ホワイトナイト
カランカラン。
ドアを開けると、乾いた独特の音が鳴った。あまり広くない店内に足を踏み入れてすぐ、奥のテーブル席でスマホを手にした川崎くんが目に入る。
〈ホワイトナイト〉の内装は、その外観同様シックな、想像どおり落ち着いた雰囲気の、むかしながらの喫茶店といった感じだった。「つづきは明日話すから」と、午後の時間と一緒に指定された場所がここだった。
「ここ、はじめてだよ」
あたしが向かいに座ると、前日とほとんど色しか違わないTシャツ&ジーンズ姿の川崎くんが、ボサボサの頭を上げた。二重瞼を眠たそうにしょぼしょぼさせながら、
「じゃ、珈琲だな」
とつぶやき、「エスプレッソふたつ」と大声でマスターに、あたしの飲み物まで勝手に注文した。
「で、本題」
ゆらゆら白い湯気を立てる、黒々とした液体の入ったカップを目の前に、あぜんとするあたしにかまわず川崎くんは喋りはじめる。
「あの絵の意味がわかるの?」
あたしのなかでは、夢の情景を描いたんだろう、で終わっているのだけど、しょうがないので話を聞いた。
「ああ。あの雪の絵がほんとに夏に描かれたものだとしたら、考えられるのは佐藤、おまえの誕生日のほうが間違ってるって可能性だ」
「えっ」
「ほんとは八月じゃなくて、冬生まれじゃないか。事情があっておそらく、出生届が遅れたんだとしたら」
「えーっ。でも夏雪って名前が」
「それが思いこみになったんだよ。で、名前の由来が季節じゃないとすると、いちばんありそうなのは生まれた場所の地名だろ」
「あっ、なるほど」
「だけどネットで検索しても出なかった。夏雪って地名はどこにもない。ってことはやっぱり、夏に雪が降ったんだ」
「あたしの生まれた日に、リアルに降ったってこと?」
「ああ。生まれた日だけじゃない、一歳の誕生日にも降ったってこと」
「えーっ。でもそんな場所、ある?」
「ある」
「あっ、北海道」
「違う。北海道なら夏場に雪が降ることがあっても、あんなに積もるまでは降らない。積雪するとしたら、山だ」
「山?」
「たとえば、富士山なら夏場に雪が降ってもめずらしくない」
「あっ、そっか。じゃなになに、あたしは富士山で生まれたってこと?」
「っつうのもないな。山麓じゃ夏に雪は積もらない、せいぜい山頂にしか。といってほかの高山でも、ふつう山小屋で出産ってのがそもそもありえない。それほど標高の高い街もないしな、日本には」
「だよね。って待って。日本にはってまさか、外国? 海外であたしは生まれたってこと?」
「しか、ありえないだろ。しかも夏場に積雪となると、標高の高い国や季節が逆転した南半球の国でも難しい」
「じゃ、どこ?」
「北極」
「えーっ!?」
「正確にいうと北極圏、だな」
「な、南極じゃなくて?」
「ああ。だって例の手紙に『いま夜は明るい』とか『広い海の上』に行ったってあったろ。南極は大陸だし、北極はその時期ずっと一晩中日の沈まない白夜になる」
「びゃくや?」
「英語でホワイトナイト。ちなみにこの店の名前の由来もそっからきてる。で、お礼なんだけど」
知らなかった。勘違いしていた、いろいろ。
「ここ、おごりな」
「ちょ、ちょっと」
「じゃ、またな」
「まだ説明が途中じゃん!」
「あとは自分で考えな」
そう言い残し川崎くんは急に立ち去った。
ぼうぜんとあたしは着席したまま、無意識に冷めた珈琲を手に取っていた。
にがかった。