第15話 対策会議は踊る、されど進まず
「わりぃ、俺、もう一個パフェ食っていい?」
田中の無邪気な一言に、俺たち三人は一瞬固まった。
美月が、完璧な営業スマイルを浮かべて立ち上がる。
「田中さん。お疲れのところ申し訳ございませんが、私たち、これから少し込み入った話をしなければなりませんの。お気を遣わせてしまうのも悪いので、本日はこれで」
その笑顔は完璧だった。
だが、目は一ミリも笑っていなかった。
「え、あ、ああ……そ、そうか。じゃあ、俺帰るわ……」
田中は、美月の圧に押されるように、そそくさと立ち上がる。
「いや待て田中!お前も当事者だろ!?」
「当事者って何がだよ!?俺、何も知らねぇし!」
「肩に黒猫乗っけてんだろうが!」
「はぁ!?何言ってんだお前!?」
田中が自分の肩を何度も叩くが、当然グータには触れない。
その手は、空を切るだけだ。
グータは、億劫そうに毛づくろいを続け、尻尾だけで「うるさい」と言わんばかりにパタパタと叩く。
「ほら見ろ!何もいねぇだろ!お前、疲れてんじゃねぇの!?マジで病院行った方がいいぞ!」
「いや、そこだって!お前の肩の上、そこ!」
「どこだよ!?」
田中が両肩をバンバン叩く。
「……お前、ほんとに病院行け」
「それ、ヤバいやつがよく言うやつだから……」
本気で心配し始めた田中に、美月が営業スマイルで告げた。
「お時間です、田中さん」
その一言が、議論を終わらせた。
「お、おう……陸、マジで心配だわ……明日、一緒に病院行くか?」
「俺は正常だ!」
「それ、病気の奴が言うやつだから……」
田中は、心底心配そうな顔で店を出ていった。
「……さて、当事者だけで今後の対策会議を始めましょうか」
美月がため息をつく。
「おう! あの黒猫、ぜってぇ許さねぇ!」
「うむ! 最高の研究対象だ!」
「決まってんだろ! あの黒猫、ぶっ倒す!」
俺は拳をテーブルに叩きつけた。
「ウンちゃんがあんなにビビってんだぞ!? 放っておけるわけねぇ!」
パーカーのフードの中で、ウンちゃんが「きゅふん……!」と悲鳴を上げる。
「素晴らしい! その意気だ、葛城くん!」
黒木が目を輝かせて俺の肩を掴む。
「まずはウンちゃんの戦闘力強化だ! 筋力トレーニングと幸運素の大量摂取による急成長プログラムを……!」
「おお! それだ! よし、明日から朝5時にランニングだ、ウンちゃん!」
「きゅふん!?」
ウンちゃんが全力で首を横に振る。
「そして腹筋100回、腕立て100回、スクワット100回だ!」
「きゅふぅぅぅん!!」
「最高だ! さらに私の観測装置でトレーニング効果を数値化する! 三ヶ月でグータを超える戦闘力が――」
「三ヶ月!? そんな悠長なこと言ってられっか! 一週間で仕上げるぞ!」
「きゅふぅぅぅん!!」
ウンちゃんの悲鳴が、俺たちの鼓膜だけを震わせた。
俺と黒木が拳を突き合わせようとした、その瞬間。
パシン。
美月がテーブルを平手で叩いた。
「……あなたたち、本気で言っていますの?」
その声は氷点下だった。
「は? 何が?」
「何が、ではありませんわ。葛城さん、あなた明日朝5時に起きられますの?」
「……」
「黒木さん。公園で誰の目にも見えない生物に向かって“頑張れ!”と叫ぶおつもりで? 完全に通報案件ですわよ」
「ぐっ……」
美月はため息をつき、冷ややかに続ける。
「それに――そもそもどうやって“ぶっ倒す”つもりですの? 田中さんを路上で襲撃して、猫を引っぺがすとでも?」
「そ、それは……」
「田中さんは猫の存在すら知らないのですわよ? そんな状態で“田中の肩の猫を倒す!”と叫んだら、どう見えますの?」
「……ただのヤバいやつだな」
