No.001
本編2話、勇者ルカがハーピィの集落から旅立たなかったとしたら──。
人間領と魔族領を隔てるように、東西へ長く伸びるホプキンス山脈。
かつて伝説の勇者ホプキンスが多くの魔物をその北側へ追いやり、人間の土地を切り拓いたとされるその山脈は、今では『魔物から人間を守る自然の要塞』として人々から崇められている。
そんな山脈の南側。
森の奥深くに存在するハーピィの集落へ、一人の人間が足を踏み入れた。
「ここがハーピィの集落か……」
勇者、ルカ。
少し前に森で出会った一匹のハーピィを追いかけ、ここまでやってきた青年である。
集落へ着いて早々、幼いハーピィに「女の子をさらいに来た悪いオオカミ」と名乗った結果、誘拐犯と勘違いされ集落中のハーピィに取り囲まれることとなった。
自業自得である。
そんな騒ぎの中、姿を現したのがハーピィたちを束ねる女王だった。
そしてその背後には、ルカが追いかけてきた張本人――セラの姿もあった。
「うっわ、なんでいるのよ……」
心底嫌そうな顔をするセラをよそに、ルカは自らの目的を女王へと語った。
人間も魔物も、一括りに善悪を決められるものではないこと。
言葉を交わし、誰かを想う心があることに、人間と魔物の違いなどないと思っていること。
だからこそ、今の人間と魔物の関係を変えたいと思っていること。
そして――。
「魔物を倒す役割のある勇者である僕が魔物と結婚することで、世の人間たちが少しでも魔物についての理解を深めてもらえればと……」
「そのためにそのへんのマモノをめとろう、という魂胆か」
「一目惚れは本当ですよ!」
慌てて否定したルカだったが、それもまた目的の一つであることまでは否定しなかった。
女王はそんなルカの考えを、浅はかで、独りよがりで、押しつけがましいものだと一蹴した。
たった一人の人間と魔物が結ばれた程度で、世の中が変わるのか。
その問いに、ルカは迷わず答えた。
「そうさせるつもりです」
そして――。
「僕はとても悪いオオカミなので」
そう付け加える青年をしばらく見つめたあと、女王は小さく笑った。
「理解はできん。……が、嫌いではないの」
「お義母さん……!」
「誰がお義母さんじゃ、たわけ」
あっという間に調子に乗ったルカを一喝しながらも、女王はその人間をすぐに集落から追い出そうとはしなかった。
「改めて彼女を、セラさんを僕にください!」
「おぬしにそういった考えがあるのであれば、わらわの一存で決めるわけにはいかんな」
様々な人間がいるように、魔物にも様々な考えを持つ者がいる。
人間との共存を望む者もいれば、決してそれを受け入れない者もいるだろう。
それを一族の長である自分一人が決めるべきではない。
女王は翼を顎へ当て、しばし考え込んだ。
そして──。
「おぬしの人魔共生、という理想は理解した。じゃが、その前に一つ聞こう」
威厳を放つハーピィの女王は改めてルカに向き直った。
「おぬし、マモノのことをどれほど知っておる?」 「…………」
ルカが返答に詰まる。
知っていることといえば、勇者になるにあたって教えられた知識くらいのものだ。
どこにどんな魔物が生息しているのか。どのような特徴を持ち、どのような危険があるのか。
しかし、それはあくまで人間から見た『魔物』の知識でしかない。
彼女たちがどのように暮らし、何を食べ、何を大切にし、何を考えて生きているのか。
そう問われれば、ルカには何も答えられなかった。
「……そうですね。ほとんど何も知りません」
ルカが素直に認めると、女王は小さく頷いた。
「ならば、しばらくここで暮らしてみるのはどうじゃ?」
「ちょっ! 何言ってるんですか女王様!?」
その提案に一番早く反応したのはセラだった。
「ソイツ、ニンゲンですし、勇者ですし、それに、変なヤツですよ!?」
「変じゃないです!」
「うるさいわね!」
すかさず訂正するルカを、セラは一蹴する。
女王はそんなセラを翼で制した。
「まあ聞け、セラよ」
そして再びルカへ視線を向ける。
