公爵令嬢が婚約破棄をするために王太子殿下にハニートラップを仕掛けた結果
「ハビ、いけません。あなたには婚約者がいらっしゃるでしょう?もうやめましょう」
ビビアナは色っぽく目を伏せた後、目を潤め頬を染めてハビエルをじっと見つめた。
「君は悪い女だね。そんな顔で見つめられて、君を諦められる男がいるとでも?」
ハビエルの長い指がビビアナの顔をそっと包み、蕩けた顔でゆっくりと顔を近づけた。
彼女の胸はバクバクと大きな音を立てている。国宝級の男前は心臓に悪いからだ。
「だめです」
「もう黙って」
ハビエルの甘く柔らかい唇が、ビビアナとピッタリ重なった。軽く触れただけで離れた後、ハビエルは我慢の限界だとばかりに何度も何度も彼女の唇を激しく吸った。
「んんっ……」
いつも冷静で穏やかなハビエルが、自分の本能のまま女性を愛したのはこれが初めてだった。
婚約者のいるこの国の第一王子ハビエルと、他国からの留学生である下級貴族の御令嬢ビビアナの恋など認められるはずがない。
二人が逢えるのは人目のつかない場所ばかり。今回も、舞踏会をこっそり抜け出して人気のない裏庭で愛を確かめ合っていた。
「んんっ……ふっ……」
「はぁ……可愛い。君は私のものだ」
「殿下」
「そんな呼び方やめてくれ。いつも通りハビと」
「ハビ……」
その瞬間がきっと二人の一番幸せな時間だったに違いない。
この後すぐに、ハビエルとビビアナは口付けをしているところを見られてしまうことになるのだから。
♢♢♢
「ハビエル、お前はなんて事をしたのだ」
「……」
「マルティナ嬢という立派な婚約者がいながら、不貞を働くなんて!私は息子をそんな風に育てた覚えはないぞ!!」
ハビエルはビビアナとの一件で、父親である国王陛下に呼び出されていた。
「私はビビアナを愛しているのです」
「何だと!?ではマルティナ嬢とは別れると言うのか!?お前は彼女を愛していたのではないのか!!」
激昂する陛下を宥める様に、マルティナは静かな声で話しだした。
「陛下、もうおやめください。私達は所詮政略結婚。殿下が真に愛する方を見つけたのであれば、喜ばしいこと。私は潔く身を引きます」
「マルティナ嬢!しかし……」
「これ以上、ここにいる方が辛いですわ。婚約破棄の書類は家まで届けてくださいませ」
淡々とそう告げたマルティナ。マルティナは辛そうな顔を装っているが、口元は薄ら笑っていた。
「話はまだ終わっていない」
ハビエルはそんな彼女を見て、はぁと大きなため息を吐いた。
「なんですか?殿下、私はもうあなた様の顔も見たくありません」
「どうして?私は絶対にティーナと婚約破棄なんてしないよ」
自分が浮気をしておいて、そんな非常識なことを言う息子に国王陛下は眉を顰めた。
「お前……!どの口がそんなことを」
「私は二人とも愛していますから」
悪びれることもなく、そう言い切るハビエル。確かにこの国では側室を持つことはできる。
しかしそれは、後継がどうしても生まれない等特別な理由がある場合が多い。結婚する前に愛人を持つなんてことは非常識だった。
「最低なことを仰らないで。これ以上あなたに失望したくありませんわ」
怒っているのか……マルティナはブルブルと震えながら、ハビエルを睨みつけた。
♢♢♢
「私はスタイルが良くて、可愛らしい女性が好きなんだ。性格は優しく穏やかな方がいいな」
「まあ、好みはあるよな。でもどうせ俺たちは政略結婚だぜ?理想なんて考えてもしょうがねぇよ」
「……まあ、そうなのだが。希望くらいは持っていてもいいだろう」
「結婚相手が少しでも自分の好みであることを祈るだけだな」
マルティナは聞くつもりではなかったのに、たまたまハビエル殿下と側近であり幼馴染のクラレンス様の会話を聞いてしまった。
実はマルティナは一週間前に父から『第一王子のハビエル殿下との婚約が決まった。マルティナは将来王妃になるのだ』と聞いていた。こんな話をしている殿下はまだその事実を知らないようだ。
