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恋人と魔獣に愛される平凡な私

作者: 灯陽樹
掲載日:2026/01/13

 どこにでもいる平民の女性…それが私、プリムラだ。


 栗色のふわりと癖のある髪に、ブラウンの瞳。顔やスタイルが特別美しい…というわけでもない、平凡な容姿。強いて特徴を言うならば、たれ目なところぐらいだろうか。店員として働いている小さな食堂で、愛嬌があるとお客から褒めてもらったことがある。まぁ、その人はベロベロに酔っぱらっていたけど…


 恋人と住んでいる家も、ごくごく一般的な大きさだ。清潔さを保つには丁度いい広さの室内に、自分で整えるには最適なサイズの小さな庭。近所との大きなトラブルも無く、波風のない平和な日々を過ごせている。


 そんな私の休日。仕事の疲れを癒すために、自宅にある庭でゆったりとした時間を満喫していた。


「いい天気ね」


 返答を求めない独り言。しかし目の前で風に揺られている洗濯物たちが、頷いているように見える。


 空っぽになった洗濯籠に満足し、小さなテーブルの近くにある質素な椅子に腰を下ろす。あらかじめ用意しておいた休憩用のお茶で喉を潤すと、私はそのまま背もたれに身体を預けた。


 光の下で、汚れが無くなったことを喜ぶように風と踊る衣服たち。そのダンスに彩りを添える草花たちは、誇らしげにその命を輝かせている。美しい景色を見守れるこの時間は、最近の私のお気に入りだ。


 太陽が生み出すポカポカとした温かさは、私までも柔らかく包み込んでくれる。あまりの心地よさに意識が微睡んでいく。けれど不意に吹いた風が、私の栗色の髪を撫でるついでに眠気も一緒に連れ去っていってしまった。


 悪戯な風を微笑んで見送った後、足元で気持ちよさそうに寝そべっている純白の塊に声をかけてみた。


「気持ちいいわね、ベス」

「わんっ」


 ベスと呼ばれたその子は、むくりっと起き上がるとそのまま私の膝に顎を乗せる。元気な返事と呼応するように、ふさふさの尻尾が大きく揺れた。


 ベス、と気軽に呼んではいるが、この子の正体は魔獣だ。しかしまだ子供なので、その姿は恐ろしさの欠片もない。魔獣というよりも、どちらかというと大型犬によく似ている。


 愛くるしい愛犬…もとい愛魔獣は一つ大きな欠伸をした後、じ…と静かにこちらを見上げていた。


「どうかしたの?」

「……くぅん」

「もしかして、撫でてほしいの?」

「わん!」


 ベスの顔が、期待で輝く。気持ちがすぐに表情に出る素直なベスが可愛くて、クスクスと笑みがこぼれてしまう。一人笑っている私に、ベスの頭が催促するようにすり寄せられた。


「あらあら、今日は甘えん坊さんね」


 そう呟くと、ベスの紅の瞳が『ダメ?』と不安げに揺らいだ。私はゆったりと首を横に動かし、ふかふかの毛並みに手を埋める。


「フフ、そんな顔しないで。あなたと一緒に日向ぼっこできて、嬉しいわ」


 フワフワした感触を楽しむように、ベスの頭をゆっくりと撫でていく。ベスの瞳が気持ちよさそうに蕩け、徐々に瞼が落ちていった。お昼寝の邪魔をしてはいけないと手の動きを止めようとすれば、すぐさま自分の頭で私の手の平を突き上げ、チラッとこちらの様子を伺ってくる。


 『もっと撫でて!』とおねだり上手なベス。そんな可愛らしい子からのお願いを断る理由などなく、私は喜んで手を動かし続けた。


 ふと、誰かが庭に立ち入る音が耳に届く。よく知る気配の方に顔を向けると、そこには私の予想通りの人物がこちらへと歩んできていた。その手には、大量の荷物が抱えられている。


「おかえりなさい、スノード」

「ただいま、プリムラ」


 私の出迎えの言葉に、小さく笑みを浮かべて答えてくれる体躯のいい青年。


 彼はスノード。私と同棲中の恋人だ。


 スノードは私と同じ平民だが、騎士団に入隊している。どれだけ厳しい訓練があっても音を上げず、街で困りごとがあれば、些細なことにでも手を差し伸べる真面目で優しい人。しかし、黒髪からのぞく切れ長のアイスブルー瞳が放つ鋭い眼光のせいで、怖い人と誤解されることが多いようだ。努力家な彼が目元をマッサージしている姿を見た時は、その甲斐甲斐しさに思わず笑ってしまった。


