ヘイゼルは今日はひとりwithものすんごいスイーツ
ものすんごいスイーツがあると、アスランから聞いてはいた。
どうすごいの? と聞いても教えてくれず、とにかくすごい、ヘイゼルが見たら絶対びっくりする、見ればわかる、としか言われなかった。
砂漠の真ん中のバザールに最近できたおやつ屋さんらしいのだが、ものすんごいってなにがだろう……と首をひねりながらバザールの中を歩いていたヘイゼルは、とある店の前でぴたりと足を止めた。
これだ。間違いない。
(うん、これは、見ればわかる……)
ヘイゼルはごくりと息をのんでその物体を二度見した。
視線の先には、生クリームをたっぷり使った果物のパフェがある。
多分パフェだろう、そのはずだ。
だが、そのビジュアルがただごとではなかった。
(確かに、ものすんごい……)
天高くそびえ立つ生クリームの山の中に、果物が点々と刺さっている。
その高さ、ざっと50センチはあるだろうか。
でかくて、うず高い。ごく普通のパフェとは明らかに一線を画している。
それをきゃっきゃとはしゃぎながら食べている女性客を横目に、まずヘイゼルが思ったのは、
(えっこれ、無理じゃない?)
だった。
どう見ても、ひとりで食べるような量ではない。
だがヘイゼルはもう店の女主人とばっちり目が合ってしまっており、心得たような顔でおいでおいでをされているのであり。
「あのこれは、いくらなんでも大きすぎというか……」
「大丈夫、大丈夫!」
「私ひとりなので小さめサイズとかは……」
「いいからまぁここにお座りよ!」
控えめに自己主張してみたヘイゼルだったが、接客歴戦のおかみさんに到底かなうものでもなく、あれよあれよという間に店の中に招き入れられ、ひとりぶんの席を空けてもらい、気がつけば季節のパフェひとつ、注文が通っていたのだった。
「朝早くに砦を出てきたんだろ? じゃあぺろりだ」
自分で思ってるより体って消耗してるからね。
青いアイシャドウをくっきり塗った背の高い女主人はそう言ったが、ちらりと見ると、隣の席の娘客のは同じものを3人で食べている。もうひとつ向こうの席では、5人でひとつだ。
(そ、そうよね。それが普通の感覚よね)
「だーいじょうぶだから!」
ヘイゼルの内心を読み取ったかのように、女主人は言う。
「今作るから少しお待ち。今日はひとりなのね?」
「そうなんです」
「頑張って来たんだね」
そうなのだ。今日はひとりでバザールまで来た。
ガーヤもなし、アスランもなし、もちろん護衛のドゥンガラもなし。
珍しくヘイゼルがひとりなのには、理由があった。
◇◇◇
「えっ、ひとりで砂漠に行きたい? だめだよ?」
なに言ってるの、みたいに即答で言われた。
まあまあ、まあ、アスランがそう言う気持ちもわかる。
だって前回ロンバルド王国から帰ってきてからというもの、ヘイゼルは一週間ほど寝込んだのだ。
喉が痛くてしゃべれないし、熱もないのに起き上がることもできないしで、ヘイゼルの看病には慣れているはずのガーヤですら首をひねっていた。
だから、アスランが心配しなかったわけがない。
ロンバルド王国には結局一カ月の滞在だったし、長期滞在中、気を張るような出来事ばかり起こったしで、まだしも外国で倒れなくてよかったと見ることもできるのだが、それにしても、みんなに心配をかけたことには変わりがない。
ちなみにこれはあとで知ったのだが、実はウースラもぶっ倒れていたらしい。
ヘイゼルが夜会で着た銀とラベンダーのドレス。あれをわずか3日で一気に仕上げたかと思うと、
「出し切った……」
とつぶやきばったり倒れ、そのまま昏々と眠り続けたとか。
だが彼女がヘイゼルと違うところは、2日ほどぶっ倒れていたかと思うとむっくり起き上がり、倒れていた時のぶんを取り戻すかのように食べては飲み、食べては飲みして、そこからは前にもましてきりきりと働くようになったことだ。
砂漠生まれ、砦育ちの頑丈な女性と比べても仕方のないことはわかっているけれど、ヘイゼルは最近ようやく食欲が出てきたばかりなのだった。
(──でも)
先日、ドゥンガラに言われたあのセリフ。
『姫さんあんた、馬そんなにうまくねえだろうっ』
彼に悪気がなかったことはわかっているし、実際その通りでもある。
自分の馬の扱いは恥ずかしいほど初心者だ。
だがあれからしばらくたってみて、あの言葉が地味にヘイゼルには響いている。
砦のみんなに今すぐ追いつけるとは思っていないが、今よりも少しだけましになりたい。
そうなるために、なにかしたい。