「スタイルが良くて……可愛くて優しい……」
マルティナは哀しくなってその場で深く俯いた。それはどれも自分に当てはまっていないように感じたからだ。
公爵令嬢のマルティナは美人だが可愛くはない。背が高く細身ではあるが、胸は控えめなのでスタイルも良いとは言えない。
マルティナは公爵家の一員として恥ずかしくないように常に凛として過ごしていた。マナーや学業も手を抜いたことなんてないし必死に勉強をした。
それは貴族令嬢としては正しいが、その抜け目のない態度は優しく穏やか……には当てはまらないだろう。
「私は全然好みじゃないってことね」
これは政略結婚だ。ハビエル殿下は容姿端麗、頭脳明晰な上に誰に対しても優しい。
そんな素晴らしい殿下の婚約者としてマルティナが選ばれたのは、消去法だった。
ハビエルと同年代で、王族に嫁げる家格の高い未婚の御令嬢がマルティナだけだったのだ。理由はただそれだけ。
「ティーナ、今日も綺麗だね」
そんな好みではない婚約者のマルティナにもハビエルはちゃんと紳士的で優しかった。毎回あまりに大切にしてくれているので、自分は好かれていると勘違いしてしまいそうだった。
『どうしてあんな魔力の少ない女が婚約者なの?』
『家柄よ。公爵家の生まれでよかったわよね』
『ハビエル殿下が可哀想だわ』
この国は強い魔法が使える人間ほど重宝される。
しかし、マルティナは魔力が少なかった。彼女の生家であるペドロサ公爵家は能力の高い魔法使い家系として有名だが、末娘のマルティナは両親や優秀な兄や姉に比べて魔力量が少なかった。
王族は皆、魔法使いだ。ハビエル殿下もかなり強い魔力の持ち主だ。だからこそ、マルティナが婚約者になったのは周囲から批判を浴びた。
マルティナの父であるペドロサ公爵はその批判を力でねじ伏せ、愛娘を第一王子の婚約者としたのだろう。公爵家はそれほどの力があった。
マルティナにはただ一つ使える魔法があった。だけど、これはペドロサ公爵家の人間以外には秘密。
レアな能力なので、公言すべきではないと言われていた。悪用される可能性もあるからだ。
「婚約破棄させてあげないと」
どんな批判をされても、ハビエルはマルティナを庇ってくれた。魔力が少ないことも馬鹿にしたりしなかったし、常に優しく接してくれた。
そんなハビエルに心を奪われないわけがない。さっきのことは聞かなかったフリをして、結婚してしまえばいいと心の中の悪魔が唆してくる。
でも、だめだ。
「お好きな方と幸せになってください」
マルティナは、自分が婚約破棄されるようにある計画を立てることにした。
♢♢♢
「すみません、お隣よろしいですか?」
「……ええ、どうぞ」
「ありがとうございます」
王族であるハビエルも、学校では一学生だ。国王陛下は、自分の子供達に社会勉強のため学校内では『王族』として振る舞うべからずとルールを決めていた。
図書館でハビエルの隣の席に座った女はくりっとした人形のように大きな瞳、背は低めなのに豊満な胸に細い腰をしていた。
ハビエルはチラリ、と彼女を見た。すると彼女は本から顔を上げ、ニコリと優しく微笑んだ。するとハビエルは恥ずかしそうに頬を染めた。
お互いしばらく無言のまま本を読んでいたが、ハビエルがゆっくりと立ち上がり彼女の方を向いた。
「君の……名前を教えてくれないか?」
「私はビビアナと申します。あなた様は?」
「私を知らないのか?」
ハビエルは目を大きく開いて驚いた。だって自分のことを知らない人なんてこの国にはいないのだから。
「ええ。申し訳ありません、有名なお方ですか?私は最近この学校に来た留学生なのです」
「留学生?そうか。私はハビエル……この国の第一王子だ」
それを聞いたビビアナは、青ざめて深く頭を下げた。
「知らなかったとはいえご無礼を。どうかお許しくださいませ」
「いいんだ。学園内では私は君と同じただの学生だよ。どうか気軽に接して欲しい」
「いいえ、そんな」
「また逢えるかな?ここで」
そんな風に出逢った二人が恋に落ちるのはあっという間だった。
