第5話 ザワークラウト亭で一杯
「はあ? あいつ、おばさんの上司? アタマわいてんじゃない?」
翼の少女だけではなく、ホーニッヒもザルツ警部に嫌悪の視線を向けた。
「あいつ、だいきらいなの。」
「アタシも。そこは気が合うね。」
少女はザルツ警部にあかんべえ、をしてからホーニッヒの方を向いた。
「おばさん、もしもアタシの話を聞く気がすこしでもあるなら、酔いどれ横丁のザワークラウト亭にきて。必ずひとりで、今夜10時に。あの白猫怪盗をつかまえる秘策があるの。」
それだけ言うと、少女の背中から翼がガシャコン!と飛び出し、勢いよく少女は空中へ飛んだ。
機動隊が銃で狙ったが、ホーニッヒが大声で叫んだ。
「撃たないで! 相手はこどもよ!」
空中の少女は微笑んでから、上空を旋回するとまたたく間に飛び去っていった。
「ああっ! 逃げられたじゃないですか!」
金網に捕まりながらザルツ警部が悔しそうに言い、うらめしそうに振り返った。
「あなたの責任ですよ、ホーニッヒ警部補!」
ホーニッヒはザルツを完全に無視してポニーテールを向けた。
「みんな、行こ。」
「あいつ、かなりのアホだニャ。ククク。」
去ろうとしたホーニッヒたちの背後にザルツが甲高い声でどなった。
「署長に報告しておきますからね!」
「あーッ、はらたつ!」
ホーニッヒの声が店内に響いた。
酔いどれ横丁のバーのカウンターで、ホーニッヒと黒猫警部補はとなりあってスツールに座っていた。
ここはザワークラウト亭、翼の少女が指定した店だった。
黒猫シュヴァルツェは、ミルクをひと口すすり、コップをカウンターに置いた。
「あのアホ警部、たしかおまえの後輩だったニャ?」
ホーニッヒは壁の酒瓶に目を走らせながら答えた。
「そうなの。私がいろいろ教えてあげて、最初は素直でいいやつだったのに。警部に昇進したとたんにまあ偉そうに!」
「何か飲みますか。」
長身にサングラス、ベストに蝶ネクタイ、オールバックのバーテンが聞いてきた。
「俺、ミルクおかわりニャ。」
「てめえには聞いてないよ、黒猫警部補どの。」
よく見ると、バーテンはシリンダ刑事だったが意外とサマになっていた。
「飲みたい気分だけど、オレンジジュースにしとくわ。もうすぐ10時だし。」
すみのテーブルには作業服姿の二人組がいて、水をチビチビ飲んでいたがこちらに少しうなずいた。
シリンダ刑事はグラスをホーニッヒの前にコトリと置いた。
「みんな変装バレバレニャ。」
「私はひとりで、って言ったのに、勝手についてきたんじゃない。シリンダも式の準備で大変なんじゃないの?」
「その話は今はナシだ。危なかしくて、警部補ひとりにはまかせておけないからな。」
ホーニッヒはカウンターに突っ伏してしまった。
「私、部下にも信頼されてないんだ。あのコの言うとおり、警官に向いてないのかなあ。」
「あんなナマイキなガキの言うことなんか気にするな!」
「いや、たしかに向いてないニャ。そもそもおまえはなんで警官になったニャ?」
「てめ…」
つかみかかりかけたシリンダをなだめて、ホーニッヒは黒猫に顔をむけた。
「私がこどもの頃の話。交番にいつもボーっと立ってるおまわりさんがいたの。私たちはバカにしていたんだけど…。」
ホーニッヒはグラスからひと口のんで続けた。
「ある日、刃物をふりまわす通り魔が現れて歩行者に襲いかかる事件が起きたんだけど、その時…そのおわまりさんが通り魔に、たったひとりで立ち向かって格闘したの。」
「へえニャ。」
グラスの氷がゆれ、カタンと音をたてた。
「あの時…人も猫もいっしょになってまわりはおまわりさんを応援して…私にはそのおまわりさんがヒーローに見えたの。」
「にゃはっ! おまえはヒーローになりたくて警官になったのかニャ!」
笑う黒猫を、ホーニッヒは顔を赤くして問い詰めた。
「じゃ、あなたはなんで警官になったの?」
答える代わりに、黒猫はカウンターの後ろのテーブルを見回した。
「みてみニャ。安酒で酔っぱらっているのは猫ばかりニャ。この街では猫は二級市民扱いで低賃金ニャ。マトモに食っていくためには支配する側につこうと思ったニャ。」
「あっきれた! そんな理由!?」
ホーニッヒはグラスを飲み干した。
「そう、そんな理由ニャ。ついでに言うと、そんな理由でこの街はあいつをうみだしてしまったニャ。」
「白猫怪盗…ヴァイスね…。」
「市民の協力がないと捜査はなかなかすすまないニャ。貧民に金貨をばらまく奴は市民のヒーローニャ。捕まらないのはおまえだけのせいではないニャ。」
ホーニッヒは意外そうな顔をした。
「ひょっとして、はげましてくれてるの?」
「アホかニャ。だからおまえは奴に勝てないのニャ。もう一度よく、なぜ奴をつかまえたいのかよく考えてみろニャ。ちなみに、おまえのおごりニャ。払っておけニャ。」
黒猫は席からピョン、ととびおりると、店から出ていってしまった。
「なによ、あいつ。えらそうに。」
ホーニッヒが内ポケットに手を入れながら口をとがらせていると、シリンダ刑事扮するバーテンが近寄ってきた。
「いやあ、いい話だったな、警部補。もう一杯飲むか? ん? どうした?」
「財布が…お財布がないの!」
ホーニッヒはパニクってあちこちのポケットを探っていたが、いきなり店の出口に突進した。
「警部補!? もうすぐ10時だぞ!」
「道で落としたのかも! すぐに戻るから!」
ホーニッヒがよいどれ横丁の路上をウロウロしていると、背後に人の気配を感じた。
「おばさん、探しものはこれ?」
フードをかぶった少女が手に革のサイフを持ってヒラヒラさせていた。ホーニッヒが近づくと、少女は暗がりに向かって駆け出した。
「まちなさい! いつのまに!?」
酔客を押しのけてホーニッヒは少女のあとを追い、ついに行き止まりに追い詰めた。
「返しなさい! 警官からサイフを盗むなんていくら子どもでもゆるさないよ!」
点滅する街灯の下、ゴミ缶から漂う悪臭に顔をしかめながら少女はサイフを投げ返した。
「たいして入ってないじゃん。それに、おばさんだって約束やぶって部下をつれてきてたくせにさ。」
「給料日前だからしかたないでしょ。で、猫怪盗をつかまえる秘策とやらを聞かせてもらえる?」
「その前にさ、アタシと組むの、組まないの? どっち?」
「…秘策を聞いてから決める。」
「意外とズルいんだ、おばさん。ま、いっか。そういうのアタシ、キライじゃないよ。」
少女はニヤニヤしながら後ろ手のまま、ホーニッヒの間近にまで近づいてくると、いきなりメガネをとりあげてしまった。
「あ! なにするの!」
「ださ…。なんでコンタクトにしないの? その方がずっといいのに。」
ホーニッヒはメガネを少女からむしりとると慌ててかけなおした。
「いいからはやく秘策を教えて!」
どうにもこの大人びた少女の扱い方がわからず、ホーニッヒはペースを乱されっぱなしだった。
「秘策はね…約束してくれたら教えてあげる。」
「約束?」
「白猫怪盗ヴァイスをつかまえたら…必ず、必ずあいつを死刑にしてほしいの!」
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