24.再会
1話を長くまとめました
カイルとアレシアの2人は、町の中央通りを歩く。
昼時で学校があるからだろうが、子供の姿は見えない。その代わりと言っては何だが、通りの両端でおしゃべりをしている女性が多い。
「あの、これからどうするのでしょうか?」
カイルが一向に立ち止まろうとしない様子のアレシアに問いかける。彼は、そもそもアレシアには何か当てがあるのか甚だ疑問に思っていた。
「わからん」
「え?」
あまり期待してはいなかったが、一言だけで簡単に済まされてしまったため、カイルは間の抜けた声を出してしまった。
「取り敢えず、町の中心に行って、そこからひたすら聞き込みだ。それしかない」
アレシアの方は、最も堅実的なやり方でいこうと思慮していたようだ。
「はぁ……ちょっと待てよ」
些かの不安を込めた同意の返事をしたカイルだったが、ここであることに気づく。
「どうした?」
「王都に来る前、僕はこの町にいたんですよね?」
「ああ。話したとは思うが、義勇兵を集める時の応募用紙に出身が書いてあったし、3週間程前、南門から王都入りしたことが門兵に確認が取れているからな。サイロの町にいたと見て間違いない」
アレシアとしては、どうしてそんなことを聞くのか不思議に思ったが、別に隠す必要を感じなかったので、素直に答えた。
カイルにとっては、アレシアが話した内容の前半部分は既知のことであったが、後半は初耳だった。そしてこれで、彼は自らが最近まで、サイロの町にいたことはほぼ間違いないと確信した。
その事実が彼の考えを裏付ける。
「だったら、簡単じゃないですか。僕のことを知っている人がどこにいるかなんて、すぐに特定できますよ」
「どうやって?」
「学校ですよ、学校。僕自身、自分の歳は分かりませんけど、多分学校に通っている年齢だと思うんです。だから学校に行けばーー」
「……なるほど。確かにそうだな。よし、では早速行くとしよう」
アレシアは早歩きで進み始める。この時、彼女の心情は「情けない」という気持ちで塗り固められていた。
兵士として、記憶を失う前の「カイル」に劣っていたことは認めざるを得ない。だが今、目の前にいる男にさえ、自分の思考はとうてい及ばないことを彼女は感じ取ってしまった。
屈辱に満ちた心を悟られまいとアレシアは歩くスピードを上げたのだ。
「あっ、ちょっと待ってくださいよ」
カイルは、そんなこととは露知らず、アレシアを小走りで追いかけた。
2人は通りを抜けて、町の最南端に位置する学校の前にいた。人気の少なくなった校門前には、警備員と思われる男が立っている。
「すいません」
自分よりも明らかに年上のその男に、アレシアが何の躊躇もなく声をかける。そこから、カイルについての現状について話し続けた。
「事情は承知しました。まず、1階の教職員室にご案内します」
「ありがとう」
廊下を歩くと、床がミシミシと鳴る。壁には低学年が描いたのだろうか、様々な絵が飾られ、上の階からは子供達の明るい声が聞こえた。
「こちらでしばらく待っててください」
警備員が部屋に入っていく。その部屋には、「教職員室」と書かれたプーレートがドアの上に取り付けてある。
ほんのちょっと待つと、そこから先程の警備員が出てきた。
「どうぞ中へ」
そして、来客者の2人に一礼すると、警備員は行ってしまう。
カイルがドアを横滑りさせ、部屋の中を覗く。
「やあ、カイルくん。久しぶりですね」
彼の目の前には、少しぽっちゃりした体型の男性が立っていた。その男性はカイルの顔を見て、昔を偲ぶような目つきになる。
「え、えっと、その……」
「……聞いてはいましたが、やはり覚えていないのですね。……まあ、取り敢えず中に入ってください」
男性の顔に、明らかな陰りが現れる。彼の指示に従い、2人は部屋へと入った。
中では、10を超える机が2つづつ向かい合わせにして並べられており、その上には、散乱した書物や紙が山積みにされていた。
「僕のことを知っているんですか?」
「はい。少し前まで、私はあなたの担任でした」
そう、この男性はこの間までカイルの担任だったあの先生である。
「本当に……どうして? 何があったんですか?」
「その話は私からさせてもらえませんか?」
今まで存在を忘れられていたアレシアが口を挟む。その行動に対して、先生は僅かな焦燥の色も見せなかった。
「あなたは?」
「私は王都の兵士で、名をアレシアといいます。色々事情がありまして、カイルくんの護衛兼、彼の記憶を取り戻す手助けを仰せつかっています」
彼女は、さっき警備員に説明した時と同様に、先生にも概要を話した。
「そんなことがあったんですか。全く知りませんでした」
「ええ。なので彼の記憶が必要なんです」
「分かりました。ですが、私はそれほど力になれないでしょう。だから、彼の家族を紹介します」
アレシアの経歴、具体的には兵士だということを聞いても、先生は普段と変わらないように振る舞った。そこは、トットとは違うようだ。
「ありがとうございます。助かります」
「いえいえ。このくらい当然でーー」
2人が話を終えようとしていた時、教職員室のドアがスライドした。
「失礼しまーす。先生プリン、ト、を……」
明るかった少女の表情は懐かしい顔を見て、驚きで染め上げられる。
それに対し、カイルの中では徐々に記憶の修復が始まっていた。思い出す必要のない、いや、むしろ思い出すべきではないものも追憶しながら。
彼がその記憶の糸をたぐり、最後までいってしまったのなら。
果たして彼は、彼のままでいられるのだろうか?
