三
部屋の中にいたのは大きな髭面の男で、一見熊っぽく見えます。
鉄で出来た胸当てと膝当てを着て、腰には一本の質素な剣を差し、脇には私の身長くらいありそうな大きな鉄の盾が置いてあります。
でもこの人、ほぼ毎朝おにぎりを五個も買って行ってくれる常連さんなのですよ。そりゃこれだけ大きな人なら、五個くらい軽く食べちゃいますよね。
しかし、この部屋に居るという事は彼がギルドマスターなのでしょう。普通の冒険者だと思ってたのに、本当に意表を突かれました。
それにしてもギルドマスターということは、それなりにお給金は良いはずです。
それが私のおにぎりをたくさん買ってくれるという事は、それだけ気に入っていただけたのか、それとも小遣い制度を奥さんに強いられているのか、どちらでしょうね。
「では、私は失礼させて頂きます」
「ご苦労」
「ありがとうございました」
案内してくれたリリーさんが部屋から出て行きました。彼女にお礼を言ったあと、ギルドマスターと向き合います。
「立ってないで、まあそこへ座れ」
「あ、はい。ありがとうございます」
ギルドマスターは、自分の座っている対面の椅子を指差しました。役職的にはお偉いさんなのでしょうけど、何だか気さくな感じですね。
薦められた椅子の背もたれに手をかけると、意外と柔らかい感触に驚きながら座りました。
これは思った以上に質の良い椅子です。
私は一応貴族生まれでそれなりに質の良い家具が家にありましたけど、それよりも高級品だと分かりました。
さすがは冒険者ギルドのマスターがいるお部屋ですね。下手な貴族より質の良いものを使っています。
「えっと、で、嬢ちゃんの名は?」
「ナミル=イクランです」
「ふむ、俺はべラム=ノーレ=ストライザ、ここのギルドマスターだ」
あれ? 二つの家名ですね。
という事は貴族、でしょうか。どうみても貴族というよりどこかのボディーガードですが。
「あの……もしかして貴族様?」
「一応ストライザ子爵家の当主だが気にするな」
「当主!? き、気にしますですっ!」
「ストライザ家は冒険者として名を挙げ、偉業を成し遂げて陛下より爵位を賜ったんだ。俺も若い頃は冒険者だったから、貴族という柄じゃないんだよ」
それは見て分かり……げふげふん。
思わず口に出しそうになりましたが、何とか堪えました。
失礼ですよね。
「まあ俺の事はいい。で、帝国の地図だっけ」
「はい、お願いします」
ふむ、と言いながらギルドマスター……べラムさんは椅子から立ち上がり、背後にある本棚から薄い本と、水晶玉を取り出しました。
今気がつきましたが本棚も作りがしっかりして、且つシンプルな飾りつけです。
実用重視なのでしょうけど木目がすごく美しく描かれていて、更にどこにも歪んだ場所は見当たりません。
かなり腕の良い職人が作ったのでしょう。この棚を作った職人さん、うちの店にも是非何か作って欲しいです。
高いから手は出せないでしょうけど。
「さて、地図を見せる前に、何の為に見るんだ?」
べラムさんが薄いA3くらいの本と水晶玉を机の上に置きました。
ここでお預けですか。
でも、地図というのは戦略的に重要な代物です。地図があれば外部の人間でもどこへ行けばいいか分かりますからね。
それとあの水晶玉、こっそり《魔眼》で《鑑定》すると、嘘発見器のようです。つまり地図を見る上で本当の事を言う必要があるみたいですね。
まあギルドにある地図ですから流通しているものより、詳細に描かれているのでしょう。それを複製されると困る、という事ですかね。
「実はおいしいものを食べたいので、その素材と取りに行きたいのです」
「へ? 美味い物?」
「はい、カレーと呼ばれるものなのですが、ターメリックとクミンと言うスパイスの素になる草が必要なのです。それは主に暑くて湿気の多い地域に生えているので、それを調べる為に地図を見せて頂きたかったのです」
「ほー。つまり嬢ちゃんはおにぎりだけでなく、新しい食い物を売る為に原料を探しに行くってワケか?」
「そうですね。一番は私が食べたいからですけど」
「はっはっは、正直なことだ」
私と会話しながら、ちらちらと水晶を覗き込むべラムさん。でも何の反応もないのか、にこやかに会話が進んでいっています。
「ふむ、問題はなさそうだな」
