終章
交差点のまんなかで、交通整理をしている警官がいた。ここはザッハトルテ市でいちばん交通量が多い交差点だった。
ホーニッヒがその警官に声をかけた。
「ザルツさん。おつかれさま。」
警官は直立不動で敬礼をした。
「ホーニッヒ警部! ありがとうございます!」
「猫の失踪事件の捜査怠慢で巡査に降格だってね。」
意外にも、ザルツは晴れやかな表情だった。
「はい。今回の事件でつくづく、私には人の上にたつ器はないとわかりました。一からやりなおします。」
「そうなの…がんばってね。」
「あ、このたびのご昇進おめでとうございます。あ、あの、もしよければお祝いにこんど食事でも…。」
ホーニッヒはびっくりしてザルツをみつめた。
「えっ!? ひょっとしてあなた…?」
「はい。実は前から警部のことを…。」
赤くなったザルツに、ホーニッヒは告げた。
「わるいけど、ごめんなさい。お仕事がんばって!」
ホーニッヒは手をふると、コートのポケットに手を入れて足早に去っていった。
ホーニッヒは街をぶらぶら歩いていた。警部に昇進はしたものの、署長からしばらくの間は休暇をとるように言われていた。
(人ってわからないものね…。)
いつのまにか花屋の前に来ていた。メートヘンの家の1階の花屋は今はシャッターがおりて人の気配もなかった。
シャッターには「しばらく休みます」と書いた紙が貼られ、風でゆれていた。
「警部。」
よぶ声にふりむくと、白いコートに身をつつんだシリンダがいた。
「ここだったか。昇進おめでとう。」
「ありがと。あなたもね。」
2人は並んで張り紙をみた。
「親子で行っちまったのか。」
「そうね。」
「よかったのか?」
「なにが?」
シリンダは肩をすくめると、はがれかけていた張り紙を手で押さえつけた。
「ま、いいけどよ。あんな大事件を解決したんだし、警部はもっと自分に自信を持ったほうがいいぜ。」
「それはどういう…」
「俺、アプフェルクーヘン市警に異動になったんだ。」
シリンダはホーニッヒのことばをさえぎるかのように言った。ホーニッヒはしばらく声が出せなかった。
「そうなんだ。」
「俺もデシリットもフラスクも黒猫も昇進したからな。皆、別々の市警に異動だ。」
「そっか…。さびしくなるね。」
「送別会とかいらねーからな。じゃ、またな。警部。」
シリンダはロングコートのすそをひるがえした。
「待って、シリンダ。」
「なんだ?」
ふりかえらずに聞くシリンダに、ホーニッヒは前を向いたまま聞いた。
「あなたはいいの?」
「…よくはねえけど。みじめな奴にはなりたくないしな。」
そのままシリンダは去っていった。ホーニッヒはシャッターの前で、あの夜を脳裏によみがえらせていた。
2人は夜道を無言で歩いていた。先に沈黙を破ったのはホーニッヒだった。
「怪盗メートヘンはもう卒業だね。」
メートヘンは自分の肩をトントンたたいた。
「ヴァイスを狙う理由もなくなったしなあ。この翼、重いんだよね。せいせいするかも。」
「筋肉はつくんじゃない?」
「ポニーのいじわる!」
また沈黙になり、次はメートヘンが口をひらいた。
「ポニー、メガネをやめたんだね。」
「うん。コンタクトにしたの。」
「その方がずっといいよ。」
「ありがとう。」
また沈黙がつづき、メートヘンがためらいながら話した。
「あのね、実はアタシとパパは…街を出るの。」
「そうなのね。」
ホーニッヒはなぜかズキンと胸に痛みを感じ、その理由が自分でもわからなかったが、冷静を装った。
「大さわぎになったから、しばらく別の街で猫を助けながらほとぼりをさますんだってさ。勝手なモンよね、あの馬鹿親父。」
「じゃ、しばらくお別れね。」
努めて明るくホーニッヒは言った。メートヘンは立ちどまった。
「あ、あのさ。ポニー、もし、本当にもし、よかったらだけど…」
次のことばがホーニッヒにはわかり、思わずうつむいてしまった。
