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クロイツェルソナタの思い出

作者: 久米 弘

脳性麻痺で入院していると言ふ人へ「クロイツエル・ソナタ」のCDをのプレゼントするのだが。

そのCDには、病院時代の悲痛な思い出が詰まっていた。

なほ、若干、事実とは異なる部分あり。

退院時に、福祉事務所からアパートを、が違う。自治会の書記補佐も違う。

 年に一度の町内会の総会の時であった。会場には音量を絞ったヴァイオリンの曲が流れていた。僕の雑務協力を喜んだ世話役が、ムードを和らげるために何かバックミュージックを流したいのだが、高田君の好きなCDでもあれば、と迎合的に言った。それで、僕はクロイツェルソナタを提案した。ブァイオリンの曲、と言えば「ああ、いいね。クラシックだね。バックミュージックにうってつけだ」

 さあ、それはどうだか……。ボリュームを絞れば、あの凄まじい迫力は蔭を潜めていた。人々は気にも止めていなかったが、僕の耳の中では、充分すぎるほど増幅されて鳴っていた。久し振りに聴いた。何度聴いても素晴らしい。書類を配布し終わって席に座ると、横の小母さんが話し掛けてきた。

「メールの友達は、メル友でしょう。では、掲示板の友達はなんていう?」

 町内会の総会で、隣の椅子に座った中村という小母さんが、僕に話し掛けてきた。

「そりゃ、掲示板の友達なら、ケー友に決まってるよ。何かやっている?」

「たったの20枚の募集をやっているのよ。それなら、私でもなんとか書けるかと思って、挑戦したのだけどね。半年も罹ってしまった。それもケー友に教えてもらったの」

「何の募集? 子育て体験記?」

 その小母さんの横には3才ぐらいの女の子が温和しく座っていた。有りそうな話だ。

「違う。小説よ。ヤハウエ文学賞なの。高田さんも文章書きが上手でしょう。いかか?」

 僕は高田光能。町内会の事務雑務を手伝っていて、案内チラシなどの他に、『町内会便り』として、住民の体験談や自己紹介などを、いろいろと書いていた。

「小説は自分をさらけ出すと言うでしょう。僕には人に読ませるような話は何もないし」

「題がね、『思い出』てなっているの。自分の思い出を書いてみたら?」

 なんだ、しょうもない。

「僕には思い出なんて何もないです。人のもめ事や子供さんの話などを町内会便りの記事に書くだけですよ」

「そういえば、高田さんは御自身の話は、町内会便りには何も書いていないわね。どうして?」

「だから言ったでしょう。僕には思い出はなにもない、て」

「そんなことはないわよ。人間、必ず一つや二つの切ない思い出があるものよ」

 粘着質なのだろう。しつこかった。

「ない! 僕にはなにも、思い出なんて、ない!」

 もうそれ以上は言わないで欲しい、という意思表示で、前列へ移動した。そこは、議事の記録補佐役の席であった。

 書記は別にいるのだが、僕がいつも議事内容をメモしていた。

 ところが、この時は、何かおかしかった。議事進行が頭に入らなくて、メモろうとしても書けなかった。


 思い出など有るものか……。絶対にない、何一つない。無いと言うたら無いのだ!


 手が震えていた。小母さんの可愛い子供が、僕の横に来た。テーブルのジュースを渡して、お母さんの所へ行きなさいと、指を指そうとするのだが、その指が伸びなかった。

 CDから鳴り出すBMはリターンセットされていて、繰り返し繰り返し鳴り続けていた。

 ようやく集会が終わって、CDを取り出すと一人自宅に戻った。このCDは滅多なことで外へ持ち出すものではない。それなのにおだてに乗って、浮かれてしまって、一番大事なものを持って行った。CDケースとは別の所に納そう。

 帰宅して、書棚の上に乗せようとすると、一塊の書類が落ちてきた。


 自分には、人並みな思い出など何もない! その無いはずの物が落ちてきた。こんな物がまだ残っていたとは…。

 まるで怨霊ではないか。こんどゴミに出す。もう、終わったのだから。


 …人間、必ず一つや二つの切ない思い出があるものよ…


 ない! 僕には思い出はない。例え有ったとしても、思い出したくもない出来など、思い出とは言わない。無いのだ、何もないのだ。


 その書類の中身は、連綿として送りつけられて来た請求書の類であった。最後の頃は告訴手続きを開始する、という内容であった。

 それは人には言えないことであるし、思い出したくもない嫌な過ちであった。




 今は去る数年前のこと。

 そのころ、僕は人から譲って貰ったCDプレーヤーを一台を持っていた。ラジオが受信できたけれど、ラジオ番組の音楽には興味がなかった。というより、不愉快で聴かなかった。