「すごい大荷物ね。どうしたの?」

「君の職場の婆さんや常連たちにもらった」

「店長たち?」

「この前、俺が屋根を直したお礼と君への差し入れだそうだ」


 そう言ってスノードは、ドサッと荷物をテーブルに置いた。


「プリムラは本当に皆から愛されているな」

「何言ってるの。スノードへのお礼がメインでしょ?」

「俺は当たり前の事をしただけだ」

「その当たり前が最近の騎士団にはできていないって、前に言ってたじゃない」


 からかい混じりに私が言うと、スノードは重々しく頷いた。


「そうだな。そこは確かに改善すべきところだ。今、騎士団長にも掛け合っている」

「騎士団長!? 隊長をすっとばしたの!?」

「その方が早いからな」

「…隊長、怒らなかった?」

「怒りはしなかったが…なぜか爆笑していたな」


 何が面白かったんだ? と、首を傾げるスノード。私は隊長の人柄に心から感謝した。


 スノードは策略というか、人生において計算ができない人だ。上司に媚を売ることはもちろん、ごまをすることも一切しない。間違ったことがあれば相手が誰であろうと、はっきりと首を横に振ってしまう危なっかしさもある。しかし、スノードの芯のある姿は凛としており、男女ともに憧れる者が多いと聞く。平民であるにもかかわらず、スノードの人気は貴族令嬢たちからも高いという噂も知っている。


 そんな彼が告白してくれた時、とても嬉しかった。私もスノードの真っ直ぐさに惹かれた女性の一人だったから…でも彼の未来のために、私は身を引こうとした。


 私のような平凡な平民と一緒になるよりも、煌びやかで美しい貴族令嬢と生涯を共にするほうがきっと幸せになれる。誰が見ても、そう思うだろう。それに貴族令嬢と婚姻を結ぶということは、人脈の拡大に繋がっていく。騎士団に所属している彼にとって、人間関係が大切であることは間違いはない。スノードほどの実力なら、後ろ盾さえあればスピード出世も夢じゃないはずだ。


 私は正直に胸の内を明かし、大好きな人の明るい未来を願った。無理やり作った笑顔と同じように、手が強張っていく。固く握りしめた私の手は、武骨で大きな手が優しく包み込まれた。


『出世は実力でする。俺の幸せを願うなら、君の…プリムラの隣にいさせてほしい』


 アイスブルーの瞳の奥に宿る熱や力強い言葉とは違い、彼の顔を支配していたのは緊張だった。微かに震えている、強く握られた手。そこから伝わってくるスノードの真摯な想いは、私の首を縦に振らせた。


 恋人になってから聞いた話だが、貴族令嬢からスノードへ縁談の話はすでに何件かあったようだけど、彼は全てスッパリと断り続けていたらしい。理由は、私のことが好きだったから…


