変わった名前、変わった場所
太陽がオーラを放つ。まるで、どこかの王国のエンブレムみたいなデザイン。
〈ホワイトナイト〉
白馬の王子様、かな。
看板の名前に反して外観は全体的にシック。駅近の商店街から少し外れた路地裏みたいな場所にあって、家の近所ではあるけど最近まで見過ごして存在に気づかなかった。外装の劣化具合や出入りする客層からして、ずいぶん古くからある常連なじみの店って感じがする。
「あれ、佐藤?」
友達と駅前のファストフード店でお昼した帰り、ひとりで歩いていたら〈ホワイトナイト〉から出てきた男の子とばったり鉢合わせした。
「あっ、田中く……えっと、川崎くん。こんなとこで、どうしたの?」
「どうしたのって、喫茶店でお茶にきまってんじゃん」
ノンブランドTシャツとブルージーンズの、ラフな私服姿のクラスメートだった。あまり喋ったことはないけど、たしかケータイ番号やメルアドは交換していたはず。
「つっても、飲んだのはお茶じゃなくて珈琲だけど。あ、あと、田中でも川崎でも、べつにどっちでもいいよ」
なんでもないように彼は言うと、真っ白な歯を見せて笑った。
彼は梅雨が明けた頃に突然、苗字が変わった。田中から川崎姓へ。以前から仲違いしていた親が、長い協議の末とうとう離婚したらしい。本人にとってはべつに突然でも意外でもなかったようだった。あたしと同じで、母親に引き取られたそうだ。いちおう先生が簡単に事情説明したものの、それ以上詳しいことは聞いてない。
「ごめん。そういや、あたしも四年前まで苗字が澤村だったから、しばらく佐藤って呼んでもらえなかったなー」
「へえ。まあ、そうだろうな。だけど佐藤は、いまでも下の名前でからかわれること多いんじゃないの?」
まただ。
「まー、そうかな」
「夏……雪でナツキ、だっけ?」
「そう、だけど。川崎くんもやっぱヘンだと思う?」
名前を言い間違えた動揺がまだ残っていたのか、つい自分から余計な発言をしてしまった。
「べつに」
でも川崎くんは素っ気なく返答した。それから二重の大きな目をそらすとぼそり、
「不思議、だよな」
そう聞こえた気がした。
──その日の夜。
母は離婚して以来、スーパーに働きに出ていて夜の九時まで帰ってこない。あたしは晩御飯を母が作りおきしておいてくれたものか、なければ自分で調理して食べる。その晩も、冷蔵庫に残っていた食材を使ってチャレンジした自作のクリームパスタですましたあと、ひとり部屋で過ごしていた。
さて、と。いまから何をしようか。
よし、ゲームをしよう。それも、ひとむかし前のテレビゲームを。
思いたったあたしは、いまやすっかり物置化したもと父親の部屋に行って押し入れをあさった。わりと整理整頓されていたので、すぐに目的のゲーム機を発見する。でも想定したより重くて、本体をしまった段ボールごと取り出すのに手を滑らせてしまった。あげく、ほかのなんやらかんやら全部なかのものを崩してしまった。
ごちゃごちゃになった荷物を片付けようとしたとき、偶然それが目にとまった。
紙片が一枚、床に落ちている。あたしのだったっぽい小さなこども服と一緒に、衣装ケースにしまわれていたものが飛び出したらしい。B4くらいのその紙を拾ってみると、雪景色が紙面いっぱいに黒鉛筆で描かれ、その余白に丸みのある文字で書きこみがしてあった。
『こっちの夏はけっこう快適だよ、姉さん。いま夜は明るいし、肉も焼かなくても美味しいし。こないだなんか広い海の上で、念願だったブルーハワイのかき氷を自分で作って食べたもんね。持参したシロップとストローで。ね、いいでしょう。ちょっと寒くて全部は食べられなかったけど、残りはダンナが平らげてくれました。』
なぜか途中の便箋一枚しかないけど、どうやら亡くなった叔母がむかし母に宛てた手紙のようだ。
その下敷きになって、ポラロイド写真も出てきた。色褪せたそのカラー写真には、雪の積もった山が一部分覗く小窓を背景に、狭い一室で赤ん坊を胸に抱く女性と、そのそばに男性が写っている。
お母さん?
赤ちゃんに微笑みかける、白いダッフルコートに身を包んだその女性の優しそうな横顔は、母の若い頃にそっくりだった。いや、書きこみの文面からすると、もしかして……。
写真をひっくり返すと裏側にメモ書きがあり、そこには簡単に、さっきの便箋と同じ筆跡でこう書かれてあった。
『夏雪のはじめてのバースデイに、家族三人で。』