割れた混凝土の壁に補強目的の錆びた鉄板に腐食した犬釘、剥き出しの石綿と砕けた梁に掛かる蜘蛛の巣。
調度品は、歪んだ亜鉛合金の凸凹な飾り簞笥に緑青の吹いた銅製の洋箪笥、粗雑なアルミ合金で作られた鋲付きの本棚、ABS樹脂で代用された名前の分からない南国土産の巨大なお面、銀箔を張り付けた角の付いた頭蓋骨の置物、赤錆塗れの鉄製の拷問器具、人の生き血で『南無三』と書かれた掛け軸、畸形の白鼻心の剥製、本物の人間の顔の皮を丸ごと剥がして作られた謎のオブジェ。
凡そ、定住集落の統治者の其れとは思えない部屋。
殃餓の支配者、と云われれば納得もする、そんな悪趣味、且つ、粗雑。
――ガコン……ボウッ。
鈍く軋む空調の音が引っ切り無しに繰り返す。
蠟燭の明かりが織り成す間接照明を受け、寝台脇の薄汚れた混凝土壁に映し出される揺らぎ、引き伸ばされた影。
影からも分かる程、でっぷりとした姿が小さな人影に覆い被さる。
覆い被さる方の手には、馬上鞭や火箸、杙、縄、警戒棒等が容易に想像出来る燭影。
――お楽しみ中…
ふごふごと鼻息荒く、脂ぎった上体は汗だく。
でぶった腹の下には、首枷の装着けられた年端もいかない少年。
少年のその躰には、散々、甚振り嬲られた痕が隈無く覆う。
時折、ヒートアップして壊してしまう事もあるのだが、今の処、少年は大丈夫の様。
典型的な少年性愛の加虐性欲者。
権力の一角を握る者達にとって珍しくもない。
安泰が生む膨大な暇を持て余す凡夫所以の嗜好。
総督バズソー。
元殃餓の長。
前任者タガワの処分後、シンクア総督に着任。
この男が総督に抜擢されたのは、偏に其の残虐性。
先代総督タガワは、住民を甘やかした結果、多くの権利主張を認め、要求を吞み、税収と生産力の低下を招いた。
まほろばの支配者は是に怒り、タガワを放逐し、彼とは真逆の人格を持つバズソーをこの町に宛がった。
結果、此処迄順調に税収と生産力は回復して来たのだが、現在は横這い。
彼は、為政者としての統治力が優れている訳ではなく、その性分に因って搾り取るのが得意なだけ。
搾取と暴虐の支配者なのだ。
トントン。扉をノックする音。
――バズソー様、失礼致します。
官吏然とした老齢の男性が入室してくる。
伽の最中にも関わらず、叱責しない。
午前中と云う時間帯もそうだが、流石に執政の立場にある彼を批難する程、愚かでは無い。
「お時間に御座います、閣下」
「ンぁああ~ン?もちっと待てぃ」
「閣下。最近、公務を放置為されておいでましたので、裁判が溜まっております」
「ンん~?何件だぁ~?」
「987件に御座います」
「ンあ~、ちぃ~と溜まっちまってきとるなぁ~」
「然様に御座います」
「ン、分かった。着替えるから女中を寄越せ」
「ははっ!」
──謁見の間
打ちっ放しの混凝土の大広間。
錆び付いた西洋甲冑や馬来獏に似せた鬼天竺鼠の剥製、使い物にならない壊れた風琴、価格のつきそうにない下手くそな油絵、人の形を模した錆び付いた金属のオブジェ、煤汚れたFRP製の旗魚の置物、半壊した不気味なクリシュナの像、牛肉の部位が図解された焦げた看板他、統一感のない調度品が並ぶ。
奥には、形だけは立派な安物の玉座と羽虫の飛び交う薄汚れた絨毯。
其の玉座に程近い脇には、長椅子やパイプ椅子が幾つか並べられ、官吏達が座す。
軈て、胸当が付属した鉄鋲付きサスペンダーのみ上半身に装着した半裸の姿に見栄えだけ豪華なマントを羽織った贅肉塗れのバズソーが姿を現す。
目脂のついた眠そうな表情で大欠伸をしながら放屁。
――ブッ、バフォ~~~ッ…プァンッ!
