3篇:人間牧場・壹
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3人を乗せたバギーは、拍子抜けする程に何事もなくシンクアの村に到着した。
村、と聞いていたが、その景観は全く印象が異なっていた。
混凝土壁が方々に伸び、荒野を隔絶、城塞都市宛らの佇まいを見せていた。
――シンクア。
ハイウェイ・ルート121に程近く、ルート14、114、117の3本のハイウェイに隣接する城塞型の集落。
町と云って差し支えない程の規模であり、中小規模の殃餓共では迚も太刀打ち出来ない程度の堅牢さを誇っている。
天然河川の隠者川が流れ、千釜池と云う湧水を領域内に持つ豊かな水資源を有する。
その豊かで汚染されていない天然の水資源は、北に位置する“まほろばの都”ジョージに送られている。
より正確には、水はジョージの管理下に置かれ、そのジョージから送り込まれた総督バズソーによって、この町は支配されている。
住民は、4つの身分制度に分けられ、上から順に、上人/凡人/雑人/家畜人の階級が付与される。
上人は、所謂、支配者層でその構成は、官吏や分限者。
凡人は、平民。法を守る限りに於いて、一定範囲内での自由と権利を得る者。
雑人は、貧民。烙印され、非所有物とされる。
家畜人は、先天異常や後天性の不具癈疾者や中毒者。更に、犯罪者、主に政治犯に前頭葉切除手術を施した者を含む。
この身分制度は、比較的広範囲でよく採られる階級制なので殊更珍しいものではないが、シンクアでは特に家畜人の比率が多く見られる。
──閑話休題
シンクア到着前にバギーは乗り捨てる。
見るからに殃餓のそれと分かるのは拙い。
ハイウェイに面した城門脇の潜り戸前でノッカーを打ち鳴らす。
覗き孔から門番がこちらを見て、用件を尋ねる。
カップルの男の方が、シンクアの元住人で親元への里帰りの旨を伝えると、あっさりと扉を開け、招き入れる。
小さな集落と違い、ある程度の規模を誇る町では外界との遣り取りがあるせいか、検問は緩い。
シンクアに入って直ぐ、男性は驚いた口調で話す。
「俺達が村を出た時とは、何もかも違っている…」
「……」
「ジョージから“功徳天の旅團”が遣って来る前は、小さな村だったのに…」
「――Хм…」
「実家は同じ場所にあるんだうか?余りにも変わってしまっていて、不安だ…」
「――行くだけ行ってみれば…」
「あ、ええ。そうしましょう!」
――ここの角を曲がって直ぐ右なんだが…
ブツブツと独り言を云いながら進む男の後ろを2人が続く。
典型的な掘っ建て小屋を前にして、俄に男の表情が緩む。
男は断りも無く、その小屋に入る。
中には、50代と思しき女性。
「母さん!」
「!?ユウジ!ユウジなの?」
「そうだよ、ユウジだよ!」
「ぁあ、生きていてくれたんだね!立派になったね…」
「心配掛けてゴメンよ、母さん…」
――感動の再会、と云う処、か…
親子の話を聞くに、まほろばの都からの侵略者が村に迫り、将来を誓い合った若い二人の身を案じ、村から脱出させた、そんな感じ。
よく聞く話。
当事者以外、感傷に浸る程のものでもない。
「…でも、どうして今、こんな処に帰ってきたの…」
「……俺達、子供が生まれたんだ…」
「孫!何処?見せて頂戴、可愛いあんたの子を!」
「…い、いや。それが…」
「どうしたの?早く抱かせて頂戴、孫をっ!」
「――サチ、こっちに来てくれ…」
「………」
大事そうに抱える毛布を揺すり続ける女。
呼び掛けに応じる様子はなく、見窄らしい玄関に立ち尽くした儘。
サチ、と呼ばれた女性。
そう彼の妻は、残念だが、もう壊れている。
既に、気が触れている。
――其れも亦、仕方ない。
焦れた訳ではないのだろう。
只、その妙な間が堪えられなかったのだろう。
ユウジは、サチが抱える毛布を取り上げ、母親の前に戻る。
――うっ、あっ、あ、あぅあっ…
サチは、曇った瞳で毛布を目で追い、言葉にならない吐息を漏らす。
息子から毛布をそっと渡された母親は、嫁を見て訝しげな表情を浮かべるも、直ぐに毛布を優しく抱く。
「サッちゃん、どうしたの?具合でも悪いの?」
「……ああ…」
母親は、毛布を捲り、我が孫との初対面を果たす。
その筈、だったのに。
――ギャッッッ!!!?