 あるとき、隣のおっさんのテレビから、素晴らしいクラシックの音楽が流れていた。そして、名曲を集めたCDセットの案内をしていた。欲しかった。僕はそのとき、ベットの上で寝転がることしか出来ない半身不随の病に、10年も…伏せていた。

 学校に行く直前からの事であった。すでに、貧乏な親たちは、どこかへ行ってしまって、僕の入院している所には誰も来ないようになっていた。


 …まったく、こんな話など、誰にも言いたくはないし、自分自身でも思い出したくない。

 僕はいずれ、成人もしない内に死ぬのだと覚悟をしていた。悔しかった。だから、悪ふざけた音楽がたまらなく嫌だった。そう言う中で、ふと聴いたクラシック音楽の何という美しさ、すばらしさであろう。それを全部聴きたい。それを聴いていれば、もう死んでもいいと思えるのに違いない、と。

 捨てられようとしていた古新聞を貰って、隅から隅まで見ていると、有った! あのCDの通販が。同じかどうかは分からなかったが、とにかくクラシックのCDセットだ。

 それを買うほどのお金など、有るわけがない。それでも、僕はハガキを出した。間もなく、美しいケースに収まったCD集が届いた。かなり悩んだのは事実。一度聴いて、戻してしまえばそれで問題は無いだろう、と。

 それが、戻せなかった。


 ベートーヴェンの音楽が素晴らしかった。運命も感動そのものだった。田園も、第7番も。そしてヴァイオリンソナタ『クロイツェル』には、全身に震えが走った。

 請求書はしつこく送り続けられていた。かまうものか。逮捕するならすればいい。それまでの間に、ベートーヴェンの音楽をこの脳裏に、全身に刻みつけておく。

 それ以後、請求書との戦いであった。いつかは警察が来る。詐欺罪?横領罪?

 さあ、この身動きの出来ない病人を刑務所に連れて行くがいい。刑務所の中に入れられたときには、僕の頭の中には、もうCDなど鳴らさなくても、ベートーヴェンが響き渡るようになっているのだ。

 ……無理かな? 少なくともクロイツェルソナタだけは、と集中的に聴きづけていた。



 町内会会合の数日後、

「高田さんへ。先日は失礼しました。きっと辛い思い出があるのでしょうね。その表情で分かりました。私も滅多なことでは人に話せない事があります。私の兄が五歳で重度の脳性麻痺になって、未だに施設に入ったままで、それで、私は兄を避けて生活しています。私の瑕瑾となっています。だれにも話したくない事です。その思いに通じているようで……ごめんなさい。勝手に考えて。でも、いつかは乗り越えなくては、と私は自分に言い聞かせていました。そして、今度、兄を訪ねようと思いました。それも、高田さんとお話をしてから、決心したのでした…… 中村」

 町内会で決まった決定事項の役割分担を各役員へ通知する案内に、あの時の小母さんから、添え状が有った。

 小説を書いてみようとする人には、やはりなにかあるのだな。

 僕は、間髪を置かずに返事を書いた。


「中村さん、お手紙ありがとう。是非、是非、お兄さんを見舞われて下さい。体がいくら不自由でも、心には人一倍の悲しい思いが波打っているのです。誰も来てくれない、ということは食事を貰えずに餓死する以上に辛いのです。一人でも訪ねて貰えると、上手に現せなくても、感謝と感動で、生きる勇気が生まれてくるのです。人は見かけではない」


 貰った手紙には、必ず返事を送る。それは僕の信念であった。言葉がいつも不器用で、送った返事で相手を不快にさせて、断絶したことが幾度もあった。嫌われるぐらいなら返事をしないでいたほうが含みが残って良かっただろうにと、悔いるのだが、それでも僕は必ず書いた。


