激闘の珊瑚海
昭和十七年五月六日、我が帝国で後に珊瑚海海戦と呼ばれた闘いが始まった。
この日の夕方、我が第五十一護衛艦隊は旗艦摩周と油槽船二隻を中心に輪形陣を組み、主力であるMO機動部隊への燃料補給の為、第一戦速(三七km)でソロモン海を南下して行ったのである。
俺はこの時、この闘いが世界初の空母同士の対決だった事など、まったく知らずにこの海戦に参加していたのだ。
「水測員!ためらわずに探信儀を使え!この海域に味方潜水艦は一隻も居らんと、司令部には確認済みだからなッ!」
水雷長の佐竹大尉が威勢の良い調子で、部下に命じた。
それまでの張り詰めた艦橋の雰囲気が一気にほぐれ、普段の訓練時の様な気分になれたのは、やはり彼の為せる技であったのだろう。
それでも航海長の大谷大尉は海図台で艦位を真剣に記入していて、予想されるMO機動部隊との会合点への針路の確認に余念がなかった。
その横で艦長の戸高少佐が通信員の藤一曹から、一通の電文受け取り艦内電話を取り上げた。
「各員に告ぐ、こちらは艦長である。これより第四艦隊司令長官、井上中将より督電が入り読み上げる。作業中のまま心して拝聴する様に!
帝国の興廃はかかってこの闘いに有り、各員が責務を全うし、全力をもって任務に当たられん事を切に願う!以上!」
司令部からの情報によると、敵機動部隊はガダルカナル島の南方五百kmを西北西に針路を取って北上中との事であり、我が機動部隊はそれと平行する様に真北四百kmを航行しており、明日の早朝には攻撃を開始するものと予想された。
我が艦隊は、先に出航していたMO攻略部隊の後を追いかける様に一路ソロモン海を南下し、七日の暁にはこれに追いついて抜かしてしまい、我が艦隊のすぐ後ろから攻略部隊が付いて来るのだ。
俺は航海長の大谷大尉の横に行き、艦長に聞こえないよう聴いてみた。
「大谷大尉、航路は間違ってないのか?これじゃ、我々が攻略部隊と思われるぞ。」
「いえ、間違いありません、昨夜から何度も確認してますんで。何か様子が変なんですよ、戸高艦長の…。」
そう言われてみると、艦長は夜が明けてから時計と空を交互に睨み、どこか落ち着きが無い様なのだ。
「艦橋!こちら戦闘指揮所!南西六十度より大型機接近!距離三○○!」
「総員、戦闘配置!直ちに旗艦に報告!」
艦長に言われて、通信員の藤一曹が旗艦に無線電話を入れると、
「旗艦より入電!我の命あるまで発砲を禁ず!以上!」
発砲を禁ず?
どういう事であろうか。
まさか、わざと発見されるというのか!
俺はどーも俯に落ちないところがあった。
先ほどの攻略部隊を載せたはずの輸送船は、喫水が浅くとても積み荷を満載してる様には見えず、そして今の命令である。
もしやして、我が艦隊が敵の航空攻撃を一手に引き受ける算段なのであろうか!
俺は腹を決め、艦橋に居る他の者には気づかれない様に戸高艦長に聴いてみた。
「艦長、まさかとは思いますが我が艦隊は囮なのではありませんか?」
「香月大尉、我々は軍人なのだよ。」
とぽつりと答え、前を見据えていた。
やはりそうなのだ!
確かに攻略部隊の対空火力は、我々のに比べ一昔前の装備であり、二式射撃管制盤を備えた我が艦隊の対空射撃能力は、帝国海軍一であるに違いなかった。
であれば、これを使わぬ手はないのである。
俺自身も我が艦の力がどの程度のものか、試して見たかったという事もあったが問題は敵機の数であった。
敵機動部隊は二隻の正規空母を繰り出して来ており、その艦載機は百四十機程度と予測されていて、少なくとも攻撃隊は百機を超えると考えられていた。
しかし、我が方にも艦載機があったのだ。
そうだったのか!
それで我が護衛空母摩周の艦載機が、零戦ばかりであったのかと今、納得したのである。
という事は、はなから帝国海軍は我々を囮として編成したのであり、であればその頃にはこの海戦が生起すると解っている事になり、そんな先の事など神でもなければ知り得るはずもなく、こればっかりは俺の考え過ぎかと思い直したのであった。
「敵機ッ!右八十度!機数一、大型機!高度三千!」
艦橋の見張り員が叫び声を上げ、皆その方向を一斉に見た。
「艦橋!こちら戦闘指揮所!敵機との距離二○!」
敵機はカタリナらしく、それに向かって摩周艦載機の零戦が一直線に立ち向かって行く!
「敵機から長文の無電が打たれています!」
通信員の藤一曹が報告した。
それを確認した様に零戦がカタリナに襲いかかり、敵機がガクンと機首を落とし、墜落し始めた。
「帝国万歳!」
その様子を見ていた乗組員達が凱歌を挙げた。
しかし、闘いはこれからであり我が艦隊の真価が問われる、その日の過酷な対空戦闘が幕を開けたのである。
その朝、八時過ぎに戦闘指揮所から悲鳴に近い報告が来たのだ。
「航空機多数!左五十度より接近中、大編隊なり!距離三○○!」
いよいよ始まった。
我が艦隊は風上へ舵を切ると旗艦摩周から、次々と艦載機の零戦が飛び立ち上空で三十機あまりの編隊を組み、敵の来る東の空へと向かって行った。
「艦橋、こちら戦闘指揮所。北百八十度より大編隊接近中!距離三○○!」
「おぉ!来たか!それはラバウル航空隊の烈風の編隊であろう!」
それまで曇りがちな表情だった艦長から、ようやく明るい声が聞かれた。
それにしても絶妙な間合いである。
後三十分遅れていたら、敵機の攻撃が終わってから到着するという、なんとも間の抜けた援軍になるところだったのだ。
間もなくして、電測長の大倉上曹が電探に映る我が零戦隊と、敵編隊の模様を報告してきた。
「摩周艦載機、敵編隊まで距離一○。敵編隊が二つに別れました!摩周機と敵編隊、交戦を開始したようです!別の編隊が我が艦隊に接近してきます!左六十度、距離五○!」
「合戦準備!対空戦に備え!」
戸高艦長が大声で号令を発し、俺はトップへと走った。
「左対空戦、左六十度、敵編隊雷撃機から狙え!」
俺は艦内電話で命じて、双眼鏡に飛び付いた。
雷撃機から狙うのはこれが高度を下げて来る為、他の艦が狙いずらくなるからだった。
「砲術長!敵機発見!左六十度、六十機、高度四千、距離二○!」
やはり我が艦一、いい目の持ち主である三m測距儀員の伊藤二曹が一等最初に、敵編隊を見つけ出し報告してきた。
伝声管を通じて艦長の命令が復唱されて来た。
「うちーかた、はじめーッ!」
軍艦は艦長の命令があってはじめて発砲ができるのであり、艦隊は司令官が命じて攻撃が開始されるのだ。
「距離一八.○五!」
伊藤二曹が叫んだ!
俺が双眼鏡で敵機を捉えると、それは雷撃機と爆撃機の編隊に別れ、高度を下げつつある雷撃編隊は更に左右の部隊へと分離し、我が艦隊を挟撃する態勢を取ろうと、機動して行った。
「左の編隊を狙え!」
國本先任がすーッと射撃盤を左の雷撃機に向けると、前後の砲塔が敵機に狙いを付けた。
「一番準備良し!」
「二番準備良し!」
「撃ち方はじめッ!」