第7話 科学者の巣窟と、7ptの真実
翌日。
俺と白鳥は、黒木に指定された都心のタワーマンションの前に立っていた。
そびえ立つガラスの塔。思わず口が勝手に開く。
「うおっ……てっきり、もっとこう、四畳半のボロアパートかと思ってた」
「発想が庶民的すぎて、逆に感心いたしますわ」
「褒めてないよな、それ」
エントランスの自動ドアが音もなく開く。
最上階でベルを押すと――。
「待っていたぞ、葛城陸! そして……おおっ、今日も輝かしい我がディーバ!」
白衣、黒タートル、ゴテゴテのゴーグル。家でも全力の黒木が両手を広げる。
背後の自動ドアが“ウィーン”と再び開いた。いや、演出か?
「その静謐な立ち姿、光の屈折率さえ支配している……!」
「黒木さん。女性を“物理現象”で口説く男は、恋愛以前に社会性を失っていますわ」
「ぐはっ……! 刃物のような正論……!」
通されたリビングは、窓一面の東京と、壁一面のモニター。
正体不明の機械が低く唸り、ケーブルが蛇の巣みたいに這っている。
「……研究所かよ」
「ええ、ほとんどですね」白鳥は一瞥で値踏みを終えた顔。
黒木は胸を張る。
「私の収入源はデイトレードだ。気圧、SNSトレンド、そして駅前の“落運密度”を解析すれば、相場の流れなど造作もない」
「最後のだけ違法感がある」
「合法だ。落ちている“運”は公共財だ」
「公共財ではありませんわ」
黒木は俺たちをソファへ促すなり、身を乗り出した。
「それより昨日の金色の運だ! 残留思念、精神ノイズ、周波数――詳細を!」
朝からエンジン全開である。
「思念とかは知らねぇけどさ……あ、そうだ」
俺はポケットを探る。
「昨日、お前がこぼしたやつ、拾っといた」
手のひらで“青いビー玉”がかすかに温い。
「……君の手には何も見えんが?」
「あー、ゴーグルがないとダメなタイプね」
黒木は机へダッシュ。ゴーグル装着、こちらへズイッ。
「我が幸運素ォォ! 波長一致! 完全一致!!」
「うっせぇ。なあ、これって自分のやつなら、戻せんの?」
「理論上は可能だが、前例が――いや、やる! 記録を取る!」
アルミホイルを取り出し、器用に頭へ巻く。
「静電気対策完了!」
「頭はアースじゃねぇよ」
俺は青い玉をふわりと放った。
黒木は割れ物みたいに受け、そのまま体にスッと吸い込まれる。
瞬間――全身が震え、光の粒が弾けた。
「っ……!! これは……来るぞ……!」
ゴーグル越しに脳波が暴れ、黒木の目が金色に煌めく。
「キタァァァァァ!!!」
両手を天に突き上げ、狂喜乱舞。
「体が……軽い! 昨日の打撲が……痛覚レベルで消失している! 筋肉の反応速度も3%向上だ! 科学が、神話を超える瞬間だあああ!」
「やかましい!」
「これが……“自己運回帰現象”か! 私は、いま神を見たッ!」
黒木は机へ飛び戻り、鬼のような勢いでタイピング。
モニターには数値と波形が洪水のように流れていく。
「回復61、損失68……差分7pt! 譲渡のたびにエネルギーが7pt減衰するッ! このロスが、運の保存を支える基本単位なのか……!」
白鳥が静かに補足する。
「つまり、幸運を他者に渡すと、その瞬間に世界が7pt“手数料”を徴収するわけですわね」
「そうだ! この7ptこそが、宇宙の“運の利息”だ!」
「また物騒な理論を……」
黒木は机に突っ伏すように笑い、やがてピタリと動きを止めた。
モニターの光だけが、ゴーグルの縁を照らしている。
「……葛城くん。今日、運を使ったか?」
「あ? 朝、白いの拾って、コーヒー買ったら無料クーポン出た」
「その時刻は?」
「八時くらいかな」
黒木の指が、すぐにキーボードを叩く。
「……で、君の親友――“田中”くんは、その頃どうしてた?」
「え、さっきLINE来たけど……駅の階段で転びかけたって。あとコーヒーこぼしたってさ」
黒木の瞳がギラリと輝く。
(……一致している。時刻も、事象も、運の流出タイミングも!)
(まさか……これが――“しわ寄せの法則”……!)
その仮説を裏付ける決定的瞬間を、黒木は確信した。
だが口には出さない。まだ早い。もっとデータが要る。
「……葛城くん」
黒木は表情を戻し、にこりと笑った。
「その田中くんに、今度会わせてくれたまえ」
「なんでだよ」
「彼こそ、私の理論を証明する“観測対象”だからだッ!」
「やっぱりヤベー奴だな、お前」
白鳥が、呆れを超えた諦観の声を漏らす。
「それより葛城さん。昨日の金色の運、まだお持ちですわね。あと十時間で消えますわよ」
「あ、やべ、そうだった」
ポケットを探ると、まだ温もりがあった。
「何に使うか、決めてねぇんだよな」
「就職成功、理想のご縁……候補はいくらでもありますのに」
「……よし、決めた!」
俺は顔を上げ、ドヤ顔で宣言した。
「限定モデルの“ネオ・ステラ5”を当てる!」
「……は?」
「抽選倍率、三千倍! 毎回外してんだよ! でも金色の運なら絶対当たるだろ!」
白鳥の眉がピクリと動く。
「金色の運を、娯楽品に……? 神が見ていたら泣くレベルの使い方ですわね」
「いいだろう」黒木が割り込む。
「このケースは貴重だ。“高等エネルギーを日常に使用した場合の残余波形”が観測できる!」
「……あなたまで乗るんですの?」
俺は笑いながら立ち上がる。
「まぁ見てろよ。これで俺も勝ち組だ」
白鳥はため息を一つ。
「ご自由に。ただし、使えば消えます。それだけはお忘れなく」
「了解! 抽選はスマホでポチるだけだ。運命のクリックタイムだな!」
エレベーターに向かう俺の背で、黒木がモニターを凝視していた。
その顔には、理性の皮をかぶった狂気の笑み。
「これでいい……もう少しだ。証明の時は近い……運よ、我に真理を示せ――!」
◇
その頃、田中はコンビニで買った弁当に箸がついていないことに、静かに絶望していた。