 想い合う前から真っすぐに愛されていた事実は、今でも私の頬を火照らせる。


 顔の熱を冷ますために、私は思い出から現在へと意識を戻し、テーブルに置かれた荷物の中身を確認していく。


 果物にパンに肉などなど…荷物の中身は食べ物ばかりだった。育ち盛りのベスや鍛錬を怠らないスノードの食欲をよく知っている、店長たちらしい贈り物だ。


 これだけの食材があれば、二人の好きなものを沢山作ってあげられる。皆の優しさが詰まった食材で作れば、美味しさも倍増するに違いない。さて、まずは何から作ろうか…


 うーん、と献立を考えていると、ベスが私の手を軽く突き上げた。


「ベス?」

「くぅん…」


 ベスは小さく鼻を鳴らすと、頭をすり寄せてくる。どうやら私の動きが停止してしまったことが、ご不満なようだ。


「あぁ、ごめんね。ちょっと考え事していたの」

「わふ?」

「今日の夕飯のことよ」


 そう言いながら撫でるのを再開させる。手が動き始めると、ベスの不機嫌さは嘘みたいに消え去った。私の膝に頭を預けると、ベスの顔が満足気に綻んでいく。


「ふふ、ベスったら…可愛いわね」

「………そうだな」


 妙な間の後、スノードは端的に返事をした。彼の瞳は、じ…と私たちを静かに観察している。


 パチリッと、ベスとスノードの目が合った。


 しばらく見つめ合っていた二人だが、フイッとベスがスノードから目をそらした。その瞬間、なぜかスノードの表情がムッとしたものへと変化する。


 スノードは一つ息を吐くと、おもむろに動き出す。


「スノード?」


 何を思ったのか、スノードはベスの後ろに立つとそこから動かなくなった。腕を組んでその場から微動だにしないスノードに、私は小首を傾げる。


「どうしたの?」

「順番待ちだ」

「順番?」

「君に甘える順番だ」


 今はベスの番だ、と答えたスノードの表情は真剣そのものだった。


「甘えるって…ただ、ベスの頭を撫でているだけじゃない」

「…俺だって撫でられたい」


 ボソッと零れ落ちる願望。それを聞き逃さなかった私の瞳が瞬く。


 どうやら、私に頭を撫でられる順番を待っているみたいだ。


 それを脳が理解した瞬間、私の中に生まれたのは愛しさと可笑しさだった。


 クスクスと笑みをこぼしている私を咎めることなく、スノードはただひたすらに順番を待つ。


「…おい、そろそろ代われ」


 少し苛立ったようなスノード声音。数分しか経っていないのに交代を要求する彼を、ベスはじっ…と静かに見つめる。


「…へっ」


 ベスは軽く笑うように吠えると、私に頭を押し付けてきた。


 退く気はない。


 言葉にしなくても、ベスの態度が安易にそう告げている。


 明らかに子馬鹿にしているベスに、スノードはこめかみに筋を走らせる。


「俺がいない間、プリムラに甘えていたんだろ。だから、交代だ」

「わふ!」

「まだ足りないだと? それなら、俺の方がもっと足りないだろ」

「わふ〜」

「夕飯のおかずを譲れ? ふざけるな。彼女の手料理を一品だろうと渡す気はない」


 なんで、ベスの言葉が分かるんだろう…


 会話が完全に成立していることを不思議に思いつつ、二人を見守り続ける。


「わふふ」

「確かに、俺にはモフモフの毛並みはない。だが、鍛え上げた筋肉ならある」

「わふ…」

「暑苦しいのは、お前の毛の方だろ」

「わふふん!」

「なっ!? 肉球を出すのは卑怯だぞ!」

「わん!」

「くっ…肉球以上にプリムラを癒せるものなど、俺は持っていない…!」

「へッ…」


 ぷにぷにの肉球を見せつけるベスの前に、スノードは片膝を付いた。


 この二人の言い争いは、もはや日常茶飯事となっていた。そして、その喧嘩の火種が毎回毎回、私に関係する些細なことであるのもお約束。どうでもいいような事でいつも口論となっている二人に、正直呆れ果てている。殴り合うなどの暴力的なことを決してしないのが、せめてもの救いだ。


 今回も無事決着がついたようなので、私はようやく二人の会話に参加する。


「スノードったら、またそうやってベスと張り合って…ベスは子供なのよ?」

「わんわん!」


 『そうだ、そうだ!』と私に賛同するベスに、スノードの眉根が寄る。


「子供でも、ズルいじゃないか。君の恋人は俺なのに…」

「ズルいって…」

「わふ~ん」

「! おい、近いぞ!」


 ベスが再び私に甘えるように擦り寄ろうとすると、スノードは声が少しだけ荒くなった。スノードの制止に、ベスが喉がグルルと不機嫌な音を鳴らす。


 バチバチと火花を散らして睨み合う二人に、私は思わず息を吐いてしまった。


 私が二人を大切に想っているように、ベスとスノードも私のことを愛してくれている。それはとても嬉しいことだ。しかし、だからといってこんなくだらないことで争わないでほしい。


