第12話 署長室の屈辱
光を感じてホーニッヒは目をさまし、ゆっくりと半身を起こしてのびをした。
隣にはメートヘンが、よほど疲れていたのかすやすやと眠っていた。ふだんのふるまいとは違って、寝顔はごく普通の少女だった。
ホーニッヒは少女を起こさないように慎重に粗末な狭いベッドからおり、ブカブカの部屋着から作業服に着替えた。
空を飛ぶとはいえ、そんな普通の少女に頼ってしまい、命まで危険なめに遭わせた自分をホーニッヒは情けなく思った。
(相変わらずダメだなあ、私。でも…)
これからは人に頼らずに自分がするべきことをしよう、とホーニッヒは決意し、書き置きのメモを残すとそっと階段を降りた。
昨夜は慌てていたのでわからなかったが、1階は花屋だった。裏口からでると、冷たい朝の空気に身を包まれた。
新聞配達員や牛乳屋さんとすれ違いながら、レンガ舗装の道を歩き自宅のアパート前にたどりつくと、入口の階段に寒そうに座っている白いコートの人物が見えた。
「シリンダ!」
シリンダは長身をゆっくりと起こし、深刻な顔をしてホーニッヒに近づいた。
「警部補、どこに行ってたんだ? その格好は…?」
「それは…」
ホーニッヒは言葉につまった。自分はシリンダにも頼りすぎていたし、大事な結婚前の身を巻き込むわけにはいかないと思ったからだった。
「まさか、一晩中ここに?」
「うん。朝帰りとはな。俺がどれだけ心配したと思ってるんだ。」
ホーニッヒは無理に笑うと、アパートの扉に飛びついた。
「なんでもないの! ほら、給料減っちゃったから深夜工事現場でバイトしてたの。じゃ、後で署でね。」
「…誰といたんだ? あの空飛ぶやつか?」
「え?」
シリンダが話すたび、白い息がたちのぼった。
「工事なんてウソだろ。作業服、あまり汚れてないからさ。」
これだから刑事は…、と思いながらホーニッヒはふりむいた。
「私が誰とどこにいようが、別にいいじゃない。」
シリンダは天を仰ぐような大げさなしぐさをした。
「これだよ! 逆ギレかよ! 俺が怒ってる理由、わかるか?」
「…ひと晩中待たされたから?」
「ちがうよ! ヤバい事件にクビつっこんでたんだろ? なんで俺にひとこと…力をかして、っていわなかったんだよ! 俺は…警部補のためなら…」
ホーニッヒはうなだれた。
「あなたには…もう頼れないし頼らない。結婚するし、警察もやめるんでしょ?」
シリンダはコートのえりをかきよせた。
「警部補、それ本気で言ってんのか。」
「私は警部補じゃないし、もうあなたの上司でもないの。あなたはあなたの幸せを生きて。」
「…そうか。わかった。もういい、もういいよ。さよなら、警部補。」
(ゴメンね、シリンダ刑事…)
肩を落として歩き去っていくシリンダの背を見ながら、ホーニッヒは昨夜メートヘンに言われたことを思い出していた。
ホーニッヒがベッドでうつらうつらしていると、隣からふんわりとせっけんの香りを感じた。
思わず背を向けてしまったホーニッヒだったが、指で背中をつつかれた。
「なんでこっちをむかないの?」
「わ、私は…その、あの、自信がないというか、ほら、スタイルよくないし、えと、ムネもあれだし、綺麗じゃないし。」
「ポニー、こっちを向いてよ。そんなことないよ、キレイだよ。メガネをはずしたらね。」
仕方なく毛布の中で体の向きを変えたホーニッヒに、メートヘンは強く抱きついた。少女はまたガタガタと震えていた。
「撃ち合いがよほどこわかったんだね。ゴメンね。」
「ちがうの。アタシよりも…」
メートヘンはさらに抱きつく手に力をこめた。
「ポニーが死んじゃったらどうしようって。そう思ったら、たまらなくこわくなったの。」