「こやつはヒトとマモノが共に暮らす世界を作ろうとしておるのじゃろう?」
「そうですけど……」
「じゃが、世界を変えるなどという大きすぎる目標を掲げるヤツは、ヒトであろうとマモノであろうと信用ならん」
「えっ」
今度はルカが声を漏らした。
「口でならば何とでも言える。ニンゲンもマモノも変わらぬ、共に暮らせると言うのであれば、まずはおぬし自身がそれを示してみせよ」
女王は周囲の集落を翼で示した。
「我らと食事をし、我らと働き、我らと同じ場所で暮らす。それすらできぬ者が世界を変えるなどと申しても、わらわは信用せん」
「なるほど……」
ルカは納得したように頷く。
言われてみれば当然の話だった。
魔物について何も知らない自分が、人間と魔物は共に暮らせると口で叫んだところで、それを証明するものは何もない。
「ですが女王様! なんでわざわざこの集落で……!」
なおも食い下がるセラに、女王は少し呆れたような視線を向けた。
「セラ」
「……なんですか?」
「我らの集落に、オスは何匹いる?」
「え、と……」
突然話を振られ、セラは周囲を見回した。
右を見ても。
左を見ても。
いるのは女、女、女。
「…………」
「そういうことじゃ」
女王は小さく息を吐いた。
「ただでさえマモノはオスが生まれにくい。このまま我らの集落にオスがいなくなれば、一族は絶えてしまう」
「だからってニンゲンを……?」
「わらわとて何の考えもなく受け入れるわけではない。こやつが口だけの男なのか、それとも本当に我らと共に生きられる者なのか。それを見定める意味もある」
女王は一度言葉を切る。
「個人の好悪だけで決められることではない。一族を預かる者としての判断じゃ」
「…………」
セラは不満そうに口を尖らせた。
「それとも──」
女王の目が細くなる。
「セラ。おぬしがこやつの旅に同行し、妙な真似をせぬよう監視する役を引き受けるか?」
「それはイヤ!」
即答だった。
「ならば受け入れろ」
「…………」
「…………」
「……はい」
セラはしぶしぶ翼を垂らした。
女王は満足そうに頷くと、今度はルカへ向き直る。
「さて。ルカ」
「はい」
「おぬしもそれでよいか?」
「僕は……」
ルカは考える。
魔物について知る。
実際に魔物と共に暮らし、自分の考えがただの綺麗事ではないと証明する。
たしかに、悪い話ではない。
「それに──」
考え込むルカへ、女王が付け加えた。
「おぬし、魔物の娘と結ばれたいのであろう?」
「はい!」
即答だった。
「……ならば周りを見てみろ」
「?」
言われるがまま、ルカは辺りを見渡した。
右を見る。
ハーピィ。
左を見る。
ハーピィ。
後ろを見る。
ハーピィ。
そして正面。
やはりハーピィ。
「…………」
ルカはもう一度、ゆっくりと辺りを見渡した。
「…………」
そして女王へ向き直る。
「是非! 僕をここで暮らさせてください!」
「決めるの早っ!!」
セラの叫びが集落に響き渡った。
「うむ。ではしばらくの間、わらわがこの目でおぬしを見定めてやろう」
「ありがとうございます! お義母さん!」
「誰がお義母さんじゃ、たわけ!」
女王の翼がルカの頭を叩く。
「わらわの名はルシエルじゃ! せめて名で呼べ!」 「わかりました、お義母さん!」
「聞いておったか!?」
こうして。
魔王のもとへ向かう──その前に。
勇者ルカの、ほんの少しの寄り道。
お試しハーピィ集落生活が始まった
◇◇◇
「それで僕、何をすればいいんですか?」
「知らないわよ」
集落に滞在することが決まってからしばらく。ルカは先ほどからずっとセラの後ろをついて歩いていた。
「女王様から何か聞いてないんですか?」
「アンタをここに置くってことしか聞いてないわよ」
「なるほど」
ルカは一つ頷いた。
「ではまず、僕とセラさんの新居を──」
「作らないわよ!」
「まだ何も言ってないじゃないですか!」
「言ったでしょうが!」
翼がルカの顔面をはたく。
「痛っ!」
「ったく……なんでアタシがこんなヤツの面倒見なきゃいけないのよ……」