確認が終わったのでしょう。べラムさんは置いてある薄い本を広げ、そして私のほうへと向けてきました。
「ここがリルリだ。でもって、暑い地域となると、かなり南下する必要があるぞ」
「具体的にはどの辺りまで行けばいいのですか?」
そうだなぁ、と呟きながらぺらぺらとページを捲っていきます。
「ガイゼンまで行けばそれなりに暑くなるだろ」
指された場所を見ると、そこは海岸線でした。ガイゼンという町は港町ということでしょうか。
確かに海の近くなら湿気も多いでしょう。
「ただガイゼンまで行くとなるとかなり遠いな」
「どのくらいかかりますか?」
「歩いていくなら一ヵ月半ってところだな」
「それは……遠いですね」
この世界の住人はものすごく健脚です。一日三十キロは軽く歩いていきます。そして一ヶ月半ということは四十五日、毎日三十キロ歩いたら千三百五十キロですよ。
日本列島の本州が北から南まで千五百キロですから、とても遠いですよね。
うーん、どうしましょう。
《魔眼》で身体能力を上げて走っていっても、それでも半月はかかりますね。
往復一ヶ月、加えて向こうで探すのに数日ですか。さすがにそれだけの期間お店を休みにしておくと、アーヴェン様に何か言われそうですしね。
どこか良い場所はないものでしょうか。
ぱらぱらとリルリとガイゼンの間の地図を捲っていると、不意に赤く染めている場所があるのに気がつきました。
ここは……森……でしょうか?
しかも色が赤、と言う事はおそらく危険性の高い場所なのでしょう。
でも森がある、すなわち木が生えているのですから水源はあるはずです。あとこの森もガイゼンという町に比べれば近いですけど、それでも割合から見る限り徒歩一ヶ月くらいかかりそうです。
それだけ南下すれば結構気温も上がるのではないでしょうか?
しかもこの森の近くにヘンリメリトという町か村もあります。拠点に出来ますね。
「べラムさん」
「ん? どうした?」
「ここってなぜ赤いのですか?」
私が指した場所を覗き込むと、一瞬にして難しい表情になりました。
やはり危険な場所なのでしょうか?
「そこはサルクルの森っていう場所だ」
「どのようなところなのですか?」
うーん、と唸りながら顎鬚を手でさすっています。
なんで髭を剃らないのでしょうかね。さっぱりして清潔感あるように見えるのに。
でも髭は男の象徴みたいな風潮もありますし、ギルドマスターという立場なら舐められないようにする必要もあるのでしょうか。
っと、余計な事を考えてしまいました。
考えているべラムさんの顔を覗き込みます。
「ここはな。ちょっと危険性の高い、いや高すぎる場所で、一般市民が行くようなところじゃない」
「教えてくれてもいいではないですか」
「んー……。この森は瘴気が漂っていてな、ランクB以上の魔物がうようよいるんだ。ギルドでもここへは本当にごく一部の高レベル冒険者しか立ち入りを許可してないんだよ」
ランクB、というのがどの程度の強さの魔物なのか分かりません。
そこのところ聞いてみましょう。
「ランクBというのがどの程度の魔物なのか分かりませんが、トロールってどの程度のランクなのですか?」
「トロールか? ランクAだ」
なんと。
あの魔物がランクAなのですか。なら私なら楽勝じゃないですかね。
しかも瘴気が漂っている、ということはその森に生えている様々な薬草もそれに充てられているという事になります。
大抵は毒草など人に対して害になるような変化をするのですが、ごくたまにとてつもない変化をするものがある、と昔家庭教師から聞いた事があります。
これは一度行ってみたほうがいいですね。薬剤師として。
「まさか行く気か?」
「いいえ? 行きませんけど」
私がそう答えた瞬間、水晶玉が点滅しました。
……あ。
こいつ、なかなか高性能じゃないですか。
はぁ、と大きなため息をつくべラムさん。
「まあ俺に嬢ちゃんを止める権利はないが……一応忠告はしておく。サルクルの森の主はSSSランク、最高峰の魔物、白竜だ。悪い事はいわん。行くな」
おおっ!
白竜。すなわちホワイドドラゴン。
きましたね! これですよ!
やはりファンタジーな世界に生まれてきたのですから、一度はドラゴンを見てみたいですよね!
「……白竜と伝えた瞬間目を輝かせるなよ」
先ほどよりもより深いため息をつかれました。