ビビアナは無邪気によく笑い、ハビエルを王太子ではなく一人の男として接してくれた。
「ビビアナ、私は君が好きだ」
「ハビエル殿下、いけません。ここで……逢うだけにしておきましょう。私達はあまりにも身分が違います」
「そんなもの愛の前では関係ないさ」
そう言ったハビエルを、ビビアナは哀しそうな瞳で静かに首を振った。
「あなた様には婚約者がいらっしゃるでしょう」
「それは……そうだが」
「もう終わりにしましょう」
この時の二人はまだ手すら繋いでいない清い関係だった。ここで引き返すべきだった。
「ビビアナと離れるなんてできない。お願いだ。私の傍にいてくれ」
美しい彼に懇願され、断れる女性がこの世に何人いるだろうか。ビビアナもそのまま流されるように一緒にいることを選んだ。
秘密を共有することで二人の距離はさらに近付き、手を繋ぎ……いつの間にか隠れて口付けをかわすようになった。
ハビエルは婚約者のマルティナにはエスコート以外で触れたことはなかった。
生粋の御令嬢である彼女に気軽に触れるのはいけないと考えていたし、王族の妻としてちゃんと大切にしたいという気持ちもあった。
しかし、一度ビビアナに触れると止まらなかった。彼女の身分の低さが触れることへのハードルを下げていたのかもしれない。
ビビアナの温かさや柔らかさ、そして触れ合うことで生まれる心の充足感。ハビエルは彼女なしの生活など考えられなくなった。
さすがに一線を越えることはなかったが、その寸前までは済んでいた。
「ハビエル殿下は、やはりああいう御令嬢が好みなのですね」
その事実を目の当たりにしたマルティナは、一筋の涙を溢した。
もしかしたら、ハビエルは『婚約者がいるから』と関係を断ってくれるかもと期待していた。しかし、そんな期待は砕け散った。
今まではどんな煌びやかな御令嬢が近付いて来ても、殿下ははっきりと断ってくださっていた。しかし、それは好みの御令嬢ではなかったからだったのかもしれない。
自分とは似てもにつかぬ可愛らしい見た目。愛らしく素直な性格。
ハビエルはマルティナを大事にしてくれたが、一度も触れてくれなかった。あんな風に求められたことなどなかった。女として完敗だ。
「さようなら」
彼女はハビエルとビビアナの密会現場を、王家にリークした。そうすれば必ずこの関係が公になることがわかっていたから。
残念ながら、ハビエルはビビアナとは幸せになれないことは決まっていた。
だってビビアナはマルティナが用意したハニートラップだから。
全部がマルティナの計画通り。
マルティナが婚約を破棄するにはこれより他には仕方がなかった。家同士が決めた婚約は、よっぽどのことがない限り絶対なのだから。
ハビエルもこの浮気の責任を取らされる可能性もあるが、彼の能力があれば王家を追放などはされないだろう。いや、されないように後で上手くフォローをするつもりだ。
元々マルティナは完璧なハビエル殿下の婚約者としては相応しくないと思われている。きっと婚約破棄も彼ではなく、マルティナに非があったと言われるだろうと予想していた。
きっとこれを機に、彼好みの御令嬢から山程アプローチがあるはずだ。王族以外で一番家格の高いマルティナが婚約破棄されれば、公爵家以下の御令嬢も婚約者の対象になる。
マルティナより家格が下でも、可愛くて素敵な御令嬢は沢山いるのだから。
「これから本当に好きな人を見つけてくださいませ」
マルティナは涙目で自分の唇を指でそっとなぞり、その場を後にした。
♢♢♢
そして、国王陛下に呼びだされ今に至る。
「ハビエル殿下はビビアナ様をお好きなのでしょう?」
「ああ」
「では、この話は終わりです。我が家はお金には困っておりませんので、慰謝料はいりません。婚約破棄してくださるなら、あなたへの罰も望みません」
マルティナは無表情のまま淡々と冷たい声でそう言った。
「マルティナ嬢、そういうわけにはいかぬ。愚息の行いを見逃すなど」
