第1章 ―駆逐艦松―
松型駆逐艦―
謎の組織、帝国科学技術研究所(以後、帝科研)から提示された設計図を基にブロック工法という新たな手法により建造された新型護衛駆逐艦。
諸元
全長百m
全幅 九.三五m
常備排水量 千六百五十t
機関 艦本式三号一○型過給器付きディーゼル四基二軸 三万二千馬力
最大速力 時速五十九.二km
航続距離 三十kmで一万km
乗員 二百十一名
武装 六十五口径二式十糎連装高角砲×二基
二十五mm連装機銃×六基
二式爆雷発射機×四基 (改良型ヘッジホッグ)
二二号対空対水上捜索電探 探知距離最大三百km
二式電探射撃管制盤 (四二号捕捉電探連動) 四七号電探逆探知機
三号回転式音波探知機 三号音波探信儀
昭和十七年四月二十日―
広島県呉市帝国海軍呉工厰―
二日前の帝都檄撃戦の話で盛り上がる工員達の前に、一人の海軍将校が立っていた。
彼の名は香月新作、
先日三十二歳になったばかりで、砲術学校に再入校し最新の砲戦技術を学び、新たな配属先である駆逐艦松に砲術長として本日付けで着任して来たのである。
これは彼の目を通して見る、大日本帝国海軍海上護衛総隊護衛駆逐隊、通称「車引き」の新造駆逐艦[松]に配属された海の男達の活躍を描いた物語である。
帝国海軍は艦艇の進水時に艤裝員長を任命して、その艦の艤裝を完成させ引き続き艦長に任命するのが恒例となっており、この時の駆逐艦松の艤裝員長は海兵五十七期の戸高少佐であり、着任してほぼ一ヶ月で艦の艤裝も終わり、チラホラと乗組員達が着任しはじめていた。
四月二十日現在まで松に配属されて来たのは、砲術長の俺の他に以下の者達であった。
艦長 戸高一少佐
航海長 大谷勇夫大尉
水雷長 佐竹翔大尉
機関長 小倉正輝大尉
いや〜、一癖も二癖もありそうな連中だ。
以上の他に士官が七名、下士官が四十名ほど、兵が百名余りが着任しており残りの兵も明日中には皆、到着の予定だそうだ。
俺は艦橋に上がり戸高艦長に着任の申告をした後、艦長に連れられ艦長室へと向かった。
艦長室は艦橋の下の操舵室の更に下、上甲板と同じ階にあり他の艦と変わらぬ大きさの部屋であった。
「香月大尉、君がこの艦では最先任士官のようでな当直士官を任せるよ、後の事はよろしく頼む。」
「はッ!了解しました。」
とは言ってみたが、いやはや俺は艦長に面倒な事をすっかり押し付けられてしまったのである。
明日はいよいよ、呉工厰からの引き渡し式が行われその後、駆逐艦松は我々のものとなり制式な海軍艦艇と成るのであり、それまではただの船なのである。
その為、引き渡し式は我々にとって非常に重要な儀式であったのだ。
それを翌日に控え、艦長から一切を任された俺は本日から当直制をひく事にし、乗組員の名簿に目を通して特務少尉安藤作造の名を見つけ、彼に当直士官をやってもらう事にした。
安藤少尉とは前に駆逐艦磯風で一緒であり、下士官からの叩き上げである彼であれば古参で経験も有り、艦内の下士官、兵をまとめて行けると思ったのだ。
それらの事を相談するべく俺は、艦橋に士官集合をかけた。
彼らとはまったくの初対面であったが、同じ駆逐艦乗りなのだからすぐに打ち解けられるであろうと思い、艦橋で待っているとまず最初に上がって来たのは水雷長の佐竹大尉であった。
「はじめまして、水雷長を仰せつかった佐竹です!」
「こちらこそ、砲術長の香月です。海兵六十一期で先任らしいですよ。」
「ならば二期先輩ですね、自分は六十三期ですから、ひとつよろしくお願いいたします!」
実に元気のいい奴である。
彼とは、なんとなく馬が合いそうであった。
「失礼します。香月大尉!お久しぶりです!」
「安藤少尉!元気そうですな、また世話になりますよ。」
「とんでもない!お世話になるのはこっちです。また、よろしくお願いいたします。」
と俺と安藤少尉は海軍式の挙手の敬礼をしてから、がっちりと握手した。
やはり叩き上げの特務少尉がおり、それも顔見知りであると心強いものである。