ぶつぶつと文句を言いながら歩いていくセラを、頬をさすりながらルカは追いかける。
女王──ルシエルから言い渡されたのは、しばらくこの集落で暮らしてみろということだけだった。
寝床については、以前この集落に滞在していた者が使っていた空き家を貸してもらえるらしい。食事も当面は集落の者たちと同じものを分けてもらえるという。
問題は、それ以外だった。
「本当に何をすればいいんでしょうね」
「だから知らないって言ってるでしょ。好きにしてれば?」
「好きにしていいんですか!?」
「……なんで嬉しそうなのよ」
セラが警戒するようにルカを見る。
「だってここ、ハーピィの集落ですよ?」
「そうね」
「見渡す限りハーピィですよ?」
「そうね」
「つまり──」
「言わなくていい」
先回りして止められた。
仕方なくルカは口を閉じ、改めて周囲へ目を向ける。
先ほどは取り囲まれていたせいでじっくり見る余裕などなかったが、こうして歩いてみると人間の村とそれほど大きく変わらない。
木造の家が並び、その間を土の道が通っている。
外で話をしている者もいれば、食事の支度をしている者もいる。子供たちは元気よく走り回り、あるいは短い距離を飛びながら追いかけっこをしていた。
当然と言えば当然なのかもしれない。
ここで暮らしている者たちも、朝になれば起き、腹が減れば食べ、夜になれば眠るのだ。
しかし。
「…………」
「何よ」
「いや」
ルカはすれ違ったハーピィへ笑顔で会釈する。
相手は露骨に顔をしかめ、足早に去っていった。
「やっぱり歓迎はされてないみたいですね」
「当たり前でしょ。今までニンゲンが住んだことなんてないんだから」
「セラさんは?」
「何がよ」
「僕がいるの嫌ですか?」
「嫌」
「即答!」
清々しいほどだった。
「そもそもアンタ、勇者なんでしょ? 今まで何匹マモノを殺したのよ」
「まだ一匹も倒してませんよ」
「……は?」
「僕、勇者になったばかりなので」
「…………」
セラが足を止めた。
じっとルカの顔を見る。
「じゃあ何ができるのよ、アンタ」
「失礼ですね! 剣はそれなりに使えますよ!」
「でもマモノ倒したことないんでしょ?」
「ありません!」
「なんで自信満々なのよ……」
呆れたようにため息をつき、セラは再び歩き出した。
そのときだった。
「ちょっと! 誰か手伝って!」
少し離れた場所から声がした。
二人がそちらを見ると、一匹のハーピィが木箱を前に悪戦苦闘していた。
人間ならば両腕で抱えれば済む大きさの箱である。しかし、翼そのものが腕となっているハーピィにとって、物を抱えて運ぶという動作は人間ほど容易ではないらしい。
箱には紐が巻きつけられており、それを足で掴んで持ち上げようとしているものの、うまくいかない。
「……なるほど」
ルカは自分の両手を見る。
そして木箱を見る。
「何よ」
「いや、僕が最初にここへ来たとき、どうやって家を建てたんだろうって思ってたんですよ」
「ああ。建物なんかは他の種族に頼むことも多いわよ。アタシたちじゃ細かい作業はやりにくいから」
「やっぱりそうなんですね」
ルカは妙に感心したように頷いた。
「ちょっと行ってきます」
「え?」
返事を待たず、木箱へ向かう。
「手伝いましょうか?」
「……!」
声をかけられたハーピィは、驚いたようにルカを見る。
直後、その顔に警戒の色が浮かんだ。
「いい」
「でも困ってましたよね?」
「困ってないわよ」
「そうですか」
断られてしまった。
ならば無理に手を出すのもよくないだろう。
「わかりました」
ルカはあっさり引き下がった。
踵を返す。
「…………」
その背後で、再びハーピィが箱を持ち上げようとする。
紐を足で掴む。
「んっ……!」
箱が浮く。
ふらつく。
落ちる。
「…………」
ルカは振り返った。
「何よ」
「いえ」
「…………」
「…………」
「……何よ」
「何も言ってませんよ?」
「顔がうるさいのよ!」
なんて無茶な。
「…………そこ」