「いえ、陛下。きっと私にも至らぬ点があったのです。殿下の心を惹きつけられなかったのですから」
マルティナがそう言うと、ハビエルはお腹を抱えて笑い出した。
「はははっ、ティーナは面白いね」
いきなり大声で笑い出したハビエルに、陛下もマルティナも眉を顰めた。
気が触れたのか、とでも思うくらい可笑しな言動だ。
「私は婚約破棄などしないよ。だってビビアナとティーナは同一人物なのだから」
真顔に戻ったハビエルは、ニッコリと笑顔を作りマルティナに一歩ずつ近付いた。
目を見開いて驚く彼女の髪をひと掬いし、ちゅっとキスをする。
「ど、どういうことだ!?お前の浮気相手が……マルティナ嬢だと!?」
「はい、父上。マルティナは何故か私の前でビビアナに変装していたのです。ちなみに調べましたが、ビビアナなんて留学生は存在しません」
「変装って……まさか」
「な、なんのことかわかりませんわ」
マルティナは明らかに動揺し、顔を青ざめさせ視線を逸らした。ハビエルはそんな彼女を見て、楽しそうに笑った。
「しらばっくれても無駄だよ。ああ……でも変装より変化と言った方がいいかな。父上、ティーナは私と同じ魔法が使えるんですよ」
それを聞いて、驚いたのはマルティナだった。
「同じ……魔法ですって?」
「そうだよ。私も同じ魔法が使える。こんな風にね」
彼はその場で、ビビアナに変化した。マルティナは口をポカンと開けて呆然としている。
マルティナが驚いている間にハビエルは元の姿に戻った。
「ね、できるだろ?今まで黙っていてごめんね。でもお互い様だから許して欲しいな」
「いつから……気付いていらしたのですか」
「ふふ、面白いこと聞くね。ティーナが図書館で私の隣に座った瞬間さ。私が愛する君に気付かないはずないじゃないか」
「……え?」
マルティナの変化は完璧だった。誰がどう見てもビビアナがマルティナだなんて気が付かない。見た目も声も、身長さえ違うのだ。それなのになぜ。
「不思議だって顔してるね。香りだよ」
「香り?」
「姿が違ってもティーナの匂いがしたんだ。君の香水は私がプレゼントした世界で一つだけのもの。だから間違いないと確信していた。そうじゃなければ、私が知らない女に手を出すはずないだろ?」
さも当たり前のようにハビエルはそう言った。
「そ……んな……」
「最初はティーナの可愛い悪戯だと思っていたんだけど。でも悪戯じゃなかった。ねえ、どうしてこんな事をしたのか教えて?なぜ婚約破棄をしたかったの?まあ、どんな理由でも私が君を手放すことはないけれどね」
ハビエルは顔は笑っていたが、圧のある空気を出し明らかに怒っていた。
「あなたの……あなたの好みが私じゃ……ないから。別れて差し上げようと思って……ひっく……ひっく」
「え?待って。どういう意味だい?」
「だって殿下はクラレンス様に結婚相手は『スタイルが良くて可愛くて優しい穏やかな女性がいい』って仰っていたから」
マルティナはポロポロと涙を溢しながら、何故こんなことをしたのかを話し出した。
「まさか、あの会話を聞いていたのか?いや……でもなぜそれが、君がビビアナに変化することになるんだ?」
「だから!殿下の好みに合わせた女性が現れたら、きっと私と婚約破棄したくなると思ったのです」
「私好みの女性……?ビビアナが?」
ハビエルは眉を顰めて、首を傾げた。
「中身がティーナと知っていたから相手をしたが、正直見た目は私の好みとはかけ離れてるけれど」
そのとんでもないカミングアウトに、マルティナは絶句した。
「ええっ……でも。お好み通り胸を大きくしてスタイル良くしたし、背も低くして目も大きくして可愛く……ニコニコして穏やかな癒し系の女性像を考えて……」
マルティナが必死に説明するのを見て、国王陛下とハビエルは目を見合わせた。
「これはマルティナ嬢に大きな勘違いをされているぞ。ハビエル、お前がちゃんと伝えないのが悪い」
「私はティーナに『愛してる』と何度も伝えていたんですが……まさか信じてくれていなかったなんて」
