第九話
試飲会の三日程が終わって数日が経った頃、とりあえずその時点で入部意思を持った人を集めて行われた決起会にはわたしとオサジ含め計12名が参加していた。
わたしはそのなかにアヤの姿がなかったのをとても残念に思った。この前と違ってパーティースペースを借りて催されたその会は、いわゆる飲みサーという感じの雰囲気をやや纏いつつ、試飲会のときとは違う盛り上がり方を見せた。会が終わったすぐあと、アヤに連絡をした。
〈アヤ、カクテル同好会入らなかったんだね 決起会、アヤの姿がなくてさみしかったよ〉
アヤからすぐに返信がある。
〈そうなの、わたしもスイちゃんにまた会いたかったなあ〉
〈え、うれしい 今度よかったらさぁ、二人でご飯食べに行かない……?〉
〈行く!!!誘ってくれてありがとう!!〉
アヤとサークル関係なく仲良くしていけそうでうれしく思っていたところ、同級生の男子と肩を組み、楽しそうにしているオサジから声をかけられる。
「スイも二次会行く?」
「あー……、ちょっと今日レポート溜まってて、ごめん」と、下手な言い訳をして断る。今回のカクテル同好会の雰囲気はあまり居心地のいいものではなくて、早く一人になりたいと思った。
翌日、ブランチを食べるくらいの時間に起き、何も入っていない冷蔵庫に絶望して食料品の買い出しへアパートの外へ出ると、外階段の下の植え込みの前のコンクリート部分で先日の猫が気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。
わたしが金属製の階段を降りる音で目を覚ましたのか、首から上だけを気怠そうにすこし上げて、まぶしそうな目でこちらを確認して尻尾をゆっくりふた振りほどさせたあと、また気持ちよさそうに寝始めたのだった。きっと今撫でるのはこの前会ったあの男によると違うのだろうなと思って、何もせずに、最寄りのスーパーへと向かった。
カレーに入ったジャガイモは冷凍するとひどい食感になるから、ジャガイモ抜きの、その分玉ねぎ多めのカレーを作って作り置き冷凍しようと考えて、野菜売り場に陳列された玉ねぎ三個セットのどれを買おうか吟味しているとき、聞き覚えのある声がした。
「何つくるんっすか」
この前は夜で暗かったからわからなかったけれど、その男の半袖Tシャツからのぞく左腕にはタトゥーが入っていた。植物のツタのようにも、クラゲの足のようにも見える、ぱっと見ではよくわからない抽象的な柄だった。
ブルーブラックのインクで広範囲に入れられたその柄に、なんの柄なのだろうと少し興味をそそられながら、ぼんやり相手の顔を見上げると、その男はわたしの言葉をゆっくり待つように、柔らかい笑みを浮かべていた。
「カレー作ろうかなあって」というわたしの返答からいつの間にか自己紹介のやりとりになっていた。
その男は名前をダンと言って、暖かいという漢字でダンと読むらしかった。ダンはわたしの住むアパートと同じくらいボロく見える隣のアパートに住んでいるらしく、何をしている人なのか聞いたところ、彫刻をしているとのことだった。
「彫刻をしてるってどういうこと?」
「えっとね、美術大学の彫刻を専門に学ぶ学科にいるの。あと、個人で作品売ったりしてる」
へーなんかすごい、と思っていると「スイちゃんは何してるの?」と聞かれる。
「大学生です」
「何年生?」
「一年生です」
「じゃあいま19歳とか?」
「いや、20歳です」
「そうなんだ、ちなみに俺は今年22歳で大学三年。じゃあ学生同士これからよろしく!」
ざっくりさっぱりまとめられて「では、」「では」と解散する。
残りのカレーの材料を求めてスーパー内を巡りレジを済ませて店の外へ出ると、スーパーの前の柵にリードを繋がれている、おそらくシーズーと何かのミックスの、柔らかそうでまだころころした子犬がいて、その男はその犬をしゃがみ込んで撫でていた。
「あ!待ち伏せしてたわけじゃないから安心して」
わたしに気がつくとそう弁明する。
わたしもその犬を撫でたくなって、かわいいねと言いながら肩のあたりからお尻にかけてをわしゃわしゃと撫でると、犬は気持ちよさそうにごろんとお腹をみせた。お腹も同様に、でも少し優しく撫でてあげると尻尾をふって喜んでいた。
「俺よりも犬の扱いうまいね」
「実家で犬飼ってるから」
そうしているうちに犬の飼い主が戻ってきて、わたしたちは一緒に家までの道のりを歩いた。
お互いに実家で飼ってきた歴代のペットの話で盛り上がると、そのあと大学のサークルの話になって、わたしがカクテル同好会というサークルに一応入ったという話をすると、
「俺もカクテルというか結構お酒好き、今度飲みに行こうよ」と誘われる。
「いつ頃がいい?」
「んー……」
「今度の金曜かそれか木曜の夜空いてる?」
「多分……木曜夜はなにもなかったと思う」
「じゃあ新宿、池袋あたりで19時くらいとかからでいいかな」
「うん、急にバイト入らなければ大丈夫」
「じゃあとりあえず今度の木曜19時で。あ、連絡先教えてもらってもいい?」と聞かれ、連絡先を交換する。
そうして各自自宅へ戻ると、陽の当たり方は変わっていて、日陰になったその場所にもうあの猫はいなかった。