第33話 隠者の庭園
いい匂いがする。眠る時に嗅ぐと落ち着くと言われる、ラベンディア・ハーブの香りに似ている。
目を開けようか、それともこのままもう少し休もうか……。
ぼんやりと考えていると、不意に意識が覚醒した。
「はっ……」
勢いで身体を起こすと、全身に痛みが走った。
「いたたた……」
自分の身体を見ると、手当てをされ丁寧に包帯が巻かれていた。
「いったい誰が……。というか、ここは……」
辺りを見回すと、リナベルとコーディも手当てをされ、ベッドに寝かせられていた。
俺はほっと息を吐くと「回復」の魔法陣符を使用し、ここにいる全員の傷を治した。
そして改めて辺りを眺めた。
あまり広くはないが、木製の部屋は小綺麗に片付けられており、いたるところに観葉植物が置いてある。むき出しの梁にはドライフラワーが吊るしてあった。陽が入る窓辺にも、小さい鉢に植えられた観葉植物が置かれていた。
「……なんだかほっとするな、こんなに植物に囲まれてると」
インディアにある自分の花畑を思い出す。じいちゃん、ちゃんと世話してくれてるかな。
少し歩いてみようかと、ベッドの端に座って立ち上がろうとした時。
〝何故、我を呼ばなかった!?〟
突然ベヒモスが凄い剣幕で現れた。
「うわっ!ここ狭いからあまり動くと……」
〝我の問いに答えよ!〟
ベヒモスが俺に覆い被さるようにして、前足でベッドに押し倒した。
「うっ……!な、なぜって……ベヒモスに走ってもらっても……」
いや、待て。ベヒモスには翼があった。
「あ……」
〝我がどれほど肝を冷やしたか分かるか!?〟
「い、いや、でも……俺が呼ばなくても出てこれるだろ?」
〝……我も、いつもお前を見ている訳ではない〟
明らかにベヒモスがトーンダウンしたのが分かった。が、俺から前足をどけてはくれない。
〝我は……この翼が生じることになった力の源……、お前の中にある深淵の扉の奥に眠る力を調べていた。だが、どこにいようとお前に呼ばれれば、すぐに顕現できるのだ!〟
ベヒモスは再び俺に乗せている前足に力を込めた。
〝お前が我を刃へと変えた時、お前との契約は確かな絆となった!何者にも代え難い、唯一無二のものだ……!その絆を、我は失いかけたのだぞ……!〟
正直その話は初耳だったが、ベヒモスの感情が前足から流れ込んでくる。焦り、苛立ち、喪失感、恐怖……様々な感情がごちゃ混ぜになって……。
その感情のままに押さえつけられ、少し苦しかったが、俺はベヒモスを落ち着かせるように、乗せられている前足を両手で抱いた。
「ごめん……本当に忘れてたんだ、ベヒモスに翼があったこと……。それに、考えてる暇もなくて……本当にごめん。そんなに心配してくれてたなんて……」
この足の重みが、本気で俺を心配していることの表れなんだろう。こんな風に、誰かに本気で心配されるのはしばらくぶりだった。
俺は不覚にも少し涙目になってしまった。
〝何かあれば我を頼れ。我以外でも……サラマンダー、レヴィアタン、ティアマト、ヨルムンガンドは力を貸してくれるだろう〟
「うん……。でもベヒモス以外は大規模災害になりそうで……怖い……」
〝ああ……〟
「それに……あまり人が見ている所で精霊竜の力を使いたくないんだ……。ベヒモスが精霊竜の剣になってくれた時……いろんな貴族の人たちに、自分に仕えろって……捕まえられそうになって……。あのまま捕まってたら、きっと隷属魔法をかけられてた……。何でもないふりをしてたけど、その時に……人が少し怖いと思ってしまったんだ、俺は人を守りたいのに……怖いんだ、大勢の前で力を使うのが……!」
感情が昂り、気付くと涙がこぼれていた。
〝……そういう時も我を頼ってくれて構わん、小賢しい輩は蹴散らしてくれよう〟
そのベヒモスの言い様が可笑しくて、俺は泣きながら笑っていた。
「あはは、それはやっちゃダメなやつだろ……」
そしてベヒモスが俺に顔を近づけ、涙を舐めた時だった。
部屋の入口で何かが割れる音と、女性の大きな声が聞こえた。
「ベヒモス様!その人は食べ物ではありませんよ!!」