ハビエルは目を片手で押さえて、天を仰いだ。
「そんな言葉は社交辞令だったのでは?だって、ハビエル殿下と私の婚約は『仕方なく消去法』で結ばれたものなのでしょう?家格が合う、丁度いい年齢の御令嬢が他にいないから……」
マルティナの話を聞いて、ハビエルは不機嫌な顔になり大声を出した。
「誰だ!そんなデマを流した奴は!!」
「え?デマ……ですか?」
「当たり前だ。私の好みは君だ」
「……え?」
「私は昔からティーナが好きで、どうしてもティーナと結婚したくて君の父上であるペドロサ公爵に婚約を頼み込んだのだ」
そんな話はティアナは初耳だった。
「それは本当だ」
陛下もハビエルの意見に同意している。二人が嘘をついているとは思えないので、きっとそれが真実なのだろう。
「ではハビエル殿下は私が婚約者のままでよろしいのですか?」
「当たり前だ。君が嫌だと言っても、婚約破棄などしない!!」
「うっうっ……良かった。私……愛されてないと……思っていて……あなたが幸せになるように……身を引こうと……うっ……うっ」
マルティナは安心したのか、泣きながらその場でうずくまってしまった。
「ああ、泣かないでくれ」
ハビエルはすぐに駆け寄り、ハンカチで目元をそっと拭った。
「私のことを思って身を引こうとしたの?やはり君は心優しい女性だね」
ニコリと微笑んだハビエルに、マルティナはなんとか泣き止んだ。しかし彼女は不安気な顔で彼の耳に口を寄せた。
「私、胸が小さいです」
そんなとんでもない発言に、ボッとハビエルは頬を染めた。
「コホン。そ、それは……実際に確認してみないとわからないが。しかし、私はそこを重要視してない。大きさが全てというものでもないし……その……色々と他に魅力があると思う。長い脚とか細い腰とか……んん、いやなんでもない」
ハビエルは照れながらごにょごにょと言葉を濁した。
「そうなのですか?」
「ビビアナの見た目よりティーナの方がよっぽど好みだよ」
それを聞いてマルティナは自分の容姿がハビエルの好みなのだと信じることができた。
「信じてくれた?」
「……はい」
「じゃあ、改めて。ティーナ、私の妻になってくれるかい?」
「はい!」
二人はぎゅっと抱き締め合った。ハビエルとビビアナは何度も抱擁していたが、ハビエルとマルティナとしては初めてだった。
「何はともあれ丸く収まってよかった」
国王陛下はふう、と呆れたようにため息をついたが幸せそうな二人を目を細めて眺めていた。
王家としても、例え魔法のことがなかったとしても優秀なマルティナを手放すつもりなんてなかったのだ。
大変な王妃教育をマルティナは文句も言わず、黙々と努力して完璧にこなしていたのだから。
♢♢♢
ハビエルの初恋は十歳の時。
その当時のハビエルは我儘でやんちゃな王子だった。皆からは可愛がられ、容姿も良かったのでいつも男女問わず人気者だった。
ある日執事や警備の目を盗み、魔法で平民の子どもに変装して街に出かけた。
この時のハビエルはお金の概念がなかった。だって今まで彼が店に行って買えないものなんてなかったし、お金なんて必要なかったからだ。
「お腹空いたな」
そう思ったハビエルは、外に出ている店に行き「これが欲しい」と指差した。
「おい、坊主。金はあるのか?」
ハビエルは坊主なんて言われたのは初めてで、自分のことだと気が付くのが遅れた。
「ない。必要なら王家に請求して欲しい」
「はぁ!?何言ってんだ。金のないやつにはやれないよ!悪いがこっちも慈善事業じゃないんだ」
しっし、と嫌そうな顔で追い払われた。なんて店だ!と憤りを感じで他の店に向かったが、どこも同じような対応だった。
「そうか……今、私は平民なんだ」
皆に頭を下げられる立場だったが、姿形が変わるだけでこんなにみんなの態度が変わるのか。
監視の目から逃げるために移動魔法を何度も使ったせいで、元の姿に戻る力が残っていない。
お腹が減ったし、こんなに歩いたこともないので足もズキズキする。途中でこけたから、服も薄汚れてきて……みんなから避けられている気がする。
