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ソラは一人、遅めの夕食を終えた。
両親は数年前から、仕事でイギリスに居る。年に一回程度帰ってくる程度なので、実質一人暮らしである。
「さて」
これから何をしようか。ネットサーフィン、ゲーム、映画鑑賞、読書……。
いや。今日は風にでも当たりたい気分だ。人気の無いところに行けば都市伝説を拝めるかもしれない。
ソラは夜の散歩に出かけることにした。
外に出てみると、満月だった。春の心地良い風が頬にぶつかる。
人気の無いところ、と言っても、家を一歩でた瞬間、そこは人気の無いところだ。駅の方に行けば、大型ショッピングモールなどもあるが、この辺りは団地とわずかに一軒屋があるだけである。
高校方面に向かう。夜道には人っ子一人おらず、自らの跫音が響くだけ。
二十分ほど歩くと、校門にたどり着く。
そこは閉ざされているが、乗り越えることも出来る高さだ。
とはいえ。ここを乗り越えるのは、泥棒となんら変わりない気がして、結局、そうはしない事にした。
学校の敷地沿いに道を歩く。と、裏門が見えてきた。裏門、と言っても、弓道場の横にある小さい門で、ごく一般的な家のそれと変わりないものだ。
普段なら鍵がかかっているはずだが、今日はなぜかかかっていなかった。
しばし立ち止まって考える。
周りには誰も居ない。それに自分はこの学校の生徒。もし忍び込んだバレても、忘れ物しましたで誤魔化せる。
──問題なし。
ソラは門をくぐった。
夜というものは、それだけでその場所を特別にさせる。夜の学校は、どこか神秘に満ちているような雰囲気を漂わせていた。
と、ソラは、自身の足音以外に音源があることに気が付いた。
何かそう、金属と金属がぶつかる音がする。
音源を探ろうと耳を傾ける。
……体育棟の方だ。
急ぎ足で向かう。
金属音もだんだん大きくなってくる。
そして、角を曲がったところで、音源が現れた。
音の正体はやはり金属。それは鋼鉄と鋼鉄──剣と剣が交わる音だった。
僅かな月の明かりを反射させる銀の白兵。
向かい合う二人。
片方は、剣と同じ色の甲冑を身に纏っている。二十歳前後くらいの男だ。まるで赤壁の前線からそのままやってきたような格好をしている。
そして、片方は至って現代人だった。
黒いロングコートを着ている。靴もズボンも現代のソレだ。その手に持った剣は普通なら異常に思えるが、その姿は不思議と自然に見える。少年だろうか。ソラには雰囲気を纏っている。勇ましさ──とは違う。どこか知的で、そう。凛々しさを感じる。
少年はコートを揺らしながら、剣を振るう。男はそれを自身の刃で受け止めるが、すぐに少年が次の攻撃を繰り出す。
少年の猛攻の前に、男はただ防ぐだけだった。
そして、剣が交わること数回。ついに、少年の刃が、男の右肩を切り裂いた。
剣を取り落とす男。すかさず、少年が刃を男の胸に突き立てた。
そして──男の体は光となって露散し、消え去った。
「な──」
言葉を失う。
一体どうやって目の前の現象が起きたのかが理解できない。それは、ソラが知りうる魔術では再現できない現象だった。
少年がこちらに気が付いた。剣をコートの下に隠していた鞘に収め、こちらに歩み寄ってくる。
そして、二人の距離が二メートル程になったところで立ち止まり──
「眠れないのか」
そう言った。
眠れない。何故彼がそのことを知っているのだろうか。
ソラの中で疑問符が渦を巻く。
何か考えがあったわけではない。ただ自然と、
「君も眠れないのか」
そんな質問が口をついていた。
と、少年は一瞬思案した後、
「ああ」
そう答えた。
「魔術師なのか?」
そう聞くと、少年は、驚いた顔になった。
「魔術の心得があるのか?」
逆に問われる。
「……なくもない」
自身の出来ることを踏まえ、そう答えるのが的確だと思った。
と、少年は、小さくため息をつき、
「なら良かった。もし一般人だったらどうしようかと思った」
と安堵した。
だが。彼が魔術師なのだとしても、男が跡形もなく消え去ったのは納得できない。並みの魔術の域ではない。
「さっきのは、何だったんだ」
「さっきの? 再誕者のことか?」
「再誕者?」
聞いたことの無い言葉だった。父の口から一度もそんな言葉を聴いたことは一度も無い。
「そうか。あまり他の魔術師と交流が無いのか?」
「──ああ。両親とその友人の計四人以外、他に誰も知らない」
「なるほど。なら知らなくても無理は無いか」
と言って、少年はさらに一歩近づいてきた。
「その前に、自己紹介をしないか」
そう言って、右腕を前に差し出してきた。
父さんがだいぶ前に教えてくれた。それは魔術師の挨拶なのだと。
ソラも自身の手を差し出し、自身と少年の手首を軽く触れさせた。
「俺の名前は、弓。弓矢の弓という字を使う」
弓。音だけ聞くと、まるで女のような名前だ。
「ソラ。小鳥遊ソラだ」
手を戻して、話を続ける。
「よろしく。さて、再誕者のことだったな」
ソラは黙って話の続きを促した。
「再誕者。簡単に言えば、あれは、この世に蘇った死者だ」
「死者? まさか、一度死んだ人間だと言うのか?」
「その通り」
「馬鹿な。到達点に達したと言うのか?」
到達点。それは魔術を極める目的。時間移動、転生、蘇生。そういった普通では不可能な現象を成しえること。
「さぁな。この現象は天変地異と同じような、あくまで自然現象の一つと位置づけられている。もしかしたら誰かが起こした現象なのかもしれないが。まぁ、やつらのうち、大抵は幽霊みたいなものだ。大抵は記憶も意思もなく、ただ彷徨うだけのモノ。……まぁ、ごく稀に生前の姿を完璧に取り戻すやつらも居るらしいが」
「つまり、弓は、幽霊退治をしていたってわけか?」
「その通り。放っておけば、被害が出るかもしれないだろ? いま日本各地で、この原因不明の再誕現象が起こっている。魔術協会もすでに騎士を日本に送ってきている」
騎士──魔術協会の戦闘要員、戦闘専門の魔術師のことだ。
「それじゃぁ、弓も?」
騎士なのか。そう尋ねた。
弓はそれを否定する。
「単に俺の事情さ」
と弓が、足を半歩後ろにやって。
「そろそろ、帰るかな」
そう言って、振り返ろうとする。
「あ、待て!」
それをソラは呼び止めていた。
「何だ?」
「さっき『眠れないのか』って聞いてきたよな。無眠症のことを知っているのか?」
『無眠症』と言った途端。弓の表情が変わった。
「何? 無眠症だと?」
「あ、ああ」
「まさか、お前も(・・・)そうなのか?」
「『も』、ってことは」
お互いに驚きあう。
「そうか……。生まれて初めてだ。自分以外にこの体質を持っているやつを見つけたのは」
そう言って、弓は微笑んだ。
ソラも、興奮気味だった。初めて、仲間を見つけたのだから。
「……そうか。ソラ、またな」
そう言って、弓が踵を返した。
「あ、待て!」
ソラの二度目の呼びかけに、弓が振り返る。
「どうかしたか?」
「また会えるか? もっといろいろなことを教えて欲しい」
そう言うと弓は微笑み、「ああ」と言って去っていった。