「そっか…。大丈夫、私はそんな簡単には死なないから。安心した?」
ホーニッヒはためらいながら、優しくメートヘンに身をよせた。
「うん。すこし。」
ようやく少女のふるえがおさまってきて、ホーニッヒは暖かさでまたまどろみかけた。
「ねえ、ポニー。あのでかい白いコートの刑事さんってさ、アンタの恋人?」
眠気がいっきにふきとんだホーニッヒは身を離して首をふった。
「ち、ち、ちがうよ!? ただの上司と部下。今は同僚か…。なにをませたことを…」
「ふうん。でもあの人さ、めちゃくちゃポニーのこと好きだよね。」
「ええっ? 好きって、どういう?」
「…黒猫刑事さんがポニーのことをなんでアホ、アホっていうのか、少しわかった気がする。」
少女は元気をとりもどして、ニヤニヤ笑いだした。そしてまた、ホーニッヒにおもいきり抱きついて、頬にかるく口づけをした。
「アタシが圧倒的リードだね! おやすみ!」
またたくまに、少女は寝息をたてはじめた。ホーニッヒは自分の鼓動でなかなかねつけなかった。
制服姿のホーニッヒがザッハトルテ警察署の食堂でサンドウィッチにかじりついていると、体格の良い警官とヒョロヒョロの警官に挟まれた。
「警部補、聞きました!? シリンダが辞めるって話ですぜ?」
「ああ~ねえさん、いよいよ結婚準備っすねえ。もう僕が蹴られることもないんすねえ。」
「フラスクおまえ、よろこんでいたのか?」
ホーニッヒは水を飲んで平静なふりをした。
「あっそ。いいんじゃない。あとデシリット、今は私、巡査だし。」
「シリンダが言ってましたぜ。なにかあんたがヤバそうなヤマに関わっているから、力になってやってくれって。」
「話してくださいっすよ、例の猫職人の大量行方不明に関係する話っすか?」
ホーニッヒはトレイを持つとそっけなく席を立った。
「やだな。なんのことだかわからない。さ、仕事仕事。」
デシリットが何か言いかけたが、洒落たスーツの若者が慌てて近づいてきた。ザルツ警部だった。
「ホーニッヒ巡査! 署長が呼んでますよ! 今度はなにをしたんですか!?」
署長は自室で壁の的にダーツを投げていた。ザルツは早々に追い払われ、広い部屋にはホーニッヒと署長だけになった。
「ホーニッヒ警部補…いや、巡査。」
「はい。」
「あの報告書、実によく書けておったよ。うん。」
警部を通りこして直接署長に報告書を提出したのがよかったとホーニッヒは安堵し、警察として捜査本部を設置して本腰をいれれば…と期待した。
署長はダーツを投げたが大はずれだった。
「だがな、全て忘れなさい。キミは何も見なかった、聞かなかった。報告書も出さなかった。いいかね?」
ホーニッヒはめまいを覚えたが、なんとかもちこたえた。
「はい? なんとおっしゃいました?」
「考えてもみたまえ。相手はあの大富豪フランクフルト氏だぞ? キミの捜査方法も問題だらけだ。逆に不法侵入やら名誉毀損やら違法捜査やらで訴えられるのが目に見えている。勝ち目はないぞ。警察の威信も地に堕ちる。」
「そんな…威信なんて。目の前で苦しんでいる人々がいるのですよ?」
署長はダーツを投げる動作をとめた。
「人ではない。猫だろう。」
「私は…納得できません。」
「ではキミはクビだ。キミだけではない、デシリットもフラスクもクビだ。まあシリンダは元々退職だったか。」
「そ、そんな。」
「だが、この件を忘れるなら警部補に戻してやろう。どうだね?」
ホーニッヒは反論しようとしたが、結局なにも言えなかった。
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