誰も声をかけてくれないし、誰も助けてくれない。だんだんと涙が出そうになる。
「王宮にいる時はみんな助けてくれるのに」
でもそれは自分が『王太子』だからなのだと痛感した。
「大丈夫?足が痛いの?」
そんな時に、同じ歳くらいの少女が声をかけてくれた。彼女は「待ってて!」と言ってパタパタと駆けて行き、すぐに戻ってきた。
「ちょっと冷たいわよ」
濡れたハンカチで頬や手足を優しく拭いてくれた。そして血の滲む足を手当てしてくれて、ポケットから美味しそうなクッキーを分けてくれた。
その少女の優しさはハビエルの心を温かくさせた。
「半分こね」
「……ありがとう」
ベンチに座り、二人でもぐもぐとクッキーを頬張った。それは今まで食べたどんな高級なお菓子より美味しかった。
「何処から来たの?」
「……王宮」
どうせ信じてもらえないだろうけど、と思いながらハビエルはそう答えた。
「王宮!?あそこは一度出ると、子どもだけじゃ入れないのよ」
ハビエルは彼女が信じてくれたことに驚いた。王太子だとは思われていないだろうけれど。
「うん。だから、困ってるんだ」
「私に任せて。でも今から見ることは絶対に秘密ね!!怒られちゃうから」
少女は周囲に誰もいないことを確認して、魔法をかけた。
ハビエルと同じ歳くらいだった少女は、急に大人の男の人に変身した。
「だ、誰?」
「私のお父様よ。偉いからきっと中に入れるわ。こほん、いや……入れるぞ。さあ、行こう」
変身した少女は途中から声や喋り方も変化させた。これはハビエルと同じ能力だった。
レアなこの能力を持っている人が自分以外にいるだなんて信じられなかった。
「公爵閣下、その子どもは?」
「王宮の侍女の子どもらしくてね。迷っていたから連れて来た」
「そうですか!お疲れ様です」
「君達もご苦労」
少女のおかげで、簡単に王宮の門をくぐることができた。
「じゃあね。もう勝手に外に出てはだめよ。私もそろそろ戻らないと騒ぎになりそうだから行くわね」
「ありがとう。あ、あの……名前を教えて!」
「マルティナよ。私が変身したことは二人だけの内緒ね」
手を振り去っていくマルティナはとてもキラキラと輝いて見えた。
ドキドキドキ……
彼女と別れてからずっと胸が苦しい。恋を知らなかったハビエルは戸惑っていた。
ハビエルは王宮内で執事に見つかり、平民に変化していたことがバレて自室に戻され沢山お説教を受けた。
両親にもしっかりと怒られたが、ハビエルはマルティナと出逢えたことで胸がいっぱいだった。
「父上、私は助けてくれた女の子に会うと胸がドキドキするのです。これはどうしてですか?」
「はは、そうか。ハビエル……それは恋だ。君はその女の子を好きになったんだ」
「恋?」
ハビエルの父である国王陛下はハッハッハ、と笑いながら自分の息子の頭を撫でた。
「どこの誰だ?身分が合うなら縁を結んでやれる」
「マルティナって名前しかわかりません。私と同じくらいの年だと思うのですが……」
「マルティナ……マルティナ嬢か!ペドロサ公爵家の娘ではないか。ふむ、この縁結べるかもしれんぞ。お前の妻にしてやれる可能性がある」
顎に手を当てて考えている父親を見て、ハビエルは頬を染めた。
「妻……私の奥さんに……彼女が……」
「ただし条件がある。お前がちゃんと一人前になって彼女を守れるようになったらだ」
「はい!頑張ります」
「早くそうなることだ。悪いがこれは確定ではない。国のために他にもっと良い縁があれば、そちらと結婚する可能性もある。王太子としてそのことは覚悟してもらわねば」
「……はい」
「だが、ハビエルの婚約者候補として公爵家に打診をしてみよう」
それから目に見えてハビエルは変わった。我儘は言わなくなり、勉学にも励むようになった。
自分の無知さを恥じ、全く知らなかったお金のことやこの国の領地のことも沢山学んだ。
そして人を身分で差別したりもせず、皆に平等に優しい王太子へと変貌することになる。
