2篇:荒野、彷徨う・後編
「はぁぁ~?なンだ、このガキは?」
殃餓共は、狩りに夢中だった様子で、少女の接近に気付いていなかった。
棟髪刈り、刺青、ピアス、身体改造、鉄鋲付革ジャン、革パン、チョーカー、ロインクロス、ガラクタを加工したアクセサリにお手製の凶器。
旧世紀からの伝統的なアウトサイダー、パンクロックスタイルの格好をした殃餓。
三人の服装に統一感はないが、それが一味である事は明らか。
顔には、ペインティングが為されている。
ペインティングは、都合がいい。
汚染された荒野で生きる彼らに皮膚疾患や畸形、疵痕は付き物。これらを目立たなくさせる為、実に都合がいい。
赤、青、黄、白、黒。出鱈目で絶望的なセンス。
併し、それが恐らく彼らの意思なのだろう。
――典型的なファッション・オーガ。
殃餓は、お互いモットーの下に集う。
思想、哲学、宗教、血脈、地縁、嗜好、ファッション、とモットーは多種多様。
モットーは多様性に富むが、共通している事もある。
それが、暴力による支配体制。
世界秩序の崩壊後、世は、実にシンプルな“暴力”と云う求心力を欲していた。
ファッション・オーガは他の殃餓程執着せず、盲信的な信念を持ち合わせてはいない。
刹那的で飽きっぽく、余程の不運でも重ならない限り、静観しておくか媚び諂っておけば遣り過ごせる、比較的御し易い部類。
併し、殃餓共に共通する狂気の暴力性に変わりはなく、信念が無い分、質が悪い。
「いつから居たンだ、このガキ?」
――迂闊、だったか…
狩りの唯一の目撃者は、ほぼ間違いなく、巻き込まれる。
そう、相場が決まっている。
併し、目の前にいるこの殃餓共、予想以上の阿呆。
抑々、こちらに気付いていなかった。
ギラギラと輝き大地を焦がす炎天下、木陰の一つもないこのハイウェイで、何も自ら志願するように揉め事に首を突っ込むとは。
――どうにも調子が悪い…
あの頃の感覚が取り戻せないでいる。
やはり、縛りのない生き方に、未だ、慣れていない。
「まぁ、丁度いいッ!このガキも攫っとくか」
「そうだな、ガキの新鮮な“カラダ”は貴重だ」
殃餓の一人が少女に手を伸ばす。
ポリバケツの蓋程あるその巨大な右手が、正に少女を摑もうとした刹那。
少女は、推し量ったかのように左足を引き、半身になって右腕を鈎の字にして殃餓の右手外側からその太い小指を握る。
続いて、更に外側から左手を大きく伸ばし、上方から殃餓の人差し指を握る。
握った指を共に逆関節に拉げ曲げながら、腕を胸元深くに引き寄せる。
右肘を腋に締め、胸元に右腕を縦に畳み、前方に振り出した左腕肘裏の肘窩に右手小指球を宛がい、体を小さく丸め、その儘、全体重を掛けて前転。
少女の、優に2倍はあろうかと云う巨軀の殃餓は、右前方に翻筋斗打って倒れる。
――ぎゃぁぁぁーッ!
殃餓の右手首は、あるべき位置とは真逆にねじ曲がり、人差し指と小指もあらぬ方向に折れ、水搔きは裂け、右肘も亜脱臼。
巨体の悪漢とは云え、人間には変わりない。
瞬時に右腕を壊されれば、もう抵抗等出来はしない。
併し、少女は止まらない。
起き上がると同時に、倒れ込んだ殃餓の喉仏を踵で踏み付け、鈍い音を確認するや否や、しゃがみ込んで鼻と唇の間、人中に左右で縦拳を連打、続け様、猿臂を瞼に落とす。
再び立ち上がった少女は、そのまま前方に体重を乗せ、膝を顎に落とし、無防備になった横っ面顳顬に肘を入れた。
殃餓は、呻き声すら上げる暇なく、只管に、巨大な肉塊と成り下がった。
――破壊。
人間を壞す、その一言。
少女は、いともあっさり、殃餓を壊した。
彼女以外、誰一人として予想し得なかった衝撃の様に、一瞬の間。
間髪を容れず、呆気にとられている殃餓一人に駆け寄り、猫を思わせるしなやかな動きで股下を潜り抜け、背後に回って膝裏を蹴り、体勢を崩させ、地に片膝をつけさせる。
ハンドスプリングで跳ね上がり、倒立した状態で殃餓の首に両足を巻き付け、腹筋で上体を起こすと、頭を抱き締めるような形で勢いよく両腕を引き、両親指をその両目に突き立て、少女は飛び退く。
――目がッ、目がぁぁぁーッ!
潰された両目を押さえて、両膝を地に着ける殃餓。
金的に蹴りを入れ、前屈みに頭を下げた殃餓の耳後ろの乳様突起を続け様に蹴り砕く。
前のめりに倒れた殃餓の頚椎を何度も踏み付ける。
間もなく殃餓は、望まずして生命活動の停止を余儀なくされる。
――確信。
少女は、知っているのだ。
人間の壞し方、を。
その遣り方、を。
否、殺り方、を。
残る一人の殃餓は、手斧を右手に握り、構える。
二人の仲間がやられたのは、その少女の容姿からくる油断。
白子の痩せ細った小さな体躯。
腰程しかない身の丈の小娘に、あってはならい油断からの敗北。
正確には、錯覚。
素人だと思い込んだ錯覚。
恐らく、何等かの武術か格闘技、戦闘術の類を学んでいるのだろう。
あの身のこなし、體捌き、急所を的確に打つ技術と判断、その思い切り、尋常ではない。
ガキだと思っているとヤラれる。
生かしたまま攫うのが無理なら、黙らせて持ち帰る迄。
――喧嘩じゃねェ~…殺し合い、だ!
