007 ☈ 4月の編入生⑦
如月と途中まで一緒に帰って、電車内で別れた私は、駅前のすぐ傍の家に戻ってきていた。
マンションの最上階が私の家。最上階の部屋は3つしか無いらしく、その手前の2つが私の家だったが、片方は親父専用の書斎になっていたため、私がそちらに行くことも無かった。
家に上がると、既に母さんが家を出る準備をしていた。
私は何も言わずに、黙ったまま家の奥にある部屋に向かう。
と、後ろから声がかけられた。
「ただいまの1つくらい、あっても良いんじゃない?」
「…… ただいま」
「お帰り」
母さんと会話なんて久々だった。むしろ、何ヶ月ぶりだろうかと思う。
しかし、母さんは少し慌ただしそうに携帯をいじくる音がしたので、私はそれ以上、何も言うまいと思っていた。
「久しぶりの学校は、どうだったの?」
が、珍しく母さんが私に訊ねて来た。不登校だった私を少しは心配してくれていたらしい。前みたいにもっと話したいと思う気持ちを抑え、私は敢えて、一言で答えることにする。
「楽しかったよ」
「…… それだけ?」
それだけの訳が無い。
しかし、それ以上話せば、話しが長くなりそうだった。普段通りなら、あと5分で母さんは家を出る。それまでに話し終える気がしなかった。
「他の学校と統廃合になって、編入してきた奴が居て、そいつがオレの気持ちを読んでくれる凄く良い奴だから、心機一転、何とかやって行けそう」
「そう、良かったじゃない」
「うん」
母さんには、不登校になる前の話しは一切していない。不安にさせたり、心配させたりし過ぎると、母さんは私を庇って発狂し、何をし出すか解らないような精神を抱えている。
つまり、自殺したアイツと同じ精神状態 …… よりは俄かにマシの程度。それは母さんが社会を知っているからであって、もし知らなかったら "彼女" と同じなのだろうと思う。
―― だからこそ、彼女を守れなかった私を私が一番恨んでいる。
「母さん、そろそろ出掛けるから」
言われてリビングにある数分早めの時計を見れば、いつも通り、針が5時45分を指していた。
母さんが、親父では無い男の人と飲みに行く時間。
「いってらっしゃい」
「夕飯は自分で用意してね。父さんはいらないって」
これもいつものことだった。だから返事はしない。
「あ、あと、空いていた隣の部屋ね。管理人さんの知り合いが住むことになったみたい。さっき管理人さんと一緒に挨拶しに来たから、机の上にクッキーあるわよ。全部はダメだけど、1種類ずつくらい食べても大丈夫だからね。
じゃ、いってきます」
一方的に母さんが喋った後で、部屋の扉が開けられ、鍵が閉められる音が聴こえて来た。
そして部屋が急にシーンと静まり返る。
本当は、私だって彼女と普通に仲良くなりたかった。
でも、彼女は違った。
最初から、彼女は私を従えるつもりで接して来ていた。一方的に感情を押し付けられる日々に良く解らなくなり、思い切ってこのことを伝えれば、彼女は私のペットになると言い始めた。
そういうことじゃないと言っても、超能力者だった彼女は ”友達" という本当の意味を知らずに育ったために、そのどちらかではないと理解が出来ないようだった。
だから私は、距離を置こうとした。
でも、彼女は違った。
離れるほど彼女はくっついて来た。
1日喋らなかっただけで、家までついて来たこともある。
それがあまりに怖くなって、それはダメだと伝えれば、やっと話してくれたと喜んだ。
そんな繰り返しが続いたある日、家の前に張り込んでいた彼女は、とうとう親父に発見された。親父は無視したが、翌朝まで彼女が粘っていたことで、不安を感じて私に内線をかけてきた。だから、事情を話した。しかし、親父は警察を呼んで連れて行ってもらっていた。
その後、家までは来なくなったが、学校ではずっと私に付き纏っていた。ただ後ろをくっついて来るだけ。だから、私も敢えて彼女が空気なのだと思うようにした。
その関係でも良いと私は思っていた。
が、やはり周囲は違った。
最初にやって来たのは、麻生たちだった。彼女が私と美川先生以外には一言も喋らないために、私を仲介して彼女に喋らせてほしいということだった。しかし、それは私の責務ではないと断れば、ただそれだけで殴られた。風の噂で麻生の親戚が彼女を引き取ったとかいう話を耳にしたが、私よりも美川先生の方が花子とスムーズに会話をしてくれると思ったためでもあった。
