離縁も辞さぬと娘の仕立てを取り上げた嫁ぎ先へ。母の私は手配札を伏せました。行事の衣はご自分でどうぞ
布を裂く音が、私の指を止めた。
客間の鏡の前で、深い葡萄色の布が、見知らぬ婦人の肩へ当てられていた。母として、私はその布の行き先を先に数える。まだ袖のつかない身頃には、マイカの肩に合わせて私が引かせた糸印が残っている。
「もう少し襟を広くしてちょうだい。この方には、そのほうがお似合いよ」
アデーレ様が、仮留めの針を指先で示した。仕立て屋は針を抜き、マイカの鎖骨に沿うはずだった線を、客人のために外へ移した。
あの家では、人の都合まで仕立て直せるらしい。
膝に置いた手配札の角が、掌へ食い込んでいた。染め手の印、縫い手の印、納め日を書いた札を、私は季ごとに並べ替えてから配る。
「こちらは、マイカの衣でございましたね」
「ええ、初めはそのつもりでした」
アデーレ様は鏡越しに私を見た。客人の胸元へ布を寄せながら、声だけをこちらへ返す。
「けれど、来月のお招きにはこの色が要るのです。マイカなら、手持ちの衣が何枚もあるでしょう」
壁際に立っていたマイカは、袖口を片方の手で包んだ。今日着ている灰青の衣は、三季前に仕立てたものだ。
「お義母様。そちらは、母が私のために——」
「家の客人を整えるのも、嫁の務めですよ」
アデーレ様の指が上がると、仕立て屋の手がまた動いた。胸の余りをつまみ、客人の寸法に合わせて印を打ち直す。
「この布は、染め上がるまでにも日がかかりました」
「銭は当家から払いましょう。それで済むことです」
染め賃を支払ったのは私だったが、口にはしなかった。支払える額と、空けてもらえる日は、同じ秤に載らない。
ユリウスは窓辺から離れ、妻の隣へ立った。マイカには届かないほど低い声を選んだつもりらしい。
「母上にもお考えがある。今回は受け入れてくれないか」
「来月、私は何を着ればよいのでしょう」
「町で買えばいい。寸法が少しくらい違っても、内輪の席だ」
客人の前で着る衣を奪っておいて、娘の席だけを内輪にする。ずいぶん便利な家族だった。
アデーレ様は仮留めの済んだ身頃を客人から外させた。布を抱えた仕立て屋の腕に、マイカの寸法で裁った脇布が垂れている。
「娘の衣に、何人もの職人を押さえておく必要などありません」
アデーレ様は、札の束へ目を落とした。
「既製で十分」
マイカの指が、また袖口を包んだ。私はその手の位置を直しかけ、膝の上で指を曲げた。
「承知いたしました」
「お母様」
マイカの呼びかけには答えず、私は寸法帳を開いた。肩幅、裄、背丈、染め上がりの日、縫い手が針を持てる日が、見開きの左右に分けてある。
葡萄色の衣には、もうマイカの欄を使わない。私は一本だけ線を引き、帳面を閉じずに残した。
「では、今季の順を改めます」
アデーレ様は客人の襟元を眺めていた。何を改めるのかまでは、お尋ねにならなかった。
* * *
翌朝、グンターは日の出より少し遅れて私の仕事部屋へ来た。濡れた靴を戸口で拭き、机の端へ職人衆の空き日を書いた帳面を置く。
「今季の札を受け取りに参りました」
「寺院の分と、町の子らの分はこちらです」
私は白い紐で括った二束を押し出した。寺院の祭衣は裾の繕いと刺繍の補い、町の子らの祝い着は七枚。どちらも、昨日までと同じ順で組んである。
残った札には、アデーレ様の家へ入る仕事が並んでいた。マイカの衣だけではなく、ユリウスの上着、当主の礼装、年中行事で客人に貸す衣も、空いた手へ少しずつ差し込んできた。
「こちらは、お配りになりませんか」
「針は、札を出した者の名で動きます。今季から、私の札は出しません」
グンターは理由を尋ねず、札の枚数を数えた。日取りと順番以外を持ち込まないところが、彼の仕事を長くした。
「空いた日は、待っている仕事へ回します。一度入れましたら、元の順へ戻せるのは来季です」
「それで結構でございます」
私は札を一枚取り、表を下へ向けた。染め手の札、縫い手の札、仕上げを受け持つ者の札。机の木目が、書き込んだ名と日付を一つずつ隠した。
マイカの冬衣に使うはずだった札で、指が止まった。窓枠から落ちた朝の光が、納め日の数字だけを白く照らしている。
止めれば、その日付には何も届かない。