「もう…スノード、大人気ないよ」

「む…」

「ベスも。あなたを助けたのは、スノードなんだからね」

「わぅ…」


 私の叱責に、二人は渋々といった感じで大人しくなった。


 普通に埋め尽くされた私の生活に、魔獣であるベスが傍にいる理由。それは恋人である、スノードにあった。


 ベスは狼型幻獣(ガルム)と呼ばれている種族で、とても珍しい魔獣だ。スノードたち騎士団が森で演習を行っていた日、一匹で倒れているところを偶然見つけたらしい。発見された時のベスは今よりももっと小さくて、魔獣でいうと赤ちゃんと呼ぶべき大きさだった。


 狼型幻獣(ガルム)は凶暴な性格であるため、本来であれば大きさに関わらず発見次第すぐに討伐すべき魔獣だ。だが、それに待ったをかけたのがスノードだった。


 半ば無理矢理その子を引き取ったであろうスノードが演習から帰ってきた時は、本当に驚いた。


『この子は誰も襲っていない。血の臭いもしないし、俺たちを見ても襲いかかってこなかったんだ』


 スノードの言う通り、彼の腕の中にある純白の小さな体に付着している汚れは、泥や草といったものばかり。初めて間近で魔獣を見た私でも、不思議とこの子に恐怖を抱くことは無かった。


 体力回復のために眠る子を、優しく抱きしめ自身の体温をその子に分け与えていくスノード。時折、撫でるその手つきは壊れ物でも扱うようだった。


『恐らく、狼型幻獣(ガルム)の中でも珍しい穏やかな気性の子だ。だから、親に捨てられた』


 眉間にしわを寄せ、苦しそうに言ったスノードの腕の力が強まる。


『こんな小さな命を狼型幻獣(ガルム)というだけで殺すなんて、俺にはできない』

『スノード…』

『でも、これは俺の自己満足だ。君が怖いなら、この子が独り立ちできるまで俺が森に―』

『そんなこと言わないで』


 彼の優しい心に寄り添いたくて、私は強張っている頬に手を添えた。


『一緒に育てましょう』

『プリムラ…だが…』

『大丈夫よ。こんなに可愛いんだもの、怖くなんかないわ。ご近所の皆だって、話せば仲良くしてくれる』


 赤子とはいえ、魔獣であるこの子を近所の人が怖がる可能性は高い。それでも、逃げてはいけないと思った。


 スノードの腕の中で、消えてしまいそうな小さな命。懸命に生きようとするこの子を見捨てるなんて、私にはできない。


『私のコミュニケーション能力が試される時ね…任せて! 皆と打ち解けてみせるから!』

『それは頼もしいな』

『えぇ! 伊達に食堂で鍛えられていないわ!』


 フンッ! と片腕を曲げて小さな力こぶを見せる私に、スノードの目元がやっと和らいでくれた。


 ここでフッ…と、魔獣の瞼が持ち上がっていく。くりくりした愛らしい紅の瞳に、私は可能な限り柔らかく微笑んだ。


『初めまして、私はプリムラ。今日からここがあなたのお家よ』

『……ピャウ』


 短く鳴いたその声は弱々しかった。その声を聞いて、私はこの子を…ベスを守る覚悟を決めた。


 その後は、スノードの必死の説得と様子を見に来てくれた隊長の証言によって、ベスは処分を免れ、正式に私たちの家に迎えることができた。ご近所の人も最初こそ警戒していたが、ベスが庭で穏やかに眠っている様子や、私と庭で元気に遊んでいる姿を何度も見ているうちに、心の距離を縮めてくれた。


 様々な困難を乗り越えた結果、ベスは今ではご近所の人気者である。特に、手入れを欠かさないモフモフの毛並みは、子供たちを魅了してやまない。


 昔の記憶に思いを馳せていると、小さな腹の虫が鳴く音が聞こえてくる。音の方に目を向けると、スノードがお腹を手でさすっていた。


 訓練帰りで小腹が空いているのであろうスノードのため、私は腰を上げる。


「私、この果物を切ってくるね」

「頼む」

「喧嘩しちゃダメよ!」


 ビシッ! と指さして念を押す私に、二人は気まずそうにしながらも、しっかりと頷いてくれた。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 綺麗にカットした数種類の瑞々しい果物が隙間なく盛り付けられた、少し大きめのお皿。その隣には、ベス用のお皿が並ぶ。二枚のお皿が置かれた、目の前のトレーを私は満足気に見下ろす。