「はい?」
ハーピィが翼で少し離れた家を指した。
「そこまで」
「持っていけばいいんですか?」
「……そう」
「わかりました!」
ルカは嬉々として木箱を持ち上げる。
「おっ」
思っていたより重い。
しかし、持てないほどではない。
「これ、何が入ってるんです?」
「食料」
「なるほど。それでどこに置けば?」
「こっち」
「はい!」
案内されるまま家の中へ運ぶ。
指定された場所へ箱を置くと、ルカはパンパンと手を払った。
「ここでいいですか?」
「……ええ」
「じゃあ僕、戻りますね」
「…………」
「?」
「……ありがと」
小さな声だった。
聞き逃してもおかしくないほどの。
ルカは一瞬きょとんとしたあと、笑った。
「どういたしまして!」
「声でかい!」
「すみません!」
結局また怒られた。
それでも、先ほどまで向けられていたものとは少し違う顔をしているような気がした。
「何ニヤニヤしてるのよ」
戻ってきたルカをセラが怪訝そうに見る。
「いやぁ、いいですね」
「何が?」
「こういうの」
「……?」
セラは意味がわからないとでも言いたげに首を傾げた。
ルカもそれ以上説明はしなかった。
ただ困っている者がいたから手伝った。
それだけである。
人間だとか。
魔物だとか。
そんなことは何も関係なかった。
「おにーさん!」
「お?」
今度は別の方向から声をかけられる。
見ると、集落にやってきたときに出会った幼いハーピィが駆け寄ってきていた。
「オオカミさん!」
「ガオー!」
「きゃー!」
「やめなさいっての!」
セラの翼が飛んできた。
◇◇◇
「……疲れた」
日が傾く頃。
ルカは地面に座り込み、空を見上げていた。
「自業自得でしょ」
「なんでこんなことに……」
最初は、木箱を一つ運んだだけだった。
それを見ていた別のハーピィから、『ねえニンゲン、それ持てる?』 と声をかけられた。
持った。運んだ。
次に、『こっちもお願いしていい?』と頼まれた。引き受けた。
さらに、『それ終わったらこっちも!』と呼ばれた。
それも引き受けた。
気がつけば半日、集落中を歩き回っていた。
「僕ってここに人魔共生が出来るか示すためにここにいるんですよね?」
「そうね」
「荷物運びに来たんじゃないですよね?」
「そうね」
「なんか便利なニンゲンが来たくらいに思われてません?」
「そうかもね」
「セラさん止めてくださいよ!」
「アンタ全部笑顔で『任せてください!』って引き受けてたじゃない!」
ルカは何も言い返せなかった。
「おお、ここにおったか」
聞き覚えのある声がして、二人が顔を上げる。
「お義母さん!」
「ルシエルじゃ!」
訂正と同時に翼で頭をはたかれた。
「痛い!」
「まったく……。初日からずいぶん馴染んでおるではないか」
「そう見えます?」
「少なくとも昼間よりはの」
ルシエルが周囲を見る。
少し離れたところから、何匹かのハーピィがこちらを見ていた。
朝とは違う。警戒がなくなったわけではない。
ニンゲンを見る目。
勇者を見る目。
得体の知れないものを見る目。
それはまだ残っている。
それでも。
「ルカー!」
「はい!」
「明日も手伝ってー!」
「いいですよー!」
遠くから飛んできた声へ、ルカが手を振って答える。
「……便利屋じゃな」
「やっぱりそうですよね!?」
ルシエルは愉快そうに笑った。
「まあよい。口だけではないことを示すという意味では、悪くない一日だったのではないか?」
「そうですね」
ルカも笑う。
たった一日。
それだけで何かが変わったわけではない。
自分が人間と魔物の関係を変えるなどと大層なことを言ったところで、ここにいる者たちからすれば、今日初めて現れた怪しいニンゲンでしかない。
ならば、まずは知ってもらう。
そして、自分も彼女たちを知る。
ルシエルの言ったことは正しいのかもしれない。
「明日も頑張りますよ!」
「うむ。その意気じゃ」
「……張り切りすぎて余計なことしないでよね」
「任せてください!」
「だから不安なのよ!」
