2.始原
1話を長くまとめました
私は思い出す
私は……
そう私は……
人間が……
憎かったはずなのに……
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大陸歴3015年
暗闇の中をモニターから発する光がぼんやりと照らす。部屋の中では、キーボードを叩く指の音がして、それに紛れて聞こえてくるのは数人の話し声。
機械からの僅かな明かりを頼りに部屋を見渡すと、いくつかの人影が目視できる。
「できました。カナトさん」
キーボードを操作している人影が明るく弾んだ声を発する。
その髪は肩にかかるくらいの少し長めのボブカットで、小柄な体型をしていた。女性のようだ。
「よくやった。ワタハ。
よし、皆ゲートから離れてくれ」
落ち着きのある低い声が返し、それに加えて指示を飛ばす。
その声の主である人影は、部屋の隅で全体を見渡していた。背丈が高く、骨格がしっかりしていて、眼鏡をかけていることがわかる。男性だろうか。
彼の指示に従って部屋の中央いる2つの人影がそこから離れていき、その間から優しい光が差し込んできた。
光の中心である部屋の中央の床には、魔法陣の様なものが描かれていている。それを構成する1本1本の線が微かに青白く光り、部屋中を照らし出した。
乱暴に置かれたテーブル。その上には研究の資料だろうか、多数の紙が散乱しているが、誰もそれを気に留めようとはしない。
魔法陣を取り囲むように並べられた複数の機械。2つの人影はその外側まで出てきていた。
さらにその光は、人影の姿をあらわにする。
4つの人影。いや、人間は、皆同じ白衣を着ていた。その全ての視線は魔法陣に固定されていてる。
2人の内、片方はワタハに倣い、機械の前に。もう片方はモニターを眺めながら、そこに映し出された数値を紙に書き留め始めた。
その行動からして、そこにある魔法陣を研究している学者だと推測できる。
部屋の隅には外への出口だと思われるスライド式のドア。壁の一面は本棚で敷き詰められ、そこに多量の本が置かれていた。
「では、開いてくれ」
「わかりました」
カナトの指示により、ワタハが機械を操作し始め、新しく機械の前に立った2人もそれに続く。
キーボードで無数の数字を打ち込むことによって、モニターに映るグラフのゲージが増大していく。それに伴い、魔法陣も強い光を放ち始めた。
「ゲートの起動は通常通りだと思われます」
「ありがとう。そのまま続けてくれ」
「了解しました」
ワタハの指が再びキーボードの上を軽やかに動く。
それによって、いっそうグラフのゲージが増え、魔法陣の輝きが強くなり、部屋全体が光に包まれる、はずだった。
「いよいよですね」
「ああ。これでまた新しい世界が」
しかし、問題はここで起こった。
突如部屋中に、耳障りでけたたましいサイレン音が鳴り響く。
「何だ? どうした?」
「どうやら機械が危険を察知したようです」
ワタハが困惑した表情を浮かべる。いかにも異常事態であるような様子だ。
「皆さん! あれを!」
カナトとワタハを除く2人、その内の1人である男性の学者が指差し、他の全員がその鬼気迫った顔を見た後、指の先を追った。
「なっ、何だあれは?」
カナトは驚きを隠せず、思わず声に出してしまう。彼は、自分で理解できないことを前に呆然としていた。
皆の視線の先にあるのは、先程まで青白く輝いていた魔法陣が今は一転して、その色を赤に変えている光景であった。
「カナトさんっ! まずいです! こちらに来てください」
ワタハが急かすようにカナトを呼びつけた。
彼女もまた、目の前の出来事に対して、何もできずにいたのだが、目の端に映ったモニターを見て、この場にいる他の誰よりも早く立ち直った。いや、正確には立ち直ったのではないが。
「どうした?」
「これを見てください」
カナトは機械へと駆け寄り、そのモニターを覗く。モニターには「Error」の文字がでかでかと映し出されている。そのことがワタハに影響を与えたのだ。
もちろんカナトにも動揺が走ったが、それよりも彼が気になったことは別にあった。
「これは、どういうことだ? 予定していた場所の座標数値ではないじゃないか。まさか勝手に操作したのか?」
カナトは異常事態が起こったことにより、表面上は冷静さを失っていて、責めような口調になっているように見える。ところがそんな状態でも、頭は冷静に働き、容易く不審点を発見した。
「い、いえ。私も少し目を離しただけなんですが、気がついたら……」
ワタハは自分には非がないことを主張した。実際、彼女は座標をいじっていないからだ。
「なら、どうして……」
カナトはモニターを眺めながら、頭の中で原因を必死に探る。