その次に来たのは、驚くことに紗穂だった。紗穂は彼女と離縁しない限り部活には居て欲しくないと言った。しかしこれは当然のことで、実はこの彼女は、厄介なことに部活中もずっと廊下に立って待っているような人だった。このため、大切な話しをしたくてもできない、という紗穂の話しを聞いて理解し、彼女に注意はした。が、彼女はそれを止めようとはしなかった。
最終的にこれらが全て合わさり、結果的に彼女を庇っていた私は、クラスメイトだけではなく、学年のほぼ全員から虐めという名の暴力を受けることになった。
しかも、クラスメイトの能力は、明らかに私よりも勝っている。私の能力なんて、超能力者という診断が下されているだけでオーラすら見ることが出来ない、つまり無いに等しいモノなのに、ただそれだけで ”超能力者同士の喧嘩" の扱いをされてしまっていた。
それでも、母さんには心配をさせたくなかった。
だから学校には通った。
彼女は傷だらけの私を心配するどころか、嬉しそうに洋服のブランドの話ばかりを私に言って来た。私は一方的に聞き流した。これで良かったのだと自分に言い聞かせていた。
しかし、しばらくして彼女がホームルームの時間に、私を引っ張って皆の前に出た。
彼女は、何て言ったのか良く解らなかった。
確か、結婚するとかお揃いの婚約指輪があるとか言っていた気がする。
そして、私にキスを迫っていた。
―― 何だか、全てがどうでも良くなった。
ぼーっとしていた私は彼女を殴った。多分、一発ではなかったと思われる。数発、顔面を思い切り殴ったと思う。彼女はそれでも嬉しそうに笑っていた。あまりに酷かったのか、何人かが私を止めようとしているのが解った。
急に恐怖に思った私は走ってその場を後にした。
私は、最初からこうして居れば良かったのかもしれない。
本来なら楽しい夏休みが始まっても、私は家から一歩も出なかった。彼女からのメールは、毎日100通以上は送られていたみたいだが、彼女からの着信に恐怖した私は携帯の電源を切って充電すらしなかった。
こうして毎日が過ぎて行き、新学期が始まっても、私は学校に行くことすらしなかった。
事情を知っているのか、知らないのか。母さんは何も聞かなかった。
事情を知っていても、親父は相変わらず普段通り、仕事の合間に攻略し終えたゲームを私に譲ってくれていた。
ある日、珍しく紗穂が家を訊ねに来た。彼女が近くに居ない隙に来たのだという。
紗穂を家に招いたら、今まで何も知らなかったことを先に謝られ、そして同時に1台の古びた携帯を渡された。紗穂が携帯を2台持ちしていたことは知っていたが、まさかその片方を渡されるとは思ってもいなかった。
そして、今の彼女の様子を知らされた。
同時に、事実を話して欲しい、とも。
どうでも良くなっていた私は、全てを話すことにした。
彼女は入学した時から精神状態が宜しくなかった。このことを知っていた美川先生は、そんな彼女を守るために、たまたま隣の席だった私に世話役をするよう言って来た。
もちろん、私は断った。
しかし美川先生は、私の入学時の成績がギリギリだったこと、このままだと遅れをとって赤点になって補習行きだということを言って来た。そしてその補習行きを失くす代わりに頼まれてくれないか、と。当然ながら、勉強を頑張れば良い話しだったので受けなかった。
しかし、それにプラスして授業料を半額にすると言われた時に、私は迷うことなく頷き返していた。
私の授業料は、当然ながら両親から支払われていた。
しかし、既に2歳くらいの時から、お金の工面が大変だからという理由で母さんが働き始めたために、家庭は崩壊しているような状態だった。
ほぼ別居状態の両親に、育児放棄。
あまりに酷かったために、祖母が私を引き取って小学生くらいまで育ててくれていたほどだった。だから私がこの学園に入学した時も、あまりに高額な入学費だったために、母さんが絶句して倒れてしまったほどだった。
そんな家庭事情があったために、彼女の世話役をすることになった。
しかし、彼女は図に乗っていた。
だから私が制した時も、彼女は私に逆らうのか?と、まるで美川先生と同じように脅迫してきた。そのため、私はただ黙っているしか無かった。
これが事実であり、誰にも言わなかったことだった。言えば確実に美川先生から教師免許を剥奪できることは知っていたが、授業料が半額という点には勝らなかった。ただ、それだけの話し。
なお、紗穂には家庭の事情のことまでは話していない。それは紗穂が知らなくても良いことだから。
思い出に耽っていたら、いつの間にか私に睡魔が訪れたらしい。
―― 気付けば、朝になっていた。