◇◇◇
その日の夜。
ルカは借り受けた小さな家の前に座り、ぼんやりと夜空を眺めていた。
人間の街とは違う。
聞こえてくる声も、匂いも、何もかもが新鮮だった。
「……魔物の暮らし、か」
今日一日だけでも、知らなかったことがいくつもあった。
翼で生活する彼女たちには、人間ならば何でもない作業が難しいこと。
その代わり、人間には到底できないことを簡単にこなしてしまうこと。
ニンゲンだからと警戒していた者でも、話しかければ普通に返事をすること。
手を貸せば、ぶっきらぼうながら礼を言ってくれること。
そして──。
「オオカミさーん!」
「はい?」
声に振り返る。
昼間の幼いハーピィが、少し離れたところからこちらを見ていた。
迎えに来たらしい大人のハーピィが、その後ろで待っている。
「おにーさん、あしたもいるー?」
「ええ。いますよ」
「ほんとー?」
「本当です。しばらくここで暮らすことになりましたから」
「やったー!」
幼いハーピィは翼をばたつかせて喜んだ。
「またあそぼーね!」
「もちろん!」
「やくそくだよー!」
大きく翼を振りながら、幼鳥は去っていった。
ルカもその姿が見えなくなるまで手を振り返す。
「…………」
静かになった。
ふと、遠くへ目を向ける。
木々の向こう。
夜の闇の中でも、その巨大な輪郭だけはわかる。
ホプキンス山脈。
人間と魔物を隔てる、巨大な壁。
本来ならば、あの山を越える方法を探さなければならない。
そのために、ルカは旅を始めたのだから。
「…………」
だが、急ぐ必要はない。
ルシエルに認めてもらうためにも、まずはここで魔物たちと暮らしてみる。
彼女たちを知る。
自分のことも知ってもらう。
それからでも遅くはないだろう。
「……明日も忙しそうですね」
昼間頼まれた仕事を思い出し、ルカは苦笑した。
家の中へ戻ろうと立ち上がる。
もう一度だけ。
遠くにそびえる山脈を振り返った。
「まあ──」
ルカは小さく笑った。
「旅の続きは、それからでいいですかね」
そして、山脈に背を向ける。
このときのルカにとって。
それはただの、ほんの少しの寄り道だった。
◇◇◇
一週間後。
「ちょっとルカ! こっち来て! 屋根から雨漏りがしてるの!」
「はい! 今行きます!」
「あ、それ終わったらこっちも手伝って!」
「はいはい! 後で行きますね!」
ひっきりなしに舞い込む以来に、今日もルカは忙しなく動いている。
「アンタ、なんか楽しそうね」
「あ、セラさん! 手が空いてるならちょっと手伝ってください! もしくは結婚を──」
「どっちもイヤ」
「そんな!?」
まだ。
まだ旅に出る時ではない。もっと、皆に、ルシエルに認めてもらわなければ──。
……一ヶ月後。
「ねぇルカー! みてみてー! ちょっと飛べるようになったんだよー!」
「うわ! すごいです! かわいい!」
毛が生えかわり、立派な羽根を生やした幼鳥がルカの足元にピタリとくっつく。
「えへへー、これであたしもルカのお嫁さんになれる?」
無垢な瞳でルカを見上げるまだあどけないハーピィ。
ルカは苦笑いしながら彼女のふわふわの頭を撫でた。
「うーん、ちょっとまだ早いかな? もう少しお姉さんになって、その時に好きな人とですね……」
ルカがそう諭すと、ハーピィは目を潤ませほっぺたを膨らませた。
「ルカ、あたしのこと、きらい……?」
「そんなことないですよ!」
「じゃあいいじゃん」
「いやぁ、その……。年齢の問題といいますか、ちょっとロリッ娘娶るのは気が引けるといいますか……」
「あたし、ルカのお嫁さんになったら、ルカの事いっぱいヨシヨシできるよ?」
破壊力抜群のセリフにルカは少し動揺し、口元に手を当て考え込んだ。
「……ロリッ娘姉さん女房……ありか──」
「ないわよ!」
いつの間にか背後にいたセラから翼が飛んでくる。
「痛ぁ! なんですかセラさん! 妬いてるんですか! 妬いてるんですね!?」
「違うわよ! 犯罪者の誕生を未然に防いだだけよ!」