私は札を伏せた。
「奥様」
グンターの指が、伏せた束の脇で待っていた。
「はい」
「この空きも、ほかへ回します」
「お願いいたします」
最後の一枚を伏せると、机の上から嫁ぎ先の名が消えた。反物も銭も、あの家の蔵には残る。私が引き受けていたのは、それらが人の手へ渡る順だけだった。
グンターは寺院と子らの札を懐へ入れ、伏せた札には触れなかった。立ち上がる前に、寸法帳の開いた頁へ一度だけ目を向ける。
「お嬢様の分も、でございますか」
「嫁いだ先で、既製の衣を選ばれるそうです」
グンターの眉がわずかに上がり、元へ戻った。
「承りました」
彼を見送ってから、私は札を箱へ収めた。伏せたまま重ねれば、どの職人へ出すはずだったかは見えない。
寸法帳だけは机に残した。風で頁がめくれないよう、葡萄色の糸巻きを端に置いた。
昼を過ぎて、マイカが一人で来た。いつもならユリウスの馬車が門前に待つが、今日は靴の縁に乾いた泥がついている。
「札を止めたのですね」
「私の名で出す分は、伏せました」
「私の衣だけではなく?」
「一枚の札に、都合よく半分の名を書くことはできません」
マイカは机の前に立ち、箱の蓋へ指を置いた。開けはせず、木目をなぞってから手を離す。
「お義母様は、母なら最後には整えると仰っていました」
「そうでございますか」
「ユリウスも、行事の前には間に合わせてくれるだろうと」
私は返事の代わりに、寺院へ納める刺繍糸を数えた。十二巻目を籠へ入れるまで、マイカは椅子に座らなかった。
「私のせいで、家中の衣が止まります」
「アデーレ様が、ご自分の家の順を決められます」
「母は、手を貸さないのですか」
糸巻きの列が一本ずれていた。私は端を揃え、籠の蓋を閉じた。
「求められていない手を置けば、邪魔になります」
「今は、求められたら?」
「誰が、何のために求めるかを聞きます」
マイカは椅子を引いたが、腰を下ろさなかった。開いた寸法帳の自分の頁を見て、葡萄色の糸巻きへ触れる。
「この帳面を、閉じないのですか」
「まだ書く余白がございます」
その余白へ何を書くかは、私の仕事ではなくなりかけていた。指を出せば、まだ直せる距離にある。
マイカは糸巻きを元の位置へ戻した。
「では、私も聞いてみます。何が、どの順なら間に合うのか」
「グンターは、午後には職人街へ戻ります」
それ以上の道順は告げなかった。マイカは一度だけ頷き、椅子を机の下へ戻して出ていった。
* * *
アデーレ様が最初に呼びつけたのは、葡萄色を染めた職人だった。
その話を持ってきたのはグンターである。私は寺院の祭衣へつける房を検めながら、彼が差し出す新しい日取りだけを見た。
「倍を払うから、同じ色を十日で染めよ、と仰せでした」
「職人は何と?」
「天候が十日分、買えるなら、と」
その返答を聞いたアデーレ様は、雨の降らない染め場へ移せと命じたという。だが同じ染め場でも、水と乾きの日数までは替わらない。
葡萄色の残り布は客人の衣に足りず、追加の反物が要った。染め上がりは行事の七日前。そこから裁って縫うには、針を持つ手が空いていなかった。
次にアデーレ様は、縫い手へ先に形を作らせようとした。白い反物を裁ち、縫い上げてから染めればよい、と。
「縫い目に色が溜まります」
縫い手は布を卓上へ戻した。脇をほどいて染めるなら、初めから裁つ日を待つのと変わらない。
「その程度は、腕でどうにかしなさい。代金は先に払います」
「先に頂いても、先に縫えるわけではございません」
グンターはそこで口を挟まず、縫い手の帳面を開いた。アデーレ様が望んだ六日間には、町の子らの祝い着が入っていた。
「それを後へ回せばよいでしょう」
「札のある順に入れております」
「では、札を出しなさい。これまでと同じものを」
グンターは帳面を閉じた。
「奥様の札がない仕事を、以前の順へは入れられません」
アデーレ様は金額を上げた。縫い手は受け取らず、空いている来月の三日を示した。
その三日を押さえれば、今度は仕上げをする者が別の仕事へ移っている。染め、縫い、仕上げのどれか一つを前へ出すたび、残り二つが行事の向こう側へ落ちた。
さらに、マイカと同じ形の衣をもう一度作らせようとして、寸法が足りなかった。