「いっしょに…こない? …なあんてね! うそうそ、ただの冗談だから気にしないで。来るわけないよね。ポニーには大事なお仕事もあるし。」
「…ごめんなさい。」
少女の目の端に光るものを見つけたホーニッヒはそれだけしか言えなかった。
「ねえポニー、ひとつお願いしていい?」
「なあに?」
「いっしょに飛ばない? もう一度。あのときみたいに。」
少女の提案に、ホーニッヒは笑みをうかべてうなずいた。
「じゃあいくよ!」
ホーニッヒは翼を出した少女に抱き抱えられ、そのまま勢いよく空中に舞いあがった。みるみる高度があがり、2人の眼下にはザッハトルテ市の夜景がどこまでも広がっていた。
「うわあ、きれい。」
「ホントだね。」
ホーニッヒは感嘆し、メートヘンも同意した。
「ポニーはこの街を守っているんだね。」
「私も守られているのかも…。」
「ねえポニー、これからもずっと、アタシも守ってくれる?」
「うん、誓うよ。」
2人はうなずきあうと、いつまでも、いつまでも夜の空を飛びつづけた。
しばらく後。
朝の陽を感じて、ホーニッヒは自宅のベッドで目を覚ました。忙しい日がつづき、昨夜は書類仕事の残業でクタクタだった。
ふと違和感を感じ、ホーニッヒはそっと拳銃をにぎるとベッドからおりて、ダイニングに入った。なぜかコーヒーやトーストの香りがしてきた。
テーブルの上には朝食の用意ができていた。サラダにベーコンエッグ、オレンジジュースに朝刊も置いてあった。
「おはよ!」
何事もなかったかのように、キッチンからエプロンをつけたメートヘンが出てきた。ホーニッヒは構えていた銃をおろした。
「メートヘン!? いったいこれは…。」
どうやって入ったかを聞こうとして愚問だと悟り、ホーニッヒは自分が昨晩ベッドに入った時のままの姿であることに気づいた。
「ポニー、なにかはおったら? それにしてもスタイルいいなあ。うらやましい。」
慌てて朝刊で体をかくし、ホーニッヒは叫んだ。
「じゃなくて! ここでなにをしてるの!?」
メートヘンは席につき、朝ごはんを食べはじめた。
「ポニーも食べたら? 冷めちゃうよ。」
「だから…。」
少女はトーストにバターを塗りながら答えた。
「やっぱり、戻ってきちゃった。あのバカ親父には愛想がつきたの。で、戻るならあぶないからポニーといっしょに暮らせって。」
「…私の同意なしで?」
「うん。でも同意するでしょ?」
少女はトーストをかじり、コーヒーを飲んだ。
「にがッ。」
ホーニッヒはため息をついた。
「しかたないね。わかったわ。ただし、きちんと学校にかようこと。いい?」
「はーい。やったね!」
少女は笑いながらコーヒーにガバガバ砂糖をほうりこんだ。
「あと、飛ぶのは禁止。いい?」
「ええ~。それはやだなあ。ねえ、アタシ、これから怪盗メートヘンはポニー警部のお仕事を影で手伝うよ! どう?」
「コンビ再結成ってこと?」
「うん!」
「もう、懲りてないのね。考えておくわ。」
「やったあ!」
ホーニッヒは急いで寝室にもどり、慌てて衣服を身につけようとしたが、ハッとふりかえるとメートヘンが見ていた。
「ねえポニー、今日はおやすみの日だよね?」
「そうだけど?」
少女は、寝室の扉をしめてしまった。
「じゃ、ゆっくりすごせるね。ふたりきりで。」
「あのね、こどもがおとなをからかわないでってなんども…」
「こどもじゃないもん!」
ホーニッヒはさいごまで言えなかった。メートヘンがおもいきりとびかかってきたからだった。
ホーニッヒが体に巻いていた朝刊が床に落ちた。第一面の記事にはこう書かれていた。
『白猫怪盗ヴァイス、ふたたびあらわる!』
(おしまい)
ありがとうございました!
無事完結しました(=^x^=)!
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