報告
イリスの屋敷を辞して、オルディーはパンダの背に乗って駆けていた。海の上を駆けていた。
思いの外、高速で。
海の上を走ることからも分かるように、パンダは魔獣である。
オルディーの隷でもある。
魔獣には『唯一の主』という習性がある。
自分が決めた唯一のモノを主と定め、一生を捧げる。
主には、魔獣だったり人だったり動物だったり様々。
パンダは、オルディーを主と定めている。
イリスに言わせれば、『質の悪い一目惚れ』らしい。
魔獣が主を決めるのは、一目惚れの時もあれば、何十年後の時もあるし、個体差がある。
パンダは喋らないので、いつ決めたのか、はっきりしない。
そうこうしているうちに、オルディーはエバンシアの住む島、レティクラタに着いた。
この島も狂気の海に面している。
島の大きさとしては、ランバーの三分の一ほど。小さな島である。
また、ランバーと違ってアッダルの中にある。
オルディーは、パンダから降りずに暫く、エバンシアの家を眺めていた。
「何か…しょうきが濃い…?」
アッダル内なのだから、しょうきがあるのは、当たり前だが。普段、エバンシアの家の周りは薄められている。
「エバンシアが留守の時ももうちょっと薄いと思うんだけど」
首を傾げながらも、オルディーはパンダから降りた。
いきなり、ドアが勢いよく開く。
「我が君!」
オルディーを見た瞬間、明らかに落胆し。
「師匠さんでしたか」
がっくりとうなだれる。
身長1メートルぐらいのスキンヘッドの老人である。ガリガリに痩せているが、手には、なぜか、包丁が握られている。
「物騒だね、ジジ」
「我が君の為、保存食なぞ作っていた所に足音がしたもんじゃから…」
ジジは自分の手にある包丁を見つめる。
「リンなど死んでしまえばいいんじゃ」
「あ。凜慄公いるの?」
「早よ、出てって欲しいんじゃ!」
ジジは叫んで、家の中に駆け込んでしまった。
「相変わらず、ジジと凜慄公って仲悪いな」
オルディーは後を追って家の中に入る。
「うっ!」
オルディーが顔色を変える。
「凜慄公っ!何したんですか!」
怒鳴る。
家の中は、しょうきが充満していた。
エバンシアは、家の中のしょうきは、きっちり払っていた。
「……我が君はどうした」
姿を見せた凜慄ことリンは、低く言う。
「イリスんちですよ。取り込み中なのでもうちょっと戻らないそうです」
リンがオルディーを睨む。
一層、しょうきが濃くなる。身体全体から漂ってくる。
オルディーは、大きな溜め息を吐いた。
「何があったんです?ここまで心配するような容体には見えませんでしたよ?」
「我が君は元気なのか!?」
さっきまで台所の隅で作業していたジジが走り込んで来る。
「?…ええ。青ウサギっぽいのを追っかけてましたよ」
ジジが小躍りして喜んでいる横で、リンは難しい顔をしていた。
「何があったんです?」
オルディーが一気にしょうきを消す。
「人魔と言えども、しょうきが毒であることには変わりないですよ」
オルディーは小さく嘆息した。
エバンシアは、人と魔獣との間に生まれた、人魔である。
人魔は、生まれながらに魔力が強いため、幼いうちに魔獣に喰われてしまうことが殆どである。
ゆえに、人魔の生存率は極めて低い。
リンがエバンシアの隷になったのは最近のことで、リンよりオルディーの方が、少しばかり付き合いは長い。リンが中々、言わないので。
「周りのしょうきはどうしたんです?あなたじゃないでしょう?」
リンは僅かに瞬くと、ああ、と呟いた。
「ニヴォーズの方から流れて来た。まぁ流れると言うほどのんびりしたものじゃないが」
「流れて…」
ニヴォーズ国のある小さな大陸の南側半分はアッダル。
その大陸は狂気の海に面している。丁度、狂気の海から見てレティクラタの背後にその大陸はある。
「……あちらの方には」
オルディーが苦笑する。
「ニヴォーズの魔法遣いがしょうきを大量に流す必要はなさそうですから」
ニヴォーズ国には魔法遣いの守護がある。
「氷雪公…ですか」
あまり口にしたくない称号を上げる。
「あちらの方にお住まいだと聞いています」
「氷雪…?」
リンは首を傾げる。
「氷雪?…というよりここら辺に漂うしょうき自体が何かの事情で移動したというか、混ぜこまれたと言うか」
要領を得ないのは、リンにも事態がよく把握出来ていないかららしい。
「まあ、外の状況は分かりました」
ジジが、はっと我に帰り。
「我が君はいつ帰って来るんじゃ!?」
「さあ」
ジジは、暫く呆然としていたが。
「保存食用意するかの。この間、痛んでしもうたし」
とぼとぼと歩いて台所の隅に戻る。
「この間流れて来たとかいう、しょうきで?」
こっそりリンに確認する。
「そのようだ。我が君と何か作っていたようだが…」
通常、魔獣は食事をしない。そのせいか、大体の魔獣は食べ物に対する関心が薄い。
しかし。
「保存食が痛むしょうき、ねぇ?」
聞いたことがない。
オルディーは首を傾げる。
その変なしょうきに触れたからここまで心配しているのだろうか。
「エバンシアは、凜慄公が運んだんですか?」
リンが嫌そうな顔をする。
余程嫌いな人が運んだのか。ジジでは無理だし。
「自分で行ったわけではなさそうですね。当然、クロでもない、と?」
「クロなら我が君の部屋じゃ」
台所の隅からジジが言う。
「自力では行ってませんよね?その心配様ですから」
オルディーは、にこりとする。
「凜慄公」
リンは、渋面で答える。
「残虐が連れ去った」
「え」
オルディーは目を丸くする。
『残虐』という称号を持つのは--。
「ダンフォルディアが迎えに?……イリスの指示ですか」
「知らん。だが、アレはソレの為しか動かん」
憤然と言う。
オルディーは小さく苦笑するが、それが、隷の行動原理である。
ひいては、リンの行動原理でもある。
「ダンフォルディアは何か言ってました?」
ぎゅっと眉根を寄せたリンと、保存食作りのために包丁を振り下ろしたジジが同時に言った。
「笑った」




