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自己愛性ブラック~その原因とメカニズム~  作者: 朝木深水
第二十五章 相模原発ワシントンDC行き
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その三 プロフィール

 まずは、朝日新聞取材班による『妄信 相模原障害者殺傷事件』朝日新聞出版(2017)、そして月刊『創』編集部編による『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』創出版(2018)、および各メディアの記事を参考に、彼のプロフィールを簡単にまとめてみた。

 流石に、家庭内の状況や詳細な生育環境については、今後の精神鑑定やメディアによる取材を待たねばならないが、断片的な情報をちょっとなぞっただけでも、彼の自己愛的ナルな精神状態が充分過ぎる程によくわかる。


 植松聖被告は、東京都日野市で生まれた。父は小学校教師、母は漫画家であった。

 被告が一歳の頃に、津久井やまゆり園と同じ町内に引っ越してきた。

 明るく活発で、挨拶もきちんと出来る子供だった。近所の評判は悪くなかったようだ。

 小学校のクラスでもムードメーカーで、体を張ったギャグで、常に周囲を笑わせていたという。

 中学校に入学すると、バスケットボール部に入る。そこでも快活で、成績も悪くなかった。しかし、キレると物に当たったり、手が付けられなくなるという一面もあった。

 八王子市の私立高校に進学し、やはりバスケ部に入部。この頃から、父親と同じ小学校の教員になりたいと周囲に話していたという。明るい性格で、ここでもクラスの人気者だった。

 友人たちとバーベキューをしたり、料理を振る舞ったりするのが好きだったという。友人の一人は『プロでもやれる』と自慢していたと語る。ここまではちょっとやんちゃで、リア充パリピな若者という印象だ。

 現役で大学に合格すると、初等教育を専攻した。友人たちは、被告は根っからの子供好きだと証言する。学童保育で指導員補助のアルバイトも始めた。

 小学校での教育実習では、周囲の評判も良かった。

 被告に異変が見られたのは、この頃からであろう。

 背中一面に刺青を入れた。両親だけ八王子に引っ越し、被告が一人で実家に取り残された。両親と喧嘩したようだが、詳細は不明である。

 小学校で教育実習を行ったが、その時既に背中にもんもんが入っていた。水泳の授業では、スイムスーツを着て隠していたという。

 刺青を入れてもらった彫師に、弟子入りを志願したが、あえなく断られている。しかし、その後SNSに『彫り師になった』と書き込んだ。本当に彫り師になったかは不明である。

 結局、教員にはならずに、大学を卒業後は運送会社に就職した。しかし、そこを十カ月あまりで退職。その後、デリヘルの運転手などを転々とした。

 通っていたクラブでは、薬物の使用を疑われていたという。この頃には、大麻を常習していたことが明らかとなっている。

 二〇一一年一二月、『津久井やまゆり園』に入職。最初は真面目に勤務していたが、その内に刺青が発覚、言動もおかしくなった。

 二〇一六年の初めから、施設の同僚らに『意思疎通の取れない障害者は殺すべき』などと話すようになった。

 そして、二〇一六年二月に、衆院議長公邸に手紙を届けた。

 当初は、総理大臣公邸に通っていたが、警備が厳重で近寄れなかった。文面も、最初は安倍総理大臣宛てだったものを、宛名を書き換えたという。

 その後、神奈川県警の捜査員がやまゆり園を訪れる。

 そのことを受けて、園長ら幹部職員が植松被告と面談した。そこで退職することになった。

 その場で津久井署署員に保護され、緊急措置入院が決まった。

 事件の計画を立てたのは、この措置入院中だったという。

 入院当初は粗暴な振る舞いもあったが、やがてはそれも収まった。主治医の判断により二週間あまりで退院した。

 その後、相模原市で一時生活保護を受給する。

 六月には、相模原市内のムエタイジムでトレーニングをした。

 七月には、両親と食事をした。

 この頃には、障害者の話題を持ち出すこともなくなっていた。

 ところが植松被告は、考え方を改めた訳ではなかった。

 予定されていた通院もすっぽかした。

 トレーニングに励んだのは襲撃を決意したからである。

 そして、二〇一六年七月二六日を迎える。

 犯行後には、自身のツイッターに投稿している。正装して自撮りした画像だった。

 逮捕後に、検察庁に送検される車内では、満面の笑顔を見せてはしゃいでいた。

 その映像がニュースなどで流れると、日本中に衝撃を与えた。

 あれだけの事件を起こしておきながら、何故あのようにはしゃいで笑っていられるのか、心ある人であれば、誰もが怒りと恐怖を覚えたことであろう。

 植松被告は、マスコミなどへの手紙の中で、犯行の『動機らしきもの』について述べている。

 彼は『意思疎通のとれない人間』を『心失者』と呼んでいる。そして、彼らは生きていても仕方のない人間だとしている。この思想らしきものが動機であると見做されている。

 逮捕後に、半年をかけて精神鑑定が行われた。

 そして、自己愛性パーソナリティ障害の診断が下された。

 しかし、専門家でもなく、或いは余程興味のある人でもなければ、パーソナリティ障害と言われても全くピンとこないのではないだろうか。

 では、自己愛性パーソナリティ障害について、今一度おさらいしてみるとしよう。

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