間もなくして航海長の大谷大尉と機関長の小倉大尉、各兵科の士官ら総勢十名が艦橋に揃ったので、俺から順番に挨拶を兼ねて自己紹介をした。
それが終わると早速、当直の件を話し各分隊への徹底を命じた。
駆逐艦は砲術科を第一分隊、水雷科を第二分隊、航海・運用・電信・医務を第三分隊、機関科を第四分隊に区分され、それぞれ分隊の配置によって班が編成されていた。
例えば第一分隊第一班とは、一番砲塔の班員達の班なのである。
我々は艦橋で“別れ”の敬礼をして解散し、それぞれの分隊へと散って行った。
俺は砲術科の先任下士官、國本兵曹長に声を掛け、比較的に広い錨甲板に分隊整列をかけさせた。
第一分隊は機関科の第四分隊に次いで所帯が多く、五十名以上が配属されており体格が大きく腕節の強い者が優先的に配置されていたのである。
何故、我が分隊に腕節の強い連中が多いかと言うと長十糎砲の砲弾が二十kg以上有る為であった。
十二.七糎砲の砲弾は弾頭と炸薬とに別れていたが、長十糎砲の砲弾は弾頭と炸薬が薬莢で一体化されており、発射速度の高速化を計っていたからであり、半自動装填装置が有るとはいえそれに砲弾を供給するのは、あくまでも人力で行っていたからだ。
という訳で屈強な兵達が錨甲板に整列したところで、俺は訓示をはじめた。
「諸君!駆逐艦松へよく来てくれた。私は本艦の砲術長を仰せつかった香月新作である。諸君らも気付いていると思うが本艦は帝国海軍の最新鋭艦であり、装備されておる武装は帝国の技術の粋を極めた最新の兵器である。であるからして、その操作には細心の注意を払って当たってもらいたい!これより我々は駆逐艦松と命運を共にするのである。諸君らは全力でその職務に精励せよ!以上!」
その後、國本兵曹長から当直制への移行が知らされ、分隊は解散した。
それからは通常の駆逐艦業務が始まった。
帝国海軍では一日の課業がきっちりと決められており、時間が来るとラッパの合図で一斉に行動するのである。
そして夕方の五時五分前になったところで号令がかかった。
「課業止め、五分前。」
乗組員達はこの号令を聞くと、それまで行っていた作業を止め終業の準備をするのである。
「課業止め。食事、第一種軍裝に着替え。」
当直下士官らが号笛を鳴らし、大声で叫びながら艦内を駆け回った。
駆逐艦松での一足早い海軍生活が始まったのだ。
これからは全てこの号令によって、乗組員は動くのである。
俺も夕食を採る為、士官控室に向かった。
軍隊では士官と下士官以下の食事ははっきりと区別されており、狭い駆逐艦と言えども同じであった。
戸高艦長が席に着き、我々も腰を降ろして夕食が始まった。
「香月砲術長、明日の本艦の予定を皆に聞かせてやってくれ。」
艦長からの指示により、俺は引き渡し式を含めた予定を話した。
明日はかなり忙しい日と成りそうであり、まだ着任早々の乗組員達を相手に、出港を想定した操艦訓練及び戦闘訓練を行うのだ。
とにかく、我々にあまり時間は残されてはいなかった。
一週間後、千葉の館山基地へと出航して対空射撃訓練を行う様、厳命されていたのである。
幸いにして本艦への配属者は、二月に撃沈された駆逐艦夏潮の乗組員達がかなりおり、練度がすこぶる高ったのが救いであった。
「カンカン、カンカン」
「おっと、もうこんな時間か、俺はそろそろ失礼するよ。書類を片付けなきゃならんでな。」
午後六時を知らせる、四点鐘の鐘の音を聞いた艦長が部屋を出て行った。
四点鐘の鐘とは駆逐艦に出入りする為の舷門にある時計を基準として、午前零時から三十分毎に鐘を鳴らして乗組員に時刻を知らせているのだ。
午前零時三十分に「カン」と鳴り、これを一点鐘、一時に「カンカン」と鳴り二点鐘という具合に、午前四時の八点鐘まで続きこれを一周期として、また四時三十分に「カン」と鳴り元に戻るのである。
「別科止め、武技遊戯許す、酒保開け。」
当直下士官が号令を叫びながら艦内を走って行った。
別科とは食事の事であり、武技遊戯とは別に剣道や柔道をやるわけではなく、乗組員の唯一の自由時間の事であった。