 病院でも同じだった。

 送られてくる請求書に対しても、返事を書いていた。

 …生きて病院を出ることが出来ましたら、必ずお支払いします。だから、それまで猶予を下さい…


 病院には次々と新しく人々が入った来る。苦痛が和らいで、話が出来るようになると、僕に聴くのだった。

「どのくらいいるの?」

 …… それには答えたくなかった。うっかり十年などと言おうものなら、相手の顔が痙攣し出すのだ。だから「長く……」とだけ答えて、はぐらかす事を覚えていた。

 退院して行く人々の中に、不要になった松葉杖を置きみやげにしてくれた人がいた。

「いつか、これで歩いごらん。僕もベットから起き出すときは、これで助かった」

 その松葉杖を、いつもベットの腋に置いていた。最初の内は、ベットから落ちた物を、手の届く所まで引き寄せるために使っていたが、その内に体をずらして、ベットに座るようになり、さらに、その体を支える為に使った。

 絶対安静を必要とする病気であり、許可はされていない。看護婦に見つかると叱られる。それでも、僕は時々そうして体をベットに座らせた。初めてそれをやったときは、世界が見下ろせると思った。


 座り疲れるとベットに伏せる。そして、クロイツェルソナタを聴く。

 重厚な響きの後で、プレストのスタッカートが力強いリズムを刻む。息せき切って怒濤のような興奮のるつぼへ引きずって行く。もう息が続かない、という限界まで来たところで、一転して穏やかなテンポに替わる。思わず深い溜息が出る。ただ喧しいだけの単調な音楽ではない。ただ哀愁を連綿と続ける陳腐な歌ではない。そこには生の人間の生きる呼吸があった。深く深く息を吸い込み、ベートーヴェンの生命そのものに身を委ねている内に、僕はまたベットから体を起こすのであった。


 それから五年後には、僕は松葉杖にすがって歩いていた。一度も医者の許可はないままであった。生きながらえるとも思えない少年が、ベットの中で成人していたのである。本人の自由にさせてやれ、ということであったのだろう。その内に倒れて再び身動きが出来なくなる。それまでの間のことだ、というぐらいなものであったはず。


 さらに五年が過ぎた。発病して身動きも出来なくなってから二十年が過ぎていた。僕は退院した。医師の言うことを聞かないので、看護師に迷惑を掛けるようなら、これ以上の入院しなくてよい、ということであった。

 松葉杖にすがって動けるようになると、あろうことか、僕は一人の看護師に恋をしてしまった。その思いを手紙に書いてしまった。

 実るはずはない。それは判っている。判っているが、どうにも始末に負えなかった。病院にはおれない、退院して生きて行くことは出来ない。家族はバラバラで、既に親は死んでいた。身内で世話をしようという者は一人もいなかった。

 桜の花が満開になっていた夜に、僕はベットを抜け出して自殺を試みた。恋しい思いに身も世もないという感情になっていることよりも、それよりも、生きて行く目処がなかった。恋に破れた衝動を利用すれば、死を決行できるであろうと……。

 桜の花が紐を掛けるのに邪魔をしていた。ようやく陽の目を見た花々を潰すのに忍びなかった。花の無い枝を見つけて、寝巻きの紐を括りつけ、首に掛けたそのときだった。聴こえてきたのである。僕の耳に!あのクロイツェルソナタが……。第二楽章の哀愁が連綿と……。


 どうしたの?可哀相に……


 可哀想? そんなこと、だれも思うものか! お荷物がこの世から一つ消えただけのこととして処理されて終わりだ。

 空を見上げると満月に近づいている十日月が何か言っているようだった。


 お出で……、死の世界へ……。苦しくもない代わりに希望もなのよ……。


 哀愁は脈絡もなく第一楽章へ戻った。この事態を知っているように、不吉な序奏が鳴り渡る。やはり、死ぬより他にないのだ、と思わせると、一転して力強い主題が天を指し示す。


 死んではならぬ! 生きるのだ! 生きるのだ!

 ……それは無理、生きて行けないよ……。


 クロイツェルソナタの哀愁は、再び力を張らんで鋭いリズムを刻みだしていた。そして最終章で力の復活を歌い上げていた。


 足場のカゴを蹴ろうとしてカゴに足がめり込んだ。蹴れない。するとまた……、


 どうしたの? 可哀相に……お出で……死の世界へ……


 何をしている?! ダメだ、生きるのだ! 生きなさい、生きなさい!    