母親は、ギョッとした表情を浮かべ、思わず、手を滑らせ、毛布に包まれた赤子を落とす。
半開きだった口を真一文字に噛み締め、サチは床に落とされた我が子に飛び付き、抱え上げる。
するり、と毛布が摺り抜け落ち、赤子が顕|わに。
見るも無慙な赤子の遺骸。
一目見て其れと分かる程、重度の畸形。
ぱっと見で分かる異形、挙げたら切りが無い上、感染症痕、死後経過による腐敗、変色、崩壊。
蟲が涌き、得も言われぬ液体に塗れる。
混沌たる有様。
ベクシンスキーやギーガーの描く正に其れ。
母親が卒倒しなかっただけ増し。
それ程迄に醜悪な様。
ユウジが経緯を母に語る。
遠く離れた遙か西の盆地で過ごしていた夫婦に待望の赤子が出来た。
生まれた胎児は、環境のせいか、酷い畸形の重篤で、間もなく息を引き取った。
妻のサチは、そのショックで気が触れ、亦、畸形児を産み落とした事により集落から疎まれ追い出され、生まれ故郷に戻り療養すれば、サチも正気に戻るかも知れない、と着の身着のまま車を走らせたのだ。
母親は涙ぐみ、今や動かぬ我が子を抱え嗚咽するサチを抱き寄せ、優しい言葉を掛けていた。
今の時代、稀有な慈しみを見せる母親を、少女はじっと見据えた。
そんな折、母親は、ふと顔を上げ、少女を見た。
「…そちらの娘は?」
「殃餓共に襲われた処を、彼女が救ってくれたんだ」
「そんな小さな外国の娘に?」
「そうなんだ。それはそうと、彼女に湯浴みをさせてあげて欲しい」
「そうね、分かったわ。直ぐに仕度したげる」
──狭い風呂場
――生き返るようだ。
実に久し振りのシャワー。
それ処か、湯船迄ある。
乾いた心に恵みの雨、そう思える一時の安らぎ。
掘っ立て小屋にも関わらず、狭いものの風呂場があり、汚れを洗い流し、浸かるだけの十分なお湯がある。
この町は、本当に水が豊富なんだ。
煤汚れと返り血を洗い流す。
小さな体躯、起伏の乏しい滑らかな少女の体は、汚れを知らない水晶彫刻の様。
聖堂に描かれた天使の姿。
教会音楽でも流れて来ても不思議ではない
床を伝い流れる血の汚れとのギャップが亦、一層幻想的な光景を作り上げる。
――不意に、耳を澄ます…
風呂場と他を仕切る壁は薄い。
ユウジと母親の声が聞こえる。
「ところで、親父はいつ戻ってくるんだい?サチと子供の事、親父にも話さないと」
「…戻って来られないよ……」
「え!?」
「…牧場に収容されてしまった…」
「牧場??」
「……人間牧場…」
「人間牧場!?何なんだい、それはっ!!?」
「家畜人を収容する施設…総督の所有する強制収容施設よ…」
「家畜人!!?それって、奴隷以下の存在じゃないか!!」
「…そうよ…父さんは、前頭葉切除を受け、収容されてしまったの……」
「ど、どうして!?」
「総督バズソーの遣り方に抗議して連れて行かれてしまった…」
「…そ、そんな……」
――厄介…
もう一度、瞳を閉じて湯に浸かる。
湯の暖かみが、故郷の大地を其れ思わせる荒んだ心迄をも温めてくれればいいのに。
──湯上がり
風呂からあがった少女を待つのは、ユウジの母が作った手料理。
質素だが、どれもよく拵えてある。
十分な量とはとても云えないが、それでも恐らくは客人を持て成そうと奮発した、そんな感じ。
それにしても、この国の食事は、どれも美味い。
「さぁ、たんとお食べ」
「Спасибо」
「名前は、なんて云うの?」
「――Нонна」
「ノンナ?ノンナちゃんは、何処から来たんだい?」
「―Крайний Север」
「?あらあら、何処だか全然分からないわね~」
「――Ну..」
「どうかしら、味は?異国のお嬢さんの口に合うかしら?」
「―Очень вкустно」
「大丈夫そうね、良かったわ」
「――Ага」
母親は、気を遣ってくれている。
併し、こんな時、どう受け答えすべきなのか、経験がない。
それより、ユウジが深刻そうな表情を浮かべ、機を窺っている。
