23.何回も
1話を長くまとめました
「将軍、ダメです! 統率が取れません!」
「静まれっ! 静まってくれぇぇ!」
近衛兵たちが軍をまとめようとするものの、兵士たちは完全に我を失っている。
少しは冷静そうに見える近衛兵たちではあるが、それは外面的なものに過ぎない。彼らも同じ人間だ。怖いものは怖い。
「ええいっ! 退くなっー!」
ジョイル自身、怯まなかったといえば嘘になる。だが、彼の心を支えていたのは、王都にいる国民たちを守るという義務感であった。
彼の一族は、代々兵士の家系だった。彼の父親も、祖父も、その前も。全員が全員近衛兵だということはなかったが、皆、王都のために命を懸けていたのだ。
その歴史の存在は、ジョイルから「逃げる」という選択肢を消した。
「退けば、民たちを巻き込むことになるのだぞっ!」
しかし、彼の思いとは裏腹に、彼の乗る馬は暴れ、方向転換し、一目散に逃げ始める。
「こらっ! 大人しくしろっ!」
馬の手綱を操作し、再び方向を変えようとするが、もちろん馬は言うことを聞かない。
これは、動物の方が人間より恐怖に対しての感覚が鋭いため、畏怖の対象に激しく反応してしまったのである。
そして馬の聴覚は、人間とは比べ物にならないほど敏感なのだ。そんな中、兵士たちが騒ぎ立てたことにより、馬にとっては何倍も恐ろしく感じたことだろう。
「くそっ! もういい!」
ジョイルは馬を捨てて、地面に降り立つ。息を吸い、勢いのまま怒鳴った。
「戦えっ! 戦うのだっー!」
先程よりも大きな声が空気を振動させる。彼は、不安定な馬上から安定した地面に立ったことにより、腹の底から声を出すことができていた。
その大声に、兵士たちも動きを止めたように見える。だが、本質的にはそれが原因ではなかったのだ。
「声が……聞こえる」
誰かがそう囁いた。
ーー仕方ないな。
それは、幼い少年のような声だった。
ーー今回は一体、何回目なんだろう?
「どこからだ? どこから聞こえる?」
ーーもう数が多すぎて、忘れちゃったよ。
その声は悲しげだった。
ーー本当は、あまり気がすすまないんだけど。
「何だ、この声?」
ーーこうしないと、いつまで経っても……終わらないから。
そこで、その声は途絶えた。
軍が謎の声に気を取られているうちに、既に目と鼻の先まで、「悪魔」たちは迫ってきている。
「あぁぁっ! やばいっ!」
「もうダメだっ!」
その声に間髪入れず、突如として、突風が軍と「悪魔」たちを襲った。そのあまりの激しさは、各々の目を強制的に閉じさせた。
風が止み、目を開けた彼らの前には、先程まで襲来してきていた異形の者たちがおらず、それどころか、木々やそこにいたはずの生物などが一切消えていたのだ。
大地から何もなくなり、まさにのっぺらぼう状態であった。
「……え?」
「な、何が起こったんだ?」
言葉を失った彼らの耳に、再びあの声が聞こえる。
ーーはぁ。……本当に辛いよ。
ーー今回こそ、全てが終わるといいなぁ。
それっきり、声はしなくなった。
「だ、大丈夫か? 皆の者、しっかり生きているか?」
ジョイルがバラバラになった軍全体に問いかける。
それに応える者はいない。なぜなら、隊ごとに並ばないと生存確認ができないからだ。
そして、そのことはジョイルも理解していた。
「よ、よし。まずは隊列を整えろ!」
彼の指示に従った軍は、隊長たちの報告により、軽傷者はややいるものの、1人も犠牲者が出ていないことが分かった。
その行動中は、皆、周りにいるもの同士で話し合っていた。
「気になるとは思うが、分からないことをどうこう考えても仕方がない。
今は、目的地を目指すぞ!」
何もなくなった広大な大地を進む。といっても、左右の遠くには森が見え、進行方向の先、つまり、遠方の目的地の方には、岩が転がっているのが目視できる。
岩場が近づきていた。
見えるのは、赤、赤、赤。
ジョイルはそれが血であると気づくのに、少しの時間もかからなかった。
「なっ、何なんだこれは!?」
その中心には、彼、そして、彼らにとっての恩人が横たわっていた。
首の繋がった状態で。
その隣には、1本の片手剣が鞘に納められた状態で転がっていた。
さっきの混乱によってはぐれたアレシアが彼に近寄ってきた。
「将軍。私にあの本を渡したのはこの男です。ですが、これは、この血は一体?」
ジョイルが思考を巡らせようとした時。
「将軍っーー!」
1人の近衛兵が慌てて駆け寄ってくる。その者は、部屋であの本を共に読んだ内の1人だった。
「何だ?」
「向こうにゲートがっ! ゲートがありました!」
「本当かっ!?」