「美味しそう。店長たちに、ちゃんとお礼を言わないと」


 美味しいことが約束されている軽食に、きっと彼らは喜ぶだろう。嬉しそうに食している、大好きな人たち。その光景を想像するだけで、頬が緩んでしまう。


 私はトレーを持ち上げると、彼らの待つ庭へ繋がる扉の方に足を進めた。ノブに手をかけた瞬間、聞こえてきたのはスノードの声。


「ベス…話がある」


 重々しいスノードの声音に、私の足は動きをピタリッと止めた。そっ…と扉を少しだけ開け、二人の様子を伺う。


 スノードは私が先ほどまで座っていた席の向かいにある椅子に腰かけていた。ベスは間にあるテーブルの足元で寝そべっている。顔はスノードから背けているが、話はちゃんと聞いているようで、その耳はピクピクと動いていた。


「お前も知っているが、俺は騎士だ。戦が始まれば、最前線に出なければならない」


 その言葉に、ひんやりと冷たい何かが私の胸を撫でていく。


 騎士団に所属する、とはどういうことなのか…知らないわけではない。


 彼が国のために、その命を散らす日もあるだろう。分かっていたことだ。それでも…いざ突き付けられると、こんなにも心が温度を失くし苦しくなる。


「皆を守れることに、俺は誇りを持っている。だから、騎士になったことに後悔はない。だが…」


 口を閉ざすスノード。彼の瞳が、僅かに伏せられる。


「俺はプリムラを心から愛している…彼女を置いていくのが、何よりも心苦しい」


 私はギュッと、トレーの持ち手を強く握りしめた。


 スノードの想いを受け取ったとき、私は自分に誓ったのだ。何があっても、彼の前では泣かないと…


 置いていかれる人も、置いていく人も、どっちも辛い。それが戦争の無情さだと知っている…だから、私はスノードの前で泣かないと決めた。


 彼がこの世を去る時に、思い出す私は笑顔でありたいから。優しい彼の魂がこの世に縛られないように…ちゃんと心置きなく、往くべき場所にいけるように…


 無力な私が出来る、愛する人の魂を守る唯一の方法だ。


 じわり、と滲む視界。水滴が落ちないように、唇を噛み締める。必死に涙を収めようとする私の耳に、再びスノードの言葉が届く。


「どんな相手でも負けるつもりはない…だが、もし俺に何かあったら…」


 彼はベスの頭に、そっ…とゴツゴツした手を置いた。沢山の努力の証が刻まれた大きな手を、ベスは静かに受け入れている。


 アイスブルーの瞳で、深紅の瞳を見つめながら、スノードはゆっくりと想いをのせた言葉を紡ぐ。


「君が彼女を守ってくれ」


 スノードの真っ直ぐで真剣な願い。ベスは彼の顔をしばらく見つめた後、のそりと片足を上げた。


 純白の前足は、スノードの足の上へと着地する。


「わふッ…」


 小さく、でも力強く頷くようにベスは吠えた。


 スノードは心の底から嬉しそうに微笑むと、わしゃわしゃと無造作にベスを撫でる。


「男同士の約束だ」

「わん」

「二人でプリムラの幸せを守っていこうな」

「わん…!」


 ベスの元気な返事。それを見つめるスノードの顔はとても穏やかで、ベスを愛おしむようだった。


 そんな優しい空間に涙なんか似合わない。私は相応しい表情をたずさえて、二人の元へと足を進めた。


「お待たせ。見て、とっても美味しそうよ」

「ありがとう」


 スノードは短くお礼を告げると、テーブルの上に置いたお皿の中身に瞳を輝かせた。


「本当に美味そうだな。この切り方のおかげで、美味しさが増しているに違いない」

「わわん!」

「ベスも分かるか? やはり、プリムラはすごいな」


 些細なことでも喜び、言葉にして伝えてくれるスノード。子供のように素直に感情を表すベス。口喧嘩していても仲の良い二人に、愛おしさが溢れてくる。


 穏やかなに吹いた風に乗せるように、私は胸の中にある想いを口に出す。


「スノード」

「ん?」

「大好きよ」


 突然の告白に、目を真ん丸に見開くスノード。だが、その表情はすぐに甘いものへと塗り替えられていく。


「俺も、愛しているよ。プリムラ」


 惜しみなく慈しみを注いでくれる、優しい恋人。彼からの愛を、私は笑顔で受け止めた。