ーーーーーーーーーー
ーー俺は何度でも……お前をーー。
ーー僕は何度でも……君をーー。
ーーーーーーーーーー
「レイナさん」
先生が少女の名前を呼ぶ。その声は彼女の耳には届いていたが、認識下にはそのようではなかった。
「カイ、ル? ……カイル! 帰ってきたのっ!?」
レイナは驚いたままであったが、その顔には明るさが戻った。
「どうしたのよ。まだ出ていってから1ヶ月も経ってないわよ」
それに対し、カイルの面様は狼狽気味である。
「なんなのよ。……あっ、わかった。たった1ヶ月で帰ってきちゃって決まり悪いんでしょう?」
そんなカイルの表情を見て、レイナは彼をからかうようなことを言う。彼女は、彼が怖気付いて帰ってきたのだと考えていた。
「寂しかったんでしょう? あんたは私がいないとやっぱりダメね」
対照的な2人の様子を隣で眺めているアレシアと先生は、目線を下げ、黙り込んでいた。
「ちょっと! なんとか言いなさいよ!」
カイルが返事をしないことに痺れを切らし、レイナは怒鳴り声を上げる。
「ひぇっ」
「……え?」
彼は、まるで女の子のような弱々しい声を出した。自ら知るカイルとは明らかに違う雰囲気の彼を見て、レイナは固まる。表情も、身体も。
「……ちょっ、ちょっとカイル。どうしたの本当に。あんた変よ」
今度はレイナの表情に狼狽の色が確認できた。だが、そんな顔をしても、「現実」は変わらない。
「ごめんなさい。……僕、あなたのこと……知りません」
ついには、カイルは自身の言葉で「現実」を語った。それを聞いたレイナのこめかみ付近には、季節に似つかわしくない冷や汗が流れる。
「な、何言ってるのよ。私よ、レイナよ!」
「ごめんなさい」
そう言って、カイルは頭をさげる。レイナはその動作を目で追った。そして、彼は再び元の位置に頭を戻し、彼女の瞳を見つめた。
「僕は……あなたを知りません」
「拒絶」というにはオーバーな表現ではあるが、彼女の精神はそれぐらいのショックを受けていた。
レイナの頭の中では、「何がどうなっているのか」より、「カイルが自分のことを覚えていない」ということの方が容量を多く占めている。
「え? ……え? え?」
「レイナさん」
パニック状態に陥りかけたレイナに、すかさず先生が声をかける。流石は教師といったところだろうか。
「せ、先生。カイルは……」
「カイルくんは、記憶を失っています」
その時の彼女の面持ちには、驚愕を中心として、様々な感情が入り乱れていた。
「お話を聞いてもらえますか?」
先生はレイナをできるだけ刺激しないように、柔らかく話しかける。
「……はい」
決して落ち着いたとは言えないながらも、ひとまず収まった感じを見て、先生はアレシアへアイコンタクトを求めた。そして、それに彼女も応じる。
先生からは、「自分から話してもいいか?」という問いであり、これはもちろん、カイルに何があったのかについてである。そのことに対して、彼女は了解の意を返したのだった。
レイナは先生の話を静かに聞きながら、時折カイルの方を横目で覗いていた。
「だから、カイルくんと一緒に帰って、家族の皆と今までのことを話してあげてほしい」
「……分かり、ました。カイルは、……カイルは、必ず元に戻してみせます」
彼女の形相には、怒りにも似た覚悟が現れていた。なぜそんな顔になったのか。その表情を正確に理解できた者は、この場にはいない。
「ええ。きっと、彼は戻ってきます」
レイナを後押しするように、先生は笑顔を浮かべた。それは、教師が生徒に対して見せる都合のいい作り笑いなどではなかった。
「今日は早退して構いませんよ」
「はい。話を聞いてからは、そのつもりでした」
レイナは荷物を取りに行くため、一旦、教職員室を後にしようと、ドアを閉めかける。
「あっ、アレシアさん? も一緒に来てもらえますか? まだ色々とお話を聞きたいですし」
「分かりました」
アレシアの返事を聞いて、今度こそレイナはドアを閉めた。
その後のことは、予想通りであった。
まず、家に帰ってレイナの母さんが泣き崩れ、父さんが帰って来てからは詳しい事情をアレシアから聞いていた。
隣のカイル自身の家に行って、中を歩き回っても、彼の記憶が戻ることはなかった。
気がつけば外は暗くなり、満月が空に浮かんでいる。
「では、私はこれで」
「ちょっとどこに行かれるのですか?」
これはアレシアと母さんの会話である。
「いえ、あまり遅くまでお邪魔するわけにもいきませんので、私は宿を取ろうと思います」
「ダメですよ、そんなの。この町にいる間は是非家に泊まってください。ねえ、いいわよねあなた?」
「ああ、もちろん」
アレシアは、自身の境遇によって、人から家に泊まるよう勧められることが初めてであり、少々戸惑っている。
3年前までは、自分でもこんなところで、こんなことをしているとは思ってもみなかったことだろう。
「そうですよ。泊まっていってください」
「わ、分かりました。有り難く、ご厚意に甘えさせていただきます」
相談の結果、母さんと父さんはいつも通り2人の寝室。レイナの部屋をレイナとアレシア。客人用の部屋をカイルが使うことになった。
隣のカイル宅を使おうとすると、レイナが猛反対した。彼のことが心配で、できるだけ近くにいたかったのだろう。彼女は、アレシアのように訓練された兵士ではなく、普通の女の子なのだ。不安を隠すことはできない。
夜も更け、町の人々も皆寝静まった頃。カイルは家を出た。
彼がサイロの町に来て、初めて感じたのは恐怖であった。それも本当に恐ろしい類の恐怖ではなく、少し好奇心を揺さぶられる、危ないものに触りたいような恐怖である。
カイルは、それを強く感じる方へと歩いて行く。
その後ろをアレシアはなるべく気配を消しながら追っていた。
次回「25.覚醒と消失」