「マルティナを早くお嫁さんにしたいから頑張ったんだよ」
「そんな。あの時の男の子が……殿下なんて」
「私は十歳のあの日から、君以外に心を奪われたことはない」
ハビエルとマルティナはキスをした。ビビアナの姿以外でするキスは初めてだ。軽く触れただけなのにとても気持ちが良かった。
「は、恥ずかしいです」
マルティナの白い肌は真っ赤に染まった。
「ふふ、ビビアナの時は積極的だったのに。可愛いね」
ハビエルは愛おしそうに目を細め、彼女の頬をそっとなぞった。
「でもあの時ティーナは別れようとしていたのに、なぜ私に口付けを許してくれたんだい?」
「大好きな……殿下と……最後の思い出が……欲しくて」
涙目で恥ずかしそうに俯いてもじもじしているマルティナを、ハビエルは強く抱き締めた。
「なんてことだ。ああ、可愛い」
マルティナの頬やおでこにちゅちゅとキスの嵐が降ってくる。
「ひゃあ、やめてくださいませ」
「やめないよ。今までは一度触れたら我慢できなくなるから必死で耐えていたんだ。お互い同じ気持ちだとわかったし、もう我慢する必要はないだろう」
「あ、あの。婚約中は節度ある交際をと両親に言われて……」
ハビエルはドサリとマルティナをベッドに押し倒した。ニッと笑った顔はとても美しく妖艶だった。
「そうだね。だからこれは私達二人だけの秘密だ」
「秘密……」
「そう、秘密だ。出逢った時のように二人だけの秘密」
そのまま甘く深く口付けられ、ハビエルとマルティナは体を重ね愛を確かめ合った。
「可愛い」
「殿下……いけません」
「ハビと呼んでくれ。ああ、やはりティーナの全てが私の好みだ。素敵だよ」
「ハビ……んっ……」
「ティーナ、愛してるよ。二度と私から離れないでくれ」
マルティナは結婚を機に『変化魔法を使える』ということを世間に公表した。あの浮気騒動で国王陛下にバレてしまったからだ。
それにハビエルがビビアナと浮気しているのでは?という噂もちらほら出ていた。
なので『ハビエルは魔法で別人に変わったマルティナとお忍びでデートをしていた』という設定にしたのだ。
半信半疑だった周囲も、目の前で変化するマルティナを見たら浮気疑惑はすぐに消えた。
マルティナの変化魔法を隠すのではなく、公表して国の宝として王家が守ることに決まったのだ。
「良かった。前々から君への低い評価は我慢ならなかったんだ」
彼女がハビエルの妻に相応しくないという声は無くなったのだった。
「……計画通り」
ハビエルは小声でポツリと呟き、ニヤリと笑った。
「え?何か言われましたか?」
「いや、何でもないよ。たまたまあの時父上に変化魔法のことがバレたから丁度良かったなと思って」
「結果的にはそうですね」
爽やかに微笑むハビエルは、マルティナの頬にキスをした。
どうやらハビエルがあえてハニートラップに引っかかったのは、全てマルティナとの幸せな結婚のためだったらしい。
このなかなか腹黒いハビエルは、のちに国王として即位し王妃マルティナと共に国をさらに発展させていくことになる。
国民を思い、臣下を大切にする彼は賢王と呼ばれていたが……マルティナに危害を加える者だけには容赦がなかった。
「ティーナ。そろそろ抜け出して街でデート……いや、街の視察をしよう」
彼等はお互い変化ができるので、姿を隠してお忍びのデートができた。ちなみにハビエルが変化魔法を使えるのは未だに王家とペドロサ公爵家だけの秘密だ。
「まあ、悪い人ね」
「視察だ。だから、仕事だよ」
パチン、とウィンクをするハビエルは年齢を重ねた今も美しい。
「これは私達だけの秘密だよ」
公爵令嬢が王太子殿下と婚約破棄をするためにハニートラップをしかけたら……まさかの幸せな結婚生活が待っていました。
END
最後までお読みいただきありがとうございました。
ざまぁ、ではなくすみません。でも二人を幸せにできて良かったです。
少しでも面白いと思っていただけたら、いいねや評価していただけるととても嬉しいです★★★★★