しかし、その思考を遮るかのように彼の名が呼ばれた。
「カナトさんっ!」
「何だ? 今はそれどころじゃ、なっ……」
彼は声を発した人物を横目で見て、煩わしさを隠せずに怒鳴ろうとしたが、その言葉は最後まで続かなかった。目の前の現状により、苛立ちから驚きへと感情が切り替わったためである。
自らの言葉を止める代わりに、カナトは自分でも自身の顔から血の気が引いていくのがわかった。
彼の視界に映ったものは、どす黒く、そして、ドロドロとした流動物が赤い魔法陣から這い出てきているところだった。
「何だ、あれは?」
その問いに対する返答はない。カナト自身も分かってはいたが、口にせずにはいられなかった。
その何かが周りの機械にへばりついていく。それはまるで、鉄を飲み込む磁性流体のようだった。
「そっ、そんなっ!」
ワタハがモニターを見て、驚嘆の表情を顕在化させた。その声を聞いて、カナトは視線をモニターに戻す。
「今度は何だっ!?」
「メインシステムが乗っ取られましたっ!」
「なんだとっ! 外への出口のロックはっ!」
彼は振り向き、出口の方を見た。そこには普段と変わらぬそれがある。
「はい……全てロックされました」
「そんな……」
その異物は物理的だけではなく、システム的に機械を侵食していた。
ワタハによる背後からの無慈悲な声は、カナトに新しい言葉を続けさせなかった。
4人の学者たちの間には沈黙が続くが、サイレンの警戒音は止まらない。
誰もが突然襲いかかってきた死の恐怖に対して、ただただ立ち尽くすことしかできずにいる。
カナトは、自分達はこれからこの異物に飲み込まれるのだと生物本能的に理解した。
誰も何も喋らないまま、その禍々しい流動物は部屋の半分くらいを侵食し終える。だが、それはなお魔法陣から絶え間なく溢れてきていた。
それによって、学者たちは後ずさることを余儀なくされる。
そんな状況の中、カナトは腹をくくった。決して、やけを起こしたのではない。
「……。くそっ!」
沈黙を破り、彼は部屋の隅へと駆けていく。
そして、いつからいたのだろうか。そこですやすやと寝息をたてて眠っている1人の子供を抱きかかえた。
その子は白の毛布で包まれており、事態を理解していない様子だ。毛布の隙間から笑みを浮かべた寝顔を覗かせている。
「せめてーーだけでも」
「何をする気ですかっ!」
カナトの行動に何かを感じ取ったのか、ワタハが声を荒げる。
その質問を耳に置きながら、彼は自らの目線を今いる部屋の端とは対角線上の方向に向けた。
そこには中央のものよりも一回り小さい魔法陣が輝いている。その色は青白い。
そして、目線をワタハに向けた。
「ーーをランダムゲートで飛ばす」
そう口にした彼の目には、覚悟の炎が揺らめいていた。
ワタハの問いに対するカナトの答えは彼女が予期していた通りのものだった。
「なっ! 正気ですかっ? そんなことしたらーー」
「わかったわ」
突如、透き通った声が彼女の声を遮り、その意見に同意した。
「っ! レイスさんっ!」
レイスという名のその女性は、黒髪が艶やかで長く、その目鼻立ちはくっきりしている。身長は少し小柄で、優しそうな雰囲気を醸し出し、この場には似合わない美しさを持っていた。
「ランダムゲートは大人が通るには小さいけれど、ーーだけならなんとか」
「何言ってるんですかっ! わかってるんですかっ? そんなことしたらあなたたちの子供が1人で、全く知らない場所に放り出されることになるんですよっ!」
ワタハは2人の言い分に猛反対した。それも当然だと言える。これでは自らの子供を何もない砂漠のど真ん中に捨てるようなものだ。
もちろん、もう1人の男の学者もそれに続いた。
「僕も反対です。いくらなんでも危険すぎーー」
「それでもっ!」
彼が言い終わる前に、レイスが声を張り上げた。いつもなら怒鳴ったりすることなどない彼女の大声に、その場の空気が押し黙る。それだけ現場が緊張しているということだ。
レイスは先程の優しそうな様子とは異なり、悔しそうに強く目を閉じながら、絞り出すように声を吐き出した。
「……それでも、このままならーーも、私たちもどうなるかわからないわ。それなら、ーー1人だけでもどこか別の世界で」
誰も反論することができなかった。なぜなら皆、言っている本人が一番辛いと分かっていたし、それぞれが自分たちの命の終わりを感じていたからだ。
再び部屋にはサイレンの音しか聞こえなくなった。
そして、カナトが小さい声で語り出す。
「……もしかしたら、飛ばされた先が人がいない場所や危険な場所かもしれない。でももし人がいて、その人がこの子を、ーーを拾ってくれたのなら……。