「わふん!」


 存在をアピールしてくるベスにも笑顔を向ける。


「もちろん、ベスのことも大好きよ」


 そう言って、ベスの頭を撫でようと手を伸ばす。だが、その手はベスに届く前に横から伸びてきた筋張った手に握られた。


 手の主であるスノードの行動の意図が読めず、私はキョトリとしてしまう。私の手を期待していたベスも、怪訝な顔を浮かべている。


「言っただろ。どんな戦いにも負けるつもりはない、と」


 そう言うと、スノードは私の手の甲にキスをした。


 サッと自分の頬に熱が集まっていく感覚がはっきりと分かる。色づく私の頬を見たスノードは、勝ち誇ったような笑みをベスに向けた。


「この世界でプリムラを一番愛しているのは、俺だ。そして、俺を一番愛してくれているのもプリムラだ」


 そうだろ? と熱を帯びたアイスブルーの瞳が私に問いかけてくる。


 返事はできなかったが、今の私の顔を見れば一目瞭然だ。それを察せられないほど、彼は鈍感な人ではない。その証拠に、スノードの表情には嬉しさが滲み出ていた。


 普通なら、このまま恋人たちの甘い空気を味わうのだろう。だが私たちの場合、すぐにそれどころではなくなった。


 ベスがスノードへ全力の体当たりを計画していることに気が付いたのだ。助走に入ろうとしているベスを止めるため、砂糖菓子のような空間はそこで終了となった。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



 あれから、二十年。


 夫となったスノードは、今もずっと私の隣にいてくれる。


 騎士として、努力を怠らなかったスノードは騎士団の花形である第一部隊、隊長となった。


 一度戦に出れば、勇ましく戦場を駆け、勝利を必ずその手に収めてくる。そんな彼が騎士団長になる日も近いだろう、と期待の声が各所で囁かれていた。


 だが、本人としてはかつて上司である隊長が、騎士団長となっているので、自分はそれを支える副団長になりたいらしい。義理堅い彼らしい目標だ。


 そしてベスは、魔獣として立派に育った。狼型幻獣(ガルム)と呼ぶに相応しいほどに大きく威厳ある純白の姿は美しく、人を一人どころか、三人ほど乗せても悠々と大地を駆ける姿は頼もしさしかない。


 この土地の守り神として、スノードたち騎士団が不在の時は、立派にその務めを果たしている。


 戦い以外では、穏やかで優しいベスを慕う人も多い。時折、子供たちやお年寄りを乗せて、原っぱを元気に駆け回っている。


 平和の両翼。


 スノードとベスは平和の象徴として、良きパートナーへと関係性を成長させていった。


 しかし、一歩家に帰ると…


「おい、今日は俺が彼女の隣だ」

「ヘッ…」


 私の隣を陣取る大型魔獣に睨みをきかせる夫。


 ベスは小馬鹿にしたように小さく吠えるだけで、断固として私の隣を譲ろうとはしない。


「昨日もお前が隣だったんだ。今日こそは俺がプリムラの隣だ」

「ガゥガゥ!」


 何百の戦いを潜り抜けてきたスノードの眼光。それを受けるベスも、何百もの戦火を鎮めてきた魔獣だ。歳月が経っても、相変わらず続いている二人の小競り合い。引き下がる気配が無い二人に、思わず息が漏れる。


「まったく…普段はあんなに息がピッタリなのに…」

「それはそれだ。例え相棒だろうと、君の事で譲れるものは無い」

「ガウ!」


 私の小言に反論するスノードにベスは大きく頷く。


 仲がいいのか、悪いのか…よく分からない二人。昔と変わらない光景に呆れながらも、大切な人たちと時を刻める愛おしい空間は、私の顔を綻ばせた。


 平凡な平民である私の波風のない人生。“面白くない”という人もいるだろう。でも、そんな穏やかな日々に私は満足している。


 いつの時代も同じように吹く暖かな風が、年を重ねた私の頭を撫でていく。その心地よさに目を細めながら、私は幸せを噛み締めた。



読んでいただき、ありがとうございます。


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