あの家に残っていたのは、古い衣の胴回りだけだった。肩幅も裄も、首のつけ根から腰までの長さも、私の寸法帳にしかない。
「本人を立たせれば測れるでしょう」
アデーレ様に命じられ、マイカは仕立て屋の前へ立った。だが職人が新しく測った肩は、私の帳面にある冬の数字より少し下がっていた。
「右だけ、半寸の下がりがございます」
「そのくらい同じに作りなさい」
「同じにすれば、右袖が引かれます」
アデーレ様はマイカの肩を指で押した。マイカは押された分だけ背を伸ばし、仕立て屋は巻尺を畳んだ。
「急ぎなら、補正を一度見たいところです」
「その一度が取れないから、急がせているのです」
職人は日取りを消し、来季の欄を示した。急ぎという言葉は、空いている手を作らなかった。
行事の三日前、客人の衣は片袖だけがつき、アデーレ様の礼装は染め場にあった。ユリウスの上着は裁つ前の布のまま、蔵の棚で紐をかけられていた。
その夕方、ユリウスは町で買った黒い上着を着て広間へ下りてきた。肩が余り、袖口から手が半分しか出ていない。
「母上。暗い席なら、これでも目立たないでしょう」
アデーレ様は襟を一度つまみ、すぐに放した。
「その上着では客前に出せません」
「ですが、ほかには——」
「出せないと言っています」
ユリウスは片方の袖を引いた。布は肩から持ち上がり、襟が首へ食い込んだ。
彼は上着を脱いだ。畳む場所を探す手が二度動き、結局、椅子の背へ掛ける。
それから口を開かなかった。
行事当日、貸し衣は揃わず、招くはずだった客の数が減った。アデーレ様は去年の礼装を着て広間へ出たが、裾の繕い跡を花卓で隠したという。
マイカは灰青の衣を着た。袖口の擦れたところへ、自分で同じ色の糸を渡していた。
「どうして母君へ頼まない」
ユリウスが問うと、マイカは糸を切った。
「あなたから、お頼みになればよろしいでしょう」
「母上同士の話だ。君が間へ入ったほうが——」
「私は、衣を回された側です」
糸切り鋏が卓上へ置かれた。ユリウスは椅子の背にある既製の上着を見て、別の話を始めなかった。
翌日、マイカは一人でグンターを訪ねた。母からの取りなしではなく、職人の空きと、仕事を入れるために必要な日数を聞きたい、と。
グンターは染め手の帳面から順に開いた。
「聞くだけなら、札は要りません」
「では、聞かせてください」
マイカは自分の小さな帳面を取り出した。最初の頁には、衣の名ではなく、乾く日数が書かれた。
* * *
行事から五日後、アデーレ様とユリウスが私の家へ来た。
二人とも先触れを寄越し、約束の時刻より早く門をくぐった。客として通した部屋で待たせると、アデーレ様は茶へ手をつけず、ユリウスは膝の上の帽子を三度回した。
「マルグリット様。このたびは、正式にお願いに上がりました」
アデーレ様は立ち、腰を折った。これまで私を呼ぶときはマイカの母君で済ませていた口が、初めて私の名を使った。
私は向かいの椅子へ座ったまま、続きを待った。
「次の会食までに、客人用の衣を三枚、ユリウスの上着を一枚、私の礼装を一枚。以前の職人を、以前の順で手配していただけませんでしょうか」
マイカの衣は、その中に入っていなかった。
「次の会食は、いつでございますか」
「二十日後です。追加の費用はお支払いいたします」
「今季の空きは、すでに別の仕事へ入りました」
「そこを、あなたのお名前で頼んでいただきたいのです」
アデーレ様の背はまだ曲がっていた。ユリウスも遅れて立ち、母親より浅く頭を下げる。
「義母上。家の務めが滞れば、マイカの立場にも差し障ります。今回だけでも、お力添えを」
「マイカの衣を整えるために出していた札でございます」
「もちろん、あの子の分も加えます。葡萄色でなくても構いません」
加える、という言葉だけが卓上に残った。娘の衣は、頼まれた五枚の後ろへ戻されるらしい。
「寺院の祭衣には、今までどおり札を出しております。町の子らの祝い着も、納め日を変えておりません」
「でしたら、当家の分も同じように」
「同じではございません」
アデーレ様が顔を上げた。腰は伸びたが、命令するときの顎までは戻らない。
「当家は、これまで相応の代金をお支払いしてきました」