「その小せぇ~ドタマ、叩き割ってヤル!」
大きく振りかぶられた斧は、宛ら、死神の鎌をも思わせる軌道を描き、少女を襲う。
3mもの巨漢が振り下ろす斧は、想像を絶する破壊力。
――ブゥォオン!
空気を薙ぐ重低音。
岩をも砕く一撃。
絶体絶命の斬撃。
予見し得る惨劇。
その筈、だった。
――な、なにィッ!!?
少女の白魚のようなその手で、斧は完全に受け止められている。
刃を右掌で受け止め、微動だもしない。
パニック。
こんな細腕の何処にそんな力があるのか。
斧を握る手に有りっ丈の膂力を込め、圧す。
右腕の筋肉は強張り、動脈が浮き上がる。
「ばッ…ば、化け物かッ!?」
「――貴方達殃餓に云われたくはない…」
摑んだ五指が刃を穿ち、罅割る。
鷲摑んだその形の儘、殃餓の臍周辺に貫手、突き入れる。
――ズブブッ…
皮膚と腹直筋、腹膜を容易く突き破り、指先は内腑に到達。
握り締め、勢い良く引き摺り出すと、腹圧を伴って小爆発するかのように小腸が飛び出す。
――ぐえぇッ!
腹部の激痛に堪えかね、腹を抱えるようにしゃがみ込み両膝を地につける殃餓。
少女は、腸を握った儘、殃餓の頭上を捻りを加えた伸身宙返りで飛び越え、背後をとる。
手にした腸を後ろから殃餓のぶっとい首に巻き付け、締め上げる。
殃餓の顔色は、みるみるとドス黒く変色、頚静脈が絞まり鬱血、目、口、鼻、耳から血を流し、涎を垂れ流す。
――ゴリッ!
間もなく、頸椎が鈍い音を立て、砕け外れる。
殃餓は、自分の腸で絞殺されると云う数奇な、併し、自業自得な最期を遂げる。
――暫し、沈黙。
悪漢風情に祈る言葉もないが、取り立てて唾棄すべき呪いの文言もない。
忌むべき程の接点は、抑々《そもそも》、無い。
恨み辛みは微塵もないが、命の遣り取りは、ごく自然。
日常が暴力で満ち溢れ、腐った秩序を保つ。
それくらいに迄、此の世界は、狂っている。
――収束の交差点
凄惨、壮絶な光景を目の当たりにしたSUV所有者の男女は、暫く呆然としてはいたが、自身が助かった現実に安堵する。
若い男の方が、返り血を浴びた白い少女に恐る恐る近付き、顔色を窺うように話し掛ける。
「助かりました、お嬢さん」
「――そう…」
「是非、お礼をさせて貰いたい」
「――礼には及ばない」
「此処から程近い場所に、私達の目的地シンクアの村があります。村に着けば、汚れを落とすに十分な清潔な水もありましょう。是非、ご一緒下さい」
「……」
「村には、実家があります。食事と寝床を約束しますから、是非、同行下さい」
「――Да…」──小さく、こくりと頷く。
――打算。
この男は、礼をしたい、と語ってはいるが、要は、その村に無事辿り着く迄の護衛が欲しい、と云う訳だ。
近場とは云え、ハイウェイを進む限り、殃餓に亦、何時狙われるとも知れない。
その為の保険。
――いいだろう。
彼らは、ハイウェイを東に車を疾走させていたのだから、わたしの目的地にも近付く。
互いの利害に一致する。
打算は、損得勘定。
今の時代、直向きな善意程、信用のおけないものはない。
損得を推し量るくらい利己的な者の方が、余程、信用に値する。
横転したSUVは此処に乗り捨て、殃餓が乗っていたバギーカーで行く事にする。
一見して殃餓のものと分かる様相のこのバギーであれば、ハイウェイでの偽装にもなる。
SUVを押し止めた銛は、捕鯨砲からワイヤーごと外し、打ち棄てる。
運転は、その若い男がする。
後部座席に、毛布に包んだそれを大事そうに抱く女と白い少女が相席する。
走り出す、東に向けて。
運転席の男が、偶に話し掛けて来はするが、気のない返事を返すだけ。
男の話に、興味をそそるようなものは、何もない。
寧ろ、気になるのは、隣に座る女の方。
全く、話し掛けて来ない。
それ処か、興味を示さない。
彼女の興味は、専ら、毛布に包まれた、其の中に。
覗いた訳ではない。
覘かせた、と云うのが正しい。
毛布の中身が、ちらりと見える。
――赤子、か。
然もありなん。
予想の範疇を覆す程のものでもない。
併し、瞬きをして再び垣間見たその直後、思いを改める。
――そう云う事か…
非情は、命の遣り取りよりも、初手の判断、刹那の自身の思い込みにこそある。
――化け物か…
確かに、な。
身体が、ではない。
心胆が、だ。
いつの間にか、其れに取って代わられているのかも知れない。
願わくば、有りの儘、我が儘に、人の儘で。