ジジの回想
ジジにとって何より大事なものは、エバンシアである。
ちなみに、嫌いなものはリンである。
「ったく!ゴロゴロ邪魔なんじゃ!」
エバンシアの部屋を掃除しながら、ジジが毒づく。
ベッドの上には、黒い豹がいる。名前はクロ。エバンシアの隷。
ジジにしてみれば、嫌いな相手であってもおかしくはない。しかし、クロは、喋らないし、少なくともジジの邪魔をしないので、友好関係を築いている。
というわけで、現在ジジが毒づいているのは、目の前のクロではなく、今はリビングにいるリンなのであった。
ひとしきり、ぷんすか怒ったジジは床に座り込んだ。両膝を抱えて、嘆息する。
「我が君」
ぽつりと呟く。
あの嫌な魔獣がエバンシアを連れ去った時のことを何度も思い出す。
あの日。
エバンシアとジジは、保存食を作っていた。
と言っても、色々な食材を乾燥させたり、叩いたり、混ぜたりしていただけだが。
手の込んだものは、ジジが一人で作ることが多い。エバンシアは色々手伝ってくれるが、リンはまずしない。
手の込んだものは、エバンシアがいない寂しさを紛らわしてくれるから、一人の時に作ることが多い。
ジジにとって『留守番』という役目は、主の側にいられないと言うこと。そして、必ず帰って来るという約束。
だからこそ。
エバンシアが家にいる間は出来るだけ一緒に出来ることを。
リンと違って、エバンシアを守れるほど強くないから。
クロと違ってエバンシアを運べるほど足が速くないから。
だから、自分に出来ることを。
ご飯を作ったら、エバンシアは喜んでくれる。おいしいともっと喜ぶ。
家に帰った時、誰かいたら嬉しいと言ってくれる。
だから、留守番でも我慢出来る。
「これ干すの?」
エバンシアが怪訝な顔をした。
「果物は干すと甘くなると、師匠が言ってましたぞ」
「ふーん。ケーキとかに入ってはいるよね」
「ケーキ?」
ジジが首を傾げる。
まだまだ人の食べるものは勉強中なジジであった。
そんなこんなで。
作業していたら、遠くで雷鳴が聞こえた気がした。それは、エバンシアにも聞こえたようだった。
ただ、ジジとは少し違って聞こえたようで。
「……誰か叫んでる?」
そう呟いた。
瞬間。
エバンシアの肩にいつも乗っている青い鳥、テンランが、鳴いた。
聞いたこともないような、怒号のような、悲鳴のような、痛々しい声で。
ジジがびっくりしている間に、音にならない音が聞こえた。
それは、気配とでも言うのだろうか。
それは、圧倒的な怒りや悲しみがぐちゃぐちゃに混ざった得体のしれない気配だった。
目の前が霞むほどのしょう気。
リンの姿が見える。あんなに焦ったリンを見たのは初めてな気がする。
魔獣であるジジが吐き気を覚えるほどのしょう気だ。
このしょう気は変だ。
エバンシアがゆっくり倒れた。
リンが受け止めるが、そのリンもキツそうだった。それが、このしょう気のせいなのか、エバンシアが倒れたせいなのか、ジジには分からない。
そのしょう気は、嵐のように過ぎ去ったけれど、残滓が辺り一面に散っている。
美しく言えば、煌めく星のシャワーのように降っている。
この星はそんな生易しいものではなかったけれど。
いつの間にか、黒い気配がエバンシアの前に立っていた。ジジが目を離したちょっとの隙に。
その黒い気配は、魔獣だ。この黒い魔獣は恐い魔獣だ、とジジは直感した。
「エバンシアを迎えに来ました」
リンに言う。
リンも大概強い魔獣だが、ジジにはどちらの方が強いのか検討もつかない。
ジジは指一本、動けない。
「残虐」
リンは何もかも押し殺したような声で言う。
残虐という称号は聞いたことがある。
古いふるい魔獣だ。ジジが生まれるよりずっと前から『残虐』だった魔獣だ。
基本的に魔獣は自分のことしか考えないから、人から見て酷いひどい生き物だ。人を食べる魔獣もいるぐらいだから。
残虐からは血の気配が漂っていた。
人ではなく魔獣の。
きっと恐い魔獣だ。そして、とても強い魔獣だ。
リンが睨んでいるけど、表情は変わらない。
「エバンシアが死んでも別に構いませんが…。主の命ですので」
魔獣は嘘をつかない。
その必要がない限り。
残虐には主がいる。その主の命令だと言った。主を殊の外大事にする魔獣のこと、残虐は嘘をついてない。それは、このまま、エバンシアを残虐に渡さなければ、エバンシアは死ぬかもしれない、ということ。
「何故、死ぬ?」
リンの顔色も悪い。
「エバンシアが死んでも別に構いませんので、詳細は興味ありませんが」
残虐は首を傾げた。
「おおよそ、検討はつきます。エバンシアは人魔ですから、人の部分が相当傷ついたのでしょう」
残虐はもう一度言った。
「エバンシアを迎えに来ました。…渡してもらえますね?」
リンが苦渋の選択をした。
エバンシアをお姫様だっこで受け取った残虐は、小さく嘆息した。
「捨て置けば良いものを」
小さ過ぎる呟きはジジの耳は届かなかった。
ただ、ニイッと口角をあげた表情だけが、ジジの目に焼き付いた。