ジョイルは救護班にカイルを任せ、その近衛兵についていった。
「ここです」
そこには、カイルが倒れていた場所と同じく、血痕が残されている。
「ゲートは……光っていない」
「そう……ですね」
「はい」
3人は呟いた。
目線の先にあるのは、自身が読んだあの本通りの光景だった。この世の絶望を凝縮したような、忌まわしいものである。
彼らは、その光景を目の前にし、絶句していた。様々なことが脳内で交錯する。
そして、少しの沈黙。
「さっきの奴らは、そういうことなのだろうな」
「あれがこのゲートから召喚された……」
「……異形の者たち」
自らの体験した恐怖に怯えながらも、それが去ったことに対する安堵。これが今の3人、いや、軍全体の気持ちだった。
「……帰還しよう。我々がどうこうできる問題ではない」
「そうですね」
「何隊か残しますか?」
近衛兵の提案に、ジョイルは首を横に振った。
「いや、全員で帰ろう。皆、憔悴しきっていることだしな。
それに、また奴らが出てきたら、王都の兵全てでも対抗できないだろう。だから、残したとしても無駄死にするだけだ」
「分かりました。では、準備をさせてきます」
その近衛兵は元の場所まで戻っていった。
「どう思う?」
「分かりません。ですが、あの聞こえてきた声は関係あるかと」
「そうだな」
「それに彼に聞けば、何か分かるかもしれません」
「そうだな」
この時、ジョイルは、表面上は普段通りではあったが、内面はかなりホッとしていた。軍の命が亡くならなかったことに、誰よりも胸を撫で下ろしていたのだ。
その後、軍は王都へと帰っていった。
眠り続けるカイルを連れて。
ーーーーーーーーーー
「ただいま戻りました」
ヘスが他の5人に帰還を報告した。
「おかえり〜」
「おかえりなさい」
「ご苦労だな」
「よくやったのう」
ヘル以外の4人が出迎いの言葉をかける。
「何とかなった?」
「うん。なったよ〜」
「でも……」
「少し問題が出てきたのだ」
「だが、それも何とかなるじゃろう」
「そうですね」
「そうだね」
「多分ね〜」
「ええ」
「うむ」
「まあ、気長に待つとしようぞ」
彼らは、いつも通り話し続ける。
ーーーーーーーーーー
眩しいっ!
目を開けると、そこには見知らぬ天井。窓から熱い風と共に街の喧騒が入ってくる。
彼はその騒ぎに何処と無く安心感を覚えた。だがしかし、今の彼にとってはそれよりも優先することがあった。
どこだ? ここは?
彼は体を起こし、四方を見渡して、自身が個室にいることを理解した。白塗りの壁に白塗りの床。さらに自分の足元を見る。彼は、どうやら真っ白なベットの上で寝ていたようだ。
何がどうなってるんだ?
自らで頭の中の記憶を探っている時に、彼から見て左に位置するドアがノックされる。
「失礼するぞ」
「ガチャリ」という金属音がした後、そこから大男、長身の女性の順に、人が姿を現した。
「おお、ちょうど良かった。目が覚めたのだな」
始めに入ってきた大柄の男が満足げ、そしてホッとした様子で言った。
「はい、良かったです」
続くのは、この場に1人しかいない女性。
「体には、特に怪我などなかったが大丈夫か?」
「え、ええ」
男の渋く、そして馴れ馴れしい声に、彼はたじろいだ。
「そうか。……まあ、その。
……病人には悪いんだが、……話を聞かせてくれないか?」
彼には男の言う「話」が何のことか分からなかった。それどころかむしろ、分かることの方が少ない。
「え、えっと。……その前に質問いいですか?」
男は無言で続きを促す。
「あなたは……誰なんでしょうか?」
この部屋にいる彼以外の2人は、その言葉が冗談だと思いたかった。
彼はその後、2人から自身についてのことを色々語られた。大ぶりの男、ジョイルと背丈の長い女性、アレシアの2人である。
「そう、ですか。僕の名前は『カイル』、というのですか」
「何か思い出したか?」
「いいえ。何も」
外の人たちの声がより一層、部屋の静けさを際立たせる。
「解決策としては、1度家族の元へ連れて行ってみてはどうでしょうか?」
「それはいいが、どうやって見つける?」
アレシアの提案に対するジョイルの返答は当然のものである。
「例のモンスター討伐時、義勇兵を募るための試合を行いましたが、その時の応募用紙に出身を書く項目があったはずです。それを見て、その地に赴き、手当たり次第に探せば何とかなると思います」
「なるほど。分かった」
彼は、アレシアがそのまで考えてのことだとは思っていなかった。ジョイルは心の中で彼女の評価を改める。
「それで、誰が付き添うかですが……」