「そうですわ」
誰も反論できなかった。
美月はさらに紅茶をひと口飲み、肩をすくめる。
「……まったく。あんな黒い毛玉に構っている暇など、本来ないはずですのに」
「じゃあ、お前はどうすんだよ!」
俺が食ってかかると、美月は鼻で笑った。
「私? 何もしませんわ」
紅茶のカップを置き、静かに続ける。
「ですが、あなたたちのように衝動で動く愚か者を放置しておくと、確実に警察沙汰になります。私の経歴に傷がつくのはごめんですわ」
「……」
「……」
誰も反論できなかった。
「もっと大規模で、継続的な観測が必要だと思いませんか? 黒木さん」
「大規模?」
「ええ。あなた一人では田中くんを24時間観測できませんでしょう? まさかストーカーのように追うわけにもいきませんし」
「そ、それは……」
「それに葛城さん」
美月が俺に視線を向ける。
「あなた、いつまでコンビニバイトを続けるおつもりで? 道端で雀の涙ほどの運を拾って。それで満足ですの?」
「ぐ……うるせぇな……」
図星だった。昨日も一時間で白い運を五個。涙が出る効率。
美月は、悪魔のような笑みを浮かべた。
「もっと効率よく運を集める方法があるはずです。あなたを金持ちにできる、完璧な計画が」
「完璧な計画……?」
俺が聞き返すと、美月はカップを置いた。
「ええ。お二人の欲望を満たす、完璧な計画がございます」
その言葉に、俺と黒木は思わず身を乗り出す。
「マジか!? どんな計画だよ!?」
「詳しく聞かせてくれたまえ、美月くん!」
しかし美月は人差し指を立て、冷たく微笑んだ。
「ただし、条件がございます」
「条件?」
「ええ。お二人には、これから私の指示に――絶対服従していただきます」
「絶対服従って……お前、何様だよ」
「感情で動く愚か者を放置しておくと、国家レベルの迷惑ですわ。ですから私が管理します」
黒木が数秒考え、真顔で頷く。
「……承諾しよう。君の論理的思考、そしてその瞳に見つめられては、私のニューロンはYES以外を導けん!」
「おい黒木、お前ちょろすぎだろ……」
「黙りたまえ、これは科学的判断だ」
美月は満足げに微笑んだ。
「では決まりですわね。葛城さんも異論は?」
「……まあ、お前が考えてくれるなら。変な命令すんなよ?」
「安心なさい。あなたたちを、有効に使いますから」
その言葉が一番怖かった。
「これから私たちは一つのチームとして動きます。目的は、グータの生態の完全解明と、効率的な運の収集システムの確立。それで満足ですわね?」
「おう!」
「異論なし!」
「では、次回の会議で具体的な計画を。場所は――黒木さんのタワーマンションでよろしいですわね?」
「む、むろんだ……! いつでも歓迎するぞ、美月くん……!」
「ちなみに、その計画って、いつ教えてくれんの?」
「明日ですわ」
「早っ!」
「準備はできていますもの。では、本日はこれで。お二人とも、良い夜を」
そう言って、美月は優雅に店を後にした。
残された俺と黒木は顔を見合わせる。
「……なあ、黒木」
「なんだね、葛城くん」
「俺たち、もしかして、とんでもねぇ奴と手を組んじまったんじゃねぇか?」
「……ああ。だが、後悔はしていない」
黒木は、美月が去った方向を見つめ、恍惚とした笑みを浮かべる。
「彼女は、まさに運命の女神だ……」
「お前、完全に惚れてんな」
「黙りたまえ」
頭の上で、ウンちゃんが「きゅふん……」と不安そうに鳴いた。
俺は撫でながら呟く。
「大丈夫だって、ウンちゃん。きっと、なんとかなるっしょ」
根拠のない自信だけは、相変わらず満タンだった。
その頃、田中はスマホで
「友達 幻覚 猫 病院」
と検索していた。