「職人へ支払う代金でございます」
「不足があると?」
「ございません」
「では、なぜです。銭も反物も用意しております。必要なものは揃っているでしょう」
私は茶器の脇に置いた小箱を開けた。中には、あの日に伏せた札が、表を下にして重なっている。
「一度止めた空きは、来季まで戻りません」
「来季なら、あなたがまた札を?」
「いいえ。来季の仕事は、アデーレ様のお家の名で、グンターへお頼みください」
アデーレ様の指が椅子の背をつかんだ。爪の先が木へ当たり、乾いた音を立てる。
「これまでどおりに戻していただきたいのです。マイカのためにも」
「マイカには、ご自分で選ばれた衣がございます」
「町で買ったものなど、正式な席には使えません」
私は小箱から一枚だけ札を取り出した。表を返さず、指先で角を揃える。
「既製で十分」
アデーレ様の唇が開いた。あの日と同じ言葉は、娘ではなく、客前へ出せない上着と、間に合わない礼装の上へ落ちた。
「それは、マイカの普段着について申したことです」
「衣によって、人の手が軽くなるわけではございません」
「ですが、当家の蔵には選び抜いた布がございます。客人に出せる反物も、まだ何反も」
「反物は蔵にございます。ただ、縫うのは人の手です」
アデーレ様の指から、椅子の背が離れた。視線が小箱の札へ落ち、伏せたままの束を数えようとしてやめる。
欲しかったのは反物でも、職人でもない。頼めば前へ入る順だった。
その順に、もう私の名はつかない。
「では、二十日後の会食はどうすればよいのでしょう」
「当主であるアデーレ様がお決めになることです」
「客人へ、衣が揃わないなどとは言えません」
「お伝えになる言葉まで、私がお仕立てすることはできません」
ユリウスの帽子が、膝から床へ落ちた。彼は拾い上げたが、被らず、母親の後ろへ半歩下がる。
「義母上。せめてマイカから頼ませれば、お受けになりますか」
「マイカが何を頼むかは、マイカが決めます」
「妻なら、家のために——」
「そのお話は、妻へなさってください」
ユリウスは帽子の縁を握り直した。アデーレ様は彼を見ず、私へもう一度腰を折る。
「来季まで待ちます。ですから、そのときには以前のように」
「グンターへ直接、空きをお尋ねください。私から取り次ぐことはいたしません」
アデーレ様の背が、途中で止まった。来季まで待てば戻るのは職人の空きであって、特別扱いではない。
小箱の蓋を閉じる音に、二人の視線が揃った。
「本日のご依頼は、以上でございますか」
アデーレ様は返事をせず、手袋をはめた。右手の指を一本取り違え、抜いてから入れ直す。
ユリウスが扉を開けた。先に母親を通し、振り返りかけたが、結局何も言わずに続いた。
私は二人を玄関まで送らなかった。冷めた茶を下げ、小箱を元の棚へ戻した。
* * *
マイカが職人のところへ通い始めてから、ひと月が過ぎた。
初めは、染め上がる日を一日早く数えた。グンターに雨の日を指されると、その場で線を消し、乾かす日を二日足した。
次には、縫い手の空きへ二枚分の仕事を置こうとした。針を持つ手は一人に二本生えていないと告げられ、片方を次の週へ移した。
仕上げの者へ渡す前には、留め具の数を自分で確かめた。一つ足りずに市場まで戻り、その日のうちに帳面へ品数の欄を作った。
私なら先に教えたことばかりである。先に教えれば、間違えた線を自分で消す手は育たない。
マイカは灰青の衣の上へ作業用の前掛けを重ね、染め場と仕立て場を歩いた。靴の泥を気にしなくなるまでに二週間、職人へ結論から話すようになるまでに、さらに十日かかった。
「薄青を三反。染め上がりは月末で構いません。その代わり、二反を先にお願いします」
「先の二反は、誰が縫う」
「一反はラウルさんへ。もう一反は、三日後に空く方へお願いします。残りは翌月です」
遠慮がちな語尾は、日付の前から消えていた。職人は彼女の顔ではなく帳面を見て、空き日に丸をつけた。
隣町の若い仕立て屋であるラウルは、その順で染められた一反を受け取った。祝いの日に隣町の子らが着る揃いの上着で、すべて同じ日に仕上げる必要はなく、年長の子から順に納めればよい仕事だった。
「なぜ二反だけ先にしたのです」