見当が付くだけに面倒。
「ノンナ!」
「Что?」
「実は…頼み難い事なんだが……」
「――」
「親父を、俺の父を救うのを手伝ってくれないか!」
「Вы, наверное шутите?」
「え?」
「――わたしは、正義の味方じゃない。況して、その土地の支配者に逆らうような危険な真似、したくはない」
「…そうだよな……いや、済まない。聞かなかった事にしてくれよ…」
「――」
「…ゆっくりして行ってくれ」
「食事を終えたら、直ぐ出立する」
「!?いや、済まなかった!本当に気にしないでくれ。旅の疲れを十分癒やしてからでもいいだろ」
「Нет. 夕闇に紛れて旅する方が都合いい」
「そ、そっか…」
「…Да」
部屋の角に小さな仏壇が置いてある。
その真上に位置する梁に飾られた額縁の写真。
その写真に写った男性が、恐らく、彼の父親だろう。
未だ、生きているであろうに、遺影の様。
母親は、分かっているのだろう。
もう、父親には会えないだろう、と。
サチは、相変わらず毛布を抱く。
毛布の中身は、ぬいぐるみにすり替えられている。
それでも熱心にあやす。
柄でも無いが、居たたまれない。
尤も、憐れむのは、失礼だろう。
彼女も亦、母親だった、のだから。
程なく食事を終えた少女は、背嚢と頭陀袋を背負い、ポリタンクを抱える。
他には、何もない。
彼の母親は、寂しそうな表情を浮かべる。
「本当にもう、行ってしまうの?」
「Да」
―これを持って生きなさい。
御守。
小さな袋に飾り文字。
この国古来から伝わる縁起物の御符。
廃れたこの世を生き抜く上で、何ら意味はない。
だが、その気遣いが、微かに心地いい。
「体に気をつけるんだよ」
「Будьте здоровы!」
「さようなら、ノンナちゃん。またね」
玄関に立つ。
サチがこちらを見ている。
何故か、寂しそうな目で。
感傷に浸る恐れを回避する為にも、此処は早く立ち去ろう。
此処に居過ぎては、いけない。
本能が其れを教える。
――さよなら、優し過ぎる赤の他人達よ。
──夕暮れ時の小径
公園址地は、立ち入り禁止地区。
千釜池と呼ばれる水瓶は、町の重要施設。
旅人は元より、住人さえ立ち寄る事は出来ない。
大きく南を迂回して、東を目指す。
何より城壁に辿り着かねば、町から出る事さえ出来ない。
ユウジの実家を出た後から、否、そのずっと前から尾行けて来る者。
殺気も害意も感じられない。
だからこそ、見逃してきたのだが。
角を曲がった人影の無い小径で、頭巾を目深に被った旅行者風の男が背後から近付いてくる。
『Sleeks Freaks』の仲介人。
感覚的に直ぐ其と分かる。
陰気な人物。
薄い口許から覗かせる1本の金歯が、矢鱈と興を削ぐ。
「――何の用?目的地には、これから向かう」
「その前に1つ、やって貰いたい事がある」
「――それ、断れるの?」
「否、これは契約の範囲内。断る事は出来ない」
「――そう」
「そうだ」
「…で、内容は?」
「まずは、これを見てくれ」
男は、プラフィルムを差し出す。
そこには、凶悪そうな顔をした壮年の男性の写真。
「Это кто?」
「この男は、シンクア総督、バズソー」
「……で?」
「彼を、殺って貰う」
「――Не могу」
「断れはしない。契約、だ」
「――Ладно…仕方ない」
――簡単に云ってくれるものだ。
伝える事だけ伝えると、仲介人は立ち去る。
実に、事務的、効率的。
そして、冷たく、機械的。
他人の事を云えた義理ではないが。
厄介事に巻き込まれたくない、と常日頃思っているのに是だ。
恨みの一つもない、而も此の町の統治者を一言、殺せ、とは。
折角、一時の持て成しで癒やされた心が、亦しても荒む。
夜の帳が下りるには、未だ、多少時間が必要。
色素の薄い瞳を、やけに眩しい夕日が射す。
痛い。
瞳が?
否、じくじくと心が。
――早く再会いたいな、あの人、に。