「何を言っている。お前しかいないだろう」
「え?」
アレシアはジョイルの意図を把握することができなかった。
「モンスター討伐から続く一連の件に関して、この男は王都の恩人であり、重要参考人だ」
「はい。そうですが」
「となれば、我々、王都の兵士が面倒を見るのは必然。その中でもこの男に最も近しい人間は、おそらく俺とお前だろう」
「そうですね。多分」
「だが、王がいなくなった今、俺は王都を離れるわけにはいかん。王子の護衛もあるしな。よって、選択肢はお前しかなくなる」
「……分かりました」
ここまで来て、彼女はなぜ自分に白羽の矢が立ったのかを理解する。そして同時に、このぐらいのことに考えが及ばなかったことで、自分自身に苛立ちを覚えた。
ジョイルはアレシアを評価したが、アレシアは自らを酷評しているのである。
「うむ。では、頼むぞ。お前だってこの件の真相を知りたいだろう?」
「もちろんです」
「であれば、この男に記憶を取り戻してもらうしかあるまい」
「おっしゃる通りです」
「さすれば、早速明日の朝にでも出発してくれ」
「了解しました」
カイルは、その2人の会話を隣でただ聞き流しているだけであった。
翌日の朝
カイルはアレシアと共に南門の前にいた。早朝、応募用紙に記入してあったカイルが泊まっている宿に寄り、荷物を受け取って、城下町の皆がまだ寝静まっている路地を通ってきたのだ。
「よし、行くとするか」
この声は、言うまでもなくアレシアのものである。彼女の服装は、鎧でもなく、王都の兵士の正装でもない。全く普通の一般人用のものであった。
「はい」
と、カイル。各々の腰には、それぞれの剣が差してある。
2人の間には気まずい空気が流れていた。しかし、それも仕方のないことだろう。
アレシアにとっては、先日の試合で負かされた相手。さらには、王都の兵士でないのにもかかわらず、モンスター討伐での活躍、王失踪事件においては誰よりも早く動き、事件の真相を唯一知り得るであろう人物だからだ。
一方、今のカイルにとっては、見ず知らずの他人である。しかも聞けば、兵士であるという。恐れない方がおかしい。
互いに妙な距離感のまま、2人は王都から南へと進んでいった。
王都を出てから2日後の朝 ナクの村
「少しここで休憩していこう」
「はい」
相変わらずぎこちない雰囲気の2人は、王都とサイロの町の中間地点であるナクの村に着いた。
ということは、無論彼もいる。
「いらっしゃい、旅のお方。……ってカイルじゃねぇか!」
トットはカイルの姿を一瞥して、嬉しそうに笑った。
「え、えっと。……僕を知っているんですか?」
一方、カイルは困惑気味の表情を浮かべる。彼はトットのことも忘れているらしい。
「え? 何言ってーー」
「失礼します」
収集がつかなさそうな男同士の会話に、アレシアが乱入してきた。
「あんたは?」
「私は王都の兵士、アレシアというものです」
「兵士? 女の兵士なんて珍しいな。
で? その兵士さんがこんな小さな村に一体何のようだ?」
トットの口調は少し強いものになっていた。しかし、彼にはアレシアに思うところはない。生まれて初めて会う兵士に、どう接していいか分からないだけだったのだ。
アレシアはその様子を気にすることなく、会話を続ける。
「この男は我々王都にとって恩人なのですが、色々事情があり、記憶を失ってしまっているのです」
「なっ! 本当かっ!?」
トットにとっては、まさにびっくり仰天の言葉であった。そして、その表情も同様である。
「はい、事実です。なので、この男の故郷であるサイロへ行けば、何か思い出すかもしれないと考えています」
「そう、だったのか」
彼は目に見えて、その顔に影を落とした。
「どうやらあなたは、この男を知っているようですね。迷惑でなければ、その時のことを話してもらえませんか?」
「ああ、それくらいならいいけど……」
トットは自らの家へ2人を招き、当時のことを話した。
「どうだ? 何か思い出したか?」
「い、いえ。特に何も……」
トットの心の中には、友達の役に立てなかったことに対する無念さが渦巻いている。
「ただ」
「何だ?」
「この家、なぜか懐かしさを感じます」
「そうか、なら良かったよ」
笑顔を向けてくる友に、彼は涙ぐんだ顔つきで応える。
「また、記憶戻して必ず会いに来いよ」
「はい。その時は必ず」
2人の別れに、この前のようなグーサインはなかった。
ナクの村から2日後の昼
カイルとアレシアはサイロの町に着いた。
この時、彼の心は懐かしさと共に、どういう訳か、言い知れない恐ろしさを覚えていた。
次回「24.再会」