それをアスランに相談すると、彼はしばらく考えた後でこう言った。
「じゃあミッションを決めようか」
そこからは、とんとん拍子に話が進んだ。
食事は自分で好きなものを食べてごらん。お金は多めにね。あのバザールなら馬を預ける人はこの人がおすすめ。
「あと、ものすんごいスイーツがあるからそれを食べてきて」
「ものすんごい?」
「そう。いちごとサクランボは終わったし、今時期だとメロンかなあ」
ヘイゼルは目をぱちくりさせたけれど、それ以上アスランは説明しようとしなかった。
じゃあ行っておいで。
なにもないとは思うけど、気をつけて行くんだよ。
そう言われて送り出された。
はじめのうちはよかったが、砂漠を半分ほど突っ切り、誰ともすれ違わない景色をぽくぽくと歩き続けて、振り返っても砦が見えなくなったころ、ヘイゼルはふと弱気が差し込むのを感じた。
どうしよう、やっぱり怖いし、心細い。
でも馬は慣れた道らしく落ち着き払って歩いているし、なにより自分から言い出したことだ。
水は十分持っている、方向も間違っていない。
大丈夫、これでいいのよ私は大丈夫。
そう自分に言い聞かせ言い聞かせして進んでいくと、やがてアスランに聞いていた通り、白茶けた砂の色が次第に赤っぽくなって、バザール付近特有のローズサンドに変わった。
風を遮る大きな砂丘が左手に見えてくると同時に、バザールの全貌が姿を現す。
ナツメヤシの防風林、赤土でできた日干し煉瓦の住宅街、それに色とりどりのテント。
やった、私できたんだわ!
すごいすごい、ひとりでここまで来られたのね!
……と喜んだのもつかの間、ヘイゼルの目の前では今、どかっと音を立てて巨大なパフェが提供されたのだった。
◇◇◇
「はいっ季節のパフェ、おまちどう!」
──なんでこんなに積んじゃったの。
そう言いたくなるようなドでかいパフェを前にして、ヘイゼルは少々ひるんでいる。
確かに美味しそうではある。
赤とオレンジ、白ときどき緑のそのパフェは、スイカと二色のメロンが彩りよく重なっている贅沢なものだ。
生クリームはつやつやとして、崩れないよう絶妙のバランスで盛られている。
そこはまったく問題がない。
そう、問題は量なのだ。
真顔でそれを見上げるヘイゼルに、周囲の店のおかみさんたちが言う。
「後先考えずに食べてごらん!」
「そうそ、考えない、考えない!」
笑顔で励まされて、ヘイゼルはとりあえず銀色のスプーンを手に持ってみた。
そして一番上に乗っている三角形の西瓜をおそるおそるすくうと、口へ運ぶ。
爽やかで、香り高くて、おいしかった。
大きな西瓜の塊が口の中でさくっと弾ける。
水そのものを飲むよりも果汁が多い気すらする。
んんんっ、と思わず声に出てしまう。
砂漠を横断してきたばかりの火照った体に染み込むようだった。
ヘイゼルは次に生クリームをざっくりすくいとって食べてみた。
(あっこれ、好きっ……)
ふんわり軽い生クリームは口に入れると吸い込まれるように消えて、いくらでもいけそうだ。
赤肉メロンとクリームを一緒にすくう。
これもまた、濃厚で水気たっぷりでおいしい。
多めにすくった生クリームにメロンの甘さが負けていない。
もう一度、今度は青肉メロンの部分をすくう。
これはこれで、とろけるような赤肉とは違った涼しげな歯応えと香りが新鮮だった。
ぱくぱく、しゃぐしゃぐ。
知らず知らず、果物とクリームをすくう手のスピードが上がる。
食べ進んでいくうちに現れたのは、ザラメをまぶして幾層にも焼き上げたパイ生地だった。
これはスプーンに乗りきらなかったので、指で直接つまんでザクザクとかじりつく。
バターの香りとかすかな塩気がたまらなくて、ヘイゼルはほうっと吐息を漏らした。
パイ生地の余韻が消えないうちに、クリームを山盛りすくって口に入れる。
さらに山のようなパフェを切り崩していくと、中央にはこっくりとしたチーズケーキが隠れていた。
あらあら、これはこれで、なんとも。
チーズケーキと西瓜の組み合わせも意外と合うのねえ。
うふふふ、クリームと一緒に食べるとこれまたこれで。
そんなことを考えながらヘイゼルはひたすらパフェに没頭した。
ぱくぱく、ぱくぱく、しゃぐしゃぐしゃぐ。
──そして10分後。
「ごちそうさま、でした……」
器はきれいにからになって、食べ切ったヘイゼルが一番驚いていた。
しかも周囲の見知らぬ娘たちからどよめきや拍手が飛んでくる始末である。
「完食だわねー」
「気持ちいい食べっぷり!」
「まさかの一気!」