「……セラお姉ちゃん、ルカと仲良しだね」
「そんなんじゃない!」
集落に響くセラの声。
楽しく、何気ないゆったりとした時間が流れる。
……まだ。
まだ、その時じゃない。
……一年後。
「ルカー! 起きてるー!?」
「起きてますよー!」
窓の外から飛んできた声に返事をしながら、ルカは手早く身支度を整える。
剣を腰に差し、最後に勇者の証である首飾りを身につける。
この集落へやってきた日から、変わらない格好。
ただ一つ違うとすれば、その姿がこの場所にすっかり馴染んでいることだろうか。
扉を開ける。
「おはようございます!」
「おはよう、ルカ!」
「ルカ! 昨日頼んだやつなんだけど!」
「朝からですか!? せめてご飯食べさせてくださいよ!」
「あ、ルカおにーちゃん!」
「おはようございます!」
家を出てわずか数歩。
それだけで三匹のハーピィから声をかけられた。
もはや彼を『ニンゲン』と呼ぶ者はほとんどいない。
一年前この集落へやってきたばかりのルカへ向けられていた、警戒するような視線もない。
ルカ。
勇者でも、ニンゲンでもなく。
ただのルカ。
「朝から人気者ね」
「セラさん!」
声のした方を見る。
籠を足で掴んだセラが、ふわりとルカの前へ降り立った。
「ちょうどよかった。これ持って」
「会って早々荷物持ちですか!?」
「だってアンタ、持てるでしょ?」
「持てますけど!」
文句を言いながらも籠を受け取る。
ずしりと腕へ重みがかかった。
「重っ! 何入ってるんですかこれ!」
「今日の朝ご飯」
「何人分です!?」
「アンタとアタシ」
「二人でこんなに食べるんですか!?」
「半分くらいアンタでしょ」
「…………否定できない」
並んで歩き出す。
そんなやり取りも、今ではすっかり日常になっていた。
「そういえばセラさん」
「何?」
「今日、屋根の修理頼まれてるんですけど」
「また?」
「そのあと薪を運んで、午後から狩りについてきてほしいって」
「忙しいわね」
「誰のせいだと思ってるんですか」
「知らないわよ」
「最初に僕をここへ連れてきたのセラさんじゃないですか!」
「アンタが勝手についてきたんでしょうが!」
「あれ、そうでしたっけ?」
「一年で忘れたの!?」
朝の集落に二人の声が響く。
それを聞いて、近くにいたハーピィたちが笑っていた。
何でもない一日が、今日も始まる。
そんな二人の後ろ姿を、少し離れたところから眺める者がいた。
「…………」
ルシエルだった。
◇◇◇
「ルカ」
「はい?」
日が傾き始めた頃。
一日の仕事を終えようとしていたルカを、ルシエルが呼び止めた。
「少しよいか?」
「もちろんです。なんですか、お義母さん」
「……もう訂正するのも疲れたわ」
「ついに認めてくれたんですか!?」
「違うわ」
二人は集落の端へ向かって歩く。
やがて木々が途切れ、遠くまで見渡せる場所へ出た。
遥か遠方に、巨大な山々が連なっている。
ホプキンス山脈。
「…………」
ルカはそれを見る。
「ルカよ」
「はい」
「おぬし、いつまでここにおるつもりじゃ?」
「…………」
ルカは答えなかった。
「わらわは『しばらく』と言ったはずじゃ」
「……そうですね」
「おぬしが口だけの男ではないことなど、もう十分わかった」
ルシエルも山脈へ目を向ける。
「初めこそどうなることかと思ったがの。今では皆、おぬしを受け入れておる」
「ありがたいことです」
「ならば、もうわらわがおぬしをここへ留めておく理由もない」
「…………」
「おぬしには、やりたいことがあったのであろう?」
ルカは遠くの山を見る。
一年。
この場所で過ごした。
魔物について知りたい。
人間と魔物が共に暮らせることを証明したい。
そんな理由で始めた生活だった。
実際、いろいろなことを知った。
人間とは違うところ。
人間と変わらないところ。
この一年で何度も笑った。
何度も怒られた。
喧嘩もした。
助けたこともあれば、助けられたこともある。
そして今では。
自分をニンゲンと呼ぶ者すらほとんどいない。
