緊迫のラバウル
五月六日、ようやく我が船団はニューブリテン島を遠望する位置までたどり着き、艦橋では安堵する声も聞かれたが
「諸君!ラバウルに入港するまでは気を緩めるではないぞ!」
と艦長から叱責され、皆気を引き締めたのだった。
「艦橋!こちら戦闘指揮所。右四十度より大型機一、接近、距離二○○!」
「大型機だと!摩周に打電、我の電探に大型機の感あり、至急確認されたし。」
艦長は通信員に命じた。
「多分、味方の哨戒機でしょう。」
佐竹大尉が何の気なしにぽつりと言ってから周りを見渡し、皆の表情が凍り付くのを見て慌てて付け加えた。
「もし敵機であれば摩周の零戦が、一撃で叩き落としてくれましょうぞ!」
そんな彼を何故か艦長は叱る事なく、笑みまで浮かべ眺めていたのだ。
確かに今は戦時であり、一時でも気を赦せばその後には死が待っており、その緊張感がいつの間にか神経を蝕んでいった。
そういう時に佐竹大尉の様な楽観論者というか、その場の空気を和ます者は無くてはならない存在なのである。
我が艦の戸高艦長は、その辺の事をわきまえている懐の深さがあり、俺はこの艦が今までにない雰囲気を持つ艦である事に親近感を感じ始めていた。
その日の夕方に、輸送船団はラバウルに入港した。
すると直ちに、第五十一護衛艦隊の司令部と各艦長らが第四艦隊司令部へ招集され、再度出港の準備をするよう命令されたのである。
戸高艦長は慌ただしく内火艇に乗り、松を後にしてラバウルに進出して来た司令部へと向かった。
その間に我々は、急いで燃料や食糧の補給をして出航の用意を整え、艦長の帰りを待っていると内火艇が戻って来て、浮かぬ顔をした艦長が舷門を上がって来るではないか。
「お疲れ様でした、どうかされましたか?」
俺は思案顔の艦長に恐る恐る声をかけた。
「香月大尉、エライ事になったよ!艦橋に将校集合をかけてくれ。」
俺はすぐに舷門に居た当直下士官に機関部の安藤特務少尉を呼んで来るよう命じ、只ならぬ艦長の後を追った。
艦長が俺を名前と階級で呼ぶのは乗艦以来の事であり、嫌な予感を感じずにはいられなかった。
「安藤少尉以外は皆、艦橋で艦長をお待ちしております。」
「そうか、手回しがいいな。」
速足で艦橋へ上がると艦長は海図台に駆け寄り、ソロモン海から珊瑚海一帯の海図を広げ、険しい顔付きで睨みはじめたのだ。
間もなくして安藤少尉が艦橋に駆け込んで来た。
「諸君!心して聞いてもらいたい。我が護衛艦隊はこれより、MO機動部隊へ燃料補給に向かう油槽船の護衛任務を仰せつかった。今朝方より、珊瑚海には有力な敵機動部隊が行動しており、発見されれば大規模な空襲は免れんが、第四艦隊司令部は我が艦隊の高い防空能力を買って、あえて危険な任務を我々に託したのである。諸君らは、その能力を遺憾なく発揮してもらいたい!以上!
直ちに出航準備にかかれッ!」
「はッ!」
俺達は素早く敬礼をして、それぞれの持場へと駆け出した。
いやはや大変な事になってきた。
今の今までたかが戦線後方の護衛任務などと、南国気分で居たのがいきなりおお戦さの、ど真ん中に放り込まれるのである。
しかし、帝国軍人であるからには表舞台で敵の主力部隊と渡り合ってこそ本望なのであり、武人の誉なのだ!
たとえ我が機動部隊への補給任務でも、今次海戦において帝国海軍主力の一翼を担うのには変わりなく、俺は生まれて初めて武者震いというものをしていた。
なんせ大東亜戦争開戦以来、俺は数々の大勝利をもたらした海戦に何ひとつ参加していなかったのだから。
「総員に告ぐ、こちらは艦長である。これより本艦は珊瑚海へと出撃する!」
「各員は己の職責を全うし、奮励努力せよ!以上。」
「分隊長!ようやく我が艦にも、桧舞台で活躍する場が用意されましたね!」
「おぅさ!こんなお役は滅多に廻って来んからなぁ、ここはひとつ気を引き締めて掛らねばならんぞ!」
俺と國本先任は、トップに上がりお互いに震い立つ気持をぶつけ合った。
間もなくして駆逐艦松を先頭に、第五十一護衛艦隊全九隻と重油を満載した高速油槽船二隻は、錨を揚げて次々とラバウル港を出航し、我が機動部隊の待つ珊瑚海へと進撃を開始したのである。
俺は射撃訓練を終えて艦橋へ降り、艦長から今現在の戦況について聞いてみた。
すると帝国海軍は、ニューギニア島の南東岸にあるポートモレスビーを攻略する為、MO機動部隊に高木武雄少将を司令として、第五航空戦隊の正規空母翔鶴、瑞鶴をはじめ重巡二、駆逐艦六を宛て、MO攻略部隊としては軽空母祥鳳の他重巡四、軽巡一、駆逐艦六、輸送船六をもって作戦を発動したとの事であった。
この我が軍の動きに対し、米軍は正規空母二隻から成る有力な部隊を派遣して来たらしいのだ。
この事は帝国軍も予め予想しており、その為に第五航空戦隊をわざわざこの作戦に、宛てていたのである。
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