いつかの祭囃子
5.
繋いだ手が解けた。
小さな背中が走り出す。掌を伸ばせば、僅かに帯の感触が掠った。指先にさらり当たったのが、ちょっとだけ冷たかったっけ。
父上。早う。
イヅルが呼ぶ。走ると転ぶぜ。声を掛けても、ありゃ聞いちゃいなかった。
「焦らなくッても逃げやしねェよ」
「はようはよう。こっちじゃ。ちちうえ。ははうえ。ずしおう」
遠い浴衣が振り返る。イヅルの一等お気に入り。何処へ行くにも、そうだった。いつだって一人で先走るのは、イヅル。娘のお前の方だったのに。
隣のアンジュが、扇子で口元を覆う。
「あれ、はしたないこと。あの子は本に御転婆で。いったい誰に似たのやら」
「はははは、そりゃァもちろん」
「旦那様?」
笑顔で尻を抓られて、視線を泳がせた。どうもこの嫁には頭が上がらない。
「このままでは、嫁の貰い手もありますまいぞ」
厨子王が言った。珍しく笑ってた。イヅルを見守る眼差しは、穏やかに薙いでいた。あいつの瞳は、まだ、あのときのままだろうか。
「心配すンな、お前にはやらん」
「まぁ旦那様。厨子王なら申し分ありませんわ?」
「やらんと言ったらやらん!」
厨子王が欄干の人集りを分ける。着飾った見物人には、親子連れが多かった。みんな同じことを考えるから、どうしても一カ所が混んじまう。キョロキョロ辺りを見回して、ようやく見知った尻尾を見付けた。
「ほれ、ここじゃ。ちちうえ。ここがいっとう ようみえる」
イヅルが特等席に陣取って、誇らしげに手を招く。やれやれ、困った子狐だ。
俺はイヅルを抱き上げて、確かな重みに安堵した。柔らかい頬。絹の金髪。耳と尻尾は見事な黄金の毛並みで。やっぱり俺によく似てる。大人より少し高い体温。俺の身体にしがみつく、細く短く愛しい腕。何故だか、胸が熱くなる。
今でも、はっきり憶えてる。
あの日の浴衣は蘭の花。
「もう勝手に遠くゥ行くンじゃねェぞ」
「わらわは どこにも いかぬぞえ」
そうだ。
何処にも行くなと。何度も何度も。
俺はお前に、言ったのに。
最後に、この手を放したのは。
結局、俺の方だった。
―――花火が上がる。
カラカラコロリ。下駄の音。
揃いの簪、金平糖。
夜道を照らして盆提灯。
祭だ祭だ御苦労さん。
赤や黄色の狐狸妖怪。
寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
細めた眼は夢心地。
蛍の行列とおりゃんせ。
しゃなりしゃなりと往き過ぎて。
出は幻なりにけり。