「……そうですね」
ルカは笑った。
「そろそろ、行かないとですね」
「うむ」
「今やってる仕事を全部片づけたら、出発します」
「そうか」
「はい!」
その返事に迷いはなかった。
今度こそ。
この場所で学んだことを胸に、旅を続けよう。
そう、思っていた。
◇◇◇
「ルカ! これもお願い!」
「増えてるじゃないですか!」
翌日。
「すみませんルカさん、これを向こうまで運んでもらえますか?」
「いいですよ!」
三日後。
「ルカ! 屋根! また雨漏り!」
「この前直したところと違うじゃないですか!」
一週間後。
「ねえルカ、もうすぐお祭りでしょ? 準備手伝ってよ!」
「え? お祭り?」
「知らないの?」
「初めて聞きました!」
「せっかく一年住んだのに見ないで出ていくの?」
「…………」
ルカは考えた。
「……お祭りまではいます!」
「やった!」
◇◇◇
「いやぁ、楽しかったですね!」
「飲みすぎよアンタ」
「セラさんだって楽しそうだったじゃないですか!」
「まあ……そうだけど」
祭りの翌朝。
二人は散らかった広場を片づけていた。
「じゃあ、これが終わったら──」
セラが言いかける。
「ルカー!」
「はい!」
「悪いんだけど、倉庫の壁が壊れちゃって!」
「今行きます!」
「ちょっと!」
走り出すルカの背中へセラが叫ぶ。
「アンタ、旅は!?」
「これ終わったらです!」
◇◇◇
秋が来た。
冬が来た。
山脈へ近づくには危険な季節になった。
「春になったらですね」
ルカはそう言った。
春が来た。
新しい命がいくつも生まれた。
集落は忙しくなった。
「……もう少し落ち着いてからですね」
夏が来た。
また秋が来た。
◇◇◇
……三年後。
「ルカ! 受け取って!」
「はい!」
空から落とされた木材を、ルカが両腕で受け止める。
「次行くわよ!」
「ちょ、待ってくださいセラさん! まだ置いて――うわっ!」
続けざまに飛んできた木材を慌てて受け止める。
「危ないですよ!」
「受け取ったじゃない」
「結果論です!」
周囲から笑い声が上がる。
「相変わらずじゃのう、おぬしらは」
「お義母さん! セラさんに言ってくださいよ!」
「誰がお義母さんじゃ」
「まだ言ってるんですか!?」
「わらわが言いたいわ!」
ルシエルが呆れたようにため息をつく。
「それにしても……」
ルシエルはルカを見る。
「おぬし、すっかりここでの生活が板についたの」
「三年いますからね!」
ルカは笑った。
「…………」
ルシエルは何も言わなかった。
「そういえばルカ」
「はい?」
「アンタ、元々なんでこの集落に来たんだっけ?」
近くにいたハーピィが何気なく尋ねた。
「え?」
「ほら、いつの間にか普通にいるから」
「あー……」
ルカは顎へ手を当てる。
「僕、魔王に会いに行こうとしてたんですよ」
「…………」
「…………」
「…………」
その場にいたハーピィたちが動きを止めた。
「ええっ!?」
「なんで!?」
「魔王様に!?」
「はい」
「じゃあここ、途中なの!?」
「そうですね」
「三年も!?」
「…………」
ルカは少し考える。
「細かいことはいいじゃないですか」
「よくないでしょ!」
笑い声が上がった。
「まったく……」
セラも呆れながら笑っている。
ルカも笑った。
ルシエルだけが、少し離れた場所からそんな彼らを見つめていた。
やがて。
その口元にも、小さな笑みが浮かんだ。
◇◇◇
……五年後。
「おにーさん!」
「はい?」
懐かしい呼び方に、ルカが振り返る。
そこに立っていたのは、一匹のハーピィだった。
かつてルカを『悪いオオカミ』と呼び、後ろをついて回っていた幼鳥。
あれほど小さかった身体は大きくなり、幼かった羽根もすっかり立派なものへ生え変わっていた。
「どうしました?」
「あのね!」
ハーピィは満面の笑みを浮かべた。
「あたし、結婚することになったの!」
「…………」
ルカの目が大きく開く。
「本当ですか!?」
「うん!」
「おめでとうございます!」