可能性は低いだろう。だけど、少しでもあるのなら俺はその可能性にかけたい。ーーには生きて欲しいんだ」
「私も、そう信じたい。ーーには未来を生きて欲しい」
カナトの言葉にレイスが力強く同調した。
2人は顔見合わせ、お互いに力強く頷く。その表情には確かな決意が表れていた。
「ですが……」
ワタハはまだ納得できない様子だ。
それもそのはずだ。ワタハを含め、ここにいる4人は普段からその子供を可愛がり、大切に育ててきたのだから。
実際に両親ではない2人にも親に似た感情が芽生えていた。
自分の、いや、自分たちの子供をそんな賭けみたいなことに巻き込みたいと思うはずがない。
だが、それぞれに残された命の時計の針は1秒ずつ死へと向かっていく。
各々(おのおの)がそれを理解していた。
だから、
「……わかりました。やりましょう」
反対していた男の学者が意見を変える。その子供を信じて。
「正気ですかっ?」
「ああ、両親がこう言ってるんだ。それにこのままだとどうなるか、お前にもだいたいわかってるんじゃないのか。
だったら一か八かーー君だけでも」
「それは……」
ワタハはその学者の指摘に口ごもってしまった。
そんなことは頭では分かっている。しかし、感情が納得できないのだ。
ワタハを除く3人の視線が彼女へと集まる。
「はぁ、わかりましたよ。これじゃあ私が子供みたいじゃないですか。どうなっても知りませんよ。
まあ、ーー君ならきっと大丈夫でしょう」
呆れ顔で渋々納得した様子のワタハを見て、他の3人は苦笑した。
「では私たちは、辛うじて残っているシステムでランダムゲートを起動します。御2人はーー君の側に付いていてあげてください」
ワタハがそう言って、カナト、レイス、つまり、子供の両親を除いた学者2人は、まだ侵食されずに残っている機械を操作し始めた。
誰も言葉にしてそうしようとしたのではなかったが、これは彼女らの「最後だから親子水入らずにしてあげよう」という気持ちの表れである。
そして、その気持ちは2人にも伝わっていた。
「あなた、最後になるかもしれないから」
「ああ」
2人は子供に最後の声をかけ始める。
「ーー、好き嫌いせずにたくさん食べて大きくなるのよ。勉強も出来るだけ頑張りなさい」
「病気にならないように健康にも気をつけるんだよ。それと、体も鍛えて強い男になるんだぞ」
その声が届いたのか。子供が目を開ける。
そして、
「……パ、パ……。……マ、マ……」
両親が毎日教え続けて、一昨日に初めて言った言葉を口にする。
2人にとって、一昨日聞いた時はあんなにも嬉しかった言葉が今は胸が張り裂けるぐらいに辛かった。
レイスは嗚咽を漏らし、顔はぐしゃぐしゃになり、泣き崩れている。
カナトは泣いてはいなかったが、その瞳は明らかに潤んでいた。彼の心は悲しいというより、父親として家族を守れないのが悔しいという気持ちの方が強かったからだ。
「本当はもっと一緒にいたい。ーーが大きくなっていく姿をずっと見ていたい」
レイスの涙が頬を止め処なく流れ伝い、雫となって床へ落ちていく。そこには涙の水溜りができていた。
「カナトさんっ! もう限界です! システムが全て乗っ取られます! 早くっ!」
ワタハが手を動かしつつ、2人を急かす。
「レイス、もう時間が。大丈夫さ。この子にはなんたって……」
カナトがレイスに優しく語りかける。
「ええ、わかってるわ……。親として何もしてあげられてないけれど、愛してるわーー」
そして、その子供はカナトからレイスへと渡され、部屋の端の魔法陣へと、運ばれた。
子供は相も変わらず笑っている。
「では、転送します」
ワタハたちが機械を操作している間に、その異物が4人の体を這い上ってきている。だが、誰も一言も声を発しない。
2人の学者たちは機械を操作する手を全力で動かす。子供の両親である2人はそれが子供に届かないように、その魔法陣周辺を必死で守っていた。
「いきます……」
ワタハは力の無い声でそう言うと共に、キーボードの最後のキーを押す。
すると、魔法陣は青白く光り、部屋全体をさらに明るく照らした。
「必ず生き残って」
レイスの最後の言葉が宙に消える。
部屋が光に包まれ何も見えなくなった。
光が止んだ後には、誰の姿もなく、床全体は真っ黒でドロドロになっている。そこには、謎の異物が部屋中を侵食していく光景だけが残っていた。
学者たちの最後の表情は、子供を逃せたことに対するやり遂げた満足だったのか、はたまた、これからの自分たちに対する絶望だったのか。
その1人の子供には何1つ分かるはずもなかった。
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次回「3.ライラス」




