第9話 プロジェクトT 〜戦慄のリアルタイム不幸実況〜
20時59分。
駅から田中が住むアパートへと続く、まだ賑わいの残る商店街。
雑然と並ぶ看板の明かりの陰に、完璧なまでの不審者が二人、息を潜めていた。
「来るぞ……! 世紀の瞬間が……!」
黒木はストップウォッチを片手に、少年のように目を輝かせ、小刻みに震えている。
その隣で、美月は心底呆れた顔で腕を組んだ。
「私は一体、こんな所で何をしているのでしょうか」
時刻は、21時00分00秒を指した。
◇
その瞬間。俺、葛城陸は、自室のベッドの上でスマホを握りしめ、歓喜の雄叫びを上げていた。
「うおおおお! やったぜえええええ!」
金色の運を解放し、祈りを込めてタップした先。
抽選倍率500倍。決して手に入らないと諦めかけていた超レア限定版ゲーム機の公式通販サイト。
画面に表示されていたのは――
【ご購入ありがとうございました】
神々しいまでの文字列。
奇跡的なシステムエラーで価格表示がバグり、100円になっていたのを、俺は偶然見つけてしまったのだ。
「神ゲーならぬ神バグ! 俺、マジで神かもしんねぇ!」
俺が最高の幸運を噛み締めていた、まさにその刻。
その遠く離れた場所で、親友の田中は、人生で最も濃密な“不幸のフルコース”を味わうことになろうとは、知る由もなかった。
◇
「観測開始!」
黒木の鋭い声が、商店街の喧騒に響く。
最初の不幸は、あまりにも些細なものだった。
喉が渇き、自販機でジュースを買おうとする田中。
150円を投入し、ボタンを押す。
ガコン――音はする。だが商品は出てこない。
お釣りも返ってこない。
田中は悲しそうに数回ボタンを押したが、こういう理不尽に慣れているのか、早々に諦めてその場を去った。
「観測完了! 事象A-1『対価交換の不履行』! 素晴らしいデータだ!」
「ただのお金の飲み込みでは」
美月の冷静ツッコミを皮切りに、不幸の連鎖は加速する。
歩き出した田中の目の前に、テイクアウト専門の焼き鳥屋。
ちょうど風向きが変わり、店先から立ち上る猛烈な煙が、すべて田中を直撃した。
全身が、香ばしい匂いの囚人となる。
「ぬぅ! 嗅覚への直接攻撃! 環境を利用した複合的な不幸だ!」
「……最低ですね」
近くのコンビニで、缶コーヒーと雑誌、そして夕食用の弁当を買い、お釣りの500円玉を受け取った直後。
ツルリ、と手が滑る。
500円玉はカランと軽い音を立てて地面に落ち、まるで意志を持ったようにコンビニの入り口へ転がり始めた。
まずい、と思った時にはもう遅い。
ちょうど客が店に入ろうと、自動ドアが「ウィーン」と間抜けな音を立てて開く。
500円玉は、そのわずかな隙間を、奇跡的かつ絶望的な軌道ですり抜けて店の外へ。
そしてそのまま、歩道の側溝の網目へ――
「チャリン」
という、勝利宣言のような最後の音を残して吸い込まれていった。
「見ろ白鳥くん! 複数の事象が連鎖し、一つの完璧な絶望を生み出した! これぞ『しわ寄せの法則』の真髄だ!」
「……もう見ていられません」
コンビニの袋を片手に、意気消沈して歩く田中。
そのすぐ横を、猛スピードの宅配デリバリーの若者が乗る自転車が、警告もなしに走り抜けた。
「うわっ!」
驚いた田中が飛び退く。
店の前の掃除用の汚れ水が入ったバケツに、見事に足を突っ込む。
そのまま派手に仰向け転倒。
蹴り上げられたバケツが宙を舞い、前を歩いていた怖そうなお兄さんの後頭部にクリーンヒット。
中の汚水が、お兄さんの高級そうなスカジャンを濡らす。
お兄さんが、ギギギ、と効果音がつきそうな勢いで、ゆっくり振り返る。
田中、顔面蒼白。
次の瞬間。田中は“人生の危機感ランキング1位”のスピードでダッシュ。
背後から聞こえる怒号をBGMに、必死に角を曲がる。
なんとか撒いた、と思った束の間。
手に持っていたコンビニの袋の底が、「ビリリ!」と音を立てて抜けた。
買ったばかりの缶コーヒーと雑誌、そして夕食ののり弁が、ドサリと無残に地面へ散乱。
全てを悟り、絶望して膝から崩れ落ちる田中。
その時、商店街のスピーカーから、皮肉めいたタイミングで応援ソング『負けないで』が流れ始めた。
「完璧だ……! 完璧なデータだ……! 精神的ダメージを最大化するBGMまで……!」
黒木は感動のあまり打ち震えていた。
「……もう帰りましょう」
美月は心底うんざりした声で言う。
◇
散らばった荷物を拾い集める、哀愁漂う田中の背中を遠目に、黒木は満足げに頷いた。
「間違いない……彼が『しわ寄せ』の受け皿だ」
黒木はリュックからタブレットを取り出し、先ほどこっそり撮影した田中のデータを表示する。
「運の最大値……300pt。一般人の3分の1以下だ。
だが、回復速度が1日100pt。通常の10倍……!」
「10倍……」
美月はデータを見つめながら呟く。
「つまり、多少の不幸に見舞われても、一晩寝れば精神的に立ち直る、と」
「その通り。この異常な回復力こそが、彼が『しわ寄せ』に耐えられる理由だ」
黒木はタブレットを閉じると、美月を真っ直ぐに見つめた。
「白鳥さん。この真実を、葛城くんに告げるべきだと思うか?」
美月は数秒考え、首を横に振る。
「……いいえ。言わない方がいいでしょう」
「理由は?」
「だって、面倒じゃないですか」
黒木が少し驚いた顔をする。
「面倒……だと?」
「ええ。葛城さんに真実を告げれば、彼は絶対にパニックを起こします。
『俺のせいで田中が!』と騒いで能力を使わなくなる。
もしくは逆に、自暴自棄になって暴走する。どちらにせよ厄介です」
美月は腕を組み、冷静に分析した。
「それに……あの人、まるでギャグ漫画の主人公みたいですね。どんな不幸に見舞われても、一晩寝たらケロッとしてる」
黒木も、深く頷く。
「ならば、わざわざ波風を立てる必要もないでしょう」
「では……田中さんのためにも、黙っておきましょう」
「ああ、田中くんのためにもだ」
完全に言い訳である。
二人は、妙に意気投合して小さく笑い合った。
◇
30分後。
超レア限定版ゲーム機の購入に成功し、気分が最高潮の陸は、ベッドの上で跳ね回りながら田中へメッセージを打ち込んでいた。
『激レアゲーム機ゲット! マジ俺最強! 今度貸してやるよ!』
その時、田中は転んだ時にアパートの鍵を落としたことに気づき、静かに絶望していた。




