電子書籍化記念:本と薔薇をあなたに。
「ルビー、今日の接客は俺に全部任せてくれないか?」
「あら、ディラン。珍しいわね。あなた、接客は苦手でしょう?」
「苦手ではない。嫌いなだけだ」
「それはもっとダメなのでは?」
思わず苦笑してしまったルビーは、意外にも真剣な表情で自分を見つめてくるディランの姿に目を丸くした。最初に店に居候を始めた頃といったら、客から隠れるように店の奥で掃除ばかりしていたり、興味深々の女性客に失礼にもほどがある塩対応をしていたりと、接客業をやる気があるのかと疑問に思うようなありさまだったのだ。それが自分から、接客を一手に引き受けたいと希望を出してくるとは。
「だが、嫌いだと言っていても成長しない。気を付けて接客するので、俺のためにも今日は接客に専念させてほしい」
「そう? 今日はいつもよりお客さまが多いから疲れてしまいそうだけれど。大変じゃないかしら?」
「いや、こういう時だからこそ腹をくくれるというものだ」
きっぱりと言い切ったディランは、確かにある種の覚悟が決まっているように見えた。何せ彼はこう見えて、隣国の騎士。戦場に赴く心持ちになれば、好き嫌いなど言ってはいられないとなるのだろう。しばらく思案したのちに、ルビーはにこりと口角を上げた。
「それなら、お願いしてもいいかしら?」
なんといっても今日は、「本と恋人の日」と呼ばれる記念日だ。かつては男性は本を受け取り、女性は薔薇を受け取っていたそうだが、最近では本と薔薇の両方を贈り合うことが増えている。だから、花屋にとっては稼ぎ時の日なのである。しかもイベントが有名になるにつれて、恋人同士でなくても、家族、友人、好きな相手など贈り合う相手と範囲はどんどん拡大していった。
大掛かりな花束の予約がいくつも入っているし、飛び込みで花束を求める客も多い。店先での仕事をディランが引き受けてくれたなら、ルビーはだいぶ楽になるだろう。もちろん新規の花束の注文の際には相手の要望を聞きたいので、直接店頭に出てお客さまと会話をするつもりだ。
「ああ、もちろんだとも」
「ありがとう、助かるわ」
そういうわけで、ルビーはディランの提案に乗ることにしたのだった。
***
「それでディランくんは、今日も楽しくお店で番犬として睨みを利かせているってわけだ」
「人聞きの悪いことを。俺は、ルビーに習った通りに丁寧に接客しているだけだ」
ルビーの義父であるエゴンがからかえば、雪豹の獣人であるためか「番犬」という言葉にディランが若干顔をしかめる。そんな彼のことを興味深そうに眺めながら、エゴンは持っていたプリザーブドフラワーボックスを店内に並べ始めた。
特殊な染料と加工のおかげで、「枯れない花」として売り始めた最近人気の贈り物。期間限定の美しさを楽しむのではなく、長くずっと飾ってもらえるというところに、どことなく言いようのない執着度合いを感じて、実にエゴンらしい一品だとディランは感心している。
「ディランくんの丁寧って、慇懃無礼っていうか、威圧感満載っていうか、まあ不埒な男性客がいなくなることは、店にとってもお客さんにとっても良いことだから、僕はまあ気にしないけど。ルビーちゃんにはバレないようにね」
「肝に銘じる」
そう言いながらディランは、エゴンの目の前で男性客からのルビーへの取次依頼をあっさりと却下した。本日、ディランが店頭での接客業務を請け負った理由はただひとつ。ルビーに好意を抱いている男性客を近づけないためである。何が悲しくて、絶賛口説き落としている最中の女に、花束を渡そうとしてくる男を近づけなくてはならないのか。
そもそもこんな記念日があるのが悪いと、ディランは、記念日の元になった聖人に対してまで八つ当たり気味に脳内で毒づく。大人しく家で静かに本を読んでおけばいいものを、恋人、家族、友人、果ては好きな相手にまで本と薔薇を贈るだなんて。おかげで、今日は四方八方に対して目を光らせておく必要があるではないか。
玉砕覚悟でやってきた男性客たちは、鉄壁の防御を見て肩を落として帰っていく。ディランとしては店先でごねられたなら力で納得させる腹積もりだったが、そこまでの気概がある人間はいないようだ。そもそも事情を知らない人間だって、侯爵家嫡男であり絶世の美男子である騎士のオーラを間近にすれば圧倒される。ルビーの名をディランの前で口にできた彼らは、それだけである意味勇者なのであった。
ちなみに肉屋の息子やら、鍛冶屋の甥っ子やら、ディランと多少なりともかかわりのある男たちは、ディランの密かな奮闘をにやにやしながら見守っていた。ルビーへの失恋組はいつの間にやら、ディランの応援団に移行している。実に平和な世界なのであった。
***
「ディラン、お疲れさま。本当に助かったわ」
「それならばよかった。俺にとっても実りある一日になった」
「それじゃあ、はいこれ。どうぞ、開けてみて」
終業後にこやかに微笑みかけられて、だらしなく頬が緩みそうになるのをディランは必死でこらえていた。そんな彼に、小さな包みをルビーが渡す。オレンジ色の薔薇が添えられた薄く四角い包みだ。
「……こ、これは」
「ディランの好みではないかもしれないけれど。私の好きな本を選んでみたの。よかったら、感想を聞かせてね」
友人としてなのか。それとも恋人への第一歩なのか。興奮のあまり尻尾を大きく膨らませながら、ディランはこくこくと何度もうなずいた。手が震えるせいか、うまく包みを開けられないのがじれったい。
「徹夜で読む」
「そこまでしなくて大丈夫だから。それから薔薇は迷惑かなと思ったのだけれど……」
「一生大事にする」
「ドライフラワーにしてくれるの?」
「それもいいな」
薔薇の色はオレンジ。まだ桃色や赤ではないことに切なさを覚えつつ、友人以上ではあるらしいことにじんわりと胸が熱くなる。そこまで考えて、ディランは頭が真っ白になった。薔薇の花束は後から自分でこっそり作る予定だったが、本の用意がないのだ。消えもののお菓子と違って、本は嫌がられるかもしれない。まだ恋人にすらなれていないのだと弱気になって用意しないことを選んだ自分が恨めしい。耳をぺたんと頭につかせ歯噛みしていると、ルビーが小さく吹き出した。
「もう、ディランったらすごい顔。本を用意していなかったのね。大丈夫よ、でもあなたが気になるのなら、今度一緒に本屋さんに行きましょう。ディランの好きな本を私に教えてくれる? 国が違えば、流行っている本の内容も違うでしょうし、いろいろ聞いてみたいわ」
これはデートと言っても過言ではないのでは? まさかのお誘いにディランは先ほどまで悪態をついていたことも忘れて、この記念日の元になった聖人に感謝と祈りを捧げた。後に張り切り過ぎたディランが本屋を店ごと買い上げてしまいそうになり、ルビーにたしなめられるのはまた別の話である。