酒保はもちろん酒の事で、他にも石鹸やタオルなどの日用品を扱う売店の様な所だ。
「それでは、明日の事もあるし解散としようか。」
俺は皆にそう言って席を立ち、艦橋のすぐ後ろにある戦闘指揮所へ向かった。
そこは、駆逐艦としては初めて設置された部屋であり、今後の対空、対艦、対潜戦闘時の中枢となる新たな部署であったのだ。
戦闘指揮所に行くと、そこには電測員達がおり忙しそうに電探を操作していた。
邪魔しては悪いので、しばらくその様子を艦橋から眺め、ソッとそこを離れ自室に戻ろうとすると、艦橋へ当直に任じた安藤少尉が入って来た。
「砲術長、そろそろ巡検の時間になりますのでお願い致します。」
いつの間にか時間が経って九時近くになっていたのだ。
巡検とは海軍式の点呼であり、初日の今夜は我が艦の先任士官である俺の所にお鉢が回って来たのである。
俺は当直士官、当直下士官、当直当番兵達を引き連れ駆逐艦松の隅々を見て廻る事になった。
ついでに艦の装備と概況も見ておく事にした。
まずは最先端にある、錨甲板に行き錨鎖等に異常がないかを見て、次にそのすぐ後ろにあり松の主兵裝でもある長十糎連装高角の一番砲塔を確認した。
更にその後ろ艦橋のすぐ前には帝国海軍最新の対潜兵器、二式爆雷発射機の一、二番投射基が配置されていた。
そこから艦内に降りて、甲板下にある前部兵員室から巡検を行い、各乗組員が就寝しているのを順次確認し、続いて艦中央にある機関室へとつながる人一人がやっと通れる隔壁ハッチをくぐり、機関室を通って艦後部兵員室へと向かった。
軍艦は皆そうであるが艦の甲板下にある要所要所を繋ぐ扉は、浸水を防ぐ為に防水扉が設置されており、被害の軽減を計るよう作られていたのだ。
また、我が艦の主機であるディーゼル機関の配置は二基が縦に別々に設置されており、一基が損傷しても残りの一基で航行できるよう設計されていた為、生存性が高く多くの同型艦が戦場から生還し得たのだった。
機関室を出た我々、当直一同は後部兵員室へと入り巡検を続けて行った。
通常海軍艦艇の兵達にはベッドはほとんど無く、ハンモックという吊床を吊って就寝しており、朝の総員起こしの時に全て片付けられるのである。
艦後部には一段下にもう一室兵員室が有ったが、どの部屋も駆逐艦特有の天井が低く狭苦しいのは同じであった。
兵員室に吊床がある者はまだ良くて、中には通路や砲塔下の揚弾庫にまで吊床を吊っている者もいたくらいなのである。
海軍の駆逐艦乗り達はこの様な劣悪環境下において、不平も言わず日夜厳しい訓練にひたすら耐え、海軍の縁の下の力持ちよろしく任務に励んでいたのだった。
俺はそんな思いを抱きつつ、上甲板に上がり艦最後尾にある二式爆雷発射機、三、四番投射基の異常の有無を確認し二番砲塔に向かった。
二番砲塔の前部には一段高くなった所に、三番銃座の二十五mm三連装対空機銃座が二基あり千五百m以内に接近した敵機の迎撃にあたるのである。
この三連装機銃座は改良型の二式であり、上下照準と左右照準が一人で行えるよう電動式の照準装置が備えられていたが、通常は二式射撃照準機で二基とも射撃管制されていたのだ。
その更に前部に後部マスト、後部煙突と続き艦中央近くに探照灯、前部煙突、そして対空機銃二基あり二番銃座と呼ばれていた。
そこから前部マストまでの間に何故か七mほどの空間があり、全乗組員の集合にはうってつけの場所であった。
我が艦の前部マストは他の艦と違い、かなりがっちりとした造りになっており、高さ十五mほどの所に各種電探のアンテナが設置されていた。
そしてその前から上甲板が一段と高くなり、他艦に比べ格段に大きな艦橋がそびえ立っていたのである。
そこで一通り巡検が終了し
「巡検、終わり!別れ!」
と敬礼をしながら号令を掛けると、当直下士官が敬礼もそこそこに駆け足で大声を出しながら
「巡検終わり!たばこ盆出せ!」
と叫んで回るのである。
駆逐艦の一日はこうして終わり俺は自室へと戻り日記をつけはじめた。