ラウルが尋ねると、マイカは子らの寸法を書いた紙を広げた。
「背の高い二人は、来月には裄が変わります。先に合わせます。小さい子の分は、残りの布が上がってからでも間に合います」
「留め具は?」
「数えました。予備も二つございます」
ラウルは紙の端へ納め日を書き、その隣へ自分の名を置いた。
「では、その順で受けます」
仕上がった上着を見たグンターは、縫い目ではなく、札の並びを確かめた。早い二枚と遅い五枚の間に、無理な割り込みは一つもない。
「次は、ご自分の名で札を出されますか」
「はい」
マイカは白紙の札を受け取り、最初に自分の名を書いた。私の名を添える余白は残さなかった。
その帰り、彼女は私の仕事部屋へ寄った。小さな帳面は布端と糸屑で厚くなり、表紙の角が丸くなっている。
「次の季の衣を頼みます」
「どなたへ?」
「ラウルさんに。染めは、先にグンターから空きを聞きます」
私は寸法帳へ手を伸ばしかけた。右肩の半寸を伝え、染め手の休みを避け、縫い手へ渡す日を一日ずらせば、布を待たせずに済む。
マイカが自分の帳面を開いた。そこには右肩の印も、雨の日も、縫い手の休みも、別々の筆跡で書き足されている。
「お母様」
「はい」
「今度は、私が順を決めます」
伸ばしかけた指を、私は茶器の取っ手へ移した。湯を注ぐと、二つの椀から細く湯気が上がる。
「色はお決めになりましたか」
「まだです。着る場所から決めます」
「そうでございますか」
それなら、と口にしかけた言葉を、茶と一緒に飲んだ。マイカは私の返事を待たず、帳面へ次の空き日を書き込む。
数日後、ラウルが仕上がった上着を届けに来た。私は受け取りの確認だけをして、マイカを呼ぶ。
「縫い目をご覧になりますか」
「私ではなく、依頼した者へ」
ラウルは頷き、上着をマイカの前へ置いた。袖口、留め具、裏の始末を、二人で順に確かめる。
「問題ありません。残りも、この幅でお願いします」
「承知しました」
ラウルは上着を畳み直したが、すぐには包まなかった。マイカの帳面に置かれた次季の札へ目を向ける。
「次の季も、あなたの順の組み方で頼みたい」
マイカの指が、札の上で止まった。
「私に、ですか」
「あなたに。隣町で、染めと縫いが噛み合わない仕事が三つあります」
「三つを同じ日に仕上げる必要は?」
「ありません。だから、頼みたい」
ラウルは私を見なかった。日取りを書いた紙を、マイカの側へ向けて差し出す。
「一度、現物を見せてください。それから決めます」
「明後日なら案内できます」
「午後にグンターとの約束があります。午前なら」
「迎えに来ます」
「道は知っています。門前で待っていてください」
ラウルの口元が少しだけほどけた。紙の下から、もう一枚、小さな札を取り出す。
「仕事のない日にも、お目にかかってよろしいですか」
マイカはその札を受け取らず、日取りを確かめた。窓の外では、寺院へ運ぶ祭衣の鈴が、荷車の揺れに合わせて鳴っている。
「その日も、先に空きを聞いてください」
「誰の空きを?」
「私のです」
ラウルは小さな札を、仕事の紙の隣へ置いた。
「では、返事を待ちます」
「はい。私からお返しします」
二人は明後日の時刻を決めた。私は茶を足さず、祭衣の受領札だけを揃えた。
マイカがラウルを門まで送ったあと、机には二枚の札が残った。仕事の日取りが書かれたものと、まだ何も書かれていない小さなもの。
どちらを先に取るか、私は尋ねなかった。
やがて戻ってきたマイカは、仕事の札を帳面へ挟んだ。白い札は指で半分隠したまま、自分の鞄へしまう。
「明後日、隣町へ行ってまいります」
「気をつけて」
「帰りは遅くなるかもしれません」
「夕食は取り置かせます」
染め場への近道も、ラウルへ確認すべき三つのことも、舌の先まで来ていた。
私は口を挟みかけた手を、膝の上で重ねた。
マイカは自分の札を持って、扉を開けた。今日の札に、私の名は要らない。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
「悪くなかったな」と思われたら、★や感想を残していってもらえると、とても励みになります。
作者ページには他の短編も並んでいます。よろしければどうぞ。