ルカは自分のことのように喜んだ。
「いやぁ……そうですか。結婚ですか」
「なによー」
「いえ。初めて会ったときは、こんなにちっちゃかったのになぁって」
手の平を足首あたりまで下げるルカ。
「そんな小さくないもん!」
「小さかったですよ」
「むー」
頬を膨らませる。
その表情だけは、あの頃と変わらない。
「あ」
何か思い出したように、彼女が笑った。
「そういえばあたし、昔ルカのお嫁さんになるって言ってたよね」
「言ってましたねぇ」
「断られたけど」
「あれは断りますよ!」
「ひどーい!」
「何歳だったと思ってるんですか!」
二人で笑う。
「……でも」
彼女は嬉しそうに翼を揺らした。
「あのとき断ってくれて、よかった」
「…………」
「だって今、大好きな人と結婚できるから」
「……そうですね」
ルカは優しく笑った。
「幸せになってくださいね」
「うん!」
飛び去っていく。
ルカはその姿を見送った。
小さかった子供が。
大人になって。
誰かを好きになって。
その相手と、これから一緒に生きていく。
「…………」
「何ぼーっとしてんのよ」
「うわっ!」
背後から突然声をかけられ、ルカが飛び上がる。
「セラさん!」
「なによ」
「驚かさないでくださいよ!」
「勝手に驚いたんでしょ」
セラがルカの隣へ並ぶ。
「……あの子、結婚するんですって」
「知ってるわよ」
「大きくなりましたねぇ」
「アンタ何目線なのよ」
「いやぁ……なんでしょうね」
ルカは笑う。
ふと、視線を上げる。
遠く。
あの日と変わらず。
ホプキンス山脈がそびえている。
「…………」
「ルカ?」
「いえ」
首を横に振る。
「なんでもないです」
そしてセラと共に、集落へ戻った。
◇◇◇
それからも、季節は巡った。
何度も春が来た。
何度も夏が来た。
木々が色づき。
雪が積もり。
また新しい命が生まれた。
ルカは変わらずそこにいた。
誰かに閉じ込められたわけではない。
出ていこうと思えば、いつでも出ていけた。
ルシエルは止めなかった。
集落の誰も止めなかった。
セラだって、一度たりともここにいろとは言わなかった。
ただ。
明日やることがあった。
明後日もやることがあった。
誰かに頼られた。
誰かを助けた。
誰かと笑った。
そうしているうちに。
いつしかルカは、旅立つ日を考えなくなっていた。
◇◇◇
「……懐かしいですね」
ある日の夕暮れ。
ルカは一人、集落の外れに立っていた。
目の前にはホプキンス山脈。
何年経っても変わらない、巨大な壁。
腰には剣。
首元には、少し傷の増えた勇者の証。
どちらも捨てたことはない。
「…………」
勇者になった。
魔物と出会った。
魔物と人間が共に暮らせる世界を作りたいと思った。
魔王に会おうとした。
そのために山脈を越える方法を探すはずだった。
何一つ、忘れてはいない。
「僕は……」
ルカは山脈を見上げる。
自分は、諦めたのだろうか。
そう考えて。
少し違う気がした。
ここへ来た頃。
人間と魔物は共に暮らせるのだと、口にした。
今。
後ろを振り返れば、それがある。
自分をニンゲンと呼ばなくなった者たち。
自分が魔物であることを意識せず話すようになった者たち。
喧嘩をして。
助け合って。
笑って。
同じ場所で生きている。
世界を変えたかった。
世界全部ではないけれど。
少なくとも、この場所では。
「……これも、間違いじゃないですよね」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
答える者はいない。
ただ風が吹いた。
山脈の向こうから。
こちら側へ。
「ルカー!」
遠くから声がする。
「ご飯よー!」
「今行きます!」
反射するように返事をする。
ルカは山脈へ背を向けた。
一歩。
集落へ向かって歩き出す。
「ぱぱー!」
小さな声が聞こえた。
BAD END No.001
──鳥籠の勇者──
《ルカは、旅立たなかった。》
【原因】
あまりに集落になじみすぎた。