ほめ言葉なのはわかるのだが、ヘイゼルは恥ずかしいやら、我ながら呆然とするやらである。
そんなヘイゼルの横で、青いアイシャドウを濃いめに塗った女主人が、おーっほっほっほ! でしょ! と謎の高笑いを響かせていた。
「まあゆっくりしておいき。急ぐわけでもないんだろ」
そう言ってもらってヘイゼルはまわりを見渡した。
細い路地は荷車がすれ違うのがやっとの狭さで、左右の店のひさしが重なり合って強い日差しを遮っている。
布地や銀細工を売る店、野菜やスパイスを積み上げて売る店、水タバコの専門店は奥まったところにあってなんだか謎めいている。
客を呼ぶ声、女たちの笑い声、威勢よく値引き交渉する声もする。
(ひとりでこんなところにいるなんて……なんだか嘘みたい)
雑踏と喧騒の中、ヘイゼルは誰も連れずにたったひとりだ。
そのことが夢のようでもあり、誇らしくもある。
そんなことを考えてぼんやり路地を眺めている間にも、女主人はおかわり自由のミントティーをグラスに延々注いでくれる。
最初に飲んだ時はびっくりするほど甘く感じたが、砂漠の強烈な暑さにはこの甘いお茶がしっくりくるのを、ヘイゼルは最近分かり始めている。
小さな装飾グラスでミントティーを少しずつ飲んでいると、第五王女のヘイゼル・ファナティックではなくて、ひとりの砂漠の女になれたような、そんな気がした。
(アスランとのミッションもひとつ完了したし……)
そこまで考えて、ヘイゼルはふと思い出した。
アスランは確かこう言っていたのだ。
『ものすんごいスイーツ。ヘイゼルの絵葉書。ヒントはこれだけだよ』
そういえばバザールですることがもうひとつあったのだ。
私の絵葉書っていったいなんだろう? とヘイゼルは首をかしげる。
『できなくてもいいけど、ふたつともできたら褒めてあげるね』
甘やかすようにそう言われたのを思い出して、ヘイゼルは女主人に声をかけてみた。
「あのう、実は絵葉書を探してまして」
「ん?」
「わ、私の絵葉書、らしいんですけど」
ぶっ。聞いた瞬間、背の高い女主人はなぜだか噴いた。
そしてあわてて取り繕うように両手を振った。
「ああごめんごめん。それなら土産物屋に行ってごらん」
なぜ笑われたの? とヘイゼルが心配になるよりも、数多の部族が集まるバザールで店をやっている彼女の客あしらいのほうが一枚上手だった。
「どこにでも多分あると思うよ。一番近いとこだとほらそこのシーシャの店の隣に」
「シーシャ?」
「水タバコね」
喉が渇いたらいつでも戻っておいでよね、おかわり自由は日暮れまでさ! と切符のいい声と笑顔に見送られて、ふらふらと土産物屋の前に歩いていったヘイゼルは、一番目立つところに飾られている絵葉書を見るなり思わず声に出しそうになった。
ぎゃーーなにこれーーー!!!
とっさに両手で顔を覆う。
そして指の間からゆっくりそれを見直してみると、やっぱり見間違いではなかった。
屈強で目つきの悪い男たちの中央に、女王然としてつんと澄ました自分がいた。普段なら決して着ないような襟元の大きくあいた衣装ときらびやかな宝石をたくさん身にまとって。
「売れてるよ! 大人気だよ!」
土産物屋の主人はにこにこ顔でヘイゼルを招き入れたけれど、たった一枚のそれを買うのがヘイゼルの17年の人生で一番恥ずかしかった。
◇◇◇
バザールを出たのは夕暮れどきで、そのころにはもう、空も砂丘もピンクと紫のグラデーションに染まっていた。
──本当は、わかっていた。
一日中、全部、守ってもらっていたことに。
信頼できる店、安全なルート、一番おとなしい馬。
預かってもらっていた馬は、来た時よりも元気なくらいで、ヘイゼルを見ると大きな耳をぴんと立てて出迎えた。
丁寧にお礼を言ってヘイゼルは馬にまたがる。
帰り道は、来た時と比べてほとんど緊張しなかった。
あんなにどきどきして不安だったのが嘘みたいだ。
ピンクから紫、群青色へと刻々と変わる空を見ていたら、あっという間に中間地点のオアシスにたどり着く。
そこからは、オレンジ色の光が見えた。
それは、砦の明かりだった。
ヘイゼルはすぐに気がつく。
慣れない自分が迷わぬように、一番高い場所にランプを集めて、煌々と照らしてくれているということに。
まるで目印の灯台みたいに。
あのオレンジ色のあたたかい場所。あれを目指して帰ればいいのだ。
(私が帰る場所は、なんて、きれいなんだろう──)
馬にオアシスで水を飲ませ、自分も軽く喉を潤してから、ヘイゼルは再び馬にまたがった。
あそこにいる人たちにただいまを言うために。