 死んでいいのよ、さあ、ぶら下がりなさい‥‥


 可哀相に……泣いているの? ダメよ、生きなさい、生きなさい! 死んではいけない! 生きるのよ! 生きるのよ!


 クロイツェルソナタのメロディとリズムが言葉になって、死を誘いながら死ぬなと言う。


 足に食い込んだ破れカゴをから抜け出して、しばらく草の上に仰臥した。淡い桜の花びらがちらほらと舞い降りる、その上には十日月が輝いていた。周囲に人の気配はない。

 自分が哀れに思えた。


 生きてみよう……。今まで以上に辛い思いをすることはないはず……。僕の人生、何もないのではない。ベートーヴェンの音楽がある。


 福祉事務所が退院先の安アパートを確保してくれた。生活保護費で、僕は中古の原付バイクを買った。外出許可を取って簡単な学科試験で免許を取ると、自転車も乗れないのにバイクに跨った。

 バイクは両足が地面に着く。自分で力を入れなくて良い。それでバイクで二輪の練習をしたのであった。バイクがあれば、買い物などで歩いて回ることも無くて済む。

 無茶ではあったが僕は考えた上で最も合理的だと判断した。自転車と違って、バイクは両足が地面に着く。自分で力を入れなくて良い。しかもバイクがあれば、買い物などで歩いて回ることも無くて済む。それでバイクで二輪の練習をしたのであった。


 原付バイクで走り回るのを見た福祉のケースワーカーから、仕事を見つけろと言われた。では探してくれと逆ネジで応じた。慈善事業者でないかぎり、採用してくれるところなど、有るはずがない。

 それでも生活保護で生かされているのであり、なにか人の役に立つことがあるのならと、町内会の雑用手伝いをしている内に、自治会の書記補佐として、人々と交わるようになったのであった。


 脳性麻痺の兄を長く見舞いにも行っていない、という手紙をもらって、僕はそのお兄さんへと、一枚のCDを添えた。

 退院後に別の演奏者のクロイツェルソナタのCDを買ったが、やはり、最初に聴いていた演奏が一番良かった。奏者はヤッシャ・ハイフェッツ。もう過去の人だ。


 一月ほどした頃、家主から電話が掛かってきた。凄まじい怒鳴り声だった。

「こら、お前は儂の女房にちょっかいを出したのか。人の女房を横取りするつもりか。出て来い! 容赦はせんぞ。お前には即刻アパートを出て貰うぞ。分かったか。今すぐだ」

 ?? なんのことですか? と問うものの、まともに答えなかった。

 翌日、家主の小母さんがCDを返しに来た。

「兄はロックが好きで、このようなクラシックは難しいから」 

「? うそですよ。クラシックが難しいなんて、そんなの、全然うそです」

「人、それそれに好みが、あるでしょう」

「誰でも童謡が好きなように、その優しい童謡と同じですよ。クラシック音楽は……」

「あなたの好きな物が、人も好きというわけではないでしょう。だから切角ですけど、好みの合わない人に渡しているよりは、元の人に返す方がいいと思いまして。有難う御座いました」

 感じが違っていた。あの時の優しい女性ではなかった。

 クラシック音楽と聞いただけで、敬遠されたのかもしれない。

 長い時間、人々と隔絶された生活をしていた。感覚も趣向も思想さえも、人々とは別のものに成っているのかも……。


 そして、言い渡されたのであった。

「主人が怒っていますので、出来ることなら他のアパートを見つけて下さい」

 ?

 〝ば~か、言われもなくおい出される理由はない。出ろと言うのなら、費用一切合切支払えよ!〟


 またも、手紙が災いしたのかな……。

 僕はつい、封印していた「思い出」に手を付けてしまって、それで、その思いの中で手紙を書いた。それが悪かったのかも知れない。



 いつかは返済しょうと思っていた病院時代のCD代はその後、請求が来ないようになっていて、そのまま放置している。人の社会で生活するものである以上、そういう約束破りは許されない。

 それで、連絡を取るべく、電話をいれると、全く様子が違っていた。

「通販の会社でしょう?」

「通販? ばか! 俺とこは○組の△支部だ。用なら出て来い。相手になってやる」

 会社はつぶれたのだ。申し訳ない。僕が支払わなかったばかりに……。

                     (了)



いつ頃、書いたのかわからない。封印されていた事柄が蘇ってきた。

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