自分の屁の音を聞いて、一人大笑いしながら、どしりと玉座に座る。
「それでは、始める。入れろ!」官吏の一人が叫ぶ。
広間の大扉が開き、衛兵達に引き連れられ、入室する容疑者達。
容疑者達の首には、通し番号の入った木札が吊され、各々着けられた金属の手枷をそれぞれ縄で全員纏めて括り付けている。
「先ずは、思想犯からです、閣下」
「ンぁあ、分かった。続けよ」
「この者達は、供託した子供達を返せと、ある者は官吏に詰め寄り、ある者は暴言を吐き、ある者は供託そのものを澁り、衛士に暴行迄働く始末。
シンクアの秩序を著しく悪化させる犯罪者達に御座います」
「ンむ。まぁ、話を聞くか」
「それではお前達、申し開きをしたい者があれば、話してもよい」
互いの顔色を窺いつつ、一人の容疑者が思い立った表情で語り始める。
「バズソー様、子供達をお返し下さい。2人以上の子を持つ家庭から二人目以降の健康な子を取り上げられては、将来、家族の支え手が減ってしまいます。特に人手の必要な家業を営む者達にとって、これは死活問題。
是非、お考え直し下さい」
バズソーは怪訝な表情を浮かべる。
「…ンん~?何の事だぁ?ちと、大臣。何の話だ、あれは?」
「はい、閣下。凡そ、一ヶ年程前、閣下が取り決められました長子優生論に基づく、劣勢次子矯正法に端を発するものかと存じます」
「…ンぁ?何だそりゃぁ?」
「――ぁ…あ、あの、少年を強制徴収する為の法に御座います…」──ひそひそと話す。
「ン!アレか!!ンァーッハッハッハ~ッ!」
――長子優生論。
何の根拠もない疑似科学である優生学を基に、遺伝的に第一子が最も優秀な遺伝子を引き継いでいる、と云う考え方。
一応、その理論付けとして、第一子がその親にとって最も若い内に出来た子であり、若い方が細胞学的に劣化が少なく、安定的、且つ、優位である、とするもの。
――劣勢次子矯正法。
長子優生論を基に、第二子からは遺伝的に劣化する為、放っておけば、生産性が損なわれる恐れがあるとし、第二子以降は、総督府で全て預かり、共生教育を施し、持続的な社会の構築を担うものとする法である。
無論、是らは、全て欺瞞である。
少年性愛者であるバズソーが、自身の性欲を満たす為、常時、子供達を囲っておける法的根拠。
彼がこの法そのものを忘れてしまうのも無理はない。
抑々、長子優生論や劣勢次子矯正法は、優生学を妄信した暴君達の間での風説であり、彼自身が考えた訳でも信用している訳でもない。
単純に、法学者からの入れ知恵。
バズソー自身はどうでもいい話。
愛する少年達さえ匿っておければ、何でもいい、どうでもいい。
法的根拠等、町を統治する上での表向きな取り繕いに過ぎなかった。
「何卒、子供達をお返し下さい!」
「ンン~、それについては、大臣から話しをさせるので聞き届けよ」
「総督閣下に代わってお答え進ぜよう」
「はい、大臣様。働き手が減ってしまっては、我々は、否、町は滅んでしまいます。是非とも、お考え直し下さいます様、お願い申し上げます」
「先ず、働き手の減少は、無い!と、申し上げておきましょう」
「!?」
「劣勢次子矯正法に基づき集められた子達は、総督府管理下で共同生活をし、十分な教育を施しております。その子らは、官吏や兵士だけではなく、町で様々な職に就ける様、その特性を活かしつつ訓練を施し、将来、大切な働き手として町に戻るのです。
従って、将来の人手不足は有り得ず、亦、シンクアの共有財産“シンクアの子ら”として愛され、育まれ、未来を担って貰うのです」
「…併し、それでは、家族が保ちません。家業ある者は廃業に追い込まれてしまいます」
「心配無用です。将来、シンクアでは、今以上に配給率を高め、より安定した社会共生を目指している最中です。
家族と云う集団単位はよりスマートに、併し、町としての集団はより強く、理想的な集落が完成するのです。血の団結より、地の団結。理想社会誕生に立ち会う為、今は其の試練の直中にあるのです」
「……」
倫理観の崩壊した中、真偽定まらないものの理詰めで話されてしまうと、家族愛を訴える者達では反論出来ない。
容疑者達は沈黙し、意気消沈する。
「ふむ。申し開きは、以上の様ですな。それでは閣下、判決の程、宜しくお願い致します」
「ンン、分かった。それじゃぁ~~~…」
バズソーは、顳顬を指で突き、判決を下す。
「ンン、お前らァ~ッ、全員、牧場行きィー!!!」
「!!!」
「判決は下った。下がるが良い」――と大臣。
「止めてくれ~!牧場送りだけは、勘弁してくれぇ!!」
容疑者達の悲痛の叫びを聞き、恍惚とした表情で涎を垂らすバズソー。
「せめてもの俺からの慈悲だ。前頭葉切除は、俺自ら下してくれよう。喜ぶがいい!ンァーッハッハッハ~ッ!」
そう、バズソーは、少年性愛者にして、真性の加虐性欲者でもあったのだった。
溜まりに溜まった裁判は、始まったばかり。
未だ未だ、續く牧場送り。
――地獄の門は、解き放たれた…