その七 動機
植松被告は後に『ヒトラーの思想が降ってきた』と述べている。
アドルフ・ヒトラーと言えば、若い頃は画家を目指していた。
植松被告も、漫画家だった母親の影響か絵を描くことが好きらしい。獄中でも、大量のイラストや漫画を描いており、その一部は『開けられたパンドラの箱』で見ることが出来る。
内容は稚拙かつナルシシスティックで、はっきり言って不気味なものであるが、書き込みの執拗な細かさだけは異様に目立つように思える。
これはヒトラーの画風にも通じるものである。
建築物や風景においては、細部まで極めて正確に描写しているが、人物のデッサンはからきしダメだったらしい。これも性格の偏りに原因があるのかもしれない。
絵画の共通点はともかくとして、思想での共通点はあまり見出せない。
植松被告本人も、ヒトラーの名前を出したのは思い付きだったと述べている。
この事件に関しては『優性思想』といったものが盛んに取り沙汰されているが、そもそも植松被告が思想などという大層なものを持ち合わせている訳でもないだろう。
この事件は、自己愛性パーソナリティ障害による自己愛憤怒が原因である。
そして動機を一行で述べると、こうなる。
『呼びかけて、返事がなかった』
これだけだ。
自己愛性PDの者は、分離不全のため、元々他者との境界線が希薄で、一体感を抱いている。
自身が世話をする相手に対しても、自身の延長のように感じていたことであろう。
ところが自身の思い通りにはいかず、呼びかけても返事がないし、何かをしてあげてもお礼の言葉もない。
自己愛性PDに対しては、シカトが最も堪えることは先に述べた通りである。
そして、自身の存在を認めてもらえない、注目してもらえない、褒めてもくれない、成果を誇示出来る訳でもない、そうした状況で日々、疑念と怒りと憎悪を募らせていったのであろう。
ここで注意しなければならないのは、自己愛性パーソナリティ障害だからといって、必ずしも障害者差別に至るという訳ではない、ということである。
容疑者の場合は、当初は障害者に対してシンパシーを抱いていた。
人助けというのは、時に自己愛を満たすためのツールともなり得る。
何らかの形で、肥大化した自己愛と分離不全の不安感や寂しさが満たされていれば、あのような凶行には至らなかったのかもしれない。
植松被告は、未だに自身の行為の正当性を主張している。
この歪んだ考えは、恐らく今後も変わらないであろう。
自己愛性PDであれば、神の如くに、自身の考えを正しいものだと思っている。彼の考えを改めることは、一朝一夕には困難だと思われる。どれだけ周囲から非難を浴びても、或いは非難されればされる程反発し、自身の考えに固執しようとするであろう。自身の非を認めることは、自己愛性PDの者にとっては死んだも同然である。彼らの、ガラスのように脆く繊細なハートは、そんな事態に耐えられるものではない。
もし、彼を改心させるつもりであれば、長期に渡る地道な治療しかないであろう。
刑務所において、パーソナリティ障害の治療が可能かどうか定かではない。
しかし、ただ死刑にするまで放置するのは、法治国家としては怠慢の誹りを免れないであろう。
全国の障害者や家族は、未だに答えを求めて闇の中を彷徨っている状態だ。
植松被告と対話を続け、彼の思考と精神状態を解明することでしか、彼らの元に一筋の光が差し込む日は訪れないのかもしれない。